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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第58話 夏合宿⑦、0の上に寝転ぶ看護学

202X年、7月下旬 夜(玄関先・外)


 リン先輩の背中が、旅館の自動ドアの向こうに消えていく。


 硫黄混じりの夜風が一度だけ、さっきのタバコの匂いを連れていって、それからまた静かになる。


 玄関から少し離れた、暗がりギリギリの場所の石段に座りなおす。

 ……なんとなく、灯りの下にはいたくなかった。

 

 旅館の提灯の赤い光も、ここまで来るとだいぶ薄い。足元の砂利と、低い手すり、それから山の黒い線が、目が慣れてようやく輪郭を持つくらい。


 掌の中で、白と黒のピンが小さく光っていた。

 白い羽と、黒い月。


 指先でころっと転がすと、マシロ先輩とマヨイ先輩の体温がまだ残っている気すらする金属。


 ……使えるのかね、俺。


 “助けてって言えばいい”と言われても、それが一番苦手なんだよなぁ。


「……」


 ため息だか、息継ぎだか自分でもわからない息を吐いたところで――


「タマキさん」


 ふいに、名前を呼ばれる。


 振り向くと、玄関側の灯りの中に、小さなシルエット。

 浴衣に、髪をざっくりまとめたフユミが、そこに立っていた。


「……フユミか」


「そろそろ戻った方がいいですよ。お風呂上がりに外にいると、体も冷えます」


 “にゃふ”の前置きが省略されている。本気モードだ。


「よく外にいるってわかったな」


「んー……」

 フユミは、玄関からこっちまでの石畳を、ちょん、とつま先で示した。


「まあ、玄関から相当離れてるところにいたら諦めるつもりでした」

「そこは、頑張って探してくれてもいいのよ?」

「寒いから嫌です」

 即答。

 なんというか、期待を裏切らない。


「……でも」

 フユミは、ちょっとだけ口元を緩める。

「こうやって迎えに来たら、“ちょろい”顔してます」

「……お前な」


 思わず顔に手を当てる。

 そんなに顔に出てるのか。いや、出てるんだろうな。


「にゃふ」


 彼女はそのまま、とことこ歩いてきて、俺の隣に腰を下ろした。

 浴衣の袖が、かさっと俺の腕に触れる。温泉上がりの体温が、まだ少し残っている。


 しばらく、二人で湯けむりを眺めていた。

 宴会場のざわめきと、山の静けさの境目みたいな場所。


「……タマキさん」

「ん」

「もし」

 フユミは、足元の石段を見つめたまま言う。


「もし、壊れそうになったら、どうしますか?」

「壊れそう?」

「はい。こう、『あ、あと一発食らったら、HP0だな』ってなる時」

 ゲーム的比喩で来るあたり、らしいと言えばらしい。


「誰かに“助けて”って言えますか?」

「……」


 考えるまでもない、って顔をしたのだろう。

 フユミの方に視線を送る前に、自分の口が先に動いていた。


「多分、言えないな」

「やっぱり」


 フユミは、小さく笑った。

 呆れているような、でもどこか、“予想通り”って顔。


「“やっぱり”ってなんだよ」

「だって、“タマキさんが自分から助けを求める”ルートは、すごく条件が厳しそうです」

「厳しいって」

「“自分の仕事が全部片付いていること”とか、

 “周りに迷惑をかけないこと”とか、

 “誰かに頼ることのデメリットを全部消してからじゃないと口にできない”とか」


 ざくざく刺される。泣きそう。


「…………」


 否定できない沈黙をしていると、フユミは、ふう、と小さく息を吐く。


「なので」


 フユミは、視線を前に向けたまま、少しだけ身を寄せてきた。


「わたしが気づいたら、そっと寄り添いますね」


「寄り添う」


「はい」


 こくん、と頷く。


「私は、上からタマキさんを引き上げることはできません。タマキさん重いですし」

「物理的な話してる?」


「だから、タマキさんが壊れる前に、“0の上に寝転んで”……0.1で止めます」


「……なんだそれ」


 聞き慣れない比喩が飛んできて、思わず顔を見る。


 フユミは、少しだけ得意げだった。


「わたしなりの、看護学的な処置です」

「看護学ってそういう学問だったっけ」

「“HPが0になりそうな人の近くに、一緒に寝転んでおいて、代わりに1削られる役”です」


「それ、フユミが削られるじゃないか、ダメだ」

 思わず、語気が強くなってしまう。

 

 違う、そんなことが言いたいんじゃないのに。


「本気ですよ?」

 そう言って、彼女は今度はちゃんとこちらを向いた。


「……」


「タマキさん、たぶん、『0になりましたー』って言うより先に、“自分でログアウト”しようとするタイプなので」

 図星すぎて、返す言葉が喉の手前でくしゃっと潰れた。


「その前に、“あ、タマキさんやばそうだな”って思ったら、隣に寝転びたいです」

「それ、“フユミのHPも一緒に削れる”ってことじゃないのか」

「いいですよ。一人だけ削れるより、二人一緒の方が、たぶん安全です」

 なんというか、理屈は破綻しているのに、妙な説得力だけはある。


「レイズってケアルガより詠唱時間長いんですよ。つまりHP0は大変」

「ゲームの話か」

「看護の話です」

 きっぱり。


「……看護学的にはどうなんだ」

「看護学は、“患者さんが倒れた時に下にマット敷く”とかします」

 急にリアルな例を出すな。


「だから、“倒れそうな人がいたら、その下に滑り込む”のも、看護に含まれる……かもしれません」

「……かもしれません、って言ったな今」

「たぶん。きっと。おそらく」

「全部“根拠薄いときのワード”なんよ」

「にゃふ」


 他愛ないやり取り。

 でも、“0の上に寝転ぶ”って言葉だけは、簡単に笑い飛ばせる感じがしなかった。


「でも、それでフユミが削れるのは、嫌だなぁ…」

 情けない声が口から零れる。


「じゃあ、一緒にHP0.1でごろごろしましょう。それでタマキさんが回復したら、私をおんぶして、1まで一緒に連れてってください」

「ごろごろするならもっと安全なところでごろごろしようよぉ」

「にゃふ、そんなところにいつまでもいるタマキさんが悪いんですよ」

 ごもっとも。


「タマキさんがHP0になるのは少なくとも私より後です」

「ヒーラーが先に倒れないでもらえる?」

「にゃふふ、私が0になる前に回復してくださいね」



 ふと、フユミがこちらを見上げる。


「……そういえば、タマキさん」

「うん?」

「宴会で言ってましたが」


 少し顔に悪い笑みを浮かべながら、

「いままで、お付き合いした方、いたんですね」

「あー……」

 それはまあ、さっき自分で言ったしな、と苦笑する。


「別に隠すつもりがあった訳ではなくてな……」

「知ってます」

 フユミは、さらっと言い切る。


「にゃふ……1年で4人って、相当ハイペースだと思いますが。何かあったんですか?」

「……まあ、俺が……」

「“俺が悪い”以外で」

「…………」


 言葉が止まる。

 “俺が悪い”以外の答えを用意したことがないからだ。


「…………わかんね」

 正直に言えば、それしか出てこない。


 即座にため息が降ってきた。

「……(。´-д-)ハァ」

「今、顔文字ついた?」

「付きました。ほんとにこの人はもう」

「バカにしてる?」

「馬鹿だとは思ってます」

「酷くね?」

「というか、実はあまり興味がないです。私に関係ないので」

 さらっと、切り捨てられた。


「……それはそれで刺さるな」

「にゃふ。だって、もう過去の話じゃないですか。セーブデータ1~4ですよ」

「ひどい呼称だな、おい」

「“今のフラグ管理には関係ない”ので、興味が薄いです」

 ゲーム脳が過ぎる。


「……あー、その、な?」

 言い訳とも説明ともつかないものを探していると、


「どうせ」


 フユミが、先に言葉を繋いだ。


「『別れた方が君のためだと思う』とか言ったり」


 どき、と心臓が跳ねる。


「『お互い好きなんだって思ったけど、気のせいだったんだね』とか言われたんじゃないんですか?」


「……」


 そのまんま、とは言わない。

 けど、方向性は完ぺき。


「もしかして、ナツキかアキハに聞いた?」

「聞いてません」

 即答。


「見てればわかりますよ。自分が一緒にいることで相手を不幸にする可能性、考えてますよね?」

「…………」


 考えてない、とは言えない。

 むしろそれしか考えてない時期の方が長かった。


 口の中が、少しだけ乾く。

 湯上がりで落ちた体温が、また少し落ちる感じ。


「……………………俺なんかがいても、何の意味もない」


 気付いたら、口から漏れていた。


 いつも頭のどこかで鳴っているやつ。

 さっきリン先輩に小突かれたばかりの、自分の中の“呪文”。


 言った瞬間、自分で“あ、やべ”と思う。

 さっき「封印しろ」って言われたばかりだろうが。


「……そうですか」


 フユミは、一瞬だけ目を細めて俺を見た。


「じゃあ、“意味が無い”なら――」


 ふっと、表情が切り替わる。


「“無料”ってことですね」


「……は?」


「ギュッてしてください」


「……なんだその理屈」

「意味がないなら、お金も価値も発生しません。なら、ギュッてしてもコストゼロです」

「雑なようでいて、雑すぎる理屈だな」

「いいから早く!」

 珍しく、語気が強い。


「誰かに見られたらどうするんですか! 夜遅いし、みんな宴会中とは言え、誰か来たら! 早く!」

「いや、その、ここ玄関からちょっと見える位置――」

「手間取らせないでください!」


 半ば押し切られる形で、俺は立ち上がる。

 フユミも、浴衣の裾を押さえながら立ち上がった。


「……はいはい」

 観念して、そっと腕を広げ、フユミを、正面から、そっと抱き寄せた。


 華奢な肩。

 湯上がりの髪の、少しシャンプーの匂いが残っている匂い。

 浴衣越しの体温。細い肩と、腕の感触。


「ふにゅー……」


 胸のあたりで、変な鳴き声がした。


「それでいいんです。それで」


 言葉と一緒に、胸元が少しだけ震える。

 彼女の手が、浴衣の中のTシャツをつまむようにぎゅっと掴んでくる。


「やっぱり、今のタマキさん、チョロいです」


「……フユミ」


「悩んでたり弱っている時のタマキさんは、大体リクエスト聞いてもらえるので、私としてはチャンスタイムです」

「チャンスタイムって言うな」

「事実です」


 胸のあたりで、くすくす笑う気配。

「フユミが腹黒く!?」

「何言ってるんですか。元々、割と黒いですよ、私」

「清々しいな、お前」

「にゃふ」


 抱きしめる腕に、すっと力を込める。

 湯気の抜けた夜風の中で、その体温だけがやけに現実っぽい。


「……純粋な後輩の方がお好きですか?」


 胸元から、少しだけくぐもった声がする。


「多分、タマキさんが思うより、わたしは庇護欲を掻き立てるタイプでは無いと思います」


「自分の機嫌は自分で取りますし。ぶっちゃけ人と喋るのめんどくさいです。夜更かしもしますし。

 『守ってあげなきゃ』っていうより、『ほっとくと勝手に変なゲーム課金とかしそう』ってタイプです」


「それはちょっと心当たりがある」


「でしょ……」


 少しだけ、抱きしめている肩に力が入る。


「でも……」


「?」


 抱きしめたまま、言葉を探す。


「俺が一番、“ダメでいられる”のは」


 一拍、置いて。


「フユミの隣なのかな、とは思うよ」


 自分で言っておいて、若干恥ずかしい。

 でも、事実だ。


 フユミ相手の時だけは、どこかでブレーキが弱くなる。

 ナツキやアキハの時にはある、かっこつけたいという感情が薄くなる。


「ふにゅふにゅ……」


 意味不明な鳴き声が出ている。かわいい。


 見下ろそうとすると、フユミの頭がぐいっと押し付けられて、視界から顔が隠された。

「今、顔見ないでください……」

「見ない、見ない」


 代わりに、そっと頭を撫でる。

 柔らかい髪が指の間を滑っていく。温泉でしっとりしているせいか、いつもより少しだけ重い。


「……ありがとな」

 自然と、言葉が落ちた。


「にゃふー……」

 服越しに、胸元で振動が伝わる。照れ笑いと、何か別の感情が混ざった声。


「うーん、まあ、それで勘弁してあげますので」

 少しだけ、いつもの調子が戻ってくる。


「あと三分。いや、肝試しの時の約束分もあるので五分……いや、十分……」


「どんどん増えるな」

「さっき、『帰ったらハグしてください』ってちゃんと言ったじゃないですか……

 あれは口約束じゃなくて、カルテに記載済みなんですよ……」

「そんなカルテやだ」

「にゃふ」


 それから、本当にしばらくの間、何も喋らずに抱き合っていた。


 頭を撫でる手を、ゆっくり往復させる。

 もう片方の手で、背中を軽くさする。


 フユミは、次第に力が抜けていって、最後にはほとんど預けるみたいに重みを載せてきた。


「……よし。じゃあ、あと何分だ」

「今ので+二分です」

「増やすな」

「患者さんが“楽になった顔”してる間は、“延長”つきます」

「こわいシステムだな、お前の病院」

「大丈夫です。“タマキ科”は一人しか受け付けてませんから」


 そんな会話をしながらも、腕は離さない。


 月が、雲の切れ間から顔を覗かせる。

 湯けむりが、夜の斜面をゆっくりと上っていく。


 視界の端に何かが映った気がした。


 この光景を見ているのは、きっと。

 月と湯けむりと――どこかの“物好き”だけだ。



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