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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第54話 夏合宿③、肝試し

202X年、7月下旬 夕暮れ


 夕方の山の匂いは、湯けむりと若い木の青さが半々で、嗅ぐだけで心拍数が半拍分下がる。

 旅館の裏手、細い参道の入口に、提灯が等間隔に灯った。まだ完全な夜じゃない。薄闇、という言葉が一番似合う時間。


「はい注目ー!」

 リン先輩が、懐中電灯をマイク代わりに掲げる。

「これより“登別温泉肝試しツアー”を開催する! 歓声!」

「わー」「いぇー」「帰りたいでーす!」

「最後のやつ誰だ、点呼の時にもう一回言え」


 カオル先輩が手を叩いた。

「はーい、肝試しの注意事項。走らない、はぐれない、叫ばない……は無理ね、叫んでもいいわ」

「おい」

「道から外れない。怖くなったらその場で手を挙げて“怖いです”って可愛く叫ぶこと」

「可愛く……」

「組み合わせはこのあと抽選。玄関から入ればクリア。そこからは湯けむりの神の守護領域」

「何その設定」

「雰囲気づくりよ」


 周りを見渡す。

 フユミはすでに俺の袖をつまんで、「にゃ……にゃふ……」と小さくなっている。

「怖いのか」

「怖いです……でもタマキさんが怖がる顔も諦められません」

「イイ性格してる」

「にゃふ」


 リン先輩は余計な前置きをしない。

「今年の肝試しは二人一組。ルートは神社の鳥居→竹の小径→見晴らし台→祠の裏手を回って温泉街に降りるコース、何もなければ所要十五分程度。

 各組に“鈴”と“懐中電灯”を配布。暗くて危ないところは通らない。

 チェックポイントに“お札”がある。三枚全部を回収して帰れば“完全制覇”。途中棄権は恥ではない。だが爆走は禁止、転ぶぞ」

 鈴…熊除けか?


「何かあったら合図を出せ。合図は――」

リン先輩は口笛を鳴らし、同時に鳥居の奥から「キン」と鈴の音が返る。「こういうことだ。鈴を三回鳴らしたらスタッフが迎えに行く。以上」


 ざわっと空気が揺れる。怖がらせるものが何か、具体は出てこない。想像の余白が一番怖い。


 …………待って、今見渡しても事務局の三、四年生は全員この場にいるんだけど、誰が今の鈴の音鳴らした?


「アキハ」

「ごめん、私も何も聞いてない」

「ナツキ」

「ぶっちゃけ私も怖い」

「イズミ」

「いくつかおもちゃは貸したが、仕掛けは知らん」

「シンジ」

「…」

「シンジ?」

「気絶してるわよ、こいつ。」

 ごめん、一年ズ。二年生も役に立たなささそう。

 


「では――ペア決めいくぞー!」

 リン先輩が、紙コップを掲げる。

 中には、二人一組の番号が書かれたクジ。


「はい、男ー!列になって一人一本引けー」

「なんで男から……」

「恐怖は順番だ。諦めろ」


 言われるがままに列に並び、順番にクジを引く。

 紙にはシンプルに番号だけ。


「俺、4番」

「俺5」「7」「1でーす」

 なんとなく男子側だけで“死刑宣告を待つ囚人たち”みたいな空気になっていると、リン先輩が今度は女子を呼んだ。


「女子も列になれー。番号かぶったやつがペアなー」

「えー」「楽しみ~」「当たり先輩がいいです~」

 “当たり先輩って誰だ”とツッコむ前に、列が出来ていく。


 ひとり、またひとりと番号を読み上げていく。

「……にゃふ、勝訴」

 フユミが、引いた札を頭の上に掲げている。“4”。

「お前か」

「私です……ふにゃ……手、握ってもいいですか」

「始まってからな」

「にゃふ!」

 即答で元気になるな。隣でナツキが「大丈夫?」と視線で聞いてくる。俺は「がんばるよ」の目で返す。


 視界の端で、コウメイ先輩とアキハがペアになってるのが見える。

 あれ?最強じゃね?あのペア。

 

 ナツキ&シンジも問題ないな。

 マヨイ先輩もリン先輩がペアなら大丈夫だろ。

 …………え?リン先輩、脅かす側じゃないの?



「第四組、出発ー」

 俺たちの番だ。

 懐中電灯は俺が持つ。手首にひもを回す。

 鈴はフユミに渡しておく。


 フユミは俺の左腕にがっしりしがみついている。

 周りの目線を気にする余裕もないらしい。

「怖かったら言え」

「怖いです」

「早い」


 鳥居をくぐると、空気がちょっとだけひんやりする。

 そんな気がするだけかもしれないが、気がする時点でだいぶ怖い。


「第一札、鳥居の根元」

 クジの裏に書かれていたヒントの通り、足元の影に小さな紙の札が差してある。

「タマキさん取ってください」

「フユミ片手空いてるだろ…」

「だって、取ってる間に後ろから何か来たら怖いじゃないですか」

「……後ろ見るなよ」

「見ないですぅ」


 手を伸ばした瞬間、真横で子どもの笑い声がした。


 誰もいない。


「……ヒッ」

「Bluetoothスピーカー」


「タマキさん、種明かし早いです……」

「そうであってほしいと思って言ってる」


 ザッ


 参道脇の竹が一本、何かに叩かれたみたいにしなる。

 フユミが更に強くしがみついてくる。

「風だ」

「風……じゃない」

「じゃあ、エアロガ」

「バギクロス……」

 それっぽい言い方をしても、怖いものは怖い。札を引き抜き、半分に折れていないのを確認して、胸ポケットへ。


 フユミの気配が完全に固まっている。


「……フユミ」

「は、はい……」

「息、止めるな」

「ひぃ……」

 完全に怖がっているのに、腕だけはしっかり掴んでくる。

 ちょっと可愛い。


 竹の小径。提灯がここから先は減る。

 地面は木の階段で、踏むと微かに湿り気を含んだ音が鳴る。

 階段三段目で、チリン。鈴の音。


「合図と同じ音だ」

「合図じゃないですぅ」

 上からではなく、横から聞こえた。見えないところで誰かが鈴を鳴らしている。

 どこかに何か仕込んでいるんだろう、と頭では理解してても身体は別の判定を出す。


「……あの、タマキさん」

「うん」

「“怖くない話”していいですか」

「“怖くない話”ってなんだ」

「モンハンのスキル構成の話です……」

「そのうち“ガノトトスが理不尽で怖い”とかにならない?」

「大丈夫です……今日は“可愛いオトモ”と“重ね着コーデ”の話しかしません……」

「それは怖くないな」

「でしょ……?」


 そんなわけで、フユミは本当に延々と“オトモアイルーの名前”とか“おススメの重ね着”とか、怖さを削るためだけに喋り続けた。

 その半分くらいは、正直頭に入って来なかったが、声が続いていること自体が安心材料ではある。


 階段の踊り場に、白いものが立っていた。

 ほっそりした人影。長い髪。こちらを見ている気がする。

「…………」

 俺は懐中電灯を直接当てない。足元の手前の地面を照らして反射で影を見る。

 白い布。偶然木にひっかかったの、かな。

「布だ」

「…………布」

「布…布…布……ありがとう」

 フユミがこくこくと頷いた。

 進む。人間は、正体が分かったものには勇気が出る。分からないものだけが怖い。


 見晴らし台に出る。谷の湯けむりが一段濃くなり、白い羽毛みたいに空へちぎれていく。

 夕暮れは夜へ変わる途中で、町の灯りはまだ点ききらない。

 ここに第二札。手すりの裏、ビニールで覆って紐で結ばれている。

 手を伸ばして紐を解く。


 と、足元でカリ……カリ……。

 音がする。

 静かな、か細い爪の音。


「にゃっっっっ!?!?」

「うおっ」

「キャ――ッ」

 フユミの悲鳴が半音高い。俺の喉からも、間の抜けた音が漏れた。


 反射でライトを落としかける。失くしたら死ねる。


「……猫」

 黒い影が欄干の下を滑っていく。

「猫、ありがとう!」

 フユミが猫に礼を言っている。猫は返事をしないが、返事をしたらそれはそれで怖い。


 第二札も胸にしまう。残り一枚。


「タマキさん」

「ん」

「やっぱり、タマキさんの怖がってる顔、ちょっとだけ見たいです」

「余裕だな」

「にゃふ。余裕、一割。怖い、九割」

「正直でよろしい」


 祠へ下っていく途中。

「タマキさぁん、あの影なに……?」

「岩だ」

「ほんとに?」

「ほんとに」

 でもたしかに、岩が人影に見える角度はある。


「……タマキさん、帰ったらハグしてください」

「なぜ」

「安心したいからです!!」

「わかる」


「第三札」

 祠の裏手、石の隙間に差してある。

 最後の札には、赤い印が押されている。

「“戻るべし”って意味の“還”の字です」

「よく知ってるな」

「にゃふ。何かのゲームで見ました」


 札を抜いた瞬間、耳の後ろでふっと息がかかった。

 反射で振り返る――誰もいない。

 いや、いる。白い袖が、祠の角から一瞬だけのぞいて、消えた。


「な、何だ今の」

「タマキさん、い、い、今後ろに」

「いやいやいやいやいやいやいやいや」

 祠の屋根から、風鈴がひとつ鳴った。合図の音ではない。

「行くぞ」

「ふぇぇ」


 温泉街に降りる道を歩く。

 灯りが少しだけ明るく見えるのは、たぶん目が慣れただけじゃない。


 背後から、ザッと音。


 追う影の気配。


 走らない。


 足音を揃える。


 フユミの指が、一層強く腕に沈む。


 喋る余裕もない。


 でも、不安にさせない、させちゃいけない。


 フユミを自分からも引き寄せながら歩き続ける。


 その体温だけが、逆に俺を安心させてくれていた。


 旅館に辿り着き、玄関を抜けると背後の気配が消えた気がした。

 単純にロビーに辿り着いて、気が抜けただけかもしれない。



 入ってすぐのところで、カオル先輩がいた。


「おかえり。札」


 俺は胸ポケットから三枚を出す。フユミが腕から離れる。

「完全制覇、合格」

 パチパチ、と控えめな拍手。


「にゃ、にゃふ……死ぬかと思いました……」

 フユミが既にゴールしていたマヨイ先輩の胸に飛び込み、甘えている。


「お疲れ。ほんとに怖かったんだね」

「見てください……腕……汗で……にゃふ……」

「がんばったねぇ……」


 いいなぁ。


 戻ってくる組、まだの組、それぞれの小さな武勇伝がロビーに増えていく。


 マヨイ先輩とリン先輩は、リン先輩の方がむしろ驚いていたらしい。

 …マヨイ先輩つえぇ。

 コウメイ先輩とアキハは猫を次回のギミックに導入することの是非について話し合っている。

 やめて。


 輪の端で、ナツキが目だけで「どうだった?」と問うてくる。

 俺は親指と人差し指で“OK”の輪を作って返す。


「はい、それじゃ全組無事戻ったので、肝試しはここで終了。全員よくできました~」

 カオル先輩が手を合わせる。


「解散。各自温泉上がったら19時から宴会な。なお、風呂上りに≪湯上りミルクウォーズ≫開戦」

 リン先輩が宣言する。

「やめろ」

「やる」


 ぞろぞろと全員で部屋に戻る。

 フユミが、さっきより軽い足取りで横に並ぶ。

「タマキさん」

「ん」

「牛乳派ですか、それともコーヒー牛乳派ですか」

「飲むヨーグルト派」

「ずるいです」

「正義は状況依存」

 あ、そうだ。


 すっとリン先輩に近づき、尋ねる。

「祠の白い袖ってどんな仕掛けだったんですか?マジ怖かったんですが」

「あん?」

「何を言っている?」

 リン先輩とコウメイ先輩の素で不思議そうな声が返ってくる。


「え?いや、あの祠の白いのですよ?」

「今回仕込んだのは、旅館の人に協力してもらってBluetoothスピーカーを何か所か仕込んだだけよ、こういうのはやりすぎても面白くないから、ある意味自然が一番面白いのよ」

「最初の口笛と鈴の音で、旅館の人の仕掛け完了の確認してな。ビビったろ?」

「あー、自然と言えば、猫にはビビったなぁー」

「アレはよかったな」

 カオル先輩も混じって、今回の仕掛けの話で盛り上がってる。

 あー、なるほど。旅館の人に手伝ってもらったのね。


 …じゃなくて。


 …………………え?


 じゃあ、俺の見たあれは?


 フユミがそっと袖を引いてくる。

「タマキさん」

「フユミ、フユミも見たよな?」

「見てません」

「フユミ?!」

「見てないったら見てないですぅぅぅ!!」

 フユミが部屋に走り去ってしまった。


 ……………合宿から帰ったらお祓い行こ。


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