第53話 夏合宿②、温泉街の裏道でひと休み
202X年、7月下旬 昼
「まもなく、登別温泉街入りまーす」
運転手さんのアナウンスに、車内の空気が一気に明るくなる。
「ふにゃぁ……着きました……?」
隣のフユミが、シートから半分溶けた状態で顔だけ上げる。
寝起きのフユミは破壊力が高い。
バスのドアが開いた瞬間、硫黄の匂いが空気の厚みに一枚加わった。
白い湯けむりが、緑の斜面のあいだをゆっくりと上っていく。宿の玄関前は、旅行客のスーツケースのコロコロ音でにぎやかだ。
「到着。全員、荷物は自分のもの持てよ」
先頭でリン先輩が点呼を取る。カオル先輩はフロント脇で旅館の係と手際よく部屋割りの確認。
ロビー脇の水槽で金魚がゆらゆらしているのを横目で見ながら、俺はぼんやりする。
男子部屋に荷物を置く。布団はまだ押入れの中で、窓辺に川の音が薄く通る。
リン先輩は早くも浴衣に着替えて床に大の字、コウメイ先輩はテーブルの木製パズルを凄い速さで解きはじめ、イズミは窓から景色を撮って“画角がむずい”と嘆き、シンジはさっさと準備してロビーに向かっていた。
俺も正直、テーブルの温泉饅頭食べながらお茶でも飲みたいところではあるが。
「散歩行ってきまーす」
「17時集合なー」「迷子になるなよー」「働くなよー」
適当に返事をして、カズネとメグミを待たせないよう、ロビーへ向かう。
ロビーに到着。
クマ牧場へ向かうシンジ隊、ロビーの売店に吸い込まれていく甘党、早速浴衣に着替えて写真を撮り始める一年女子。活気は正義。
「クマ牧場隊はこっちだぞー」
クマと戦いにでも行くのかな?
一方、アキハは宣言通り、髪をハーフにまとめて、さっさと日帰り温泉巡りに出発していった。
「ちゃんとのんびりするのよ」
「大丈夫、のんびりのプロと散歩予定」
「監視がいるなら安心ね」
信用が底を突いている気がする。
お土産屋を眺めつつ、クマ牧場隊や、地獄谷に行くメンバーと話していると、
「センパーイ!」「タマキ先輩~」
声の重なり方でわかる。カズネとメグミだ。
「お待たせしました!!」
「しました~、いきましょう~」
「散歩行くなら先に軽く何か食べていこうぜ」
「温泉卵プリンにしましょう!!」
「なにそれ」
腕を取られ、俺は二人に引きずられる。嬉しい拉致。
◇
三人で軽く昼を済ませ、旅館の裏手に回ると、硫黄の匂いが薄まり、土の匂いが勝つ。
杉と白樺が交互に影を落とし、木道が湿り気を含んでやわらかい。湯けむりは遠くでたなびいて、こっちは山の呼吸がゆっくりだ。
「見てください! “昼寝適正・最優良地帯”の看板!!」
「そんな看板はない」
「わかる女の目には見えるのです!」
「私も見えます~」
元気印と省エネ印が勝手に合意形成していく。強い。
「見てくださいセンパイ!あれ多分、地獄谷!」
「こっからは多分見えねぇよ」
「心の目で見るんです~」
「便利だな、心の目」
木道の先に、小さな沢を渡る丸太橋。水面に緑が揺れて、鳥が一羽、影だけ落としていった。
さらに少し登ると、木陰の奥に、背もたれの広いベンチがぽつん、と鎮座している。誰もいない。木漏れ日だけが客だ。
「勝った」
カズネが両手を上げ、メグミが小さく拍手する。
「お前ら、何と戦ってるんだ」
「“先客”という強敵です」
「夏は“場所取り”が戦争です~」
ひと息ついて、背もたれに肩を預ける。近くで葉が擦れて、遠くで湯が鳴る。
メグミが肘で俺の脇をつん、とつついた。
「ねむ…」
反対側からはカズネの肩が、微妙に俺の方向へ倒れてきている。
「センパイ……実は今日も早朝バイトいきました……」
「バカモノ。後でアキハに怒ってもらおう」
「それは嫌ですー」
結局カズネが、スニーカーを脱いでベンチに横向きにごろん。
そのまま頭を俺の膝の上に。
……そんな、いいですか?って伺うような目をしなくても断らんが。
メグミはメグミで、どこかから取り出したネックピローを装着し「省エネモード……起動……」と宣言して、ころんと寄りかかってくる。
「タマキ先輩~」
「ん」
「呼んだらなんだかんだ来てくれるの、嬉しいです~。でも、呼ぶの我慢するときも、あります~」
「……気付いてるよ」
「だから今日は、最初から誘いました~。ズルいやつ」
「ズルいのはだいたい正解だ」
「センパイセンパイ」
半分目を閉じたカズネが、指先で腹をつついてくる。
やめい。
「ん」
「これ、ちゃんと“楽しかった”って覚えておいてくださいね」
「なんで」
「あとで“がんばってよかった日リスト”作る時の材料になるからです」
「そんなリスト作る予定はないぞ」
「作るって、今決めました~……」
そこまで言って、カズネの声も途切れた。
風がひとつ渡って、遠くでお湯の音。
同時に、二人の呼吸が、ほんの少し深くなった。
左が「すぅ」、右が「こく」。交互。
昼寝の合奏。
俺も、目を閉じる。
木の匂い、湯の匂い、夏の匂い。
二人の重みは、信頼の重みみたいに感じた。
アラームは…まあ、いっか。
「――ん」
まぶたの裏が、じわっと明るい。
木漏れ日が角度を変えて、顔を直撃している。
腕時計を見る。
……集合、三十分前。
「やば」
声が漏れた瞬間、両側がぴくっと動いた。
「……あれ、朝……?」
「夕方です~……?」
二人の声が、シンクロした。
メグミはまだ俺の肩に寄りかかっていて、カズネは膝の上から、ゆっくり顔を上げてくる。
「寝すぎた」
「寝すぎました~……」
「センパイ、起こしてくれていいのに……」
「俺も寝てたからな」
体のあちこちがじんわり重い。けど、不快な重さではない。
代わりに、頭の中が、さっきよりずっと軽い。
「顔、寝跡ついてませんか?」
カズネがほっぺたを指で押さえる。
「大丈夫。ギリギリ可愛い側の跡」
「ギリギリって言わないでください!」
目は普通に腫れている。けど、それも含めて、今だけの顔だ。
「メグミ、立てるか」
「ふにゃ~……立ちます~……」
ふらふらしながらも、メグミはちゃんと立ち上がる。
足元が少しおぼつかないので、腕を軽く掴む。
「ありがとうございます~……」
「帰りの坂でこけたらシャレにならないからな」
「こけたら、“転んだ”ってことにしてくれます~?」
「それ以外に何にするんだ」
三人で別ルートを使って温泉街にゆっくり戻る。
「なんか、夢みたいでしたね……」
カズネがぽつりと言う。
「温泉街に来て、山を散歩して、三人でお昼寝して……
大学生の夏休みって、こういう感じなんですね」
「多分、だいぶ“理想側”だと思うけどな」
「ですよね!スクショ撮っておきたかったくらいです!」
「寝てたけどな」
メグミも、うんうん頷く。
「私、今日のこと、しばらくナイショにしておきます~……」
「なんで」
「なんか、“自分だけの宝箱”みたいで、もったいないです~」
「カズネは?」
「私は、アキハ先輩あたりに速攻で自慢するタイプです!」
「性格出るなぁ」
「センパイ」
「ん」
「肝試し、怖い?」
「怖くない」
即答しておく。
木段を降りた先、小さな祠があった。鈴が一つ。
旅の安全と、夜のイベントが“楽しいほうのハプニング”で済みますように、とだけお願いする。
カズネが鈴を鳴らしすぎるので「うるさくすると神様おこるぞ」と言うと「あ、すいません」って小声になる。このへんの素直さは尊い。
温泉街に戻ってくると、メグミがソフトクリームの店に吸い寄せられたので三本買う。
「先輩、約束のアイスこれでおねがいします~」
「じゃ、俺はチョコレートにしようかな」
「私はメロン味にします!!」
「私は王道のミルクで~」
近くのベンチに座る。
北海道の温泉街は、箱根や有馬温泉と違って、あまりお店が多くないが、その分のんびりしている。
「……こういうの、部室の机の角で食べてるのと、味が違いますね」
カズネの一言に、うん、と頷く。
同じ砂糖、同じ牛乳でも、食べる場所や一緒に食べる人が違うと、味が違う。
当たり前だけど、忘れがちなこと。
「そろそろ戻ろっか」
「はい~」
旅館へ続く最後の角で、売店の呼び込みに捕まる。
「温泉まんじゅう、焼きたてだよ~」
「嗅覚が……」
試食の一口が美味しすぎて、結局三人で一箱。ロビーで配る前提で“箱に入れないで紙袋で”とお願いするあたりが学生。
◇
旅館に戻ると、ロビーはすでに半分くらいの人が集まっていた。
牛乳とコーヒー牛乳の戦争が前哨戦を開始している。
「いい? 温泉のあと“白”は正義」
「いえ、“コーヒー”の香りのコクが」
「“フルーツ牛乳”も忘れてもらっちゃ困るな」
「“飲むヨーグルト”は永世中立国」
コウメイ先輩が「戦争は戦略だ」と言って、なぜか拍手が起きている。平和。
「おかえりなさい」
フユミが眠そうな顔で手を振ってくる。
「昼寝してたんですね」
「フユミは?」
目を逸らされる。
「さてはずっとSwitchしてたな?」
「にゃふ」
「誤魔化せてないから」
まあ、それも悪くないと俺は思っている。
アキハが隣で雑誌をたたんで立ち上がる。
「顔色戻った」
「がっつり昼寝した」
「良い処方」
とカズネとメグミの頭を撫でている。
カズネが朝からバイトしていたことは黙っておいてやろう。
「ただいま戻りました~。まんじゅう買ってきました~」
メグミが思い出したように紙袋を掲げると、人が寄ってきた。
「え、甘味?」「殺到」「並べ並べ」「一人半個だぞ」
「半個はいやぁぁぁぁ!」フユミが両手を挙げている。
「一個食べなさい」ナツキが即決。
「女神」
神も温泉に入るらしい。
リン先輩が腕時計を見て、軽く手を叩いた。
「よし、全員いるな。一七〇〇、点呼。これより“肝試し”に入る。各自、動きやすい格好に戻して再集合、その後移動するぞ」
湯けむりの街で、日が傾きはじめる。
ロビーの空気が、微かに“夜のイベント”の匂いを帯びていく。
肝試し、温泉、宴会。
…肝試しかぁ
微妙に怯えが入った瞬間、ナツキに横から肘で小突かれる。
「ほら、怖がると後輩も怖がるでしょ」
「怖くない」
「なら良し。はい、これ」
手のひらに、小さなチョコ。
「何これ」
「“心拍落ち着けチョコ”。さっき売店で買った」
「医学的根拠は」
「カワイイ学院医学部卒」
お前もか。




