第51話 夏合宿、出発前夜。「登別といえば?」
202X年、7月下旬 夜
期末テストが一段落した部室は――妙なテンションで沸いていた。
「の ぼ り べ つ といえば!?」
「ク マ 牧 場! \クマ牧場!/ 」
はい、道民チェック入りました。
道民は思わず反応し、道外から来た一年生はポカンとしてる。
大丈夫、君たちも慣れる。
まあ、何をしているかと言うと、明日からの夏合宿の準備をしているのだ。
春合宿前夜を思い出す。
部室は、あの時とそっくりの熱量でざわついていた。
違うのは、明日の行き先が湖畔の研修所ではなく、登別の温泉旅館だというところだ。
つまり。
「今回は、マジでただの懇親会だからね!スケジュールは――」
マシロ先輩がホワイトボードを指す。
ボードには、でかい文字で予定表。
1日目:移動→自由時間→肝試し→宴会。
2日目:朝風呂→朝食→帰宅。
まあ、そういうこと。
「自由時間にクマ牧場行く人は、シンジがまとめて連れていくから着いていきなねー」
「さっきの謎のコールは何ですか!?」
「北海道に住んでりゃ、そのうちわかるわよ」
カオル先輩が、一年生の質問を適当に流している。
まあ、本当に住んでればわかるのだ。
「はい、じゃあ春合宿と同じく――チェック係は私とカオル先輩ねー」
マシロ先輩が、チェックリスト片手にぴょこっと立ち上がる。
その隣で、カオル先輩が腕組み。
「はい、まず服ー。替えの下着もー。忘れたら現地で“運ゲー”になるからねー」
「いい?温泉旅館だからって油断しないこと。
“家から一歩でも出たら全部イベント”だと思って準備しなさい」
「なんで若干ホラーなんですか~?」
「油断してノーブラで旅館内歩き回った子の話する?」
「聞かないでおきます~」
部室のあちこちで、口々に“楽しそうな雑音”が跳ねる。
新しいボストンバッグのファスナー音。ビニールの擦れる音。飴を回す音。
春より軽い。肩の力が、全員ほんの少しずつ抜けている。
「次、薬・常備薬・酔い止め系」
「はーい」
「持ってきた人?」
「はい」「はい~」「忘れた」「現地調達で」
「“現地調達で”って言ったそこの文学部。お前、春合宿で頭痛薬を“友情で取引”してたこと、私は忘れてない」
「市場原理が働いてただけであります」
シンジが敬礼している。反省する気はない。
「温泉旅館には浴衣があるわよ。浴衣+帯+羽織は宿で出るから“自前浴衣勢”は過積載に注意」
カオル先輩が、容赦ない“軽量化講習”を始める。
「あと充電器。“人のを借りる前提”はやめなさい。C→Lightning変換の亡霊は合宿のたびに出る」
「成仏して…」
「レポートの提出が残ってるやつも合宿中くらいはのんびりしろよー」
「むしろ助けてください!」
「コウメイ先輩に頼め」
そんな喧噪の中、袖がちょい、と引かれる。
「タマキ先輩~」
「ん」
彼女は俺の耳元で、息だけの声に落とした。
「……先輩。大丈夫?」
肩にふわっと乗る、重さゼロの心配。
「メグミにもバレてんの?」
「呼んでくれなかったので泣きました~」
「アイス二個分?」
「二個半くらい~」
「ごめんな」
「温泉でアイス三個買ってください~」
「……わかった、一緒に食べよう」
「次は呼んでくださいね~」
「ありがとな」
「私のためと思ってくださいね~」
メグミは「ふに」と笑って、荷物の山に戻った。
今度はカズネが、何も言わずに顔を近づけてきた。
そのままずい、と距離ゼロまで近付いてくる。視界いっぱいいっぱいカズネ。
「……………………」
「……近い」
「……………………」
「近いって。息が混ざる」
「……………………」
“語彙ゼロの健康診断”しないでほしい。
返事の代わりに、さらにじり……と迫る。視界にカズネの睫毛。近い。近い、近い。
可愛いのはわかったから!!
「カズネちゃん、近すぎ!ずるい!倫理違反!!」
カズネの肩を、横から伸びた手がぐいっと引っ張る。
「わ、フユミちゃん、ずるくない~!」
「ずるい! にゃふ!」
「医療行為だもん!!」
「医療資格どこで取ったの」
「カワイイ学院です!!」
「却下」
ふたりでくるくる遠心分離機みたいに回っていく。笑いが起きる。
カズネにもバレてんのかい。
…ってことは、あいつ察して返信しなかったな、さては。
荷物の海のあちこちで笑い声が跳ねる。
カズネは「推しOG(=ヒカリさん)も来ません?」と聞いてカオル先輩に笑ってスルーされ、
イズミは「花札持ってく?」と真顔で聞いて真顔で没収され、
フユミは「モンハンの期間限定クエが……」と呟いてコウメイ先輩に『やったら取り上げます』と札を首に下げられている。
「肝試し担当は――」
「やめろ、その話は今すんな」
リン先輩が、豪快に手を振った。
「“やること”だけ知ってればいい。内容は当日のお楽しみだ」
「楽しみ……?」
「……マジで?」
カズネとメグミが同時に首をかしげる。
俺も詳しくは聞いてない。聞きたくもない。ていうか怖い。
フユミは肝試しの地図を覗き込み、勝手に怖くなってマヨイ先輩の袖を引いている。「ひ、ひとりは嫌ですぅ……」「二人一組だから、大丈夫だよ」とマヨイ先輩が撫でている。
あー、尊い。
「じゃ、解散。各自、家に戻って準備の最終確認。集合は明日08:50、部室前。遅刻は置いていく」
「置いていかないでぇ」
「置いていく」
「はい、カオルさまー」
統率がとれているようで全然とれていない。
笑いながら、部室の灯りが落ちていく。
散会の空気のなかで、ふと、袖がくいっ、と引かれる。
フユミだ。
「……タマキさん、帰る」
「一緒に歩くか」
「にゃふ」
◇
「テスト、お疲れさまでした」
「フユミもな、詰め込み頑張った」
「……ギリギリですぅ」
「『ギリギリ』と言えるうちは大丈夫だ」
「ふにゃ……」
いつもの道を、二人で並んで歩く。
「楽しみですねぇ、温泉。“こまい”って魚、旅館の朝ごはんで出ますかね」
「“こまい”は通好みが過ぎる。期待しないでおこう」
「にゃふ……じゃあ温泉たまご!」
「それは勝率が高い」
横断歩道で信号待ち。
フユミが袖をつまんでくる。
「肝試し、にゃふ……怖いですぅ」
「自分で“にゃふ”言ってる時点で余裕だろ」
「怖くないですぅ……(震)」
「怖いのか」
「タマキさんが怖がってる顔、ちょっと見たいですぅ」
「やっぱり余裕なのか」
「にゃふ」
部室から俺のアパートまでは徒歩三分。
今通り過ぎたので、ここからフユミの部屋までは、さらに二、三分。
…俺の部屋電気付いてたな。
「そういえば、春合宿の時は部屋まで送らせてくれなかったな」
「にゃふ!? いや、あの時は……うさんくさかったので」
「やっと本音を言ったな」
「『送るよ』って言う人は、たいがいうさんくさいです」
「ひどくない?」
「だって、あの時のタマキさん、“頼らせろ”の空気がすごかった。あやしい」
「今は?」
「……“頼らせろの代わりに、ちょっと手を貸す”にジョブチェンジ」
「言い方がナツキとアキハに似てきた気がする」
「にゃふ。あの二人にはまだまだ及びません」
「ああならないでね?」
フユミのアパートの玄関まで送り届ける。
「もし不安なら、フユミも今夜うち泊まるか?」
「今日は帰ります……でも玄関で“がんばれ”って撫でてもらうのは……」
「甘え方がうますぎる」
頭を一回、二回、ふわっと撫でる。ふにゃっと笑った顔が、すぐドアの向こうに消える。
「おやすみなさい、タマキさん」
「おやすみ、フユミ」
振り返って、自分のアパートへ。夜風は思ったよりも涼しい。
◇
鍵を回す前から、中の空気が明るいのが分かる。
自室のドアを開けると、まあ想像通りになっていた。
「おかえり」
「おかえり」
アキハがソファで足を組んで雑誌を読み、ナツキは床に座ってストレッチ中。
ふたりとも、春より“遊びモード”の顔。
「――あ、そうだ。タマキ」
アキハが雑誌を閉じ、指を一本立てる。
「私物のノーパソ置いていきなさいね」
「……え゛」
間抜けな音が出た。
「タマキ、合宿中もこっそり仕事する気だったでしょ。ダメ」
ナツキが、確信している声で言う。
「え、いや。し、しないよ?」
「「ダメ」」
ハモった。逃げ道ゼロ。
「そうか、タマキの分も準備しておくから、もう風呂入っておいで」
ナツキが立ち上がり、タオルを押し付ける。
「そうね、いても邪魔だし」
「ここ俺の家では?」
「二人がかりでひん剥いて風呂放り込んであげようか?」
アキハの声が恐ろしく実務的で怖い。
「一緒に入って欲しいならそう言えばいいのに♡」
ナツキは言葉にハートをつけて投げてくる。言いながら、普通に脱ぎ始めるのやめて。
「なるほど、背中流してあげようか?」
アキハも髪をひとまとめにしながら笑う。
「……三人は狭いのでは?」
言った瞬間、突っ込みの方向性を間違えたと悟る。
二人の美女がにやり。
そんな顔しちゃダメ……。
「そうね。じゃあ――私が入ってあげるから、ナツキは待ってて」
「え~、私が入ってあげる♡」
「「どっちと入るの?♡」」
「一人で入ります」
即答。逃げるが勝ち。
脱衣所に逃げ込む。ドアの向こうから「ヘタレー」が合唱になって飛んでくる。
ヘタレでいい。誇り高き撤退である。
風呂から上がると、本当に荷物はほぼ出来ていた。
この二人、俺より俺ん家詳しいかもしれん。
「ナツキ、アキハ」
「んー?」
二人が、こちらを見上げる。
「ありがとな」
「「どういたしまして」」
即答だ。
電気を落とす。天井の四角が夜に紛れる。
ナツキがベッド、アキハと俺はそれぞれ布団で寝る。
アキハが、寝返りの音の代わりに小声で問う。
「ねえ、自由時間、何する?私は日帰り温泉巡ろうかなって」
「私は空いてるうちに旅館の温泉でのんびりしようかなー、クマはいいや」
「俺は……散歩」
「あんた、それ肝試しの下見でしょ」
「違う、散歩」
「実は怖いんでしょ、去年だって……」
「違う、散歩!」
二人には完全にバレてるのか、軽く笑われる。
「登別、初めて?」
「なわけないじゃん」
「だよねー、タマキは?」
「流石に行ったことある」
「まあ、そうだよね」
「ねえアキハ、露天入るなら髪、どうまとめる?」
「ハーフにして耳かけ。うなじは正義」
「わかる」
「肝試しの組み合わせは?」
「まだ決めてない。抽選で決めるってリン先輩が」
「ふーん。じゃ、私が当たったら置いてくね」
「置くな」
「ねえ」
「なに」
「明日、“温泉のあと牛乳派かコーヒー牛乳派か”戦争、起きると思う?」
「俺牛乳嫌い」
「知ってる、ヨーグルト好きなくせに」
三人で笑う。小さく。眠りを崩さない音量で。
「明日の卓球、ダブルスどうする?」
「タマキと私。反射神経の差で勝つ」
「いや、私とタマキ。配置理解の差で勝つ」
「喧嘩はやめてください」
「じゃ、三本勝負で決めよ」
「“決めるための勝負”をするのは本末転倒では?」
「うるさい。じゃんけんで決めるためのじゃんけんをしよう」
「もう寝ろ」
三人で笑う。笑うと眠くなる。これは正しい。
「おやすみ」
「おやすみ」
「おやすみ」
呼吸が三つ、重なる。
明日からは夏合宿。
きっと楽しい。




