第48話 コンビニで拾った共犯者
202X年、7月中旬 深夜
バイト終わり。
迷子の気持ちを引きずったまま、スマホで返信作業をしつつ、家に向かう。
今日はナツキは友達ん家泊で来ない。
そして今日は特に誰も泊まりに来ない、と。
……“来る”より“来ない”だけ知らせるやつが、うちには一人いる。
そんなことを考えながら家まであと少し、ふとコンビニの灯りが染みた。
「……あ」
信号の向こう、コンビニ前の駐車場の端で、力が抜けたみたいにしゃがみ込んでる人。
見慣れた茶髪ショート。
「メグミ」
「あ、タマキ先輩~。おつかれです~」
片手にアイス。もう片方で、ひらひらと手を振ってくる。
「こんな時間にアイスか」
「深夜のアイスは、世界を救います~」
「世界って便利な言葉だよな」
「はい~。あと“仕方ない”も同盟国です~」
メグミは、ベンチでもなく歩道の端に座っている。
バッグは横倒し。気力は半分だけ生きてる。
「ほら、立て。濡れてる」
「え~、地面気持ちいいのに~」
「蚊に刺されるぞ」
「ひぃ」
肩を掴んで起こすと、むにゃ……と伸びる。
……柔らか。
「今日は、何か事務局の仕事、こんなに遅くなったのか?」
「ん~……なんか、まっすぐ帰れなくて」
「どうした」
「家に帰るの、めんどくさくて~。でも、帰らない理由も、そんなに無くて~」
「うん」
「でも、“ちゃんとした子”でいるの、今日は、ちょっとだけ、やりたくなかったんです~」
ぽそっと、地面に落とすみたいな声。
……わかるよ。
「気付いたら、“電車乗れば帰れるのに、乗れない”ってなってました~」
その光景が、頭の中に浮かぶ。
ホームに立って、電車のドアが開くのを見ながら、一歩が出ない感じ。
終電のない時間。
実家に戻る交通手段もない。
このコンビニは、うちから徒歩二分。
もう、半分答えは出ている。
「……親御さんには?」
「《今日は友達の家に泊まる~》ってLINEしました~」
「それ、友達ってのは」
「誰とは言ってないですが、タマキ先輩をあてにしてます~」
「せめて事前に相談しような?」
「ごめんなさい~。でも、先に“逃げる場所”確保しないと電車から降りられないなって~」
言い訳半分、本音半分、って顔だ。
責める気もない。
結果的に、彼女はちゃんと“逃げて”、ここまで来たのだから。
えらい。
「……わかった。うち来るか?」
「いいんですか~?」
「来るのは初めてじゃないだろ」
「泊ったことはないです~」
「部室がいいか?」
「逃げさせてください~」
メグミが上目遣いで申し訳なさそうに見てくる。
こんなことで怒らないよ。
「わかった、来い」
「あの、ナツキ先輩、いますか~?」
「今日はいない。友達ん家だってさ」
「あ、ちょっとだけ助かります」
「なんでだ」
「その、普段バイト先でも怒られてるので、今日はちょっとだけしんどいです」
「理不尽なことでは怒らないだろ」
「タマキさんのせいで不機嫌なことはありました~」
「ごめんなさい」
知らんけど。
「あのな」
「はい~」
「いつでも来ていいけど、コンビニ前で座り込むみたいな危ないことはやめろ」
「う~ん。でも、それって」
「メグミは、女の子で、最上級に可愛くて、この辺は学生街といえど、危険が0じゃない」
「う~。でも、いるところが…」
「迎えに行くから部室にいてくれ。部室が辛い日は喫茶店でもマックでもいい。俺が通る可能性に賭けるな」
「あ、バレてます~?」
「通らなかったらどうするつもりだったんだ、バカ」
「もうちょっと待ってダメなら諦めて部室で寝ようかと思ってました~」
「バカ」
◇
「お邪魔します~」
「はい、どうぞ」
「お風呂沸かしてくるから、入れ」
「うれしいです~」
コンビニの袋からアイスだけ救出して冷凍庫へ。
プリンとカップスープはテーブルの上に並べる。
「着替え、どうする?」
「ジャージ貸してください~。パジャマ持ってきてないので~」
「だろうな」
クローゼットから洗いたてのTシャツとジャージを引っ張り出す。
ついでにタオルも一枚。
「シャンプーはあるの使ってくれ」
「いっぱいあるって聞きました~」
「カズネか?」
「フユミちゃんです~」
もう皆知ってるんだな。
風呂場の扉が閉まる音を聞きながら、とりあえず着替えて、お茶の用意をする。
………
………
………
…あれ、風呂長くね?
「ありがとうございました~」
髪をタオルで押さえながら戻ってきたメグミは、貸したTシャツとジャージ姿。
これも彼シャツというのかもしれないが、胸元のシマエナガが横にのびきっている。すげえ。
「Tシャツ、ちょっと大きいですね~」
「俺のだからな」
「なんか、落ち着きます~」
そりゃどうも。
「紅茶でいいか?」
「ありがとうございます~。わぁ、いい匂いです~」
湯気の向こうで、少しだけ笑顔が戻ってきた。
「……怒ってます?」
紅茶をひと口飲んでから、メグミが尋ねてきた。
「なんで?」
「勝手に逃げてきたので~」
「怒ってないよ」
少し考えてから、正直に言う。
「むしろ、“ちゃんと逃げてえらいな”って思ってる」
「……えらい、ですか?」
「ちゃんと電車乗れない自分を誤魔化さないで、“逃げてる”って言って、ここまで来たんだから」
メグミは、スプーンでプリンの端っこを削るみたいに少しだけすくって、口に運ぶ。
「“逃げるのは悪いことじゃない”って、誰かに言ってほしいんです~。
でも、自分からそう言い出すのはズルい気がして~」
……わかる。
すごく、わかる。
「“逃げ”って、悪いですか?」
俺を見ずに、ただ天井を見て言う。
「だって“ちゃんとするって怖い”じゃないですか~。
がんばって、もし失敗したら、すっごい恥ずかしいし、苦しいし。
だから、できれば“最初から無理でした~”の方が、楽なんですよね~」
「メグミ、逃げたいか」
「正直、逃げたいです~。
でも、タマキ先輩が“逃げてもいい”って言うと、たぶん泣きます~」
「めんどくさいやつだな」
「そうで~す。めんどくさいです~」
笑いながら、でも目は笑ってない。
「で、“逃げようか”って言うと?」
「それも、泣きます~」
「詰んでるじゃん」
「詰んでま~す」
困った子だ、ほんと。
“逃げよ?”と言える彼女は、逃げる人を責めない。
だけど、彼女自身は、逃げ続けると自己嫌悪で溺れるタイプだ。
よくわかる。
「悪いって言われると、余計逃げたくなるタイプなんです」
「わかるよ」
「でも、逃げてると、自分が弱いみたいで、嫌なんです」
「…わかるよ」
メグミの肩が、小さく震えた。
泣いてるわけじゃない。
ただ、呼吸のリズムが崩れる音。
「先輩も、逃げる?」
「今日も逃げてきたところだ」
「ですよね~」
ほんの少しだけ、空気が緩む。
「タマキ先輩、たぶん“逃げてもいいよ”って言うの、上手ですよね~」
「どうだろうな」
「少なくとも、私はそう感じてます~」
少しだけ笑ってから、目元を指で押さえた。
「だから、今日も、ここまで来ちゃったのかもしれないです~」
家と駅の間じゃなくて。
駅と駅の間でもなくて。
わざわざ、俺の生活圏まで来て座り込んでいた理由。
たぶん、本人も説明しきれない種類のやつだ。
「……正直に言うと」
マグカップを持ち上げながら、俺も少しだけ視線を逸らす。
「俺も、たぶん、“逃げられる場所でありたい”って思ってるところはある」
「はい~」
「でも同時に、“それに頼られすぎるのは怖い”とも思ってる」
「……はい~。それも、わかります~」
メグミが、素直に頷いた。
「私、多分……タマキ先輩に依存したら、すごく楽になるんですよ~」
「軽く言うなよ」
「いえ、重い意味でも言ってますよ~?」
にへ、と笑うが、目が笑っていない。
「“困ったら先輩の部屋行けばなんとかなる”って思い込んだら、多分、私、めちゃくちゃ頑張らなくて済むんです~」
「……だろうな」
「タマキ先輩、優しいから~。
困ってるって言えば、だいたい助けてくれるし~。
“ここまででいいよ”って言ってくれるから~」
視線が、俺の胸元あたりに落ちる。
「正直、“全部預けちゃえば楽だな~”って思う瞬間、けっこうあります~」
その言葉に、息が止まりそうになる。
――相互依存したい気持ち。
「でも、全部預けちゃったら、多分私、ダメになるな~って」
「……」
「先輩も、きっと潰れるな~って」
そこで、ようやく、彼女は笑った。
泣きそうな顔で、けれど笑っていた。
「それが、ちょっと、怖いです~」
相互依存したくなるくらい、似ていて。
相互依存が怖くなるくらい、似ている。
バランスが、絶妙に悪い。
そして、絶妙に取れてしまう。
それは、なんとなく想像がつく。
多分、本当に何か一つきっかけがあればそうなってしまう。
「俺も、多分、誰かに頼られたり、“ここが居場所です~”って言われると、そこに依存したくなると思う」
「タマキ先輩らしいです~」
「“大丈夫だよ~”って言われると、“ああ俺は役に立ってるんだな”って変な安心するから」
それが、癖になる。
「そういうの、共犯関係って言うんですよ」
「怖い関係性だな」
「ふふ。でも、そういうのも悪くないでしょう?」
メグミの声は少し揺れている。
でも、その揺れを誰かに預ける勇気はまだない。
「依存したいけど、依存しすぎたくない。
甘えられたいけど、甘えられすぎたくない。
……私たち、無駄に上手な臆病なんですよ」
“無駄に上手な臆病”。
たしかに、そうかもしれない。
「なぁメグミ」
「はい?」
「お前、ほんとに優しいな」
「……なんですか、急に~?」
メグミは顔を伏せて、足の先をちょいと動かす。
照れてる。
その仕草、なんか泣けるくらい可愛い。
「普段、部室の隅っこで寝てるのも、他の人に“休んでもいいよ”って伝えるためだろ」
「なんで」
「わかるよ。わかるさ」
「ただサボってるだけです」
「俺だけじゃない。何人も気付いてるぞ」
「……もしかして、最近部室で寝ててもナツキ先輩に起こされないのって」
「ああ、五月末くらいに俺が教えた」
「ぁぁぁぁぁ、はずかしぃぃ」
メグミがクッションで顔を覆って悶えてる。
おもろ。
クッションの中からメグミの声が聞こえる。
「…じゃあ、その、お願いがありまして~」
「いいぞ」
「せめて中身聞いてください~」
「多分断らないから。そろそろ眠いし」
本当に眠くなってきた。
「ひどいです~」
「はよ言え」
「あの~、その~。逃げたいとき、一緒に逃げて欲しいです」
「わかった」
「代わりと言ってはなんですが~、タマキ先輩が逃げたいときは呼んでください~」
「…呼ぶ自信がない」
それができたら苦労しねぇんだよな。
多分、メグミも気づいてるけど。
「私のためと思ってください~。タマキ先輩が無言で消えたら泣きます~」
「アイス落としたくらい?」
「アイス二個分くらい泣きます」
「俺の価値はアイス二個分か。…それくらいならいいかな」
「でしょ~。待ってますね~」
袖をくいっと引っ張られる。
犬でも猫でもない、“人懐っこい怠け者”の触れ方。
「ふぁ~……」
プリンも紅茶も空になった頃。
メグミが大きなあくびをした。
「私も眠くなってきました~」
「そりゃそうだ。こんな時間だし」
時計は、もう午前二時をまわっている。
「そこに布団敷いてあるから、今日はそこで寝て。俺はベッドで寝るから」
「同じ布団でぎゅってしてくれないんですか~?」
「冗談でも言うな」
「タマキ先輩ならいいですよ?」
もう、ホントこの後輩は。
ああ!もう!!
「ああ、俺もメグミならいい」
「でも何もしないんですよね?」
「ああ、しない」
だれかたすけて。
信頼を裏切る前に気絶させてほしい。
「そんなに魅力ないですか~?」
「答えいるか?」
「これでも女の子なので、エヘヘ~」
「これ以上ふわっと笑うな、魅力的過ぎてヤバい」
「もう一声」
「おやすみ」
「ケチ~、ナツキ先輩のことは褒めてるくせに~」
「待て、あいつバイトん時、一体何言ってる」
「秘密です~。ぎゅってしてくれたら教えます~」
半分くらい本気のような顔で笑うの、やめてほしい。
「……今日、逃げて来て、よかったです~」
布団に潜り込みながら、小さな声。
「でも、明日はちゃんと帰ります~。
“逃げた先”から、“戻る先”にちゃんと戻らないと、逃げっぱなしになっちゃうので~」
「うん」
布団の端を、軽く直してやる。
「おやすみ、メグミ」
「おやすみなさいです~」
数分もしないうちに、寝息が聞こえてきた。
ベッドに横になり、天井の影をぼんやりと眺める。
マスターの声が、また頭の中で再生される。
『……あなたも、決めなさい。でないと、溺れるわよ』
決めること。
逃げること。
溺れる前に、浮き輪くらいにはなれただろうか。
それとも、自分も一緒に水に足を突っ込んでいるだけだろうか。
答えは出ない。
出ないけれど――
「……とりあえず、今夜は俺がいる意味があった、といいな」
小さく息を吐いて、目を閉じる。
相互依存したい気持ちと、それが怖い気持ち。
その真ん中あたりで、なんとかバランスを取る夜。
隣の布団から聞こえる寝息に、呼吸を合わせながら、俺も眠りに落ちていった。




