第45話 とあるバーにおける双子の『二歩目』
202X年、7月上旬 夜
氷の音は、混じる声の数で聞こえ方が変わる。
今日は、比較的静かな夜だ。
カウンター一番奥の窓際には、いつものOLさん(仮)。
淡い色のカクテルを指でくるくる回しながら、外の夜景を横目で眺めている。
中央の席にはカオル先輩。
例の雑誌を片手に、時々ページをめくってはにやりとしている。
俺はいつもどおり、注文を聞き、カクテルを出し、たまにマスターに視線で怒られる。
そんなテンションで二十一時少し前。
扉の鈴が、ちりん、と鳴った。
「こんばんは~~~」
「………こ、こんばんは」
マシロ先輩とマヨイ先輩。
「いらっしゃいませ。席どうぞ」
マシロ先輩がいつもの席にどすん、と腰掛け、その隣にマヨイ先輩がすとん、と座る。
それだけで、このカウンターのバランスが“見慣れた形”になるから不思議だ。
「何にしますか?」
「んー……今日はソルティドッグにする!」
「わ、私は……フルーツのモクテルを……さっぱりしたやつ……」
「了解です」
手を動かしながらも、二人の空気がいつもと違うのはわかる。
緊張と、嬉しさと、まだ降りきらない夢の余韻。
「今日は……なんか、嬉しそうですね」
俺が言うと、マシロ先輩は口角をクイッと上げて、マヨイ先輩はちょっとだけ目線をそらした。
「ね、タマキくん」
「はい」
「大ニュース、聞いてくれる?」
大ニュース。
言い方の割に、声の高さは半音だけ低い。
いつもの「聞いて聞いて!」のテンションとはちょっと違う。
「今日ね、ヒカリさんから連絡きたの」
――ああ。
胸ポケットのタグが、ちょっとだけ熱くなったような気がした。
「『一緒に歩いてくれてありがとう。“始まりの続き”に興味があるなら、一度遊びにおいで』って!」
「え、えとね『もし本気でやりたいなら、ちゃんと話す時間作るから』って……」
「すごいじゃないですか」
「すごいよね!? すごいよね!?」
マシロ先輩が、グラスを両手で包みながら、椅子の上でぴょこぴょこしている。
座高は変わらないよう頑張ってるのが可愛い。
「専門学校とか、どうしようかなーって、ずっとぐるぐるしてたんだよね。
お父さんもお母さんも『やりたいなら応援する』って言ってくれたけど、どこ見ればいいか分かんないし、ネットだと情報多すぎて、逆に怖くなっちゃって」
わかる。情報が多いと逆に動けなくなるやつだ。
「“怖いなら、やめてもいい”って言われたけど――」
マヨイ先輩の視線が、一瞬だけ、ランウェイの先を思い出すみたいに遠くなる。
「こないだのショーで、“怖いまま立つ”ってどんな感じか、少しだけわかったから。
……ちゃんと、知りたいなって思って」
あの日のマヨイ先輩を俺も思い出す。
うん、なんというか、すごく強いなって思ったんだ、あの時。
「ヒカリさん、『進路の話は、ちゃんと家族ともすること』って言ってた。
『親御さんの協力ないと続かないからね』って」
「真っ当すぎる」
心の中で全力同意。
「でもさー、どうやって話せばいいのか、そこが一番わかんないんだよね」
「それは、たしかに」
唐突に「ショーで歩いたら楽しかったから、服飾の道に行きたい!」って言うのは、親御さんびっくりするだろう。
モデルにしても、世間的なイメージは決して“安心・安全”だけじゃない。
「一応、お父さんもお母さんも、ショーのことは喜んでくれてて……雑誌も、すごくたくさん買ってて……」
「でも、“一生の仕事としてやりたいかもしれない”って話になると、ちゃんと説明できる自信がなくて」
「怖い、ですよね」
一生の決断だもんな。
そりゃ怖くて当たり前だ。
「わたし、ずっと、“マシロの後ろ”にいたから。
でも、あの時、“マヨイ”として立って、“怖い”のままで、呼吸できたから――」
一呼吸置いて、少しだけ笑う。
「“もっとちゃんと怖がれる自分”になってみたい、って思っちゃって。……変かな」
「とても素敵です」
「……よかった」
いや、マジですごいことだと思う。
カウンターの向こうから、OLさん(仮)が、グラスを揺らしながら口を挟む。
「“怖いからやる”って言える人は、強いわよ」
「え?」
「大人になると、“怖いからやらない”理由ばっかり増えるの。
“怖いからこそ、やってみたい”って思えるうちに、一度本物に触っておいたほうがいい」
現場の人っぽい言葉だ。重みがある。
「……『マヨイちゃんは“怖い”を大事にできる子だから、ちゃんとプロの人に預けたい』って言ってくれました」
マヨイ先輩が、そっと続ける。
「……良かったですね」
心からそう思う。
「ふ、不安ではあるの」
マヨイ先輩が、小さな声で漏らす。
「“もしダメだったらどうしよう”とか、“やっぱり怖くて逃げたらどうしよう”とか……」
「逃げてもいいじゃないですか」
「え……?」
「一回やって“違う”って思ったら、それはそれで立派な経験で。
それでも“やりたい”って思ったら、またそこで考えればいい」
俺にしては、珍しく素直に出た言葉だった。
……多分、最近ヒカリさんとかリン先輩とかに言われたことが、頭のどこかに残ってる。
「……タマキくん、やさしい」
「いや、普通のこと言ってるだけです」
「…バーテンダーは普通のことを当たり前に言えないと務まらないのよ」
後ろからマスターが刺してくる。
「うん」
マシロ先輩が、隣で力強く頷く。
「わたしもね!お姉ちゃんが前に歩くの、見てみたいんだ!」
「え……」
「ショーの時、“受け止める黒”だったじゃん。
今度は、“前に出る黒”も、絶対綺麗だから」
あー。
この双子、やっぱつよい。
黙々とグラスを磨いていた手が、ちょっとだけ止まりそうになる。
カウンターの端っこで、カオル先輩がニヤニヤしている。
たぶん、俺の顔の筋肉のゆるみ具合まで観察してる。
やめてほしい。
「いいじゃない。似合ってるわよ?」
カオル先輩が、グラスを傾けながら口を挟む。
「怖いなら、やめておくって選択肢も、ちゃんとあるわよ」
「……はい」
「でも、“怖いけどやってみたい”って思ってるうちは――やったほうがいい」
その言葉に、双子の視線がカオル先輩に向く。
「“やってみてダメだった”って経験を持ってるほうが、実は楽なことも多いの。
その代わり、“そのときちゃんと守ってくれる大人”は必要だけどね」
カオル先輩の視線が、ほんの一瞬だけ、何かを思い出すように細くなる。
「……ヒカリさん、そういう“大人”だと思いますか?」
マヨイ先輩が、ほんの少し不安そうに問う。
「思うわよ。あの人のこと、事務局であなた達も見てたでしょ」
即答だった。
「“好き”って言葉、あの人が一番怖がってるもの」
「……それは、たしかに」
あの日のターコイズと、背中で聞いた声を思い出す。
OLさん(仮)も、静かにグラスを置いて口を開いた。
「やってみて、“違うな”って思ったら戻れる年齢なの、今だけよ」
大人の声。
「二十代前半って、“間違える練習”できる最後の贅沢な時期だから。
そんなときに、ちゃんと怒ってくれて、ちゃんとフォローしてくれて、ちゃんと責任取る大人が傍にいるのって、かなり幸運」
「……はい」
「だから、まぁ――」
OLさん(仮)は、にやりと笑った。
「怖いなら、黙って一人で怖がらないこと。怖いってちゃんと言いながら進むこと。
それができるなら、やってみなさい。……羨ましい話よ」
さすが、いつも窓際で戦場帰りの顔してる人は言うことが違う。
「……なんか、背中押されちゃいました」
「ですね……」
双子が、同時に息をつく。
「けどさー」
マシロ先輩が、何か言いたげにこちらを見る。
「一番ありがたいのはさ、“ちゃんと教えてくれる先達がいる”ってことなんだよね」
「……わかる」
「専門学校の情報も、ネットで調べるだけじゃ分かんないこと、多いしさ。
モデルの事務所も、“安全なところとそうじゃないところの見分け方”とか、全然わかんないし」
「……それは、本当にそうですね」
俺も、そこは素直に頷く。
「だから、なんか――“運がいいな”って思って」
そう言って笑う顔は、ちゃんと自分の運を噛みしめてる顔だった。
運、だけじゃないんだけどな。
ちゃんと、歩いた二人の実力だ。
「でね!」
マシロ先輩が俺へ顔を向ける。
瞳は……何の色だ、これ。
「タマキくん」
「はい」
「ありがとう」
「……なんのことでしょうか」
マシロ先輩はにやっと笑った。
「“気づいたよ”ってだけ。私、ヒカリさんに服作る方に興味出ましたなんて言ってないもん」
あ。
ヒカリさん、ちゃんと隠してください…
マヨイ先輩も、静かに微笑む。
「……秘密は、秘密のままでいいです。
でも、背中、押してくれてありがとうございます」
胸が少しだけ痛い。
でも、それは悪い痛みじゃない。
俺は氷をひとつ、指で転がす。
「私は……何もしてません」
「やめなさい、それ」
カオル先輩の即突っ込み。
なんか今日、外野が強い。
いや、本当に俺がお願いに行ったときには、もうほぼ決まってたんですってば。
「……タマキくん」
「なんですか」
マシロ先輩が、氷をつつきながら呟く。
「ヒカリさんの部屋、片付けるの大変?」
「なんで知ってるんですか」
「“わかる”だけ」
……何を察してるんですかこの人。
隣でマヨイ先輩がこっそり拳を握る。
「がんばる……負けない……」
「何に勝とうとしてるんですか」
「ひ、秘密……!」
むんってしてるの可愛い。
「というわけで」
マシロ先輩が顔を上げる。
「まずは、“ヒカリさんのところに遊びに行く”ってところから、頑張ることにします!」
「“遊び”じゃないですよね、絶対」
「だから頑張るの!」
明るい。
「私は、紹介して頂くプロの方と話してみてから、また考えます」
マヨイ先輩のほうは、一歩ずつ。
「――“頑張る”って言うと、やっぱり怖いですけど」
グラスの向こうから、こちらを見る目が、少しだけ真っ直ぐになる。
「怖がって、ちゃんと悩んで、“それでもやりたいです”って言えたことは……きっと、いつか“楽しかった”に変わるって、信じたいので」
「変わりますよ」
ショーのあとの「楽しかった」を、俺は覚えてる。
「……変わらなかったら?」
「そのときは」
言葉を選んで、氷をひとつ、グラスに滑らせる。
「“変わらなかった”って話を、ここで聞かせてください」
「……はい」
双子の“二歩目”は、まだ輪郭がぼんやりしている。
でも、“やってみたい”と口に出せたこと。
それをちゃんと拾ってくれる大人と場所があること。
――それだけでもう、だいぶ強い。




