第109話 腹が減っては戦はできぬ
202X年、10月初週 昼休み
「はい、じゃあ、今日の講義はここまで」
教授の声で二限が終わる。
……ちなみに今日は魔王ではない。生きて帰れるタイプのやつだ。
さて、昼何食べようか。
部屋戻って適当に作ろうかな。
――と、脳内で昼飯会議をしていたら。
「タマキ」
教室の入口から名前を呼ばれた。
顔を向けると、アキハが立っていて、手招きしている。
あの顔、“今すぐ来い”のやつ。
「あいあい」
廊下に出ると、アキハは時計を見ながら早口で言った。
「ちょっと今すぐ部室行って」
「ぬあ?」
意味が分からなすぎて変な声が出た。
「私、これからモデル参加者向けの講習会行かなきゃで、時間ないの」
「ああ、そうか。楽しみにしてる」
アキハは一瞬だけ、目を細めて笑いそうになって――すぐ戻る。
忙しい女は感情の寄り道をしない。
「うん。で、タマキは部室。よろしく」
「内容が雑すぎない?」
「行きゃわかるから」
それだけ言い残して、アキハは「マジで時間ない」と言わんばかりの小走りで去っていった。
背中が、できる女すぎて眩しい。
……眩しいけど、説明が足りない。
……うん、何のことか全くわからん。
でも、まあ、アキハが言うなら行ったほうがいいのは間違いない。
◇
学生事務局の部室に顔を出すと、カズネ、メグミ、
二年生と三年生が数人いた。
ホワイトボードには学祭のシフト案、机の上には書類と付箋の山。
ドア開けた瞬間、
第一声がカズネの「あっ!!」だった。
“わざとじゃない感じの、でも絶対わざとだろお前”という声。
カズネがあからさまに何度もメグミの方へ視線を誘導してくる。
何その“こっち!こっち見て!!”みたいな目配せ。
――うん、分かったから。
そんなにアイコンタクト連打しなくても状況は把握した。
視線の先。
メグミがいた。
いつもなら、ふにゃっと笑いながら「タマキ先輩~」って言ってくるのに。
今日は、端っこの席で、書類の束を抱えたまま小さくなっていた。
頭の上に、見えない文字が浮かんでる。
「しょんぼり」
「反省中」
「でもお腹は空いてる」
「でも今出るのは気まずい」
「でも昼休み終わっちゃう」
たぶんそんな感じ。
「メグミ」
声をかける。
「はい~……」
声が、いつもの二割増しでしょんぼりしている。
語尾の“~”が、元気の代わりに溶けてる。
「遅くなってごめん。約束してたとおり、ご飯行こ」
約束なんてしてない。
でも、この部屋の全員が「今はそれでいい」と思っている。
カズネが即座に頷いた。
二年生が「うんうん」と頷いた。
三年生の一人が、目だけで「頼んだ」と言ってる。
……たぶん、何かで注意されて、本人がめちゃくちゃ凹んで、周囲がフォローどうする?って悩んでるような、そんな感じの誰も悪くない話なんだと思われる。
メグミは一瞬だけ目を瞬いて、それから、小さく頷いた。
「……はい~……」
うん、正解。
カズネがめちゃくちゃ安堵した顔をしているのが見える。
うん、カズネも偉いぞ。
◇
部室を出て、廊下に出た瞬間。
メグミは、ふっと息を吐いた。
たぶん、さっきまで“座ってるだけで怒られてる気がする席”にいたんだろう。
歩きながら、何となく聞いてみる。
「昼、食べてた?」
「……まだです~」
だよね。
「お腹空いてる?」
「……空いてます~」
声が弱い。
「部室出るタイミング逃した?」
「……はい~」
全部当たってる。
占い師に転職できそう。
「よし、あったかいもん食いに、外出るぞ」
「温かいものですか~?」
「南門出てちょっと行ったところに、学生は味玉無料になるラーメン屋がある」
「味玉~」
メグミの声にちょっとだけ気力が乗った。
……こういう時は、事務局の人間に会う可能性を下げるために、外に出るのがいい。
門を抜け、そのまま歩く。
メグミは、歩きながら書類をぎゅっと抱きしめる。
その抱え方が、完全に“やらかした人”の抱え方だ。
書類って、抱きしめるものじゃない。
でも、抱きしめたくなる気持ちは分かる。
「……準備書類、数字ひとつ間違えてて~」
「うん」
「三年生の先輩に、ちゃんと注意されました~」
「うん」
俺は否定しない。
ここで「大丈夫」って言うと、“大丈夫じゃない気持ち”が置いてけぼりになるから。
「でも……提出前に、マヨイ先輩が気づいてくれたんです」
「おお……」
それは救われたな。
マヨイ先輩なら気づく。
あの人は、丁寧さが呼吸みたいな人だ。
「マヨイ先輩、ほんとに“静かに全部見てる人”で……」
「分かる」
「提出直前に、私の机に来て……『ここ、数字ひとつ違うかも』って、優しく言ってくれて……」
「優しさが染みるやつ」
「はい……」
しょんぼりが、また一段深くなる。
「気づいてもらえたのは助かったんですけど、逆に……」
「逆に?」
「恥ずかしくて~」
「うん」
「申し訳なくて~」
「うん」
「そのまま席に戻ったら、なんか……」
小さく肩をすくめる。
「ミスした直後って、出ていくタイミング失いません?」
「めちゃくちゃ分かる」
これ、ある。
怒られた直後って、なんか“昼飯行ったら負け”みたいな気持ちになる。
何に負けるのか分からないのに。
「お腹は空いてるのに、今出たら“逃げた”みたいになるし~」
「わかる」
「でも、出ないと午後もずっと頭の中が“ミス”で埋まって~」
「わかる」
メグミは、しょんぼりしながらも言語化が上手だった。
「で、なんか、気づいたら昼休みの時間になってて……」
「うん」
「でも、お腹空いてて……」
「だろうな」
「でも、しょんぼりで……」
「はいはい」
はい、これは救出案件。
誘いに来れて良かった。
「誘ってくれて、ありがとうございます~……」
メグミがぽつりと言った。
「俺じゃないよ。アキハがね、『部室行け』って教えてくれたんだよ」
「アキハ先輩~、後でお礼言っておきます~」
うんうん。アキハグッジョブ。
「でも……タマキ先輩が来て、誘ってくれたの、ちょっとだけ……」
「ちょっとだけ?」
「ちょっとだけ、元気出ました~……」
声が、ほんの少しだけ上がった。
語尾の“~”が、溶けるんじゃなくて、ちゃんと揺れた。
◇
5分ほど歩いたところにあるラーメン屋。
幸い、席もそこそこ空いている。
ラーメンの具を、箸で拾いながら、メグミがぽつぽつ続ける。
「先輩~」
「ん」
「やっぱり、“ちゃんとするの怖い”です~」
「わかるよ」
「今回も~」
メグミが、微妙に目を逸らしながら言う。
「書類のチェック頼まれたときに~、
“ちゃんとやらなきゃ”って思って~、
“でも、ちゃんとできなかったらどうしよう~”って不安で~、
“まあ大丈夫でしょ~”って自分をごまかした結果~、
見事にミスりました~」
「説明が完璧すぎて逆に笑えないんだよな」
いや、でも、分かる。
「“あー、やっぱり私がちゃんとやろうとするとロクなことにならないわ~”って自己嫌悪中です~」
「わかる。こんなことなら、俺がいないほうが、って思っちゃうんだよな」
「はい~、“もう私に任せない方がいいですよ~”って言いそうになりました~」
でも、それをうちの事務局では言わないほうがいい。
「それ言うと、たぶんマヨイ先輩が悲しむやつだぞ」
「マヨイ先輩が、さっき~」
メグミの口調が、少しだけ真似っぽくなる。
「『メグミちゃんの書き方、私は好きだよ。
ただ、“好き”と“安全”は別だから、一緒に安全にしようね』って言ってくれて~」
「やっぱり尊いな、あの人」
「すっごい嬉しかったんですけど~、
同時に、“あぁ~~~”って床にめり込みそうになりました~」
「そこにさらに『任せない方が』まで言ったら、
床抜けて地下三階くらいまで行くな」
「ですね~」
うん、落ち込んではいるけど、さっきよりは少し声に元気がある。
「メグミ」
「はい~」
「とりあえずだ」
俺は、唐揚げを一本つまんで、口に放り込む。
「ラーメンとチャーハン完食するところまでが、今日の仕事だと思え」
「えぇ~?」
「ここで“食欲ないです~”とか言ってると、
マヨイ先輩にバレたときにまた心配されるぞ」
「うっ」
「“ミスって凹んで、飯もろくに食べてない”ってバレたら、
たぶん一番最初に声かけに来るの、あの人たちだろ」
想像がつく。
マヨイ先輩は、「大丈夫?」って静かに隣に座ってくるし、
注意した先輩も、「気にしてるんだな」って顔しながら、追加でフォローしてくれるだろう。
「それは~~~……」
「恥ずかしいだろ?」
「恥ずかしいです~~~……」
「だから食え」
「……はい~」
メグミが、ラーメンの器を両手で持ち直した。
さっきより、少しだけ勢いが戻っている。
ずるずるずる。
「……はふぅ~」
「うまい?」
「おいしいです~。
炭水化物と塩分は、世界を救います~」
「深夜のアイスと同盟国だな」
メグミは割と世界を救いがちである。
「タマキ先輩、タマキ先輩」
「ん」
「先輩って、救助方式がご飯なんですね~」
「腹減ると落ち込むからな」
ワンパターンとか言うな。
「夏休みの最初に、ナツキ先輩と喧嘩しちゃったときもご飯でしたし~」
「ワンパターンでごめん」
こういう時、デキる先輩なら色々救助方法あるんだろうけど、俺にはわからん。
メグミが、チャーハンを一口。
「でも、今日は“今ミスした子”って空気がまだ残ってる部室から~、
“約束してたから出ます~”って空気になったので~」
「別に約束はしてなかったのに、メグミが合わせてくれたからだよ」
「いえ~、あ、そういうやつだって思ったので~」
あの部屋の全員が気づいていたけど、それは今は秘密。
事務局にいると、そういう察し能力はとても上がる。
「“自分のせいで仕事増えた人たちだけ置いてご飯行く”って、
なんか、背中に鈍器刺さってる気分になるんですよ~」
「すっげぇわかる」
「でも、タマキ先輩が“前から決まってたこと”みたいにしてくれたから~」
小さく笑う。
「“あ、ご飯行ってきていいんだ~”って、ちょっとだけ思えました~」
……それは素直に、良かった。
「夏休み前にコンビニでメグミを拾ったときに共犯の約束したろ」
「覚えててくれたんですか~?」
「“メグミが逃げたいときは一緒に逃げる”って約束した。だから、こういう時は、『助けて』だけでいいから呼べ」
「でも、タマキ先輩だって呼んでくれなかったじゃないですか~」
「……」
目を逸らす。
「呼んで、くれなかった、じゃないですか~」
「……言い返す元気が出たなら大丈夫だな」
ラーメンのスープを最後まで飲み干してから、
メグミが、ふぅ、と息を吐いた。
「……ちょっとだけ元気出ました~」
「ちょっとだけ?」
「はい~。全部忘れちゃうのは違うと思うので~」
「それはそう」
「でも、“ラーメン食べる程度の元気はある自分”くらいまでは戻しておきたいな~って」
「“ラーメン完食ライン”がメンタルの基準なの面白いな」
「甘いものラインもありますよ~」
「だろうな」
◇
「タマキ先輩」
「ん」
「学校祭、本番始まったら~」
メグミが、チャーハンの皿を空にしながら言う。
「きっともっと~、“ミスできない場面”増えますよね~」
「まあな」
模擬店のレジ。
食材管理。
シフト管理。
迷子対応。
クレーム処理。
――そういうのは、全部、「やらかしたら笑い話では済まない」類だ。
「そのときに~」
メグミが、少しだけ真面目な目をする。
「今日みたいなミス、またやるかもしれないです~」
「うん」
「でも、たぶん~、
“その時はまた誰かが気付いてくれる”って、
ちょっとだけ信じててもいいですか~?」
「もちろん」
「いや、その、“自分でちゃんと見る”のが一番なんですけど~」
慌てて付け足す。
「それでも、“誰かがちゃんと見てくれてる”って思えると~、
ちょっとだけ、“本気出しても怖くないかな~”って気がして~」
それを聞いて、少しだけ笑ってしまった。
「それ、もう半分答え出てるじゃん」
「へ?」
「“自分でちゃんと見る”って決めてる上で、
“それでも怖いから誰かにも見てほしい”って思えてるなら、
本気出す準備はできてる」
「そ、そうですか~?」
「そうだよ」
俺は残っていたチャーハンをかき込んで、飲み込む。
「少なくとも、学生事務局で“誰も見てくれない”ってことはない。
良くも悪くも、誰かが首突っ込んでくる」
「たしかに~」
「マヨイ先輩も見るし、俺も見るし、
たぶんそのへん歩いてるリン先輩とかも、なんだかんだ見てる」
「総員監視社会です~」
メグミが、ちょっと笑った。
「それでも、不安になったら、俺を呼んでくれ。見てるから」
「タマキ先輩、それずるいです~」
俺は、メグミの方を見る。
うん、笑っているほうがいい。
「ミスったことは反省するとして、
“もう二度と私に任せない方が”って方向には行かないでくれたら、俺は嬉しい」
「……」
「正直、書類作るのも、ミスに気付くのも、
“やってみないと分からない”部分多いからさ」
「たしかに~……」
「“最初から完璧な人だけがやる”って決めたら、
たぶんこの事務局、誰も残らない」
……春にナツキと話していたことと一緒だ。
「それはそうです~」
「いるとしたら、コウメイ先輩くらいだな」
「でもあの人も~、
“完璧になろうとして何度も失敗した人”って感じもします~」
「……それは、分かる」
◇
ラーメン屋を出て、部室棟への道を戻る。
さっきより、メグミの歩く速度がほんの少しだけ速くなっている。
「戻ったら、何する?」
「マヨイ先輩に、“もう一回一緒にチェックしてください~”ってお願いして~。
注意してくれた先輩に、“さっきはすみませんでした~”って言って~。
そのあと、カズネちゃんの作った“クレープ屋のポスター案”を見て笑います~」
「最後のは重要だな」
「“クレープは青春”って大書きされてるやつです~」
「あれか」
あのポスターを見ると、だいたい全員ツッコミと笑いで、
なんとなくHPが回復する。
「タマキ先輩も~」
メグミが、ふと立ち止まって振り向いた。
「元気くれました~。ありがとうございます~」
「ちょっとだけ?」
「“ちょっとだけ”の積み重ねで~、
学校祭まで生き延びたいと思います~」
「じゃあ、あと何回か“ちょっとだけ”やらないとな」
「お願いします~。
その代わり、また試食で“タマキ先輩用甘やかしクレープ”作ります~」
「そんなメニューあったの?」
「今できました~」
「軽いな」
「“逃げたいときに呼べない病”の治療薬です~。
甘さで誤魔化します~」
「雑な医療だな」
笑いながら、部室棟の階段を上る。
こっそり、アキハにLineも送っておく。
≪ミッションクリア。ありがと≫
あいつならこれだけで伝わる。
頑張ってやってれば、ミスもするし、自己嫌悪もする。
でも――
うちの事務局は、一人には、しない。




