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最北大学学生事務局  作者: 萩原詩荻


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第110話 深夜の訪問者は白うさぎ

202X年、10月初週 深夜


 俺は自分の部屋で、机に突っ伏していた。


 目の前には、印刷した資料。

 付箋。

 赤ペン。


 パソコンの画面には、事務局関連のメールボックス。

 「未読:48」の数字が、こっちを睨んでいる。


「……見なかったことにしよう」


 そっと閉じた。

 現実から目を逸らすスキルだけは、成長している気がする。


 時計は、とっくに日付変更線を跨いでいる。


 今日は珍しく、うちには誰もいない。


 今日はナツキとメグミは部室に泊まり込み。

 アキハはモデル組の打合せ地獄って言ってた。

 カズネは夕方「宣伝行ってきまーす!」と言って消えてから姿を見てない。

 フユミは多分部屋で寝てる。

 シンジとイズミは……知らん。たぶんどっかで死んでる。

 他のメンバーも、ほぼみんな部室か各自宅で倒れているはずだ。


「……諦めて寝るか」


 そう呟いた瞬間。


 ――ピンポーン。


「フラグ立てたか?」


 ドアを開けると――


「こんばんはー!!」


 元気100%。


 そこに立っていたのは、私服姿のマシロ先輩だった。


「……」


「こんばんはー!」


「時間」


「もうすぐ1時!」


「常識」


「知ってる!」


「よし」


 なにも良くない。


 そんな会話をしつつ、結局彼女を中に入れる。

 既に部屋の中にスキップで侵入している。元気、満タン。


「ナツキちゃん、今日部室泊まり込みって聞いてさ!」


「はい」


「タマキくん寂しがってないかな!って思って!」


「ペットか何かですか?」


「タマキくん独り占めチャンス!」


「何のチャンスですか」


「だから泊まりに来たよ!」


「なぜそうなる」


「お姉ちゃんは今お風呂入ってるから、もうすぐ来るよ!」


「お風呂上りに外歩くと風邪ひきますよ」


「えへへー」


 多分、突っ込むべきは、そこじゃなかったけど、まあいいや。


「誰もいない夜って、タマキくん、逆にちゃんと寝ないでしょ?」


「……」


 図星すぎて言葉が出ない。


「でしょー!」


 洞察力の使いどころ間違ってますよ、先輩。


「だから監視に来ました!」


「監視って止めません?」


「見守り!」


「言い換えが雑」


 ソファに飛び込むマシロ先輩を横目に、

 キッチンでノンカフェインのハーブティーを用意する。


「はいどうぞ」


「やった~! いただきます!」


 一口飲んで、にひっと笑う。

 うん、笑顔が眩しい。


「やっぱり、タマキくんの淹れるやつ、落ち着く~」


「マシロ先輩たちが普段飲んでるやつほど大したものじゃないですよ」


「タマキくんが淹れてくれるのが大事なんだよ!」


 そんなもんかねぇ。


「でも、ちょうどよかったです」


「ん?」


「ちょっと、渡したいものがありまして」


 クローゼットの中の袋を引っ張り出す。


 夏休みの最終週に買ったのだが、

 渡しそびれていた、ちょっとしたもの。


「タイミングどうしようと思ってたんですが」


 今この時間、

 マシロ先輩と、俺だけ。


 こんな都合のいいシチュエーション、

 狙っても中々来ない。


「なになに? サプラーイズ?」


 ソファに戻ると、

 マシロ先輩が、わくわくした目で袋を見ていた。


「たいしたものじゃないんですけど」


「そういう前置きのやつ、結構たいしたもの率高くない?」


「ハードル上げないでください」


 袋から取り出したのは――


「……うさぎさん?」


 かなり大きめの、白いうさぎの抱きまくらだった。


 ちょっと垂れた耳。

 つぶらな黒い目。

 触ると、ふわもちって感じ。


「先輩、結構前から、抱き枕にしがみついて寝てるのを見てたんで」


「うん」


「なんか、“これ、マシロ先輩っぽいな”って。

 この前、たまたま雑貨屋で見かけて、衝動買いしました」


 言いながら、微妙に恥ずかしい。


 大学生男子が、女子の先輩に抱き枕プレゼントってどうなんだ、って

 買った後に一瞬悩んだのは内緒だ。


「……」


「嫌いじゃなければ、貰ってください」


 マシロ先輩は、しばらくそれを見つめて――


「…………」


 そっと、両手で受け取った。


 指先で耳をつまんで、ぷらぷらさせたり、

 お腹を指で押してみたり。


 そして――


「――――か、わ、い、い……」


 破壊力の高い声が出た。


「タマキくんこれ……」


「は、はい」


「優勝!!!」


「雑な総評きた」


「え、待って!? え、え、ちょっと、

 やば……やばやばやば……」


 耳まで真っ赤にしながら、

 うさぎをぎゅぅぅっと抱きしめる。


「ふわふわ……もふもふ……しあわせ……」


 床に座ったまま、ごろんと寝転がり、抱きついてすりすりしている。


「尊い……」


 思わず本音が漏れた。


「名前、どうしよ……」


 マシロ先輩が、真剣な顔でうさぎを見つめる。


「しろちゃん? ふわちゃん? ラビちゃん?」


「急に語彙力が幼稚園児になるのやめてください」


「だって可愛いんだもん!!」


 ころころ転がりながら、

 白うさぎを抱きしめ続ける先輩を見て、

 こっちまで頬が緩む。


 ……よかった。

 買って。


「あ、ちなみに」


 袋からもう一つ取り出す。


「こっちは――マヨイ先輩用です」


「えっ」


 そこにいたのは、

 さっきの白うさぎと同じサイズ・同じ顔で、

 色だけが真っ黒なうさぎだった。


「し、しろとくろ!!」


「双子ですから」


 自分で言っておいて、ちょっと照れる。


「マシロ先輩に白、マヨイ先輩に黒。

 もらったピンと色合いを揃えてみました」


「……」


 マシロ先輩が、じーっと俺を見た。


「な、なんですか」


「今の、“双子ですから”って、

 さらっと言えるところ、反則じゃない?」


「何が反則か本気でわからないのですが」


「えへへ……」


 マシロ先輩は、

 白うさぎと黒うさぎを両手に持って、

 ひとしきり眺めてから――


「お姉ちゃん、絶対喜ぶ……!」


 ふわっと笑った。


 その笑顔を見て、

 こっちも胸の奥が、じんわり温かくなる。


「はぁぁぁ……尊い……。白黒そろい踏み……。写真撮らなきゃ……」


「カズネには送らないでください。『全世界に広めます!!』される」


「今の私にそれを止める理性があると思う?」


「お願いします、止めてください」


 マシロ先輩の喜びの火力がすごい。暖房いらない。


「……ありがとね、タマキくん」


「いいえ、いつも助けられているお礼です」


「すっごく嬉しいの」


 そう言って、ふとこちらを見たマシロ先輩が、急に背筋を伸ばした。


「……あのね、タマキくん」


「はい」


「実はね」


 さっきまでの無邪気なテンションとは違う。

 ちょっとだけ、緊張してる声。


「今日、私もタマキくんにプレゼント、用意してるの」


「……え?」


「うん、実は、このために今日来たの」


 抱きかかえていた白うさぎが横に置かれ、細長い箱が差し出される。


「はい」


「……?」


「開けてみて?」


 言われるままに、慎重に蓋を開けると――


「……ネクタイ?」


 深いネイビーをベースに、

 さりげない白のストライプが入ったネクタイだった。


 一見シンプル。

 でも、光の当たり方で、

 ストライプのラインが柔らかく浮き上がる。


 派手すぎず、地味すぎず。

 フォーマルでもカジュアルでも合いそうな、絶妙なバランス。


「これ……」


「タマキくん、ちゃんとしたネクタイ、

 一本くらいあった方がいいかなって思って」


 マシロ先輩が、胸の前で手をぎゅっと握る。


「夏休み前のプレゼンとか、これからゼミの説明会とか、

 “ちゃんとしてなきゃ”って場面、増えてくるでしょ?」


「まあ……そうですね」


 ゼミ選択とか、就活とか、なんやかんや。


「それでね」


 マシロ先輩は、少し照れながら続けた。


「デザインは、お姉ちゃんと一緒に考えたの。

 “あんまり派手じゃなくて、でもちょっと遊び心あって、

 スーツでも浮かないやつ~”って」


「二人で相談してくれたんですね」


「うん!それでね、ヒカリさんにも、“ネクタイってどうやって作るの?”って相談して」


「プロの指導付きですか」


「夏休みより前からね、コレは相談して、練習もしてて。

 “型紙の引き方”から、“芯の入れ方”まで、すっごい丁寧に教えてくれたんだよ?

 “可愛い後輩の頼みだから!」って」


「あの人、もしかして……」


 買ってもらった服と、このネクタイ合わせられるようになってるのでは……?


「だから、これはね」


 マシロ先輩は、すっと胸を張る。


「私が、初めて、誰かに贈るために、最初から最後まで、自分で作ったものなの」


「……」


「学校祭に出す服はね、プロの人たちに手伝ってもらったりしてるから」


 少しだけ、目を伏せる。


「“全部私ひとりで作ったもの”って、

 実はあんまりなくて」


 その指先が、

 ネクタイの端をそっと撫でる。


「だから――」


 顔を上げた。

 その目は、さっきまでよりずっと真剣で。


「私が、初めて、作ったもの、受け取ってほしいな!」


 心臓が、どくん、と跳ねた。


「……」


 何て返事をすればいいか、一瞬分からなくなる。


 ――マシロ先輩が、

 最初から最後まで、自分の手で作ったネクタイ。


 それを、「初めて」贈る相手として渡してくれたのが、

 俺、っていう事実。


 その重さが、

 じわじわと胸の奥に染み込んでくる。


「……ありがとうございます」


 気づけば、頭を下げていた。


「嬉しいです。

 めちゃくちゃ嬉しいです」


「ほんと?」


「ほんとです」


「やったぁ!」


 マシロ先輩が、

 顔をぱぁっと明るくする。


「じゃあさじゃあさ、

 今、ちょっとだけ、つけてみて!」


「今?」


「うん!見たい!!」


 その勢いに押されて、

 寝間着の上からシャツを羽織る羽目になった。


「着けていい?」


「え」


「こっち向いて、ちょっとだけかがんで」


 言われるがまま、

 彼女の前に立って、少し身を屈める。


 ――近い。


 胸元で、

 マシロ先輩の指が、器用にネクタイを操り始める。


「えっとね、“こう回して~、ここをくるっとして~”」


 説明しながら、

 すいすいと結び目を作っていく。


「にへっ、実は着けてあげたくて練習したの」


 顔の距離が、やたら近い。

 髪から、シャンプーの匂いがふわっとする。


 視線のやり場に困る。


「じっとしててね?」


「してます」


「動いたら、奪うよ?」


「何をですか」


 髪が、頬に触れそうな距離。

 心臓の音が、自分でもうるさい。


「……はい、できた!」


 ぱっと離れて、

 満足げに頷くマシロ先輩。


「うん、似合う!!」


「そう、ですかね」


 鏡を見ると、

 たしかに、しっくり来る。


「わ……」


 気づけば、素直な声が漏れていた。


「なんか、“ちゃんとした大人”みたいに見えますね、俺」


「“みたい”って付けなくてもいいよ」


 くすっと笑ってから、

 マシロ先輩が、少しだけ真面目な顔になる。


「でも、そうだね」


 ネクタイの結び目を、そっと整えながら。


「来年から、

 タマキくん、“ちゃんとした大人”の階段、いっぱい登ってくんだろうなぁって」


「たいそうな表現ですね」


「でも、そうでしょ?」


 マシロ先輩は、

 ネクタイの先を指でつまんで言う。


「ゼミも始まるし、就活も、いつか来るし」


「ですね」


「だからね」


 彼女は、少しだけ照れながら笑った。


「その時、

 ちょっとでも私を思い出してくれたら、嬉しいなって」


「……」


 そんなの、言われなくても。


「思い出しますよ」


 自然と、言葉が出た。


「このネクタイ見るたびに、

 “ああ、これ、マシロ先輩が作ってくれたやつだなー”って」


「ほんと?」


「ほんとです」


「よし!」


 マシロ先輩が、

 グーで小さくガッツポーズを作る。


「じゃあさ、約束しよ!」


「約束?」


「このネクタイ初めて使うのは――」


 マシロ先輩が、ネクタイをぎゅっと握りしめる。


「タマキくんが、“頑張りたいな”って思った日にして!」


「……」


「ゼミの面接でも、就活でも、学校の発表でも、

 何でもいいから」


 少し照れながら、

 でもどこか真剣な目で言う。


「“今日、ちゃんと頑張りたいな”って思った日に――

 それ、つけて?」


 そんなの。


「……反則ですよ」


 軽く苦笑しながら、言う。


「そんな約束されたら、

 つけるたびに、思い出すじゃないですか」


「にへへ」


「“頑張れよ”って言われた気になるじゃないですか」


「言ってるよ?」


 彼女は、にこっと笑う。


「今、言った」


「……」


 負けた。


 ネクタイに柔らかく触れる。


「わかった。約束します」


「うん!!」


「ありがとうございます」


「ねぇ」


「その日、教えてね?」


「その日?」


「初めて、そのネクタイ使う日」


 ちょっとだけ俯いて、照れたようなマシロ先輩。


「“今日つけてくよー”って、

 LINE一通だけでいいから」


「……」


「そしたら、私も」


 ちらっとこっちを見る。


「その日、ちゃんと“頑張れー”って思っとくから」


「……」


 その顔、反則だろ。


 でも。


「わかりました」


 笑いながら、頷く。


「送ります」


「約束ね!」


 マシロ先輩は満足そうに、太陽みたいな笑顔を見せてくれた。



 と、そこで。


 ――ピンポーン。


 玄関から音がした。


「迎えに行ってくるね!!」


 マシロ先輩が素早く玄関に走る。

 ……マヨイ先輩じゃなかったらどうしよう。


「こんばんは……遅くなって、ごめんなさい……」


 玄関にダッシュしたマシロ先輩と一緒に、おずおずと入ってきたのは、

 黒いうさぎの持ち主予定――マヨイ先輩だった。


 良かった。


「お、お邪魔……します……」


 マシロ先輩が、ソファに座らせていた白黒うさぎを抱えて駆け寄る。


「見て見て見て!!」


「わっ」


 いきなり目の前に現れたうさぎを見て、


「……ふぇ?」


 マヨイ先輩の口から、

 意味不明な声が飛び出した。


「こ、これは……」


「タマキくんから、プレゼント!!

 私がしろで、お姉ちゃんがくろ!!」


「えっ……」


 マヨイ先輩の目が、瞬間的にぐるぐる忙しい。


「わ、わ、私も、もらって、いいんですか……?」


「もちろんです」


 彼女は、黒うさぎを壊れ物を扱うみたいに、そっと受け取った。


「……」


 指先で、耳をつまんで。

 少しだけ揺らして。

 それから、

 胸の前でぎゅっと抱きしめる。


「……っ」


 耳の先まで、真っ赤になった。


「タ、タマキくん……」


「はい」


「……だいじに、します」


 小さな声だったけど、

 はっきり聞こえた。


「お願いします」


 なんかもう、

 こっちが照れる。


「でねでね、お姉ちゃん!!」


 マシロ先輩が、その勢いのまま続ける。


「私もタマキくんにネクタイちゃんとプレゼントできたよ!!」


 マヨイ先輩が、

 ゆっくり、こちらを振り向いた。


 視線の先には――

 まだネクタイをつけたままの俺。


「……っ」


 マヨイ先輩の目が、優しい色に変わる。


「お、お似合い……です……」


 マヨイ先輩が、黒うさぎに隠れるように顔を埋める。

 抱きしめている腕に、力が入ったのが分かった。


 白うさぎと黒うさぎを抱いて笑っている双子と、

 ネクタイを締めたままの俺。


 秋に突入した部屋のはずなのに、いつもより少しだけ、暖かく感じた。


「じゃあ、今日は三人+うさぎ二人で一緒にくっついて寝よ!!」

「マシロ!?」


「これでも俺も男の子なので、勘弁してください」


 理性が危険すぎる。

 寝れる気がしない。


「タマキくん、やっぱり実家に誘拐して拉致監禁していい!?」


「物騒な選択肢を提示しないでください」


「ご、ご飯とあったかい布団なら用意出来るよ?」


「……」


 マヨイ先輩までそっち側ですか。

 いや、正直魅力的だけど。


 そんな感じでわいわい話していると、結局、寝るのは遅くなった。


 俺の部屋から静かな夜は減ったけど、

 またひとつ、“大事なもの”が増えた夜だった。


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