第102話 諜報部隊、秋の戦線へ
202X年、10月初週/学生事務局・奥の部屋
学生事務局の部室は、表の大部屋だけじゃない。
奥に、鍵付きの小部屋がある。
機密会議やら、古物やら、誰かの黒歴史やら――とにかく「見せない方が平和」なものが詰まった部屋だ。
そして今、そこに集まっていた。
リン。
コウメイ。
カオル。
イズミ。
アキハ。
カズネ。
「諸君、夏休みが明けたばかりで忙しいところ、よく集まってくれた」
コウメイの声は、会議室ではなく「密談室」に似合う低さだった。
……似合いすぎて、周囲の空気が妙に引き締まる。
「今回集まってもらったのは、他でもない。これだ」
コウメイが封筒を机に置いた。
ぱさ。
――中から覗いたのは、諭吉さんの顔。
しかも一枚じゃない。
カズネが目を丸くする。
「えっ……これ、犯罪の証拠ですか?」
「諭吉さんだ」
リンが断言する。
「断言できるの怖いわね」
アキハがため息をつく。
カオルが封筒を指でつついて、怪訝そうに言った。
「これは?」
コウメイが淡々と答える。
「総務課や財務課の方、某教授陣から“正式に”受け取ったものだ。理由を説明しよう」
「嫌な予感しかしない」
イズミが言い、同時にアキハが頷いた。
コウメイは、立ち上がり、背後のスクリーンに視線を向けた。
中古プロジェクターが、ぶぉん、と頼りない音を立てて起動する。
壁に映し出されたのは――
最北大学の某・裏掲示板サイトの画面。
スレッドタイトルが、大きく表示されていた。
『【非公認企画】学校祭5日目のフォークダンス!タマキと踊るのは誰!?【拡散注意】#2』
空気が一拍、止まった。
リンが、にやりと口角だけを上げた。
「今冷や汗を流したやつが数人いるな」
その言葉と同時に、
イズミの背中が、ほんの1ミリだけ丸まった。
アキハの視線が天井に逃げた。
カオルは指が止まった。
カズネは……なぜか誇らしげだった。
「このスレッドが立つ前、学内雑談スレでのやり取りがこれだ」
コウメイ先輩が言うと、画面がスクロールされ、ログが並ぶ。
[最北大学雑談スレ #182]
195: 名無しさん
5日目のフォークダンスって、毎年カップル成立の儀式みたいな感じだよな
196: 名無しさん
あの看護学科の超可愛い二年のナツキとか、今年彼氏いんの?
197: 名無しさん
去年は学祭直前に別れたっつって盛り上がってたよなー
198: 名無しさん
去年一番盛り上がってたのはプロモデルのヒカリって人の相手は誰か!?だったろ
199: 名無しさん
あったな
200: 名無しさん
今年盛り上がるのは何と言ってもモデルになったっつー、あの美人双子だろう
201: 名無しさん
うっわ、モデルと踊ってみて―
202: 名無しさん
情弱乙。あの双子が踊るとしたら事務局二年のタマキだろう
203: 名無しさん
タマキって誰?
204: 名無しさん
知らん
205: 名無しさん
あれじゃね?四月の新歓で司会やってたやつ
206: 名無しさん
あー、あのパッとしねぇやつ
207: 名無しさん
事務局だったらリン先輩やシンジの方が圧倒的にイケメンじゃね?
208: 名無しさん
たしかにwwwあんなしょぼいのが美人双子と踊るとかアリエンwww
209: 名無しさん
あ゛?わかってねぇ、ナツキだって踊るとしたらタマキだぞ?
「……はい」
アキハが手を挙げた。
「206と208を書いたやつ出てこい」
「それはそれで誰かの命が危ないからやめとけ」
リンが止める。
コウメイが、淡々と告げる。
「この後、しばらく泥仕合が続き――誰かが“どうせなら賭けようぜ”と言い出した結果が、こちらだ」
画面が切り替わる。
【非公認企画】学校祭5日目のフォークダンス!タマキと踊るのは誰!?【拡散注意】
投票方法 :XXXXXXXXXXX。一口100円
問い合わせ先:学生事務局 フォークダンス担当:謎の仮面美女K
集計締切 :最終日正午
会場 :最北大学グラウンド
ルール :フォークダンス開始時、会場において最初に手を取った相手を確認し、結果とする。
伝達手段 :XXXXXXXXXXX
注意事項 :本人達への直接接触禁止、非公認企画のため情報統制に注意、雨天中止の場合は……etc.
現時点オッズ(202X/10/○○更新、総投票口数XXXXX口)
・ナツキ 2.8倍
・アキハ 3.2倍
・フユミ 3.9倍
・メグミ 5.5倍
・カズネ 7.0倍
・マヨイ 8.2倍
・マシロ 8.5倍
・ヒカリ 11.0倍
・カオル 16.0倍
・・・etc...
「私の最新オッズ7.0倍ですか!?高くないですか!?」
「そこかよ」
カズネの感想にイズミが呆れる。
「7倍ってことは、当たったら700円ですよね!?」
「まあ、そうなる」
「すごい!!シフォンケーキ買えます!!」
「金銭感覚が健全すぎて怖い」
コウメイが、静かに目を細める。
「――諸君。この非公認企画、異常に管理が行き届いている」
「……」
全員の視線が、コウメイから逸らされる。
「心当たりあるやつ、謝るなら今だぞ?」
静寂。
次の瞬間。
――ダンッ!
イズミが机を叩いて立ち上がった。
「管理体制を作った“謎の仮面美女K”はカオルだ!!」
「あっ!? 裏切り者!!」
カオルが即座に立ち上がる。
「そもそも喧嘩に乗ったのはイズミでしょ!?
“タマキをしょぼいとか言うなや”って、火にガソリンぶっかけたの誰よ!」
「仕方ねぇだろ!!アイツを“パッとしねぇやつ”呼ばわりされたらキレるに決まってんだろ!!」
「感情で書き込むなっていつも言ってるでしょうが!!
で、掲示板が燃え広がった後、“消せないなら情報統制だけでも”って頼んできたのはそっち!」
「言っとくけど、アキハも既に関与してますぅ!」
イズミが、ちゃっかり巻き込みにかかる。
「私、システム提供しただけなんですけど!?“やるならせめて被害者減らせ”の精神で!」
「『オッズがこのままだと面白味ないわねぇ』って言って、説明文とか注釈書いてたでしょ!!」
「……それはマーケティング的見地からの助言であって関与ではない」
カズネが勢いよく手を挙げる。
「ちなみに一年生中心に、この話題盛り上がってるってばら撒いたの私です!!」
全員が、ゆっくりカズネを見る。
「……なんで?」
アキハが、静かに聞いた。
「え?だって!盛り上がった方が楽しいじゃないですか!!」
「楽しくない」
三人がハモる。
カオルが、封筒を指で叩く。
「で、それがその封筒にどうつながるのよ」
コウメイが静かに頷く。
「今日の昼、総務課に行ったときにだな」
◇
【回想・コウメイ視点】
総務課窓口。いつものように書類を提出し、印鑑をもらっていた時。
「コウメイ君」
「ご無沙汰しております。夏休み前のプレゼン以来ですね」
「ああ、楽しかったよ。ヒカリくんとタマキくんにもよろしく伝えてくれたまえ」
「はい」
夏休み前のプレゼンでお会いした、経済学部の超有名教授がそこにいた。
多分伝えたらタマキは胃を痛め、ヒカリさんは喜ぶだろうが、そこまでは知ったことじゃない。
そんなことを思っていると。
「そういえば、面白いことをやっているね。仮面美女と書いてあったが、君でもいいのだろう?」
え?
「私たち教授陣からも何人か乗ろう。私は百口で……に投票だ」
は?
「うむ、とぼける技術も流石だ。封筒に教授陣の分まとめて入れておくからね。あ、細かい内訳はメモ入れとくから」
内訳メモはいらない。説明してくれ。
「あ、コウメイくんでいいなら、これもお願いね」
今度は総務課の職員が、カウンター越しに封筒を差し出してきた。
「私はナツキくんに投票で。これ、総務課全員分です」
「……ぜんいんぶん?」
何が起きている?
というか、この封筒なんだ?
「私はマシロくんに投票で。財務課分は後でまとめて持っていくね」
通りかかった財務課の人が、ひらひらと手を振る。
「待ってください、これは一体――」
「いやあ、盛り上がりますね。教授、その狙いは中々勝負師なのでは?」
「ふふふ、すべては情報だよ?経済も人間関係もね」
「あの、これは……」
「ああ、分かっているとも、“非公式”だね」
教授に優しく肩を叩かれる。
「しらを切り通す技術はタマキくんにも仕込んでおいてくれたまえ。よろしく頼むよ」
そう言って、職員と教授は盛り上がったまま、離れていく。
…………何が起きているのか、すぐ調べねば。
【回想終了】
◇
「これが今日の昼の出来事でな。胃薬をがぶ飲みした」
コウメイがそう締めくくると、
リン以外の全員が、そろって頭を下げた。
「ごめん」
謝罪のハーモニー。
「この大学、ノリ良すぎないか?」
イズミが、天井を見上げる。
「タマキさん大人気ですね!!」
カズネだけテンションが高い。
「そりゃあねぇ。学校祭のショーのために、あちこちに顔繋いでたからでしょ。先生にも、職員さんにも」
アキハが、肩をすくめながら言う。
「その通りだ」
コウメイが頷く。
「タマキが頑張った結果、職員にもタマキを知る者が増え、その結果がこれだ」
「頑張った結果が一周回って“学内公認の賭けの対象”になるって、才能あるわねアイツ」
カオルが呆れたように笑う。
リンが、ふっと笑った。
「頑張った結果が面白いことになる才能あるな、アイツ」
「多分、本人頭抱えるわよ」
カオルが真顔で言った。
この部屋にいる全員が、なぜか同時にタマキの“頭抱える顔”を想像した。
そして、なぜか少しだけ嬉しそうになった。
……性格が悪い。
「――というわけで。全員、有罪。」
コウメイが静かに告げる。
「判決は――リンによる拳骨。」
「おう、任せろ」
リンが、椅子から立ち上がる。
肩を回し、拳を握り、目を細める。
「ちょっ――待って――」「話せば――」「イタイのやだ!」「一年割引!!」
その後、小部屋にはしばらく、
ごつっ、ごつっ、という乾いた音と、
「いだっ!?」「ごめんなさい!」「あー!」「目が覚めましたー!!」
という叫びが響き渡ったのだった。
そんな小さな制裁を経て、ようやく本題に入る。
「――さて」
全員が頭を押さえつつも席に戻ったのを確認して、
コウメイが改めて口を開いた。
「こうなったからには、我々諜報部隊の総力でこの“非公認企画”を管理下に置く」
ここで、部屋に、いつもの“諜報部モード”の空気が戻る。
カオルが、ペンを指先で回しながら言った。
「戦略目標は?」
リンが腕を組んで、真顔で言う。
「俺の回答は一つだ。“全員が笑える未来”」
「総長、カッコイイ」
「そうだろ?」
リンが鼻を鳴らす。
「フォークダンスをきっかけに、変な噂や炎上や、
“当人たちが望まないドラマ”が勝手に量産されるのを止める」
「同意」
アキハが頷き、言葉を継ぐ。
「“タマキの選択を邪魔しない学校祭”」
その言い方は、軽く聞こえるが、かなり重い。
「タマキが誰と踊るか。
タマキが誰といるか。
それを外野が勝手に決めつけないように、最大限の情報統制をする」
イズミが、淡々と補足する。
「“最低限のルールライン”だけ、裏側から維持した方がいい。
誹謗中傷・晒し・実名特定・ストーカー的接触――そういうのは全部削る」
カオルが、小さく息を吐く。
「私の情報網、“元を辿ればただの噂好き”が大半だから。
真っ当なガス抜きくらいはさせてあげないと、逆に変な方向で爆発するのよね」
カズネが、きらきらした目で手を挙げた。
「私も、候補者です!!」
「知ってる」
全員の声が揃う。
「一番人気めざします!!」
ぐっと拳を握りしめる後輩。
「……」
アキハが、こめかみを押さえた。
「ねぇカズネ。
あんた、自分がオッズ表に載ってるってことは分かってるわよね?」
「はい!!7.0倍って書いてありました!!」
「なんで誇らしげなのよ」
「“中堅どころからの一発逆転狙い枠”って書かれてて、
なんか競馬中継っぽくてテンション上がりました!!」
「あぁ、あの妙に解説が細かいやつ、アキハか……」
「私は文章整えただけ。元ネタは掲示板住民」
掲示板の住民は、たぶん事務局にも何人かいる。
「……で、カズネ。あんた、オッズ操作する気なの?」
アキハが、じとっとした目で見る。
「操作はしません!!清く正しく戦います!!」
一拍置いて。
「……可能なら、“私に入れた人の投票券で当たったら、
こっそりお礼のクッキー配る”くらいはやってもいいかな、とは」
「それほぼ実質的な優待特典じゃん!!」
「“投票を促す物品提供”は、ギリギリ賭博法に引っかからないラインなんじゃないかしら?」
カオルが、さらっと危険なことを言う。
「法律をグレーに攻めるな」「やめろ、大学の名前が死ぬ」
リンが、こほんと咳をして話題を戻す。
「――とりあえず、オッズ操作は禁止だ」
「ハイ」
「ハイ」
「はいよ」
「はーい」
返事だけは素直だ。
「ただし」
リンは続ける。
「“自分が本気で狙う”のは、勝手にしろ」
その言い方に、部屋の空気が少しだけ変わる。
「諜報部隊はあくまで“外野のノイズの制御”担当だ。
当人たちの気持ちまで操作しようなんて話じゃない」
「それはそうね」
カオルが頷く。
「変な邪魔が入らないようにするだけ」
「……」
アキハが、ちらっとカズネの方を見る。
「だからカズネ。
“一番人気めざします!!”って言うのは好きにしなさい」
「はい!!」
「ただし」
アキハは、さらっと言葉を足した。
「オッズを上げるのは、自分の行動でやりなさい」
カズネが、一瞬だけ真顔になり――すぐに笑った。
「……はい!頑張ります!!」
その背中を、イスの上からぽんぽんと叩くイズミ。
「おう、若いな~」
「……ま、カズネは、基本“自爆して転がる”タイプだし」
イズミが、肩をすくめる。
「最悪、『タマキセンパイに構ってもらえない~』って部室でゴロゴロしてるの拾えば済むから、優先度低でいいだろ」
「ひどくないです!?」
「信頼の裏返しだ」
「アキハはどうするんだ?」
イズミが尋ねる。
「私は――そうね」
アキハは、ペンをくるくる回しながら言った。
「“タマキが変な方向に逃げないように、進行方向をちょっとだけ誘導する係”」
「具体的には?」
「『全員のために、俺だけがいなくなればいい』とか言い出したらブチ切れる係」
「重要だ」
「マジ大事」
「それが本当にあり得そうなのタマキセンパイ凄いですよね!」
全員が真顔で頷いた。
コウメイが咳払い。
「諸君。我々学生事務局諜報部隊の目的は――全員が笑える未来、だ」
ニヤリと笑う。
しばしの沈黙。
次の瞬間、リンが、にやっと笑った。
「――よっしゃ」
椅子から立ち上がる。
「“学祭諜報戦線・秋の陣”」
「名前がいちいち大げさなのよ」
アキハが肩をすくめる。
「でも嫌いじゃないわ、そういうの」
「作戦開始は、今この瞬間から。
学祭五日目のフォークダンスが終わるまで、諜報部隊は基本フル稼働だ」
コウメイが締める。
「文句あるやつ」
「「「「「ない」」」」」
全員の声が重なった。
「よし。解散」
鍵のかかった奥の部屋から、六人が順番に出ていく。
扉が閉まり、再び静寂が戻る。
――この時点で、当のタマキは、
“自分を中心に学内外でオッズが動いている”ことも、
“その火消しのために諜報部隊が動き始めた”ことも、何も知らない。
ただ一つだけ決まっているのは。
今年の学校祭が、“退屈とは程遠い数日間になる”ということだけだった。
誰も泣かせない、なんて無理かもしれない。
でも、“全員が泣いた後にでも笑ってる未来”なら――案外どうにかできるかもしれない。
……たぶん。
きっと。
「じゃあ――戦争の時間だ」
鍵付き小部屋の中で、
秋の最初の“裏方ドタバタ劇”が、静かに始動した。




