第100話 花火大会【後編】
202X年 夏休み終了五日前、夜~
――ドン。
最初の一発が夜空に咲いて、「おお~」という声が周囲から沸く。
――ドォン。
今度は、さっきよりも大きい。
色とりどりの光が、視界いっぱいに広がる。
「わぁぁぁぁ!」
カズネが、子どもみたいな声を上げる。
「おお~」「綺麗ですね~」「にゃふ……!」
それぞれの感嘆が、
少しずつ違うトーンで重なっていく。
フユミが、ほんの少しだけ身体をこちらに寄せてくるのが分かった。
浴衣の袖がふわりと触れる。
右側では、アキハが肘を膝に乗せて、顎を預けたまま空を見上げている。
横目で見ると、いつもより少しだけ幼く見えた。
「写真撮っておこ~」
メグミが、スマホをそっと構える。
「花火、うまく撮れますかね~」
「失敗しても思い出になるから大丈夫~」
カシャ、と小さな音が混ざる。
「オイ、シンジ、そこ邪魔」
「なんで僕が邪魔扱いなんだ」
「頭で花火隠れてんだよ、椅子席かお前は」
「イズミの背が小さいのが悪い」
前方では、イズミとシンジがいつもの調子で言い合っている。
その後頭部越しに、花火が開いては消えていく。
「花火とは、“今ここにいる”感覚を強制的に同期させる装置とも言えるのだ」
「うるさい」「黙って見ろ」「今そういう解説いらないです~」
コウメイ先輩の解説には、即座に女子陣からツッコミが飛ぶ。
それすらも、夏祭りの音の一部になっていた。
「……いいわね」
後ろから、ヒカリさんの声がした。
「こうやって、みんなで同じ方向見てるの」
振り返ると、先輩たちもそれぞれの表情で空を見上げている。
カオル先輩は、楽しそうに微笑んで。
リン先輩は、串焼きを片手に「おおー!」と素直に歓声を上げ。
ヒカリさんは、少しだけ目を細めて。
――ドン、ドン、ドン。
連続で上がる花火。
色とりどりの光が、夜空を埋め尽くしていく。
普段なら絶対止まらないこのメンツが、
いったん静かになるのが、ちょっと面白い。
――でも、静かになった分だけ、隣にいる人の気配がはっきりする。
浴衣の袖が擦れる音。
誰かの髪飾りが揺れる。
誰かが「わぁ」って息を漏らす。
マシロ先輩が、小さな声で言った。
「きれい……!」
マヨイ先輩も頷く。
「……うん。すごいね」
「タマキ先輩~」
「ん?」
メグミが、ぽそっと寄ってくる。
「今、“あー、夏休み終わるのイヤだな~”って顔しました~」
「してない」
「してました~」
「してたね」
アキハが横から乗ってくる。
「……まぁ、ちょっとは」
否定しきれない。
「夏休み、楽しかったですもんね~」
「それは、な」
「タマキさん」
「ん」
今度は左から、フユミの声。
「夏が終わっても、“皆で花火”はまたやれます」
「そうだな」
「来年も再来年も、冬でも。
打ち上げじゃなくて、手持ちでも。
“同じものを見上げる”なら、きっとまた、できます」
その言い方が妙に真面目で、
なんだか、泣きそうになるのを誤魔化す。
「……そうだな。やるか」
「はい」
フユミが、ほんの少しだけ微笑んだ。
「“打ち上げ”じゃない花火も、きっと楽しいです」
『それでは本日の花火大会、最後の連続打ち上げとなります――』
アナウンスが途切れると同時に、
空に向かって、一気に複数の光が、立て続けに走り出す。
――ドドドドドン。
「おおお……!」
誰の声か分からない歓声が上がる。
大きな光、小さな光、
色とりどりの花が、
夜空で次々と重なっては散っていく。
「……」
俺も、ただ黙って見上げていた。
右にも左にも、
大事な人たちの気配がある。
前にも後ろにも、
笑い声と、小さなため息と、
誰かの「綺麗」の声。
それら全部をまとめて、
“この夏の記憶”として、焼き付けておきたかった。
――楽しかったな。
素直にそう思った瞬間。
最後の一発が、
ひときわ大きな音と共に、夜空に咲いた。
――ドォン。
大輪の光が、
皆の顔を一度だけ、はっきりと照らす。
「……夏だなぁ」
思わず口から出た。
「夏ねぇ」
ナツキが、少しだけ力を込めて腕にしがみついている。
眩しくて、綺麗で、
すぐに消えてしまう。
ひどくて、騒がしくて、
でも、ちゃんと楽しい。
そういう夏だった。
そして、静寂。
少し遅れて、拍手と歓声が、
夜の空気を満たした。
「終わったなぁ」
「終わりましたねぇ」
「今年もいい花火だったわね」
◇
⑦ 普通に二人きりが大切な人
花火が終わると、
人の流れが、一斉に出口方向へ動き始める。
「じゃ、帰るかー」「二次会どうする?」「この人数で予約なしで店入るのやめよ?」「何組かに別れんべー」「コンビニ寄ってく?」「電車組こっち~」
ぞろぞろと歩き出したところで、
袖を、そっと引かれた。
「タマキさん」
「どした、フユミ?」
振り向くと、いつも通りの表情なのに、
どこか迷いのある目をしていた。
「我儘言ってもいいです?」
「いいぞ」
反射で出た。
フユミは、一瞬だけ驚いたみたいに瞬きをしてから、
ふにゃっと、少しだけ安心したみたいに笑う。
「普通に帰るだけでいいので……」
少しだけ、声が小さくなる。
「帰り道は、二人きりがいいです」
「わかった」
それだけ言うと、
フユミの肩の力が、少しだけ抜けたのが分かった。
「ナツキ」
「んー?」
「先帰ってて」
「はいはーい」
「フユミちゃん、気を付けてね~」
「にゃふ。お先に失礼します」
皆に軽く手を振って、
列からそっと抜ける。
夏の夜風が、ほんの少しだけ涼しい。
家まで歩いている間。
特別な会話は、ほとんどなかった。
「……」
「……」
特別、会話はない。
並んで歩きながら、
草むらから聞こえる虫の声と、
さっきまでの花火の余韻だけが、二人を包む。
少し歩いたところで、
フユミが、そっと手を伸ばしてきた。
裾から覗く指先が、
俺の手の甲を、遠慮がちに探る。
何も言わずに、
その手をぎゅっと握った。
「……にゃふ」
それだけ、小さな声が漏れる。
「今日、楽しかったですね」
「うん、浴衣、きつくなかったか?」
「正直、どう呼吸していいかわかりませんでした」
「可愛いぞ、着てくれてありがとうな」
「にゃふ……」
「うん」
「……花火、綺麗でした」
「綺麗だったな」
そんな他愛もないことを、ぽつぽつ話しながら歩く。
それだけ。
それ以上、何かするわけでも、言うわけでもなく。
「……」
「……」
時々、視線が交わる。
そのたびに、フユミは、少しだけ照れたように笑って、
すぐに前を向く。
それを横目で見ながら、
俺も前を向いた。
花火の音も、屋台の喧騒もなくて。
ただ、二人で、静かに夜道を歩く。
そんな帰り道。
あとは、本当に“何も起きない時間”だった。
信号待ちも、
コンビニの前も、
いつもの横断歩道も。
でも、
手を繋いで歩くだけで、
心のどこかが、じんわりと温かくなっていく。
アパートの前に着く頃には、
二人とも、特別なことは何も言っていないのに、
不思議と、胸のあたりが少しだけ満たされていた。
「……着きました」
「だな」
玄関前。
手を、そっと離す。
名残惜しさも、恥ずかしさも、
全部まとめてしまい込んで。
「にゃふ。ありがとうございました」
「こっちこそ。一緒にいてくれてありがとう」
「また、“普通に帰るだけ二人きり”お願いします」
「いつでも」
そう言って、顔を見合わせて、
小さく笑い合う。
それから、何事もなかったみたいに、
鍵を回して、部屋のドアを開けた。
◇
――ガチャ。
「「「おかえりー」」」
「……なんでだよ」
当たり前の顔で、部屋には既に人がいた。
リビングの真ん中では、
マシロ先輩が浴衣の帯を少し緩めながら、ソファにごろんと寝転がり。
「ふぃ~……動き回ったらお腹空いた~」
その隣で、マヨイ先輩が「帯、ほどきすぎないで」と苦笑している。
キッチンでは、アキハとイズミが冷蔵庫を開けて、
「プリンまだ残ってた?」「あるな」
「よし、打ち上げ第二ラウンドの準備するか」
と、完全に自宅モード。
テーブルには、
祭りで買ってきたらしいりんご飴や、焼きそば、唐揚げのパックが広がっていて。
「この部屋、何人まで入れるかな~って実験中です~」
メグミが悪びれもなく言う。
「実験すんな」
ソファの端では、カズネがクッション抱えながら、
「センパイ、帰り遅いですよ!! “二人きりの帰り道”とかズルないですか!!」
「お前だって、たまにバーからここまで二人で帰ってくるだろうが」
その向かい側で、ナツキが足を投げ出して座り込み、
「いや~、“どうせ最後ここ集合だろ”って思って鍵開けといた」
「思うな」
ちゃっかりと、浴衣の裾をたくし上げて足をぱたぱたさせている。
窓際では、リン先輩とシンジとコウメイ先輩が缶ビールを片手に、
「な?絶対こうなると思ったわ」「知ってた」「自明の理だな」
そして、キッチンカウンターにもたれかかって、
グラスに麦茶を注いでいるヒカリさん。
「おかえり、タマキくん」
「……ヒカリさんまで何してるんですか」
「“打ち上げ会場はこちら”って案内されたから」
「誰に」
「イズミくん」
「お前か」
「だってさ~」
イズミが肩をすくめる。
「どうせ皆、“最後タマキの部屋だろ”って思ってるんだから、
最初からそういう導線引いといた方がスムーズだろ?」
「お前の部屋の方が広いだろ」
「夏休み最終盤モードで集まるならこっちの部屋じゃん?」
言われてみれば、
ここ数週間、似たような光景を何度も見てきた気がする。
誰かの靴が並び、
誰かがキッチンを占拠し、
誰かがソファで寝転び、
誰かがゲームを始め、
それを見て誰かが笑う。
アキハが、タオルを放り投げてくる。
「ほら、汗ふいて。浴衣の女の子の隣は、ちゃんとした男子でいること」
「ありがと」
「はいはい、それじゃあ」
カオル先輩が手を叩く。
「まずは今日の浴衣反省会からね」
「反省会なの!?」
「来年に活かすのよ」
「恋愛戦線の配置転換と、来年の浴衣プランは別問題だからな」
コウメイ先輩が、なぜか軍議っぽいことを言い出す。
フユミも、いつの間にかちゃっかり座っていて、
さっきまでの“二人きり”は、もうどこか夢みたいだった。
思わず笑ってしまう。
わいわいと、
どうでもいい会話が続いていく。
浴衣の帯をほどきながら、誰かが台所でアイスを配り、
誰かが今日の写真を共有し、
誰かが沈殿ゾーンで寝転がりはじめる。
夏休みは、
あと少しで終わる。
――退屈しないハッピーエンド。
そこに辿り着けるかどうかは分からないけれど。
でも、こうやって皆で笑っている今だけは、
「まだ終わらないでくれ」と、
ちょっとだけ、子どもみたいに願っても、
誰も怒らないだろう。
少なくとも、
この夏の終わりは、ちゃんと“面白かった”って、
いつか笑って言える気がした。
「じゃ、タマキ。今日の女子全員の浴衣の感想言ってみようか」
カオル先輩が、悪い顔をした。
「嫌です!!」
俺の叫びが、部屋に響いて、
誰かの笑い声に飲まれていった。




