血の匂い
ベランダ越しからテレビのニュースを眺めている
「ねえ」
「切り裂きジャック事件ってさ」
「結局誰だったんだろうね」
ステフはベランダで煙を吐く。
「知らない」
凛花が振り向く。
「珍しいね」
ステフは続ける。
「ただ」
少しだけ目を細める。
「会っていたかもしれない」
凛花が止まる。
「……は?」
霧のかかった街。
イギリス。
この頃は、その話で持ちきりだった。
「まただ」
「女がやられた」
凛花が小さく言う。
「怖すぎる…」
狙われるのは、
貧困や病で弱った女性たち。
街は怯えていた。
人は夜に出歩かない。
それが普通になっていた。
ステフはその異様さに気付く。
「減ったな」
人の気配が。
凛花が言う。
「そりゃそうでしょ」
「こんな事件あったら」
ある夜。
とあるバー。
人もまばら。
静かな空間。
そこに、一人の男がいた。
長髪。
色白。
目は細く、どこか冷たい。
「大変な事になってるな」
男が言う。
ステフはちらっと見る。
「何がだ」
男は笑う。
「被害者達はさぞ無念だろう、だが私はジャックの気持ちもわからくもない
人が壊れる瞬間が好きだからね」
凛花が顔をしかめる。
「うわ、やば」
男は続ける。
「絶望した顔」
「泣き叫ぶ声」
「美しいと思わないか?」
凛花が即言う。
「思わない」
ステフも同じだった。
「ただのサディストか」
そう思った。
だが——
違和感があった。
凛花が小さく言う。
「何か違うの?」
ステフは少し考える。
「妙だった」
男に聞く。
「仕事は何だ」
男は答える。
「雑貨屋だ」
凛花が首をかしげる。
「普通じゃん」
だが——
ステフは気付く。
「血の匂いがした」
凛花の動きが止まる。
「……え」
ステフは静かに言う。
「強くはない」
「だが、確かにあった」
凛花がゆっくり言う。
「でも、雑貨屋なんでしょ」
ステフは頷く。
「だから妙だった」
男は席を立つ。
「またな」
それだけ言って、去っていく。
凛花が小さく言う。
「止めなかったの?」
ステフは答える。
「確証がなかった」
沈黙。
暫くしてステフはその街を離れる。
長居する理由もなかった。
移動の途中。
また耳にする。
「また殺された」
凛花が目を伏せる。
「続いたんだ…」
ステフは何も言わない。
時間が流れる。
数年後。
容疑者の話が出回る。
だが——
「あの男はいない」
凛花が顔を上げる。
「……え」
「顔を見た」
「だが、どこにもいなかった」
沈黙。
凛花がゆっくり言う。
「じゃあさ」
「本物だった可能性あるじゃん」
ステフは煙を吐く。
「かもな」
凛花が静かに言う。
「でも」
「匂いはしたんだよね」
ステフは頷く。
「した」
風が流れる。
凛花は腕をさする。
「……完全にやってんね。それ」
「ぞわっとする」
ステフは何も言わない。
ただ、夜を見る。
「あの時」
ぽつりと呟く。
「止めていれば、違ったかもしれないな」
凛花は何も返せない。
夜は静かだった。
だがその静けさの中に、
消えなかったものがあった。
血の匂いだけが、
記憶に残り続けていた。




