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第104話 雰囲気と酒の力を借りて(2)

 要は残りのつくねに齧り付いた。数回の咀嚼そしゃくで飲み下す。

 愛嬌のある垂れ目は刺々しくなり、堪え切れずに不満を零した。

「わかるわけないだろ。この姿で名前が撫子だぞ。なんで皆は納得してんだよ」

「あの、ありがとうございます。女性の目で、そのように見えることが、とても嬉しいです」

 隣にいた撫子は抑えた口調で微笑む。その言葉に引っ掛かることがあるのか。要は決まりの悪い顔となった。

「そう言われると微妙なんだよな。前に女性に告白してフラれてかなり落ち込んだし。今は拓光がいるから平気なんだけど。あとさ、ぼんじりを頼んでもいいかな」

「好きにしろ。ついでにもっきりのおかわりを頼む」

 綾芽は追い払うような手で言った。

 早速、テーブルにあった呼び鈴を押した。

「要は昔からそんな感じだったよねー」

「私は特に感じなかったが」

 美知とルチルは揃って要に目を向ける。

「おまえらはあたしの方が受け付けない。ごめん、諦めてくれ」

「そんな目で見たことないぞ! 締め落とされたいのか」

「ルチルってー、見た目はいいんだけどぉ、中身がヒグマさんだからねー」

「気高い私は時にヒグマのように雄々しく見えるのだろう」

 膨らみのある胸を突き出すようにして言い返す。美知は、えー、と間延びした声で驚きを表現した。

「股間のタワシは改善されたのねー」

「見たようなことをいうな! 元々が薄毛でぷっくりしているわ!」

 そこに若々しい女性従業員が現れた。腰が引けた状態で注文を聞くと小走りで戻っていった。

 全く気にしていない美知はルチルを小ばかにするような笑みを作った。

「口でならいくらでも言えるよねー」

「それを言うなら、お前も同じだろ」

「わたしのアソコの毛は薄くてぇ、色は艶々した赤貝ですぅ。そうですよねー?」

 話を振られた撫子は、え、と短く声を発して固まった。不自然に口角を上げて、悩んだ末に頷いて見せた。

「見せ合いっこをした仲ですからー。拓光君も知っているしー」

 女性陣の鋭い視線が全身に突き刺さる。

「それは、まあ、そうなんだけど。僕は見てないからね? 美知の背中が見えただけで、本当にアソコは見てないから」

「でもぉ、お尻は見られましたー」

「それは……見ました」

「どういう状況なんだよ」

 右隣にいた結愛は怒りの目を向ける。杏寿は押し退けるようにして上体を傾けた。

「私のお尻も見る? 前みたいに情熱的に揉んでもいいよ」

「杏寿さん、なにしてるんですか!」

 結愛の怒りを笑っていなす。

「小娘共が盛るな。坊やは大人の女性が好みだ」

「確かにおばさんも大人の女性に含まれていますよねー」

「皆さん、落ち着いてください」

 撫子が取りなすように言うと、割り込む形で女性従業員が注文の品を持ってきた。

「こちら、もっきりになります」

 テーブルの状態を見て綾芽の前へ差し出した。空になった物は手早く片付けて速やかに下がる。

「仕方のない連中だ」

 綾芽はグラスを傾けて升に中身を零す。持ち上げると口を付けて飲んだ。

 その時、もっこり? と結愛が小首を傾げて呟いた。

 耳にした綾芽は軽くむせた。酒で濡れた唇に店が提供した濡れティッシュを押し当てる。

「不意打ちのギャグはやめろ」

「もっきりでした?」

「そうだ、全く」

 声に反して目は笑っていた。

 間もなくしてぼんじりが届いた。要は笑顔で味を噛み締める。予想を超える美味さに感激したようで他の者にも串を勧めた。ルチルと杏寿が手を伸ばし、各々が上質の脂をうっとりして語った。

 雰囲気が格段に良くなった。僕はこの流れに乗ることにした。

「あの、皆に聞いて貰いたいことがあるんだけど、いいかな」

「体質の話なら知ってるぞ。あたしは気にならないけど」

 要は新たな串を摘まみながら言った。

「それもあるけど、それだけじゃないんだ」

「坊やにも、それなりに秘密があるのか」

 正面にいた綾芽は姿勢を正した。真剣な目で僕と向き合った。

「……いつから始まったのかはわからない。無臭に近いんだけど、異性に嫌われる体臭を放っているようなんだ。だから大学に入るまで、女性とまともに話したことはなかった」

「逆のように思えるんだけど」

 結愛は一同に目をやる。当然の反応に思えた。

 僕は背負っていたリュックのサイドポケットから香水の瓶を取り出した。皆に見えるように掲げた。

「この香水は調香師の祖父の作で爽やかな香りが気に入っている。元々は異性を魅了するために作られた物なんだけど、失敗に終わったようで」

「どんな香り?」

 訊いてきた結愛の掌に軽く吹き付ける。鼻を近づけて小刻みに吸った。

「拓光の匂いがする。でも、エッチな気分にはならないね」

「どんな匂い?」

 隣にいた杏寿に訊かれて結愛は掌を差し出した。全員に匂いを伝えるために立ち上がって嗅がせた。

「嫌いな香りではないが身体が火照るようなことはない。美知はどうだ?」

「そうですねぇ。いやらしい気分にはならないですねー」

「私も同じだ。あの強烈な劣情とは程遠い」

 綾芽は蠱惑こわく的な笑みをこちらに向けた。事務所に連れ込まれた時のことが頭を過る。身体に仕込んだ香水は微量なので周囲に目立った影響は与えなかった。

「この香水は単体では失敗作なんだけど、僕の特殊な汗と混じることで魅了の効果を発揮するようなんだ」

「それは本当なのか?」

 ルチルの声に、たぶん、と返した。

「祖父から聞いた話を鵜吞みにすれば、だけど」

「拓光君、皆がいるここで試してみましょうー」

 美知の提案を僕は受け入れた。実際に目にした方が早いと即断した。

 僕は掌に香水を吹き付ける。両手を合わせた状態で入念に擦り合わせた。

 右隣にいた結愛が不規則に揺れる。切なそうに口を開けて、しな垂れ掛かる。

「ダメ、これ、ダメだって……」

「そうだ、この突き上げるような、感覚だ」

 正面にいた綾芽の姿勢が崩れる。スーツのボタンを自ら外し、小さく息を荒げた。

 美知や杏寿、ルチルにまで匂いが伝わる。淫らな表情で自身の胸を揉み、僕に迫ってきた。一番、遠い位置にいた要も例外ではない。

「たっくん、チューして」

 甘えた声で立ち上がる。痴女として加わろうと回り込んだ。

 撫子は驚いた顔で僕に言った。

「これが全て、拓光さんの力なのですね」

「僕の特殊な体質と香水が合わさると、こうなるみたいなんだ」

 濡れティッシュで掌を擦る。魅了の力が薄れた。結愛はまだ影響下にいて、切ないよぉ、と吐息交じりの声を漏らす。

 店に悪いと思いながら僕はポットを掴み、片手ずつ冷水で洗い流した。目にした撫子は自前のハンドタオルを取り出し、濡れたテーブルを拭いた。

 騒動に発展する前に未然に防いだ。淫らな欲求から抜け出した者は席へ順に座り直した。

 元の状態を取り戻した。僕は彼女達を見回して重い口を開く。

「これが僕の言えなかったことなんだ。君達を巻き込んで悪かった。今日限りで恋人関係を解消してくれていいから」

「どうしてですかー?」

 美知は心底、わからないという風に疑問を口にした。

「だって香水の力だよ? 僕の魅力じゃない」

「香水の影響を受けていなくてもぉ、わたしは拓光君のことを想っていましたよー。切っ掛けはそうであってもぉ、今は関係ないですよねー」

 言いながら自分の胸を揉んでいた。

「あたしも解消なんてしないから。あの車内で見せた優しさは本物だよ」

「結愛は、それでいいの?」

「恥ずかしい思いはしたけど、あの時はあたしも悪かったし」

 優しさの一端に触れた僕は、ありがとう、と鼻を啜って言った。

「私も関係ない。拓光は本当の意味で、白馬の王子様だからな」

「ルチルも王子様ですよねぇ。BLですかー?」

「私は最初から純然たるお姫様だ!」

 ルチルは拳を握って叫んだ。

 左隣にいた杏寿は対照的にしおらしい態度を見せた。

「私は拓光君のとりこだから、香水なんてどうでもいい。とにかく淫らなことをこれからも一杯して欲しい」

「そういうことだ。卑下することはない。その力は坊やのものだ」

 綾芽は満足そうな笑みを浮かべた。

 最後に撫子が聖母らしく微笑む。

「私は何も変わりません。拓光さんが好きです。これからもよろしくお願いします」

「あの、本当にそれで」

 全員に訊き返す前に複数の足音が邪魔をした。只事ではない急接近にルチルと要が瞬間的に席を立つ。

「なんだよ、一体!」

「邪魔だ!」

 太い腕が要を押し退ける。黒いスーツを着た大柄な男が現れた。屈強な者達が続々と加わる。一様に僕の方へ視線を向けて目をぎらつかせた。テーブルに香水の瓶を置いていたのを見られた。

「それを寄越せ!」

 伸ばした手を杏寿のアッパーカットが撃ち落とす。時間を稼ぐことはできるが、肝心の逃げ場所がない。立ち上がろうとした撫子と美知は肩を上から押さえられた。

 綾芽はスマホで配下の者に指示を与える。だが、間に合いそうにない。

 相手を引き付ける為に僕は叫んだ。

「わかりました! 乱暴はやめてください!」

 残りの香水をリュックのサイドポケットから取り出した。吹き付ける先端部分を回して取り外す。

「何をするつもりだ」

「こうするんです!」

 三本の香水の瓶を引っ掴み、口に押し込んだ。垂直にあおると濃厚な甘さに溺れた。口の中は熱く痺れ、同時に頭の上が涼しくなる。

 視界の端が焦げるように黒ずむ。ブラックアウトする直前、何度も名前を呼ばれた。絶叫するような声には、ただ悲しかった。

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