第103話 雰囲気と酒の力を借りて(1)
狭苦しい階段の先に焼き鳥屋はあった。自動ドアの前に立つだけで香ばしい匂いに包まれる。思わず深呼吸をして中へと入った。
閉じ込められていた賑やかな声が一気に溢れ出す。笑い声が重なって赤ら顔の陽気な人々が目に留まる。
左手のカウンター席の奥から、いらっしゃいませ、と威勢の良い声が飛んできた。注文を取り終えた女性の従業員が僕に気付き、小走りで対応した。
「おひとり様ですか」
「違います。僕を含めて八人になると思うのですが。木下という女性は来ていませんか?」
テーブル席を中心に目をやる。それらしい人物は見当たらなかった。通路の奥が曲がっているので、その先にいるのかもしれない。
「姐御の関係者の方ですか」
訊かれてカウンター席の奥に目を向けた。
黒いタオルを頭に巻いた男性が身を乗り出す。三十代の半ばくらいに見える。店主だろうか。
「そうです。菅原拓光と言います」
名前を告げた途端、男性は近くにいた一人に早口で指示を出す。慌てた様子で出てきて、頭のタオルを取り去った。
「あなたがそうでしたか。ご案内、致します」
「持ち場を離れて大丈夫ですか?」
「若手の教育はきっちりしていますので。それに姐御の将来の、ゴホン……どうぞ、こちらへ」
滑った口を即座に修正して速足で奥へ向かう。
左手に回り込むと空間が広がった。賑やかな声は遠のき、別の話し声が聞こえてきた。
「飲むペースが早いと思うんですけどー」
間延びした声で美知とわかる。竹で編み込まれた衝立に目をやる。おそらく綾芽に言っているのだろう。
「自分を曝け出す為には必要だ。今日の私は全てを語る覚悟できた」
「それはわかるのですが、少しは食べられた方が良いと思います」
撫子がやんわりと諭すように言った。
「つくねを三本、追加してもいいかな」
「今日は私の奢りだ。好きにするがいい」
「太っ腹な女神に感謝だな!」
衝立から勢いよく顔を出したのは要であった。案内する男性を見つけると指を三本立てた。
「わかりました。それと菅原さん、先に言っておきます」
「なんでしょう」
「姐御個人は素晴らしい人です。この店を持たせてくれて、しかも恩着せがましいところを一切見せない。厳しい世界に身を置いていることもあって、非情を装っていますが、本当に良い人なんです」
男性は自分のことのように熱弁した。
「……それくらいにしてくれないか。折角の酔いが醒めそうだ」
綾芽の揺れるような声に、失礼しました、と男性は深々と頭を下げた。見えない位置にいても、その声で伝わるのだろう。不満の声は聞かれなかった。
「それではこれで」
目礼した男性は急いで持ち場へと戻っていった。
僕は一同が揃うテーブルの脇に立った。
「やっと来たか。こちらに座るといい」
ルチルは席を空けた。隣にいた結愛が自分の皿を持った状態で出てきた。杏寿はグラスを片手に持ち、どうぞ、と僕に微笑んだ。
「ありがとう」
好意と素直に受け取り、壁際の席に着いた。正面には白いスーツを着た綾芽がいた。升に入ったグラスを口に運び、残りを全て飲み干した。
隣にいた美知は軽く掌を合わせる。
「全員が揃ったのでぇ、そろそろ始めましょうー」
美知は隣に目をやり、話を促す。撫子は心配そうな顔で見守る。通路側にいた要は注文したつくねが気になるのか。頻りに後ろを気にした。
咳払いをした綾芽は背筋を伸ばす。真っすぐの視線を僕に向けた。
「ようやく腹が決まった。回りくどい言い方は無しだ」
「私は事情を知っているが黙っていよう」
ルチルは手前に置かれたグラスを手に取った。黄金色の液体はジンジャーエールだろうか。目を細めて喉に流し込む。
「私の家族はヤクザではない。父の父親が組長をしていた。家族はその恩恵を受けてかなり贅沢な生活を送っていた」
事情を全く知らない結愛と杏寿は少し身を引いた。驚きを隠そうとしてぎこちない笑みでひくつく。
「その祖父が急性心不全で倒れた。一命は取り留めたが息切れが酷くて組の為に動くことができなくなった」
「跡目争いが起きそうですねぇ」
ルチルは首を傾げた状態で一本の焼き鳥を摘まむ。
「そうなる前に新しい組長を決めなければいけない。私の父は頑なに拒んだ。弟の隆志は中学生でとても任せられない。そこで私が名乗り出た。祖父を金銭的に利用しておいて、困った時には見捨てる。そのような態度が許せなかった」
「……もしかしてサークル員の木下さんの、お姉さんなのですか?」
怖々と訊ねる撫子に、そうだが、と綾芽は平然と答えた。
「今は組の看板を大々的に掲げてはいない。環境関係の株式会社として活動しているが、その本質は変わっていない」
「昔と同じで姐御は優しい人です。路頭に迷い兼ねない組員をまとめ上げ、会社として機能させています」
先程の男性が言葉を継いだ。要の前につくねの皿を置くと、見咎められる前に速やかに歩き去った。
「これが今の私の全てだ。坊や、どう思った?」
「もっと血生臭いことを想像していました。でも、安心しました。僕が知っている綾芽さんと同じ印象で」
「あやっちの気持ち、よくわかるよー。おじいちゃんっ子なんだね。わたしはおばあちゃんっ子だから、本当にわかるよぉ。ああー、麗しき同士よー」
美知は綾芽に身体を寄せる。自然な動作で肩を組んだ。
「この場面で私の胸を揉む意味があるのか?」
「なんとなくー」
ルチルは鼻で笑った。
「見慣れてきて怒りも湧かない。おそろしいものだ」
「あ、あの、このような機会はそうはないと思うので、私もカミングアウトしてもいいでしょうか」
遠慮がちに撫子が言った。それでいて目に迷いは見られず、強い意志が感じられた。
美知は態度を改めて座り直す。
ルチルはグラスの残りを飲み干した。
結愛と杏寿は脅威に備えて身を固くする。
肩の荷が下りた綾芽はリラックスした状態でいた。
要だけは不思議そうな顔で、なんだ? とつくねを食べながら言った。
「知っている人もいると思いますが、私は身体が男性で心が女性になります。女性ホルモンを意識して摂取していることもあって、身なりは女性らしく見えますが」
「まあ、そうだよねー」
「やはりな。妙に女性らしいと思っていたが、想像通りだったな」
ルチルに驚きはなかった。結愛と杏寿はまじまじと見て、どこか納得したような顔で背もたれに背中を預けた。
事前に調べていた綾芽に変化は見られない。
ただ一人、要は唖然とした顔で固まった。咥えていたつくねをぽろりと皿に落とす。
「え、マジで!? 全然、わからなかったぞ。身体を改造したあとだったりする?」
「まだ、です。その予定はありますが」
「うっそー。まんま女じゃねーか。皆もびっくりだよな」
要は周囲を見回す。そのことが更なる驚きを呼び込んだ。
ほぼ全員から、鈍すぎる、とツッコまれるのだった。




