表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/105

第102話 相手の正体(3)

 自室のベッドの縁に座る。俯いた拍子に握ったスマホに目がいく。勝手に緊張感が高まり、一度、大きな息を吐いた。

 少しすっきりしたところで指を動かし、スマホを耳に当てた。呼び出し音の回数を心の中で数える。掌がじんわりと汗で湿ってきた。

『……誰だ』

 祖父のいかめしい声に生唾を呑んで僕は答えた。

「拓光です」

『香水は持っているのだろうな』

「持っています。それよりも今日の行動について説明してください」

 ふつふつと湧き上がる怒りで意外と口が滑らかに動いた。

『それは俺のセリフだ。彼女が奇跡的にできたことは直に聞いた。まさか七人も囲うハーレムを築いていたとは、全く知らなかったぞ』

「それについては、その、偶然というか。僕もこの状態にびっくりしていて」

『拓光よ。お前が関わったことで悲願である、女をとりこにする香水は完成した。元は俺の作った香水だ。使い切っていないのならば、こちらに一本、速やかに渡せ』

「……完成したとは、どういう意味ですか」

 極度の興奮で頭の中が脈打つ。そこに揶揄やゆを含んだ忍び笑いが聞こえてきた。

『実に白々しい。それだけの奇跡を繰り返していながら、本気で誤魔化せると思っているのか? それに拓光にとっても悪い話ではない。破棄したデータを再び得られれば今後も安定して香水を提供できるぞ。どうだ?』

 香水は使えばいつかは尽きる。金の切れ目と同じで彼女達との縁を失うかもしれない。関係が深まる程、その危機感は色濃い不安となって僕に執拗しつようまとわり付いた。

「悪用するつもりですか」

『拓光と同じ使い方をするだけだ。それにしても盲点だったぞ。もっと早くに気付いて真摯しんしに取り組んでいれば、ここまでの回り道をすることはなかった。だが、これで長年の夢が叶う』

 しみじみと過去を振り返る。思い入れのない僕としては反応に迷う。そこで勝手に話を進めることにした。

「あのぉ、香水だけならすぐにでも渡せますが」

『まさか、本当に理解していないのか? お前の体臭と香水が混ざることで劇的な変化をもたらし、初めて香水は完成するのだ。ここにきて汗の採取を拒んだりはしないと思うが』

 過去、祖父は僕の体臭の再現を試みた。一流の調香師を自負する祖父でも解明できなかった。その未知の成分に香水が加わると、負の作用を打ち消すどころの話ではない。口ぶりから考えて異性を魅了する絶大な力を発揮するらしい。思い当たる場面が次々と頭に浮かぶ。

「……少し考えさせてください」

『香水の破棄は許さんぞ』

「もしもの話ですが、それを実行したらどうするつもりですか?」

『脅し文句ではないが、拓光のハーレムを内側から崩壊させる。手荒な真似はしない。彼女達に事実を教えるだけだ』

 僕は言葉を失った。大きな喪失感に似ていた。

 ごく普通の言葉に打ちのめされて視界がぼやける。思考力は鈍り、波のような悲しさが何度も心に打ち寄せた。

『すまんな。俺の長年の夢なんだ。期限は今月末とする。よく考えて答えるのだぞ』

 通話が切れた瞬間、僕はゆっくりと後ろへ倒れた。


 ここまでの結果として、僕は彼女達を騙したことになるのだろうか。香水の力で相手の感情を自由に操り、欲望のはけ口にしようとしている、とは思いたくない。祖父の話が事実だとしても、僕自身に悪気はなかった。


 心の中の弁明は言い訳がましく、自分の本当の気持ちとわかっていても受け入れ難いものがあった。香水を利用して彼女にした。この部分は変わらないし、捻じ曲げることもできない。揺るぎない事実として胸中に根を下ろしていた。

 そのような時に涼し気な音が鳴った。自分を追い詰める思考は途切れ、寝っ転がったままスマホを顔に近付けた。

 アプリを使って送られてきたメッセージを表示させる。


『綾芽だ。集まる場所と日時を伝える。坊やには包み隠さず、私という人物を語りたいと思う。そして全てを受け止めて欲しいと願っている。この場での返信は不要だ』


 覚悟を決めた文章に僕は恥じ入るように目を伏せた。

 階下から母の呼ぶ声がした。夕飯の時間らしいが、はっきりとは聞き取れない。食欲も全然なくて、死んだように眠りたかった。

 その思いに反してスマホの画面に目をやる。軽い衝撃を受けた。運命という言葉を強く意識した。

 今月の末日が視界に飛び込む。祖父の期限と被っていた。

 二つの選択肢を同時に突き付けられた僕は、階下の母の声を無視して死んだように眠りについた。


 うわの空の状態で大学に通い、明後日から夏休みに突入する。夏期講習を受けても一か月半近くの休みがある。バイトが頭を過ったが、今はそれどころではなかった。

 今日は月曜日で末日に当たる。綾芽に指定された場所へ午後六時に何事もなく到着した。大学から直行したので背中にはリュックを背負っている。ファスナー式のサイドポケットには三本の香水が収められていた。家への襲撃とも取れる祖父の行動から学んだ。大切なものは肌身離さず持っていた方がいいと。

 服装はTシャツと七分丈のズボン。夏の定番というのか。代わり映えのしない格好だった。

 改めて手前の雑居ビルを眺める。二階の窓に焼き鳥屋の店名がでかでかとあった。アプリに書かれた名と一致した。

 高級なところをイメージしていたので逆に驚いた。見た目と違って中は広いのだろうか。入ったことのない店もあって微量の香水を仕込んではいた。

「……行くかな」

 道路に面した狭い階段に向かって歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ