3話
それからの僕は、荷物をさりげなく持ってみたり、車道側を歩いてみたり、アニメやゲームの話をして「ほら僕、男の子です!」感を出してみたけど。
……ぜんっぜん、だめだった。
というか、今振り返ってみたら、人生初めての彼女と一緒に下校するっていう一大イベントをなんか、……もったいない感じで消費してしまった気がするけど。
……うん、今はもうそういうのはいいとして。
……どうしてこうなった?
「……奏多、どうしたの?」
「いや、えっと、エレナ……ここって」
「私の家だけど」
さらっと、とんでもないことを言われた。
……いやいやいやいや!
付き合って初めて行く場所がそこなの!?
もっと順序ってものがあるでしょ!?
二段飛ばしとかそんなレベルじゃない。
これはもう七段飛ばしだよ。
……でも、あのね。それもあるんだけど。
空を突き上げるみたいにそびえ立つ建物を、僕はぽかんと見上げた。
……うん、すんごい高い。
これ、あれだ。タワマンってやつだ。
高校生になったばかりの僕でも分かる。
ここ、とんでもない場所だ。
朝ヶ峰高校の最寄り駅。
しかも県内でも有数のターミナル駅のすぐ近く。そんな一等地に建ってるところが、エレナの家。
わあ、ブルジョワだね、すごいね、なんて軽く流したいけど。
流したいんだけど――普通に内心ドン引きだった。
エレナの隣に並べるようになりたい、とは思った。でも、これはなかなか厳しい。
隣に並ぶどころか、まず同じスタートラインに立つことすら難しそうだ。
まるで貴族と平民。そんなレベルの差に思えた。
――そんな場所に住んでいるということは、つまり。
「……っ、高いよぉ〜〜……」
僕はエレナの部屋から一望できる街の景色に、膝を震わせていた。
「奏多、平気?」
「僕、高いとこ苦手……」
顔をのぞき込んでくるエレナに、僕は半泣きのまま答える。
普通の人ならこの高層階からの景色を見たら、『見ろ、人がゴミのようだ。ハッハッハッ!!』って、言う人もいるかもしれないけど。
……残念ながら僕には無理です。
中学二年のとき、家族で東京スカイツリーに遊びに行った時、そこで初めて自分が高所恐怖症だと知ったんだった。
あのときは本当にやばかった。
景色を楽しむどころか、その場に立ってるだけで足がすくんだくらいだ。
エレナの家がタワマンだと分かった瞬間から、ものすごーく嫌な予感はしていた。
……そして残念ながら、その予感は見事に当たった。
案内された先は、当然のように高層階だった。
「じゃあ、閉める」
……おお、すごい。
エレナがどこからかリモコンを取り出すと、窓のカーテンが自動で閉まっていく。
景色が見えなくなっただけで、少しだけ呼吸が楽になった。
これでようやく落ち着ける――
……と思ったのだけと。
改めて部屋の中を見回した僕は、またしても固まる。
……広い。
……広すぎる。
なんかここで普通にキャッチボールできそうなんだけど……。
僕は再び、内心そっとドン引きした。
しかしリビングの中を見て、僕はふと首をかしげた。
……あれ。
なんか、ちょっとごちゃごちゃしてない?
めちゃくちゃふかふかで、見るからに高そうなオーラを放つソファの上には洋服や雑誌が積まれ、気品あふれるテーブルの上には、その雰囲気にまるで似つかわしくない空のカップ麺やコンビニ弁当の容器、ペットボトルがいくつも並んでいる。
要するに――めっちゃ散らかっている。
「……ごめん。汚かったね」
「……あはは」
苦笑いするしかなかった。
「奏多がここに来るなんて思ってもなかったから」
エレナは申し訳なさそうに視線を落とす。
「……片付けてからでも良かったんじゃない?」
でも、片付け終わったあとに改めて招かれるのも、それはそれで恥ずかしい。
だって、女の子の家だし。
……いや、待てよ。
高さトラップに、このリビングの散らかり具合。
ぶっちゃけ今、僕の中で「女の子の家に来た!」感がちょっと薄れてる。
……そう考えると、むしろこの状態でよかったのでは?
「告白しても、断られるだけだと思ってたから……浮かれてた」
……oh。
なんか今、すごく恥ずかしいことを言われた。
「これ、ご両親に見つかったら怒られない?」
……いや、むしろこの状況を放置してる親御さんは何してるんだろう。
「お父さんとお母さんは、家にはいない」
「えっ」
「二人とも海外で働いてるから。うちには、ほとんど帰ってこないの」
こんな広い家で、ほとんど一人暮らし状態ってこと……?
……僕だったら無理だ。
こんな広いところに一人でいたら、寂しくなる。
「……寂しくないの?」
「姉さんがいるから」
……あ、お姉さんがいるのか。
そりゃそうだよね。こんな女の子を一人きりにして、親御さんが海外に行けるわけないか。
「……まあ、姉さんも仕事でほとんど帰ってこないから、一人とあまり変わらないけど」
エレナは平気そうに話すが、どこか寂しそうに見えた。
「大変なんだね。エレナのお姉さん」
「……うん。自分の会社につきっきりみたいで」
……まさかの、そっち!?
働かされる側じゃなくて……会社を回す側なの!?
そ、そりゃそうか。
こんな立派な家に住んでるんだし、お姉さんもすごい人なんだろうけど……。
……なんか、とんでもないな。エレナの家族。
「……でも、それ聞くとやっぱり寂しいじゃない?」
「……慣れたから平気。それに――」
エレナは僕を見ると、やわらかく微笑んだ。
「今は奏多がいるから」
……なんかこの子、笑顔ですっごい恥ずかしいことをさらっと言ってくるぞ。
……なんて強キャラなんだ。
うぅ、いかん。いかん。
このままだと完全に押し負ける。
……よし。
気を紛らわせよう。
「なら、今からお掃除しましょう」
「えっ」
エレナはぽかんと口を開いた。
「こんな中で生活してたら、いつか体調崩すよ」
「うぅ……」
「そんなエレナを見たくないので、ちゃちゃっと片づけちゃいましょう」
「……奏多が言うなら。わかった」
――となると、どこから手をつけるか。
とにかく家が広い。
リビングだけじゃなくて、部屋もいくつもある。
「エレナは自分の部屋のいらないゴミを集めて。僕はリビングのほうをやるから」
「わかった」
「エレナの部屋以外の個室も掃除したほうがいい?」
「……たぶん、ほこりはかぶってると思うけど、ここみたいに物で散らかってはいないわ」
「なら、今回は後回しにしよっか」
……あとは、そうだな。
「洗濯するものを集めて、先に回しちゃいましょう。……干す場所ってある?」
エレナは小さく首を振った。
「……干すところはない。でも乾燥機はある」
「なら問題なしです。乾燥機で乾かしちゃいましょっか」
よし。作戦会議終了。
さて、まずはリビングからだ。
まず目につくゴミから片づけようと思ったのだけど。……ゴミ袋を探してもらうだけで、なぜか10分かかった。
よし、テーブルの上から。
コンビニ弁当の容器に、カップ麺の空き容器。
……スープ、飲み干してるのかな?
あ、ペットボトルは別でまとめないと。
じゃんじゃん袋に放り込んでいくと、それだけでもテーブルは少しずつ本来の気品を取り戻していく。
さて次はソファの上だ。
置きっぱなしになっていた雑誌をひとまずまとめて、あとでエレナにしまう場所を聞いておかないと――
って、靴下脱ぎっぱなしだ!
雑誌の下に隠れていた靴下をつまみ上げる。
さらに、同じように放り出されていた部屋着も回収して、僕は一度、洗濯機のある洗面所へ向かおうとした。
……ん?
ふと、ソファのクッションの下から、何か紐みたいなものが少しだけ見えているのに気づいた。
……なんだろう。
とりあえず、えいっと引っぱり出してみる。
すると――
黒いレースのブラジャーが、するりと姿を現した。
……ははっ。
ブラがぶらーん、ってなんちゃって――
って、ええぇぇぇえええっ!!!??
ど、ど、ど、どうしよう。
こ、これまずい。
こんなの、まったく想定してなかった!
これ、誰の!?
いや、こんな家にあるってことは、エレナの……?
エレナのっ!?
頭の中が、沸騰したやかんみたいにぶわっと熱くなる。
「……奏多」
「ぴゃいい!!」
不意に真横から声をかけられて、僕はびくっと飛び跳ねた。
な、何か言わないと……!
と、とりあえず何か……!
「いや、これはその……」
……駄目だ。
頭の中が真っ白で、全っ然言葉が出てこない。
「……あなたには、それは大きすぎる」
「…………」
えっと。
何が……何が大きいの?
ふと一瞬だけ冷静になって、エレナの視線を追う。
やわらかく微笑む彼女の目線の先は――僕の胸だった。
……って。
「僕は男ですよ!!!」
「……大丈夫」
――何が!!?
「と、とりあえずこれ、洗濯機に持っていってくださいっ!!」
僕は持っていた服やブラジャーをまとめて、ずいっとエレナに押しつけた。
「……奏多」
「な、なんですか」
まだあるの!?
さっさと持っていってよ……!
さっきエレナのブラジャーを見つけたことを思い出して、僕はもう、あの、その……エレナのことをまともに見られない。
熱くなった体を落ち着かせようと、僕は大きく息を吸って、吐く。
「……そこのソファのクッションのところ。まだパンツもあるはず」
「パッッッッッッ!?」
「それも取って」
僕はぎゅっと目を閉じたまま、クッションの下を手探りで探る。
すると、指先にやわらかい布の感触が触れた。
それをつまみ上げると、僕は見ないまま、そのままエレナに向かって放った。
「……痛い」
「あっ、ごめん……って、いいから早く持っていって〜!」
半ば追い出すようにして、エレナをリビングの外へ出す。
あぁ……なんか、まだ手にさっきのパンツの感触が残ってる気がする。
……駄目だ駄目だ。
とにかく、一刻も早く忘れたい。
これ以上意識すると、男としていろいろまずいことになりそうだから。
僕は気を紛らわせるように、一心不乱に掃除を続けた。
……これでよし。
リビングにキッチン、トイレ――その他もろもろ片付け終わった頃には、部屋はそこそこ見違えるくらいには綺麗になっていた。
もし掃除にうるさいおばさんが見たら、まだここにホコリあるだろうがよ!!』って怒られるかもしれないけど、今日は平日の放課後だ。そこは許してほしい。
……まあ、でも。
近いうちにまた来て、細かいところまでやっておきたいな。
ふと、壁に掛かった時計が目に入る。
……あ。もう十九時か。
結構、時間かかっちゃったな。
スマホを取り出すと、お母さんから『今日、遅くなるの? ご飯は?』とメッセージが届いていた。
あぁ、そうだ。
夜ご飯、どうしよう。
……このまま僕が帰ったら、エレナのことだし、またコンビニ弁当とかカップ麺で済ませそうなんだよね。
お母さんに返事をしようと、トーク画面を開く。
今日は――
……って、あれ。なんて書こう。
彼女とご飯食べるから大丈夫、って書くか……。
いやいや、なんか恥ずかしいな。
うん、ここは友達とってことにしておこう。
僕はささっと文字を打ち込んで、お母さんに返信した。
……さて、近くのスーパーにでも買い出しに行こうかな。
「……奏多」
「ん、なに?」
ひょこっとソファの背もたれから顔をのぞかせたエレナに、僕は返事をする。
「今から注文しようと思うんだけど」
あ、こら。
思ったそばから、何か出前を取ろうとしてる。
「ピザとかどう?」
「あっ、食べる。食べる〜」
うん、うん。
今回はいいよね。お掃除したし。
……ピザ、食べたい。




