「あら、よろしく頼むわね♡」――エロすぎる保護者(ウルミ)の電話対応と、ぼっちの登校
通い慣れたはずの通学路が、今日ばかりは処刑台へと続く道に思えた。
俺の横を歩くのは、完璧に着こなした女子制服姿のウルミ(偽名:ルミ)である。道行く男子学生たちが、すれ違いざまに俺たち姉妹(?)を二度見、三度見していく。
「……なぁ、本当にこれで大丈夫なのか?」
校門が視界に入ってきたところで、俺はたまらず足を止めた。
「戸籍も住民票もない俺が、紙切れ一枚で転校生として潜り込めるわけないだろ。バレたら不法侵入で警察沙汰だぞ」
「あら、私の魔法を甘く見ないことね」
ウルミは鼻で笑い、学生鞄からクリアファイルを取り出して俺の胸に押し付けた。
「あんたの部屋にあった過去の学校書類をベースに、認識阻害の術式を編み込んで書き換えた特製の転入届よ。一般人の脳なら、これを見ただけで『正規の手続きを踏んだ書類』だと錯覚するわ」
「そ、そうなのか……。じゃあ、一緒に職員室へ――」
「行かないわよ」
ウルミは校門の手前でピタリと足を止めた。
「は!? なんでだよ! 一緒に入って説明してくれないのか!?」
「私はここで待機よ。双子の姉が付き添うより、大人の『保護者』が電話越しに挨拶した方が、教師どもは納得しやすいでしょう?」
ウルミは自分のスマホ(俺が昔使っていたお下がり)を揺らしてみせた。
「あんたは一人で校長室に行きなさい。書類の『保護者連絡先』にはこの番号を書いておいたから。……さあ、そういうわけだから、日当を頂こうかしら」
「日当?」
「近くに雰囲気のいいカフェがあったのよ。あんたが手続きをしている間、優雅にモーニングを楽しみたいの。昨日の稼ぎ、たっぷりあるんでしょう?」
ウルミは悪びれもせず、スッと白い右手を差し出してきた。
こいつ、最初からこれが目的か! と喉まで出かかったが、ここで機嫌を損ねて電話に出てもらえなくなったら完全に詰む。俺は血の涙を流す思いで、財布から一万円札を引き抜いて彼女の手に握らせた。
「……絶対、ボロを出すなよ」
「ふふっ。いってらっしゃい、哀れな子羊」
カフェへと消えていく白髪の後ろ姿を見送り、俺は重い足取りで校門をくぐった。
校長室の空気は、息が詰まるほど重かった。
革張りのソファにポツンと座らされた俺の目の前には、白髪混じりで厳格な顔つきをした校長と、なぜか同席している俺の担任(元)である千歳先生が座っている。
◆◆◆◆◆
「……ふむ。西川ヒナさん、ですね」
校長は手元の書類――ウルミが偽造した転入届――を、眉間にシワを寄せながらじっくりと眺めている。
俺は膝の上で両手を強く握りしめ、視線を泳がせないように必死に前を向いていた。制服の下を嫌な汗が幾筋も流れていくのが分かる。
「急な転入の件、書類の不備等は見当たりませんが……やはり、ご両親が本日はお見えにならないというのは、少し気がかりですね」
校長が探るような目で俺を見た。
「あ、えっと……! りょ、両親は海外赴任中でして……その、手続きなどは全て、日本にいる姉(保護者代理)が……っ」
声が裏返りそうになるのを必死に抑え込む。
「なるほど。では、確認のため、そのお姉様にご挨拶をさせていただいても?」
「は、はい! もちろんです!」
校長がデスクの固定電話に手を伸ばし、書類に書かれた番号をプッシュする。
ツルルルル、という無機質な呼び出し音が、校長室に響いた。
(頼むウルミ! 普通にしてくれ! 絶対に「羽虫」とか「豚」とか言うなよ!?)
俺が心の中で神(悪魔かもしれないが)に祈りを捧げた、その時。
『――はい。西川でございます』
スピーカー越しに響いたその声に、校長室の空気が一変した。
深く、艶やかで、それでいて有無を言わせぬ絶対的な気品を持った大人の女性の声。さっきまで俺を脅上げ取っていた横暴な妖精と同一人物とは到底思えない。
「あ、も、申し訳ありません。私、本校の校長を務めております、松山と申します。ヒナさんの転入手続きの件で――」
『あら。校長先生自ら、わざわざお電話を?』
ウルミの声音が、ふわりと柔らかく波打つ。
『本来ならば私が出向いてご挨拶すべきところを……多忙を理由に妹を一人で向かわせるような真似をしてしまい、本当に申し訳ありません。先生方には、ご不快な思いをさせてしまったのではないかと……』
鼓膜を優しく撫でるような、甘く落ち着き払った声。
だが、その底には『これ以上、余計な詮索はするな』という冷たい圧が確実に混ざっていた。
厳格だった校長の顔に、明らかな動揺が走った。
百戦錬磨の教育者ですら、電話越しの声だけでペースを完全に呑み込まれている。
「い、いえ! とんでもない! ヒナさんは非常にしっかりとしたお嬢さんですし、書類も完璧に揃っております! 何の問題もございませんよ!」
校長の態度が、先程までの疑心暗鬼から一転して、妙に低姿勢になった。
『ふふっ……それを聞いて安心いたしました。妹は少し人見知りなところがありますが、どうか……優しく、導いてやってくださいね? 校長先生♡』
「は、はいっ! 我々教職員一同、全力でサポートさせていただきます!」
ガチャリ、と電話が切れる。
校長は小さく息を吐き出し、額に浮いた汗をハンカチで拭った。
「いやはや……非常に品格のある、立派なお姉様ですね」
「……ええ。本当に」
隣で聞いていた千歳先生も、完全に毒気を抜かれたような顔で頷いている。
俺は心の中で特大のガッツポーズを決めた。ウルミの奴、一万円分の仕事はきっちりこなしやがった! これで俺の潜入は完璧だ!
「さて、西川さん。改めてよろしく」
千歳先生が立ち上がり、俺に向かって微笑みかけた。昨日、俺(火乃)に課題の提出を迫って殺意を放っていた時の鬼の形相が嘘のような、優しい笑顔だ。
「あなたのクラスは、私が担任を受け持つ2年B組よ。さっそく教室へ行きましょうか。もうすぐホームルームが始まる時間だから」
「はいっ。よろしくお願いします、千歳先生」
俺はペコリと頭を下げ、千歳先生の後に続いて校長室を後にした。
足取りは軽い。最大の難所は越えたのだ。あとは、おとなしく目立たないように教室の隅で息を潜めていれば、俺の平和な偽装学園生活が保証される。
◆◆◆◆◆
「――紹介するわ。今日からこのクラスの仲間になる、西川ヒナさんよ」
千歳先生の言葉と共に、教室の空気が一瞬だけ完全に静まり返った。
そして次の瞬間、大爆発が起きた。
「うおおおおおっ!! マジかよ!!」
「西川ちゃん転校してきたあああ!!」
「神よ! 俺たちの祈りが通じたぞ!!」
クラスの男子たちが一斉に立ち上がり、雄叫びを上げる。
特に一番後ろの席にいる猪祐と繁倉の狂乱っぷりは酷かった。あいつら、昨日は俺(火乃)を窓から吊るすとか言ってた癖に、今は涙を流しながら拍手喝采している。
――そして、地獄のような午前中の授業がどうにか終わった。
昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。
俺は机の上に、今朝コンビニで買っておいたパンと紙パックの紅茶を広げた。とりあえず、なるべく誰とも目を合わせず、ひっそりと食事を済ませる作戦だ。
だが、安らぎの時間は長くは続かなかった。
「おい、繁倉」
前の席に座っている繁倉のところへ、見慣れた大柄な男子――猪祐が、自分のスマホを片手に歩み寄ってきた。
「見たかよ、昨日のアーカイブ。お前が夜中にLINEで騒いでたやつ」
「フッ……当然だ。この俺が、あの白銀の天使の降臨を見逃すはずがなかろう」
ビクッ。
パンを齧りかけていた俺の肩が、無意識に跳ねた。
(い、猪祐と繁倉のやつ……ッ! 俺の昨日の配信(VTuber枠)の話をしてやがる!)
「いや、マジでビビったわ。ヒノの部屋にあんなエグい美少女が隠れてたなんてよ。俺、速攻で一万投げちゃったぜ」
「愚かな。俺は『銀縁の探求者』の名で、五千円を二回に分けて投げることで認知度を高めたぞ」
(お前らかよ!? ていうか猪祐、お前一万円も投げたのか!? お前の今月のお小遣い、もう残り少ないだろ!)
俺は心の中で強烈なツッコミを入れながらも、必死に無表情を取り繕い、ストローで紅茶をちゅーちゅーと吸い続けた。
大丈夫だ。昨日の俺(夏海ちゃん)は白髪で赤目だった。今の青銀髪の俺とはパッと見の印象が違う。バレるはずがない。
そう高を括っていた、その時だった。
「でもさ……」
猪祐がスマホの画面――舌を噛んで涙目になっている昨日の俺の顔――を拡大しながら、ポツリと漏らした。
「髪と目の色は違うけどよ。この『夏海ちゃん』って子……動画の後半でパニックになってる時の顔、どこかで見たことねえか?」
「……む?」
繁倉がメガネのブリッジを中指で押し上げ、猪祐のスマホを覗き込んだ。
「言われてみれば、確かに。……この輪郭、そして涙目でオドオドしている時の情けない表情の作り方……」
「だろ? なんつーか、めちゃくちゃ俺たちの『身近』にいる誰かに、骨格レベルでそっくりっていうか……」
ドクンッ、と。
俺の心臓が、今日一番の大きな音を立てた。
背筋を冷たい汗がツーッと流れ落ちていく。
指先が震え、パックの紅茶を持つ手に力が入らなくなった。
(嘘だろ……。いや、気のせいだ。こいつらがそんな名探偵みたいな真似できるわけない。落ち着け。俺はただの転校生の美少女だ。自然に、自然に振る舞え……っ)
俺は必死に呼吸を整え、何食わぬ顔でパンを一口かじろうとした。
「身近で……ヒノの部屋にいて……そして、この骨格に似ている人物……」
繁倉の低い呟きが、静かな教室に妙に響いた。
猪祐と繁倉の会話が、ピタリと止まる。
数秒の、異様なほどの沈黙。
そして。
ギギギ……と。
まるで錆びついた機械の首が回るように。
俺の前の席にいる二人の親友が、ゆっくりと、同時に後ろを振り向いた。
二人の視線が、パンを口に運んだまま硬直している俺の顔に、真っ直ぐに突き刺さった。
「「…………」」
「…………(モグッ)」
昼休みの喧騒の中。
俺の席の周辺だけが、まるで時間が止まったかのような、恐ろしい静寂に包まれていた。




