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第1話 タチアナはスターリンに台湾戦を長引かせる方法を提案します。米軍は高雄へ上陸します。

第1話 タチアナはスターリンに台湾戦を長引かせる方法を提案します。米軍は高雄へ上陸します。


挿絵(By みてみん)


序章 同志スターリンがお呼びです


1945年5月10日 モスクワ



 タチアナ中佐が机の上の日本語電報を読み終えたところで、上司が扉を開けた。


「タチアナ中佐、同志スターリンがお呼びです」


 彼女は顔を上げた。


「私を、ですか」


「日本の件だ。資料を持って行くといい」


 机には、台湾の戦況、日本政府の対ソ外交、極東へ向かう鉄道輸送、それに北海道の港湾図が重なっていた。タチアナは必要なものだけを革の書類鞄へ入れた。


 廊下にはまだ冬の名残の冷たさがあり、窓から入る光は白かった。執務室の扉が開くたび、煙草と紙、濡れた外套の匂いが流れた。細身で背が高く、腰の位置が高い。軍服の襟元も革帯も長靴も手入れされていたが、飾り立てているわけではない。歩き方が速く、誰かとすれ違っても進路を変えないので、人の方が自然に道を空けた。


 情報機関の上級将校で、日本語をほぼ母語のように読み、新聞、軍の文書、官庁の言い回しまで翻訳を挟まず扱える者はタチアナだけだった。長い訓練と実務で身につけた日本語は、単語の意味だけでなく、書いた側が何をぼかしているかまで拾える。そのため情報部では、日本関係の重要資料が最後に彼女の机へ回ってきた。


 スターリンの執務室へ通されると、机の上にはヨーロッパではなく極東の地図が開かれていた。


「Товарищ Сталин(タヴァーリシチ・スターリン、スターリン同志)」


「座ってくれ。日本の分析を書いたそうだな」


 タチアナは書類を開いた。


「はい。このまま進めば、日本は我々が北海道へ上陸する前に降伏する可能性があります」


 スターリンは何も言わなかった。


「満州へ入るだけなら間に合います。しかし、日本本土が先に降伏し、米英の占領が始まったあとでは、その占領地域へ軍を進めることはできません。同じ連合国軍同士で撃ち合うことになります」


「それで、情報部の提案は」


「日本を勝たせる必要はありません。降伏を少し遅らせます」


 タチアナは台湾を指した。


「米軍は台湾で戦っています。台湾は沖縄より広く、山地も深い。帝国陸軍は負けていますが、弾薬が続けばまだ時間を使わせられます。台湾で米軍を1週間長く止めることが、我々に1週間を与えます」


「日本へ武器を送るのか」


「日本本土へは送りません。台湾だけです。しかもソ連製の武器ではありません」


 別の紙を出した。


「ノモンハン以来、こちらに残った日本製兵器があります。対日参戦後には満州でも関東軍の倉庫を押さえられます。小銃そのものより、弾薬、迫撃砲弾、砲弾、通信器材、医療資材が使えます。帝国陸軍の規格品なら、台湾へ入っても出所を証明しにくい」


 スターリンが地図を見た。


「輸送は」


「第三国船と沿岸輸送を混ぜます。積荷の書類も日本側の在庫移動に見える形にします。全部を隠す必要はありません。連合国の船が、別の連合国の船を片端から攻撃したり臨検したりする状況ではありません」


 スターリンは少し考えてから言った。


「同じ連合国の船を攻撃したり臨検はしないだろう。ただ、行きと帰りで喫水が違うのは不安だな」


 タチアナは地図の台湾を見た。それから、ほんの少し笑った。


「では、帰りは砂糖とバナナを積ませて、喫水も同じくらいにしておきます」


 スターリンの視線が上がった。


「台湾にはあるのか」


「あります。行きの船だけ重く、帰りだけ軽いより自然です。それに、モスクワで砂糖とバナナが余って困る人はいません」


 数秒の沈黙のあと、スターリンは書類を閉じた。


「やってみたまえ。台湾の帝国陸軍には勝たせるな。だが、すぐには負けさせるな。できるだけ長く戦わせろ」


「Понятно(パニャートナ、了解しました)」


 タチアナは立ち上がった。


 この時点では、彼女自身も、自分が数か月後に日本の村を歩き、東京の外務省へ入り、大垣で東西の占領地域の境界を決める側に座ることまでは知らなかった。


 そして、台湾がここまで重要な戦場になった発端は、2年前のカイロにあった。





第一章 台湾を自分たちで取り戻す


1943年11月22日 エジプト・カイロ



 中華民国国民政府主席・蔣介石は、台湾を示した地図の前で、米国大統領フランクリン・D・ルーズベルトと英国首相ウィンストン・チャーチルに同じ説明を繰り返した。


 窓の外には乾いたエジプトの光があり、会議室の中には紙と煙草の匂いが残った。机の上の大きな地図は何度も折り返された跡が白くなり、台湾はその端に細長く描かれていた。蔣介石は、その小さな島から指を離さなかった。


「戦争が終われば台湾が中国へ戻る。それだけでは、中国国内では十分ではありません。台湾には中国軍も入って、帝国陸軍と戦ったうえで奪還したいのです」


 ルーズベルトはすぐには答えず、米陸軍参謀総長ジョージ・C・マーシャル大将へ視線を向けた。マーシャルは地図を見たまま確かめた。


「中国軍を海の向こうへ出すとなると、輸送船と上陸用舟艇が必要になります。中国本土から精鋭部隊を抜けば、帝国陸軍がそこへ兵力を集中して攻撃してくる可能性があります。その点は承知されていますね」


「承知しています。それでも、戦後に連合国から行政権を受け取るだけでは困ります。中国も戦勝国として台湾の地面を踏みたいのです」


 蔣介石の主張には、軍事上の必要性だけでなく政治的な意味がある。日中戦争を長く戦ってきた中国が、最後に台湾だけを米軍から渡される形は避けたい。ルーズベルトにも、その意図は分かる。


「では、参加兵力、指揮系統、上陸後の担当区域を一つずつ決めましょう。台湾攻略そのものが採用されるかは、まだ決まっていません」


「それで結構です。ただ、中国軍が参加することだけは計画の最初から入れてください」


 会談の席では、それ以上決まらなかった。


 しかし台湾は、戦後処理の対象ではなく、連合軍の作戦目標として改めて地図の中央へ置かれた。





第二章 CAUSEWAY


1944年9月20日 ハワイ・真珠湾



 米陸軍第10軍司令官サイモン・B・バックナー中将は、台湾攻略案CAUSEWAYの兵力表を前にした。


 バックナー自身、台湾攻略には支援部隊と補給の不足が大きいと考えた。それでも中国政府からの政治的な働きかけと、台湾を中国沿岸作戦の足場にしたい海軍側の意向が残り、CAUSEWAYは実施計画として生き残った。


「戦闘師団だけ数えても、話はまとまりません。台湾で困るのは、むしろ上陸したあとでしょう」


 バックナーがそう言うと、参謀はうなずいた。


「港湾部隊、工兵、通信、輸送、医療、航空基地の整備要員まで入れると、足りません」


「台湾は小さな島ではありません。高雄を取ったあと、台南、嘉義、台中、新竹、台北まで進むなら、その間の道路と鉄道を使える状態にしなければならない。帝国陸軍が山へ入れば、東側まで問題になります」


 机の上には、もう1枚の紙が置かれている。中国軍の参加条件だ。


 中国側は、台湾を自分たちで奪還したという形を必要としている。しかし米軍には、中国軍を大陸から台湾へ運ぶ余分な船腹がない。


 バックナーは文面を読み直した。


「中国軍が参加すること自体に反対する必要はありません。ただし、台湾へ来るまでの輸送は中国側で持ってもらうのが妥当でしょう。こちらは米軍を運ぶだけでも余裕がありません」


「上陸用舟艇まで中国側に用意させますか」


「最初の敵前上陸に無理に入れる必要はないでしょう。米軍が港や橋頭堡を確保したあと、中国側が自分たちの船で入ってくる方法があります。それでも中国軍が台湾で実際に戦ったことにはなります」


 この条件は重慶へ伝えられた。


 中国側では反発も出たが、結局は受け入れた。米軍に輸送してもらった軍隊が米軍の後ろから入るだけでは、自力で奪還したという印象が弱くなる。自分たちで船を集めること自体が、政治的な意味を持つと蔣介石は考えた。


 問題は、中国にそのための船が十分にないことだ。





第三章 高雄沖


1945年2月15日 台湾・高雄沖



 夜明け前の台湾南西海岸には、水平線を埋めるように艦影が並んでいた。


 高雄沖の海は、夜明け前には黒に近い藍色だった。東の空が明るくなるにつれて艦影の下に鈍い青灰色の海面が見え始め、低い波の上には船の重油と排気の匂いが漂った。遠くで最初の艦砲が鳴ると、腹に響く低音が少し遅れて海岸へ届き、そのあとに沿岸砲の乾いた発射音が重なった。米海軍の空母群に加え、戦艦ミズーリやサウスダコタ級戦艦、巡洋艦、駆逐艦が海面を埋め、上陸船団の外周には無数の輸送船と揚陸艦が並んだ。


 第10軍の地上兵力を運ぶ船団の外側を、駆逐艦と巡洋艦が警戒した。さらに沖には空母部隊があり、夜が明ける前から艦上機が発進した。高雄、岡山、台南周辺の飛行場と交通線には、数日前から繰り返し航空攻撃が加えられた。


 日本陸軍第10方面軍司令官・安藤利吉大将の司令部にも、米軍が南西部へ来ることは分かっていた。


「高雄沖の艦艇は、昨日よりさらに増えています。左営方面にも掃海活動が見えます」


 参謀の報告を聞き、安藤は壁の地図へ目を向けた。


「海岸だけで決める戦いにはしない方がよいでしょう。米軍の火力を正面から受け続ければ、こちらの兵力を短時間で失います。第50師団には、高雄の防御と、その後の後退路の両方を考えてもらってください」


「港湾施設については、どの程度まで破壊しますか」


「米軍がすぐ使える状態で残す理由はありません。ただ、こちらが移動する前に自分たちの道路まで塞がないよう、順序だけは整理しておきましょう」


 その間にも、港の外ではすでに戦闘が始まっていた。


 掃海艇が航路を開き、駆逐艦が沿岸砲台へ射撃を加える。戦艦と巡洋艦の主砲弾は海岸近くの陣地だけでなく、後方の砲兵陣地や交通結節点にも落ちた。空母機は高雄周辺の飛行場を繰り返し攻撃し、日本側の航空機がまとまって離陸する機会を減らしていった。


 それでも日本側の航空攻撃がなくなったわけではない。


 雲の切れ目から低く入った陸軍機が船団へ突っ込み、船団護衛の駆逐艦から海面近くへ対空砲火が集中した。1機が輸送船の近くへ落ち、別の1機は揚陸艦へ命中した。火災を起こした艦の横を、次の上陸用舟艇がそのまま海岸へ向かっていく。


 海岸へ達した米軍は、艦砲射撃と航空支援の下で橋頭堡を広げた。上陸後には戦車と野砲も次々に揚げられ、平地での火力差はさらに大きくなった。


 だが高雄を取れば台湾戦が終わるわけではなかった。


 第50師団の部隊は市街地と郊外で抵抗したあと北へ下がり、第12師団は台南方面で鉄道と道路を使いながら戦線を作り直した。嘉義方面には第71師団がいる。さらに北には別の部隊があり、台湾の中央には長い山地がある。


 バックナーは上陸から数日後、高雄港の被害状況を聞いた。


「限定的な荷揚げなら始められますが、大型船を継続して入れるには沈船と機雷の処理が必要です。荷役設備もかなり傷んでいます」


「予定より遅れますか」


「港だけを見れば遅れます。ただ、海岸からの揚陸を併用すれば前線への補給は続けられます」


「それなら、港の復旧を急ぎながら、陸上の前進速度を補給に合わせてください。台湾でいちばん避けたいのは、先頭だけが進んで後ろが追いつかなくなることです」


 台湾戦は、米軍が勝っているのに終わらない戦いとして始まった。





第四章 中国軍が海を渡る


1945年3月4日 台湾・高雄港



 高雄港が一定程度使えるようになると、中国軍の輸送船が姿を見せ始めた。


 港にはまだ焼けた倉庫の匂いと重油の臭気が残り、海面には黒い油膜が細く光った。破損した岸壁ではハンマーと切断機の音が絶えず、荷揚げを待つ兵の列の横を、泥と煤で汚れたトラックが行き来した。中国軍の兵士が船から降りると、湿った南国の空気と、港にこもった焦げ臭さが一緒に押し寄せた。


 米軍の強襲上陸船団ほど整ったものではない。徴用された商船、貨客船、沿岸航路の船が混じっている。米海軍は作戦海域の警戒と航路情報は提供したが、中国軍専用の輸送船団を編成して運んではくれなかった。


 中華民国陸軍の孫立人中将は、上陸した部隊を見ながら幕僚に言った。


「ここまで来ただけでも、かなりの船を使いました。本土からさらに兵を抜けば、船だけでなく向こうの戦線も苦しくなるでしょう」


「重慶からは、後続部隊を増やしたいという話が来ています」


「台湾で中国軍が戦ったという事実は、もう作れます。数を増やすために中国本土の帝国陸軍を楽にしてしまっては、本末転倒です。その点は中央にも伝えてください」


 実際、中国本土では変化が出ていた。


 台湾へ回された部隊は、中国軍の中でも比較的装備と訓練の整ったものが多い。その穴を見て、帝国陸軍が局地的に前へ出始めた。中国側は後続部隊の一部を台湾へ送れなくなり、米第14航空軍も大陸側への支援を増やさざるを得ない。


 台湾では中国軍が米軍の後方警備だけを担当したわけではない。高雄から北へ進む戦線の一部を引き受け、帝国陸軍と実際に交戦した。


 蔣介石が欲しかった形は、少しずつできていった。


 しかし、そのために台湾戦そのものが短くなったわけではなかった。

毎日19時10分更新です。

12話構成です。

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