空を見上げるのが怖い
小学3年か4年くらいの頃だったと思います。校庭で晴れ渡った空を見上げると自分の存在どころかこの地球という存在や、地球の持つ重力というものが急に頼りなく思えて恐怖を感じました。藍色の空間に自分が落ちていくような錯覚を抱きました。
それ以来、青空を見上げるのが苦手です。特に小学校の頃と同じ環境、つまり校庭のような開けた場所で雲一つない空を見るのが本当に怖い。地平線近くなら特に問題ないのですが、真上を見ることができません。脚がふるえてその場にへたり込みそうになります。
重力の存在を疑ったりしているわけではありません。ただ脳の本能的な部分が果てしなく続く穴のような無の空間を怖ろしいと感じているのだと思います。
夜空になるといくらかマシです。星明りが宇宙空間は完全な無ではないのだと教えてくれるからかもしれません。世界地図などで太平洋のど真ん中を見た時に感じる不安と同じ種類なのでしょう。何もない空間が怖い。内海の沿岸地域で生まれ育ったので対岸が見える環境ならば全く不安を覚えませんが、外海はあまり見たくはない。
かつて人類はフィリピンから出発し小さな船でミクロネシア、ポリネシア、ニュージーランドやイースター島へと生存圏を拡大していったそうです。すごい。私には絶対に真似できない。冒険家精神だったのでしょうか、元いた地域が手狭になったので旅立つしかなかったのでしょうか。少なくとも定着して小さな社会を形成できるだけの人数が、吹けば飛ぶような頼りない船でどこにあるかもわからない新天地を目指して航海したわけです。新しい島にたどり着けず遭難した人はたどり着けた人よりはるかに多かったのではないでしょうか。
島に残った人たちは旅立った人々が遭難したかどこかにたどり着いたかを知るのも困難なので、遭難のリスクが高くても低くてもそれを知りようがないわけで、もしかしたらそれが人々を海に駆り出した原動力になっていてのかもしれません。挑戦しても当事者以外成功したのか失敗したのか知るすべがない。現在では想像しにくい環境ですが、当時はそれが当たり前。今の時代に暮らしている私たちの感覚では失敗する確率の方が大きい無謀な挑戦であっても、当時の人たちはそんなこと知る由もない。
人によっては現代のビジネスとか研究などで未知の分野に挑戦することと、当時の人々を重ねるかもしれません。ですが当時の人々は失敗=死という状況下で挑戦することを選んでいたので同列に扱っていいものか?と私は思います。死のリスクが目に見えていても挑戦した人々の勇気が尊いと思います。空を見上げるのが怖いという話から少し脱線したかもしれません。




