最適化という言葉が最近苦手になってきた
最適化という言葉だけではなく、別の分野の用語だったものが新しいビジネスとか政治的な標語として用いられるようになり、なんだかろくでもない使われ方をし始めるのがあまり好きではありません。ビジネスなどの用語として用いられる人間に対する最適化は私の中で社会の多様性とか社会ダーウィニズムと同じジャンルになりつつあります。
最適化とはもともとは数学やシステム工学などに用いられる、目的に対して最も効率的効果的な設計だったり計画を立てるといった意味で、例えばどんなルートで移動すれば数か所の配達先に効率よく配達できるかというのは最適化問題の典型的なものだと思いますし、ゲームを移植する際、ゲーム機の処理の特異不得意に合わせてプログラムなどを変更していくのも比較的まっとうに最適化という言葉を使っていると思います。
ではその最適化という言葉を人間に対して用いた場合どうなるか。一番わかりやすいのはターゲティング広告です。特定個人の嗜好に最適化した広告を表示するというものですが、あれで表示されるものやサービスに金を出そうと思ったことがありません。何年も前からありますけどターゲティング広告を見て金出す人ってどれくらいいるんでしょう。たとえ広告経由で金を出してもらわなくても、知名度さえ上げればという思想なのかもしれませんが、全画面に表示して見つけにくいところに広告を閉じるボタンを隠すとかやってると知名度と一緒に嫌悪感も挙げてしまうと思います。あれが最適化の結果なんでしょうか。
そもそも私は税制に競争原理を持ち込み公平性という原則を損なうためふるさと納税アンチをやっているのですが、そんな奴にさとふるだの楽天のふるさと納税だのの広告を見せることもターゲティングなんでしょうか。この広告の表示頻度を減らす、みたいな項目があれば毎回押しているのですが今もそれなりの頻度で見せられます。
人に対する最適化が進むと大企業は多くの利益を得られる、多数派に売れる製品を優先するようになりますが、その一方で小さな企業がニッチな層への商売をやりやすくなるというメリットもあるとは思います。インディーゲームみたいに。まあインディゲームは大企業の動き以外にも、小規模なメーカーでも各プラットフォーム参入しやすい環境を整えたりUEやUnityなどの開発環境に手を出しやすくなったという部分もかなり大きいでしょう。
動画を倍速視聴するとか動きがあるまで飛ばすという人も多い時代なので、動画の刺激的な部分だけ切り抜くショート動画も動画コンテンツの人に対する最適化が進んだ例ではないかと思います。短時間で刺激を得られるものに一度はまってしまうとなかなか抜け出せません。一時期母が暇さえあればショート動画を見ていて内心すごく怖かった。
多様性にせよ最適化にせよ、言葉自体はなんだかいい感じに聞こえてしまうのが悪い。実際原義はいい感じなのに別の分野で用いられるようになってからどんどんろくでもない印象になっていく。もっと言葉を大事にしてくれ、よそからいい感じの言葉を持ってくるのではなく別の言葉を使うよう配慮してくれと思います。




