第2章:下水道のネズミたち
キキは上の縁へ手を伸ばした。
下水道のひどい悪臭が鼻を突き、吐き気を催して片膝をつく。その間にも、フードを被った人影たちが一人ずつ縁を乗り越えてくる。
「よし。全員いるな」
キキは言った。
「外の連中は準備できてるんだろうな。あと十分必要だって伝えて」
他の者たちが頷く。
キキはため息をつき、天井を見上げた。
ドビトにこれ以上期待するべきじゃなかったけど……まだ来ないの? ボットが必要なのに。
ようやく別の人影が縁を乗り越えてきた。
安堵の表情を浮かべたキキは、何も言わずにその手からボットをひったくった。
遅いんだよ、この馬鹿。
全員に後をついてくるよう手で示し、角を曲がる。
トンネルを静寂が包んでいた。
時折、水滴が落ちる音だけが響く。
その時、聞こえてきた。
衛兵だ。
キキは手を上げ、全員を止めた。
足音が大きくなっていくのを待つ。一歩ごとに、こちらへ近づいてくる。
短剣を握る手に力が入った。
くそっ。入ったばかりなのに、もう問題かよ。今、攻撃する? 他の連中は何が来るか知らない。でも、待って危険に晒すよりはマシだ。
衛兵たちが角を曲がった瞬間、キキは物陰から飛び出し、先頭の衛兵を襲った。
二人目が反応する暇もほとんどない。
ドビトがその男を斬り倒した。
キキの手が震え始める。
呼吸をゆっくり整え、鼓動が落ち着くまで自分を抑えた。
今じゃない。集中しろ。
迷うことなく先へ進む。
今度は足音ではなく、声が聞こえてきた。
笑い声と、トンネルの中を漂ってくる気楽な会話。
キキは天井を見回し、やがて細い開口部を見つけた。
通気口ほどの大きさしかない。
ボットなら通れる。
キキは隙間から中を覗いた。
あまりよく見えない。
それでも、壮麗な玉座や、床一面に伸びる深紅の絨毯、きらめくシャンデリア、そして食べ物というより芸術作品に見えるほど豪華な宴の料理が目に入った。
突然、脚から力が抜けそうになる。
待ってるみんなのことを考えろ。あいつらのためにも、失敗するわけにはいかない。
その考えを振り払い、気持ちを落ち着ける。
その時、声が途絶えた。
部屋にいる全員の視線が、別の人影へ向けられた。
ライゾは唾を飲み込んだ。
儀礼用の服が身体にぴったりと張りつき、硬い襟が首を擦っている。
王というより、運ばれてきて所定の場所に置かれる像になったような気分だった。
上品な衣装では、その下で募っていく緊張を隠すことなどできない。
玉座へ向かって階段を上るにつれ、涼しい空気が満ちた広間にいるにもかかわらず、服の下に汗が溜まっていく。
この瞬間を何度も想像してきた。
だが、そのどの想像も、実際にここへ立った時のための準備にはならなかった。
名誉に感じるどころか、完全に場違いな気分だった。
ライゾは玉座に腰を下ろした。
司祭が儀式の祈りを唱える中、ライゾの意識は再びあの夢へ戻っていく。
同じ光。同じ玉座。あの顔のない人影も。あの時と同じだ。光が全部の表情を飲み込んでる。
突然、頭に乗った王冠がありえないほど重く感じられた。
拍手と祝福に包まれるものだと思っていた。
だが、広間を満たしたのは沈黙だった。
冷たい予感が、その場に広がっていく。
金属音が静寂を打ち破った。
小さな銀色の球体が床を転がってくる。
完全な球形をした磨かれた表面に、ライゾの顔が映っていた。
そして、それが開いた。
赤い光線がライゾの顔を一度、二度、そして三度と横切る。
そして止まった。
司祭が倒れた。
白い石の床が血に染まり、広間は一瞬で混乱に包まれた。
煙が広間へ噴き出し、すべてを灰色に飲み込んでいく。
その中で、ライゾの右側にある壁が内側へ吹き飛んだ。
煉瓦が空中を飛び交い、影のような人影が開いた穴から次々と入り込んでくる。
侵入者が一人入るたび、ライゾの鼓動は速くなった。
胸が締めつけられる。
目に見えない圧力が喉を締めつけ、さらに胃のあたりを殴られたような感覚が走った。
ただ、見つめることしかできない。
立ち上がろうとする。
だが、身体が動かなかった。
あの時と同じだ。
ライゾの目が見開かれた。
群衆の中をクラヤミが駆け抜けてくる。
いや。そんなはずない。クラヤミ――ミライ以上に俺を支えてくれた奴だぞ。まさか、本当に何かもっと恐ろしいことに関わってるのか?
もう一度動こうとする。
だが、何も起こらない。
くそっ。
呼吸が速くなる。
自分の身体に抗うように力を込める。
俺って、結局こんなものなのか?
突然、フードを被った人影がライゾの前に降り立った。
何だ?
ライゾが身を震わせる。
見知らぬ人物が手を伸ばした。
反応するより先に、雷光が走った。
ギリギリのところで、ライゾはマキで胸を強化した。
爆発がライゾを後方へ吹き飛ばす。
さらに三本の雷撃が、立て続けに襲いかかった。
ライゾが目に入った砂埃を振り払おうとしていると、別の男が前へ出て、盾を構えて攻撃を受け止めた。
そして、そのまま前へ突進する。
片手に刃を、もう片方にブラスターを作り出した。
ラオン。俺の忠実な護衛。
三人の侵入者が、あっという間に倒れた。
ラオンは笑った。
その表情には、どこか子供っぽいものがあった。
まるで命を懸けて戦っているのではなく、遊び場で楽しんでいるようだった。
ラオンは振り返り、笑顔を消さないままライゾを見る。
「逃げろ、ライゾ! 早く行けぇぇぇ!」
その叫びが、ライゾの身体を縛っていた麻痺を打ち砕いた。
脚が、頭で考えるより先に動いた。
世界が周囲で崩壊していく。
疑問が頭の中へ次々と押し寄せる。
そして、涙が頬を伝った。
ライゾは息を切らしながらミライの部屋の外で足を止めた。
唇を開く。
だが、言葉が出てこない。
ミライはすでに待っていた。
片腕にはマントが掛けられ、足元には旅行用のバッグが置かれている。
何も言わず、ミライはライゾの肩にマントを掛け、バッグを手に押しつけた。
そして、そのままライゾを抱きしめた。
前よりも温かく感じた。
ライゾの呼吸が落ち着き、鼓動もゆっくりになっていく。
ほんの一瞬だけ、時間が止まればいいのにと思った。
ミライがゆっくりと身体を離す。
ライゾはそのまま抱き返し、ミライのマントを強く掴んだ。
ミライは小さく笑うだけだった。
それでもライゾを抱いたまま、表情を変えた。
真剣な顔でライゾを見つめる。
ライゾの目が涙で熱くなった。
「ライゾ……王国のために――」
ミライはライゾの目を見た。
「いや。お前自身のためにだ。外の世界を見てこい。全部を経験したら、戻ってこい。外の世界は……目にするものすべてが、今まで見てきたものと同じってわけじゃない」
ライゾは涙を流しながら頷いた。
どういう意味だ? 外の世界に、そんなに違うものがあるのか?
その疑問を振り払う。
これが最後にならないよう、心の中で祈りながら、ミライの顔を目に焼きつけた。
そこでようやく、ミライの言葉の重みが胸に落ちてきた。
いや。信じたくない。でも……もう二度と会えないのか?
ライゾは無理やりその場を離れた。
脚は震え、身体はここに残りたがっていた。
それでも、脚へマキを流し込み、廊下を一気に駆け抜ける。
走っていると、さらに大きな音が聞こえてきた。
廊下中に剣のぶつかり合う音が響いている。
城全体が混乱に陥っていた。
ライゾの思考は水と油のように渦巻き、決して混ざらない。
それぞれが違う方向へ彼を引っ張っていた。
何が起きてるんだ? なんでこんなことに? お願い……誰か……助けてくれ。
ミライ……死なないでくれ。優しすぎるんだよ、あんたは。
クラヤミ……お前ならできる限りのことをしてくれるって分かってる。でも、無理しすぎるなよ。
走り続けるうちに、ライゾの中で何かが切れた。
身体が理解するより先に、心が気づいていた。
決して自分はならないと誓っていたものが、ついに自分の中に形を成した。
手がぴくりと動く。
やがて、ライゾはゆっくりと笑い始めた。
最初は息の混じった小さな笑いだった。
それが次第に大きくなっていく。
父さんが言ってたことと同じだ。弱さ。それだけだ。
笑い声は次第に狂ったようになっていく。
目は危うい光を帯び、走り方も乱れていった。
考えなければ、怖くなくなるかもしれない。
一本の石柱がライゾへ向かって飛んできた。
ライゾは間一髪でその下をくぐり抜ける。
前方には、深紅のフードを被った少女が立っていた。
少女はもう一本の石柱を軽々と持ち上げ、投げようとする。
そして、二人の目が合った。
少女の動きが止まった。
表情が変わる。
その険しさが消え、突然、何かに気づいたような顔になった。
古い記憶が頭の中を駆け巡る。
そして、一つの名前が唇からこぼれた。
「カーラ……」
石柱を落とし、少女はその場に膝をついた。
目には涙が浮かんでいた。
だが、ライゾには聞こえていなかった。
ただ、そのまま走り続ける。
その時になってようやく、笑い声が消えた。
涙で濡れた顔が、再び露わになる。
ライゾは城を飛び出し、沼地へ向かって走った。
あのひどい悪臭なら、自分の匂いを隠せるかもしれない。
その時、無数の赤い点が身体中に現れた。
ライゾは立ち止まった。
再び拳を握りしめる。
くそっ。今じゃない。
心臓が肋骨を叩くように激しく脈打つ。
反応するより先に、冷たい鋼が首に触れた。
続いて、身体を地面へ叩きつけるような圧力が襲う。
捕まえた相手を見ようとする。
だが、顔を確認する前に、闇が視界を覆った。




