第四十五話 セバスチャンの帰郷
セバスチャンの愛称はセバスだと思っていたのですが、これは日本語圏だけだそうで、セブ(英語圏で一般的)、もしくはセビー(より親しみを込めた)、セヴァ(ロシア語圏)、バスティアン(ドイツ語圏、フランス語圏。独立した名前や愛称)だそうですので、この作中ではセビーにします。セブ(セヴ)が筆者の別作品におりますもので。
第四十五話 セバスチャンの帰郷
私を見て瞠目したセバスチャンは、しかしメルさんの姿を見た瞬間、ぶほっと吹き出してお腹を抱えて笑い出しました。破顔一笑、なんて可愛いものではありません。呵々大笑、哄笑、抱腹絶倒、大爆笑です。なんなら涙まで流して、笑い転げております。
人(メルさんなので、厳密には人ではなくて竜ですが)を指さしてゲラゲラ大笑いをするという失礼極まり無いセビーなんて、初めて見ました。ハンナも初めて見たのでしょう。ぽかんとセビーを見ています。私と顔を合わせ、またセビーを見ます。
「な、なんだよその姿はあっ! 天下のアース・ドラゴンがそんなちっこい姿なんて、バルの奴が見たら憤死するほど笑うぜっ!」
いえ、セビー自身が今、憤死するほど笑っていますけど・・・?
それよりもセビー、その、言葉遣いは・・・?
ヒーヒーと呼吸困難に陥りながら、文字通り腹の皮がよじれるほど笑ったセビーは、ヘルマン様を見てちょっと目を瞠り、それから泣きそうな顔をくしゃりと歪めました。
「ちくしょう・・・。見たくねえほど兄貴にそっくりじゃねえか」
メルさんに負けず劣らずの無頼言葉で喋るセビーに、ヘルマン様はマナー講習のお手本のような上品なボウ・アンド・スクレープをします。
「叔父上、無事の御帰郷、なによりです。お歓び申し上げます」
するとセビーは、背筋を伸ばした美しい姿勢で腰から上体を倒し、四十五度以上のお辞儀で一瞬の間をとってからゆっくり上体をもどす完璧な最敬礼で応じました。これもまた、執事の完璧な作法で、どんなに厳しいマナー講師でも太鼓判を押すような美しい挙措でした。
「シュタールベルク辺境伯におかれましてはご機嫌麗しく。無頼の限りを尽くした放蕩者に過分なお言葉を賜り、恐悦至極にぞんじます」
それは見慣れたセビーの挙措と言動でしたが、大爆笑や無頼言葉とのあまりの落差に眩暈がしました。ですから私はこっそり、ハンナに囁きました。
「セビーって、二重人格者だったのかしら・・・?」
しかし、セビー本人にしっかり聞こえていたようです。昔から地獄耳でしたからね。
「二重人格ではありませんよ、リーゼロッテ様。その御姿になられたということは、前世の記憶が・・・」
「黙れっ!」
セビーの言葉をメルさんが鋭く遮ります。
「リゼは神田愛由香の記憶しか無え。余計なことを言うな」
低く氷のような冷たい・・・、いえ、金属のような硬い声で、メルさんは言います。
そのメルさんを見て、セビーの目が険しくなりましたが、一瞬でその表情を消して、なつかしい執事の顔と声で言いました。
「メルキオール様と再会されましたこと、心よりお祝い申し上げます」
セビーと先代辺境伯様の再会の場には、私は遠慮させていただきました。いがみ合って袂を分かった過去があっても、血を分けた兄弟なのですし、長い年月の間には、激情に駆られた言動を悔いた夜や、遠く離れた生家を思う夜があったのではないでしょうか。
そうしてやっと、セビーとハンナとヨハンとゆっくり言葉を交わすことができたのは、ヘルマン様が催してくださったセビーの帰郷を祝う晩餐の後でした。晩餐の時も今も、お嬢様と同じテーブルにつくなど執事としてありえないと固辞するセビーを、アウエンミュラー家の執事を辞したのなら、もう執事ではないでしょうと言って座らせました。ヘルマン様も同席されておられます。
ハンナと私から夜逃げ以後の顛末を聞いたセビーは、メルさんを乱暴に抱き込みました。放せと叫んで暴れるメルさんを、ぐりぐりと犬猫のように撫でまわします。撫でるというよりも掻くというか、鱗を剥いでしまいそうです。
「なるほど、だいたいわかりました」
「セビー、貴方はメルさんを知っているのね?」
「以前には何度もお会いしておりますよ。今のこのお可愛らしい姿に会ったのは初めてですけどね」
「可愛い言うなっ!」
メルさんはプンプンと怒ってセビーの手から逃げようと暴れますが、セビーは平然と抱え込んだままです。器用に顎の下を掻いてやっています。扱いが丸っきり猫や犬です。
「お嬢様。加護付きとお気に入りの違いは、わかりますか?」
「いいえ?」
「じゃあまずそこから説明しますよ」
私がもう執事ではないのだからと繰り返したからか、セビーは執事の言葉遣いより少しくだけた口調でしゃべります。
「加護は、対象者の幸せが最優先です。加護を与えた人間が富を望むなら富を与えますし、平穏を願うなら平穏を与えます。それに対してお気に入りってのは、気に入った人間を自分のものにすることです。対象者の意思とか幸せなんざ、いっさい関係ありません」
幸せを、考慮しない・・・?
「そうです。兄はそこを、どうしても理解できなかった」
気に入ったからこそ加護するのだろう、と叫び、嫉妬に狂った目で俺を睨みつけていたんですよ、と語るセビーを、ヘルマン様が言葉にできないような憂愁を帯びた目で見ていることに、私は気づきました。ヘルマン様は、父である先代様がセビーに暴力を振るった現場を、見たわけではなかったそうです。しかし乳母殿から聞かされていたそうです。
すべてを自身の手に握ることを当然だと思っていた兄と、予備として育てられ、あくまで予備でしかないはずなのに、ドラゴンの愛という究極のカードを手に入れた弟。しかしウインド・ドラゴンはセビーに加護を与えたのではなく、セビーを気に入っただけ。セビーの幸せは二の次で、セビーを自分のものにしたかっただけだったと、セビーは言うのです。
私は一度だけ見せていただいたお祖母様の、ウインド・ドラゴンの加護紋を思い出しました。
アウレリアお祖母様の加護竜であるウインド・ドラゴンが、急に恐ろしく不可思議で禍々しいものに感じられて、ゾクリと鳥肌が立ちました。
ここまでお読みいただき、どうも有難うございました。
セバスチャンのイメージは、イケボでイケオジのあの声優さん。完璧な執事とクセつよなイケオジの無頼な口調、一粒で二度美味しいを脳内再生して、ニマニマしております。
次回、第四十六話 身勝手な竜 1 【セバスチャン視点】




