第三十九話 もっともっと大きなお風呂 1 【ヘルマン視点】
第三十九話 もっともっと大きなお風呂 1 【ヘルマン視点】
露天温泉の瘴気をデトックスする効能の高さが口コミで広がって、旅の宿としてだけではなくわざわざ入湯するために来る人々がすこしずつ増えてきた。
特にダンジョンや密林で濃い瘴気を吸ったり浴びたりしてしまった冒険者のパーティーなどが、露天温泉に一番近い安宿に、十日とか二十日、長ければひと月以上も連泊するようになった。
「そりゃあ、あれだけ効果があったら話題にもなるし、なんせタダですからねえ。バカ高いポーションを買うよりもいいに決まってます。清潔にもなるし気持ちいいしで、いいことづくめなんですから、来るなと言ったって来るでしょう」
報告書を持って来た部下も言う。瘴気をデトックスするポーションは高価だ。よほど実入りのいい仕事をした、高ランクのパーティーでもなければ買えないだろう。
しかし、冒険者向けの安宿は、湯治を目的とした客向けにはできていない。最低限の寝場所を提供するだけの宿であって、長逗留を想定していないのだ。
街中の食堂は純粋に利益が上がって喜んでいるが、武具職人は喜ぶと同時に困ってもいる。この街の武具職人たちはいたって標準的なレベルの職人で、めずらしい武具や高価な武具を扱った経験が少ない。長逗留の冒険者パーティーに修理や手入れを依頼されて仕事が増えるのは嬉しいけれど、おのれの実力不足で、依頼してきた側が高ランクの冒険者でめずらしい武具の場合、納得がいくような修理ができないことがあるのだそうだ。ある武具工房の親方はそれを恥じ入り、王都からもっと腕のいい職人を呼ぶか、自分が王都に修行に行くと言い出している。もう若くはない親方を修行に行かせるのは、領主としてもしのびない。親方の弟子の中でやる気があって優秀な若者を選りすぐって、王都でも名高い工房に修行に行かせることにしたが、帰ってくるのは数年後だ。
そんなある日、ある冒険者パーティーが、安宿の親父に無茶な要求をして断られ、怒って暴れるという事件が起きた。
あまり高ランクではない、野卑な冒険者たちだったが、少し前に北方某国の大峡谷でスタンピードがあったので参加した帰りで、高額の収入を手にして気が大きくなっていたらしい。安宿は素泊まりだけで食事は外の食堂に行く決まりなのに、酒を持ち込み、酒の肴を用意しろ、女を呼べと騒いだために、憲兵が呼ばれた。
「宿だけではありません」
対処にあたったフロリアンは疲れた顔で報告する。このところ、冒険者によるトラブルが増加している。露天温泉に飲食物を持ち込もうとしたり、街中で住民の女性に声をかけ、カネをやるから風呂で背中を流せと言って引きずり込もうとしたなどの事例もあったと聞いて、私は眉間に皺を寄せた。
冒険者というのは血の気が多い荒くれ者が多い。もちろんすべてがそうというわけではないが、粗野で無教養な者が大金を手にすることの危険性を、つくづく感じた。
メルキオール殿に相談したが、けんもほろろに突き放された。
「温泉を作ったのは俺でも入るのはお前ら人間なんだから、管理運営は人間が責任もってやれよ。俺に頼るんじゃねえ」
言われればもっともで、反論できない。
しかし。
「まずはルールを明文化してはいかがしょう」
リーゼロッテ嬢のひと声で、メルキオール殿の態度は瞬時に反転する。
「リゼのいうとおりだ。ルールを徹底して、守れない奴はちゃっちゃとつまみ出せばいいだろ」
リーゼロッテ嬢が言えば、メルキオール殿は白も黒になる。たちまち積極的に意見を述べ始めるのだった。掌返しもここまで露骨だと笑ってしまう。
露天温泉に飲食物や武具を持ち込んではいけないこと、露天温泉は男風呂なので女性を連れ込むことは禁止であるなどの項目を、大きな板に大きな文字で書きつけた。露天温泉の簡易屋根の柱に固定すると同時に、しばらくは憲兵を常駐させて、ルールの徹底を図ることにした。
宿屋を営む者たちにも、商業ギルドを通じて宿泊規約を掲示するように促した。規約を掲示してあれば、規約を守らないなら宿泊拒否だと言うことができる。しかし掲示していないと、そんな規約があるなんて知らなかったと言い張る不埒者から宿屋側を護ることができない。
宿屋の経営者たちは、最初は嫌がった。規約だのルールだのごちゃごちゃ言うと、客足が遠のいてしまうと危惧したらしい。しかし、規約やルールが無いイコールなにをしてもいい、と解釈する輩は少なからずいるもので、規約が無いからと宿屋の中で狼藉を働かれたり従業員に無茶な要求をされてもいいのかと諭すと、考える顔になった。
意外なことに、真っ先に取り組んですぐに規約を掲げたのは、露天温泉にいちばん近い、あの安宿の親父だった。
「今までは不届き者は腕っぷしで黙らせてきましたがねえ、こっちも歳なんで、トラブルは無いにこしたことはないですからねえ」
それを聞いたリーゼロッテ嬢がまた口を開いた。
「憲兵さんの屯所への緊急通報システムがあったらいいのではないでしょうか」
従業員が憲兵を呼びに走っている間に怪我人が出たり、不届き者が逃げてしまう可能性を、考慮したらしい。
魔石を使った緊急通報システムを、メルキオール殿が教えてくれた。握りこぶしくらいの大きさの一つの魔石を半分に割って、片方を宿屋に、片方を憲兵の屯所に置いておく。宿屋でトラブルがあった時、宿屋側にある半割り魔石を専用の台座から外すと、屯所にある片割れが光り出す。その光が指し示す方に行けば、トラブルがあった宿屋に辿り着くのだという。
「もとがひとつだった魔石を割ったら引き合う性質を利用しただけだ」
音が出るようにもできるけれど、通報されたとわかって不埒者が逃げてしまう可能性を考慮して、光るようにしたと言う。なんでもないことのようにメルキオール殿は言うが、
「メルさん、すご~い! あったまイイ! 天才!」
リーゼロッテ嬢に大げさに褒められて、フンスフンスと鼻を鳴らして得意げにふんぞり返る。その様子が、なんとも可愛い。上手にできたと母親から頭を撫でられて微笑む、幼児のようだ。
「リゼ、惚れ直した?」
「うん」
リーゼロッテ嬢に褒められて勝ち誇った顔で私を見る様子も、可愛い。こんな可愛いアース・ドラゴン様と競って、リーゼロッテ嬢の愛を勝ち取るのは、たぶん無理だなと、私は思った。
ここまでお読みいただき、どうも有難うございました。
次回、第四十話 もっともっと大きなお風呂 2 【フロリアン視点】




