第三十五話 厄介な旅人 1
第三十五話 厄介な旅人 1
街道沿いで旅館を営むヒュッターさんが、領主館にいらっしゃいました。ヒュッター旅館は貴族や裕福な大商人が宿泊するような、大きな旅館です。行商や冒険者が泊まるような宿とは、ランクが違う、いわば高級旅館です。
そのヒュッター旅館が、お客様から理不尽な要求をされて困っているそうです。
「河原の男性向けの露天温泉が好評でしょう? 貴族のお客様が、うちの内風呂はなんで温泉じゃないんだと文句を言われまして」
王都から東の某国に向かう外交使節団の代表大使であるフーデマン侯爵という方が、帰りにも泊まるから、その時には河原の露天温泉を自分のために貸し切りにしろと言い置いて、出立して行ったのだそうです。河原の露天温泉は公衆浴場です。誰でも無料で入れるみんなのものです。ヒュッター旅館が勝手に貸し切りになんてできません。困って途方に暮れて、ヘルマン様に相談に来たのでした。
今、ヘルマン様の領主館のお風呂を、温泉に改築している最中です。ヘルマン様のお父様である前辺境伯は、瘴気によって健康を損なわれ、寝たきりでおられます。本当だったらもっと早く温泉に入れてあげてデトックスさせてあげたかったでしょうに、あくまで領民ファーストなヘルマン様は、領民たちのための事業が終わってから、自邸の風呂を改築してもいいかと、メルさんに許可を願ったのでした。
「あいつ、謙虚すぎねえ?」
「あいつって、ヘルマン様?」
最近の私は、ハンナがいなくてメルさんとふたりっきりの時には、神田愛由香の口調になることが多いです。
「他に誰がいるんだよ」
傲慢な領主だったら、領民を後回しにして自分の邸宅に真っ先に温泉を引くだろうとメルさんは言います。ヘルマン様がそんな自分勝手な領主じゃなくて、この地の人々は幸せですね。
でもメルさんは、ヘルマン様が善政を敷く良い領主であることが、おもしろくないようです。ヘルマンなんかよりも俺のほうがリゼに相応しい男だと威張ったのを、ハンナにはいはい左様でございますね~、と軽~くあしらわれて、根に持っているのです。
今、メルさんは私の横でヘソ天で寝ています・・・、って、ドラゴンにはヘソは無いですね。ドラゴンって仰向けで寝れるんですねえ、初めて見ました。さっき、ヘルマン様から美味しい桃をいただいて、三つも食べたので、お腹がいっぱいなのでしょう、仰向けのお腹がぽっこりと膨れています。瘴気に晒されていない、とっても美味しい桃でしたから、私もたくさん食べてしまいました。だってメルさんが、リゼ、はい、あーん、って言いながら私の口元に差し出すんです。断ったらふてくされるんです。俺にもあーん、って言って、口を開けて待っているんです。入れてあげないと、怒るんです。ヘルマン様の目の前で、バカップルみたいに桃を食べさせあって、メルさんはご機嫌でしたけど、私はちょっと、いえ、かなり恥ずかしかったです。
そういうことをするから、ハンナやヘルマン様に子ども扱いされるんだって、わからないのでしょうか。メルさんはどうやら、ヘルマン様に私といちゃいちゃしている様子を見せつけて、牽制したつもりだったみたいです。ヘルマン様はにこにこと愉しそうに見ておられて、私はとても居た堪れませんでした。
相談の結果、ヒュッター旅館に迷惑をかけるようだったら、我儘な侯爵には領主館に泊まっていただこうということになったそうです。ヒュッターさんは売上よりもカスハラから従業員を護ることのほうが大事だと言って、ヘルマン様に何度も頭を下げて、感謝していたそうです。
「露天温泉貸し切り要求以外にもよお、ヒュッター旅館で一番若くて可愛い従業員の女の子を、自分専属にしてやるから有難く思えとか、露天温泉で背中を流させろとか、ふざけたことを言ってやがったらしい」
だからリゼはずぇっっっ・・・たいに、フーデマンとかいうバカの前に出るなよ、と、メルさんは言います。私はヒュッター旅館の従業員ではありませんし、フーデマン侯爵に用など無いですから、会う必要もありません。
「お前が用が無くたって、ゲス男に目をつけられたら腹が立つじゃねえか」
「メルさん、心配してくれているの?」
「ったりめーだ! リゼは俺の嫁なんだから、他の男に見られたり触られたりするのなんか、絶対ヤダからな」
フーデマンとかいうゲスがリゼに背中を流させようなんてしやがったら、地の底に埋めてやる、とメルさんは言います。外交使節が帰国せず行方不明になったら、国際問題になってしまいますから、たとえゲスでも地の底に埋めるのは阻止しなければなりません。もしもフーデマン侯爵が領主館に宿泊することになったら、私はフロリアンさんの御宅にお泊りしましょうということになりました。ロミーちゃんが喜んでくれますからね。
ここまでお読みいただき、どうも有難うございました。
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