第三十三話 究極の愛を見た【レオンハルト視点】
第三十三話 究極の愛を見た【レオンハルト視点】
貴族学校の成績はリーゼロッテ嬢の足元にも及ばなかったけれど、顔だけだったら首席ねと母上に言われたことがある。確かに私の顔は、華やかに整っている。
その顔を、母上から叩かれた。
頬は、腫れ上がり、長いこと痣になっていた。
侍女一人いない離宮で、自分でそれを冷やす。青黄色い醜い頬を誰にも見られない、という意味では、誰もいなくてよかったのかもしれない。
食事を運んでくるのは、離宮から一番近い農家のよぼよぼの老婆だ。最初は、下賤の者の作った粗末な料理など、口にできなかった。
しかし、他に食べる物が無く、初めて経験するひもじいという体験の前には、贅沢など言っていられなかった。何種類かの野菜を煮ただけのうすい味のスープと硬いパン、肉も魚もフルーツも無い、質素な食事を、ひとりで食べた。
涙が出た。
ジミな上に加護も付かない、なんの価値も無いリーゼロッテ嬢との婚約を破棄したことは、ここまでの罰を受けなければならないほど重大なことだったのだろうか。
離宮の周りは一個小隊が警備しており、老婆はその指揮官である小隊長から頼まれて、食事を運んでくる。最初は、彼らに食事や身の回りの世話を命じた。しかし、小隊の仕事はあくまで離宮の警備であり、廃太子の世話ではないと突っぱねられた。
彼らは離宮の外で野営をしていて、離宮の中には入ってくるのは老婆が食事を運んでくる時だけだ。
つまりこの離宮は、牢獄だ。広く寒々しく、誰もいない、自分で灯りを点けなければ真っ暗な、だだっ広い牢獄。
母上のお許しがなければ、私はここから出ることは許されない。誰もいない離宮で、たった一人で過ごさなければならない。食事以外の身の回りのことを、自分でやれと言われた。
いや、最初は食事すらも、自分で用意しなければならなかったらしい。調理人のいない厨房に、食糧だけがあったのだから。
当然のことだが、厨房になど入ったこともない、完成した料理しか見たことがない私は、生肉や魚などどうすればいいのかわからず、ほとんどを腐らせてしまった。見かねた小隊長が、農家の老婆に食事を運ばせてくれているらしい。
着替えや入浴や洗濯もできなくて、私の身体が汚臭を放つようになった頃、離宮に新たな滞在者の一団が来た。
国境を護る第三師団の師団長と奥方、屈強な兵士が数人、と聞いて、いったい何故、と首を傾げた。
彼らの到着と入れ違いに、周囲を警備していた小隊は任務を終了して王都警備隊の通常任務に戻って行った。
鋼のような肉体の、第三師団の兵士たちは、私の命令は一切無視したが、訊ねたことには言葉少なに答えてくれた。
師団長夫人は病で余命幾許も無く、師団長は残り少ない夫婦の時間をふたりっきりで過ごすために、長期休暇を願い出たこと。
母上がその願いを全面支援し、この離宮を貸し与えたこと。
そして王宮から届いた母上から私への手紙には、究極の愛情を見届けるように、という命令が認められていた。
言っては失礼だが、妻ではなく老母、と言っていいような、ちいさく痩せ衰えた夫人の身体を、師団長は赤子を抱くように優しく、丁寧に抱いて運んだり、低く穏やかな声で話しかける。やわらかい布で顔を拭いてあげたり、粥を食べさせてあげたり、部下たちにはいっさい手伝わせず、まめまめしく世話を焼く。粥や他の食事も、師団長が自ら調理をしていると聞いて驚いた。夫人の衣類を自らの手で洗濯し、着替えさせ、髪を梳いてやり、入浴の世話も下の世話もする。病室の掃除すら、兵士任せにはしないそうだ。
兵士達は病室以外の掃除や、師団長と自分達の食事の用意や衣類の洗濯、食糧の搬入などに粛々と働いているが、とにかくヒソとも音を立てない。巌のような身体で、影のように気配を消して動き、師団長夫妻の静かな日々を護っている。
その姿を見ながら、私は手の空いている兵士たちに訊いて、知らなかったことのやり方を教えてもらった。兵士たちは私の命令は絶対に聞かないが、教えることだけはしてくれるのだ。どうやらそれも、母上の指示らしい。
掃除や洗濯や料理など、王宮ではすべて人任せにしていたことを、私は初めて学び、実践した。
風呂場の洗い方使い方を教えてもらい、キレイになった風呂場で頭や身体の洗い方を教わって洗った。爽快感に感動した。
パンの焼き方を教えてもらい、焼き立てのパンを食べた時には、あまりの美味しさに涙が出た。
王族として生まれ育ち、家臣たちに傅かれて、人間として自分の身の回りを整えることをすべて召使にしてもらっていたのだということを、改めて噛みしめた。
夫人の命が旦夕に迫った頃、私はきちんと身なりを整えて挨拶と感謝の言葉を、伝えさせてもらった。田舎の男爵家の出身だった夫人は、廃太子である私を殿下と呼び、この世の最後に高貴な御方に見舞っていただいたことはあの世への土産話になりますと喜んでくれた。
どう答えていいのかわからなかった。
病み衰えて動くこともできない夫人の姿を見ていると、今まで、何一つ不自由の無い身体でありながら縦のものを横にすることすら人にさせていた自分が、どうしようもなく恥ずかしくなった。
じっとしていられず、離宮の隅から隅まで掃除をし、それでも居た堪れず、兵士達の鍛錬に参加した。もちろん、とてもではないが同じことなどできるはずもなかったが、自分なりに限界まで身体を酷使した。身体を動かしていなければ、大きな声で叫んでしまいそうだった。
夫人の葬儀には、兵士たちの最後尾に、参列させてもらった。
ここまでお読みいただき、どうも有難うございました。
次回、第三十四話 もっと大きなお風呂




