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第二十九話 噂話


第二十九話 噂話




 この街は辺境の領都なので、東の隣国へ行く、また隣国から我が国に来る旅人や商人が行き交います。

 そうした旅人向けの宿には内風呂がある宿もありますが、宿賃が高いです。宿賃が安い宿には、お風呂は無いようです。


 定期的に往来して何度も宿泊して顔馴染みになった行商人などには、宿の人たちが河原の露天温泉を教えてあげるようになりました。高い宿の内風呂よりも広いですし、露天風呂なので解放感があって、ゆったりと旅の疲れを癒せます。しかも無料です。


 ただ、この地は以前から水質が悪いと言われていましたから、温泉がすぐに噂になるようなことはありませんでした。デトックス効果があるということも、旅人にはわからなかったようです。

 宿で供される食事が美味しくなったと言う声は、日増しに高くなっているようです。




 私が王都からこの地に来て、そろそろ三か月になります。

 メルさんのおかげで、私はこの地の人々から恰も聖女であるかのように思われていて、皆さまに親切にしていただいております。

 婚約破棄をされた心の傷は、少しだけ、奥のほうへ押しやることができました。消すまでにはいたりませんが、見ないでいられる時間が多かったのは、ありがたいことでした。

 メルさんは私を嫁だと言ってくれます。

 ヘルマン様は求婚してくださいます。

 どちらも、婚約破棄されて傷ついた私を慰撫するためであって、本心からではないのでは? と思っています。温かい心遣いを、とても有難く思います。

 メルさんはドラゴンであって、人間ではありません。人間よりも神様に近い存在です。千年以上生きる、神秘の存在なのです。そんな尊い存在と、一介の人間が結婚なんて、許されるはずがありません。

 ヘルマン様の求婚も、傷ついた私の自尊心を回復させるためのお心遣いなのだと思います。だから、真に受けてはいけません。


 マイヤー老人が推薦してくださったので、私はこの地の学校で教師として働かせていただけることになりました。貴族学校で学んだ内容と平民学校で教える内容は違うのではないかと思いましたが、初歩的な読み書き計算なら、私が教えても問題無いそうです。

 ロミーちゃんたちが喜びました。男性教師には質問しづらいことも、女性教師なら訊けるかも、というので、意識して質問を受け、丁寧に答えるようにしました。




 私が教師の仕事に慣れてきた頃。

 王都からの旅人が、噂話を伝えてきました。

 筆頭公爵家の令嬢(私のことですね)が、王太子に婚約破棄された後、行方不明になっていること。

 勝手に婚約破棄した王太子が王妃の怒りを買って、王宮から叩き出され、郊外の離宮での生活を余儀なくされていること。

 公爵家が手を尽くしているのに、令嬢の所在がまったくわからないこと。


「王妃陛下のお怒りはすさまじく、離宮に配された使用人はゼロだそうです」


「まあ」


あの気位ばかりが高い、贅沢好きな王太子殿下が、使用人のいない離宮でどうやって生活しているのでしょうか。



「第三師団の師団長が、奥様と側近の皆さまと一緒に、離宮に入られたそうですわ」


第三師団は、このシュタールベルク辺境伯領とは王都を挟んで反対の、西の国境を護る兵力です。


「なぜ、第三師団長様が?」


噂ですが、と前置きしてハンナが言うには、第三師団長の奥方が病で余命幾許も無く、師団長は最愛の妻との最後の時を水入らずで過ごすために、長期休暇を申請したのだそうです。許可されないのなら職を辞するという師団長を、王妃陛下が支援したそうです。死が二人を分かつまで、との誓いをまっとうするためのあらゆる我儘を許す、とし、件の離宮では、師団長ご夫妻が心穏やかな日々を過ごされることを最優先とする体制が整えられたそうです。


 「では、王太子殿下は?」


元王太子殿下ですわ、と私の言葉を訂正して、ハンナはにんまりと笑みを浮かべます。


「究極の夫婦愛を間近に見て学べ、という王妃陛下のご愛情溢れるお沙汰だそうです」


第三師団の精鋭が数人、師団長ご夫妻の身の回りの世話に立ち働いているのだそうです。一騎当千の騎士でありながら、国境警備のために野営にも慣れておりますから、料理から掃除、洗濯まで完璧にこなすのだそうです。


「元王太子殿下は自分の世話もするように居丈高に命令したそうですわ」


しかし、屈強にして上司に忠実な騎士たちは、感情的に喚き立てる元王太子殿下のヒステリーなど、意にも介さなかったそうです。文官や侍従では、元王太子殿下が暴れたら御諫めすることができませんけれど、騎士でしたら首根っこを片手で抑えるでしょう。


「侍女侍従や下働きの下女では、元王太子殿下の命令に逆らうなんてできませんし、腹立ちまぎれに暴力を振るわれてしまう可能性がありますから、元王太子殿下が手も足も出ないような剛健の巨漢を配したのでしょうね」


ハンナはそう言って、クスクス笑いました。


「師団長夫人の御容態に、差しさわりは無かったの?」


「あまりにも元王太子殿下が五月蠅い時には、屈強な騎士の皆さま方が腕っぷしにモノを言わせて黙らせ、手足を拘束して口枷を嵌め、庭の隅の物置に隔離なさったそうです」


奥様との残り少ない日々のためには職を辞することも厭わない師団長様の御姿に、元王太子殿下は何かを学ばれたでしょうか。



ここまでお読みいただき、どうも有難うございました。


次回、第三十話 兄の焦燥【クヌート視点】

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