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第二話 夜逃げ


第二話 夜逃げ


 王太子殿下の罵詈雑言に傷ついても、誰も庇ってなどくれません。


 私はうち萎れて、家に帰りました。


「お帰りなさいませ」


予定よりも早い帰宅と私の表情を見て、執事のセバスチャンの顔が曇ります。何があったのか察したのでしょう。私が生まれる前から、お祖母様のご意向で我が家で働いている、もの静かな中年男性ですが、高い知性や仕事への誠意に溢れた、頼もしい執事です。


 侍女たちも並んで迎えてくれましたけれど、大半は信用できません。お義母様とエミーリアに阿り、私を見くだしているからです。

 中でも一番いやらしいのは、忠義面をして着替えを手伝いながら舐めるように私の肌を見る侍女長のカミラです。私に竜紋が現れないようにと黒魔術師に違法な祈祷をさせているお義母様に命じられて、私の身体を見張る役目を遂行しているのです。万が一、私の身体に竜紋が現れたら、すっ飛んで行って報告するのでしょうね。

 普通、侍女長は侍女たちを管理監督するもので、実際に着替えを手伝うのは若い侍女です。しかしカミラはいつもわざわざ手伝いながら、私の身体を隅々まで見るのです。その視線は蛇のように冷ややかでおぞましく、鳥肌が立ちます。

 今もそうやって私の肌を舐め回すように見て竜紋が無いことを確認して、満足したのでしょう。鼻で笑って、手下の侍女一同を引き連れ、アゴを上げて意気揚々と出て行きました。


 後には、数少ない私の味方である専属侍女のハンナひとりだけが残りました。


「ハンナ、どうしましょう。レオンハルト殿下に婚約破棄されてしまったわ」


貴族学校を首席で卒業したのですから、私には学術院に進学してもっと高度な勉強をする資格が与えられておりました。学術院進学資格は、王族ですらも実力が無ければ得ることができない、我が国では最高の頭脳と認められた者だけに与えられる栄誉です。私は学術院で勉強したかったのに、王太子妃教育を受け始めてほしいと王室から強く要請されて、泣く泣く進学をあきらめたのでした。それなのに、卒業パーティーで婚約破棄を宣言するなんて、あまりにも卑劣な嫌がらせです。

 レオンハルト殿下の暴言にずっと耐えておりましたけど、さすがにこころが折れました。


「旦那様に申し上げて、学術院進学の手続きをしていただきましょう」


「無理よ。もう正式に進学辞退してしまったのですもの」


私は王太子妃になりたいなんて思っていなかったのに、王妃陛下から強く望まれたのです。王太子妃教育を受けろと言うから涙を呑んで進学を断念したのに、この仕打ちです。さすがに、涙がこぼれます。

 父と兄と義母は、国王夫妻の帝国への表敬訪問に随行しています。だからこそのこのタイミングでの、公の場での婚約破棄だったのでしょう。


 父に言ったとしても、慰めてもくれず、顔が地味だから仕方ないと言うだけでしょう。クヌートお兄様は優しいですから慰めてくれるかもしれませんが、それだけです。公爵家の跡取りとして、本当に大丈夫なのかしらと思うほどに主体性に欠けた、もっと言うなら気概が無くていらっしゃるお人柄です。悪い人ではないのですけれど。


 そして義母とエミーリアは、まるで鬼の首でも取ったかのように、私を嘲り笑うのでしょう。竜紋も出ない、進学もできない、婚約も破棄された、顔がジミでなんの役にも立たない女、と罵倒するのでしょう。


 そこに、ドアがノックされました。

 ハンナがドアを開けると、執事のセバスチャンが、なにやらいろいろと手に持って立っていました。私は夜衣に着替えてしまっており、普通なら男の使用人を部屋に入れることは、あってはなりません。

 しかし。


「ハンナ、大急ぎでお嬢様と自分の旅支度をしなさい」


「はい?」


「早く!」


わけもわからないまま、ハンナは慌ただしく衣類や身の回りの物をトランクに詰め込みます。


「奥様とエミーリア様はしばらく前から今日のことを計画しておられたようです。まさか王太子殿下があのお二方の意の儘に動いてしまうほど愚劣だとは思いませんでした」


セバスチャンは呆れと怒りをにじませた口調で言います。


「奥様はリーゼロッテ様をベッケラート男爵の後添えにする腹積もりでいらっしゃるのです」


「ベッケラート男爵ですって?」


おぞましい噂ばかりがある方です。私邸に連れ込まれたが最後、若い女性は二度と太陽の下を歩けない身体にされてしまうと聞いた記憶があります。私を後妻に望んでいらっしゃることは聞いておりましたが、まさか王太子の婚約者に手を出すようなことはしないはずだと思っておりました。公爵令嬢を男爵の後添えになんて、よほどの瑕疵のある、あるいは薹が立った令嬢ということになります。つまりお義母様は、私を瑕疵令嬢として貶めたいのでしょう。


 セバスチャンは私の前に膝をつき、書状と、それからおそらくはお金などが入った古ぼけた鞄を差し出しました。傍らにはなにやらいろいろ入った大きなバスケットもあります。


「エミーリア様がお帰りになる前に、早くお逃げ下さい。これを持って、シュタールベルク辺境伯領へ行くのです」


渡されたのは、我が国の東の国境を護るシュタールベルク辺境伯宛ての書状です。差出人の名は、


「セバスチャン・シュタールベルク・・・?」


セバスチャンのファミーリエンナーメ(姓)はシュミットだったはず・・・。


「シュミットは偽名です。私の本名はセバスチャン・シュタールベルク。先代シュタールベルク辺境伯の弟です。現辺境伯は私の甥です。まだ若いですが、兄よりも賢く、よき領主として彼の地を治めております」


シュタールベルク辺境伯領へ行き、この手紙を甥に渡してください、私も後片付けをしたら必ず後を追いますので、とセバスチャンに急き立てられ、私はまるで夜逃げのように、ハンナと一緒に生まれ育った公爵邸を旅立ちました。



ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました。


次回、第三話 『都落ち』

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