1.7 Computer Children6
ちょっとだけ、場所紹介 [江ノ島弁天橋]
本土と江ノ島をつなぐ、実在の歩行者専用橋。
長さは389メートル。
自動車専用の江ノ島大橋と並行する。
天紫野会長は、背筋をピンと伸ばして、地下道に下りて[江ノ島弁天橋]に向かった。
その凛とした背中を見送ってから、僕は右に曲がり、小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅の方角に向かって[弁天橋]を渡る。
この橋は[江ノ島弁天橋]とは別の[弁天橋]で、名前が本当に紛らわしい。
しかも一般的には[江ノ島弁天橋]の方をただ[弁天橋]と呼ぶのだから、ますます紛らわしくなる。
(初めて話したけど、天紫野会長は良い人だったなぁ……僕を気持ち悪がらないし、同好の士みたいだしね)
良い出会いだった……
だいぶ仲良くなれたし、今度は天紫野会長が未プレイであろう名作ギャルゲーを、奨めてみるのも良いかもしれない。
天紫野会長のことを考えつつ[弁天橋]を渡り切り、待ち合わせ場所の、小田急線片瀬江ノ島駅の駅前ロータリーに着く。
待ち合わせまで時間があるし、小腹も空いたので、近くで食事をすることにした。
駅前ロータリーから少し脇に入った裏路地に、時々行くイタリア料理店[Orizzonte(水平線)]があるので、そこに向かう。
その店は、店長がイタリア人で、本場のパスタが味わえる、隠れた名店なのだ。
しかも、お値段はリーズナブルで、学生でもなんとか入れるお店だ。
……まあ、一皿で時給以上は軽く飛んでいくが……
店長のフィリッポさん曰く、ここはリストランテではなく、トラットリア(食堂)なので、安価なのだそうだ。
カランコロン……
「イラッシャーーイ」
[Orizzonte]の扉を開けると、店長のフィリッポさんが、カウンターの中から声をかけてきた。
店内にはカウンターと、テーブル席が三つしかない小さなお店だ。
なので、夕方前の暇な時間は、フィリッポさんが一人でやっていることが多い。
僕はカウンター席に座る。
「Benvenuto! (ようこそ!)コレアキ」
フィリッポさんは、赤みがかかったウェーブの髪をオールバックにし、彫りの深いが、整った顔をしている。
いかにもイタリアの伊達男といった様子の、カッコいい人だ。
「イツモノ、デェースか?」
「はい、ナポリタンお願いします」
「Ho capito.」
フィリッポさんは裏メニューで、イタリア料理ではないナポリタンを作ってくれる。
そのナポリタンは、ケチャップを使わない、トマトソースのオリジナルナポリタンで、そこらで食べるジャンクなナポリタンとは、一味も二味も違って絶品なのだ。
フィリッポさんが調理している間に、店内を見渡す。
木材を基調にした落ち着いた店の中には、他のお客さんは、テーブル席のカップルだけだった。
横から日が差す午後の店内には、BGMにカンツォーネが静かに流れている。
面白いことに、そう広くない店のすみに、ポツンと対戦ゲーム[ストリートファイター2]の古い筐体が置いてある。
この不釣合いな物体は、完全にフィリッポさんの趣味だそうで、お客がいない時になどに、フィリッポさんがプレイしている。
僕は何度かフィリッポさんと対戦してみたが、全くと言っていいほどに、歯が立たなかった。
この時間はお客が少ないが、夕食時などはかなり繁盛するので、夕方からは美人のウエイトレスさんが来る。
ここのウエイトレスさんは、皆美人なのだが、コロコロと入れ代わることで有名だ。
噂では、フィリッポさんが次々に手を出すので、しょちゅう、ウエイトレスさんが代わるのだと言われている。
「Ecco fatto.(出来たよ)」
湯気の立つ、出来立てのナポリタンが、お洒落なお皿に盛られて出てきた。
「ゴクリ……」
食欲を誘う見た目と香りに、思わず唾を飲み込む。
かき込みたい衝動を抑えてフォークを握り、一口サイズに丁寧に巻きつけていく。
パクッ……
「!?!?!?」
やっぱり美味いっっ!!
コクが有りながらも、サッパリとしたトマトソースに、表面がカリッとした香ばしい厚切りベーコン。
そして絶妙なアルデンテのパスタ……絶妙な茹で加減なのは、フライパンで加熱しながら絡めることを計算して、茹でてあるためなのだろう。
イタリアンでは青ピーマンはほぼ使わない。
なので、代わりに甘みの強い、イエローパプリカが使われていて、見た目にも華やかだ。
(最高だぁぁぁ!!)
日本発祥のジャンクパスタも、フィリッポさんにかかれば、本格イタリアンに変わる。
心の中で感涙しながら、じっくりと味わって食べる。
ゆっくり食べなければ、この幸せな時間はあっと言う間に終わってしまうのだ。
もぐもぐもぐもぐ……
カンツォーネを聞きながら、魅惑のナポリタンに没入していく……
「Ma va! Mamma mia! (まさかっ! 信じられないっ!)」
カウンターの中でスマホを見ていたフィリッポさんが、突然声を上げたので、僕も驚いて皿から顔を上げる。
「Ma no……(駄目だ……)」
するとフィリッポさんは一言呟くと、スマホを置いてふらりと歩き、窓際へ移動した。
「Ho paura del ginecologo……(産婦人科医が怖い……)」
そして、遠くの空を眩しそうに眺めながら、なにかイタリア語で渋く、ささやくように呟いた。
その立ち姿は男の哀愁が漂っていて、なんとも絵になっていた。
(格好良いなぁ……あれは空を眺めながら言う台詞なのかな?)
きっとイタリアの名言とか、有名な歌詞なのだろう。
(お、ぱうら、でる、じねころご……か。……ふふっ、覚えちゃった)
格好良い台詞を覚えて、得した気分になりながら、絶品ナポリタンを心行くまで堪能した……
「CiaoCiao!Torna presto!(また来てね!)」
元気を取り戻したフィリッポさんに料金を払って[Orizzonte]を出る。
(しかし、本当にイタリア語って格好良いよなぁ……覚えたら、青浜さんや龍巳さんは、僕に惚れてくれるかなぁ……)
ロータリーに戻り、友人二人の到着を待ちながら考える。
(よし、試しにちょっと練習してみるか。えぇと……お、ぱうら、でる、じねころご。……オ、ぱうら、デル、ジネころご。……オ、パウラ、デル、ジネコロゴ……)
(Ho paura del ginecologo……)
二人が来るまでの間、格好良く遠くの空を眺めながら、さっき聞いた意味の分からないイタリア語を真似して、脳内で反復した……
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