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【イタ☆恋!】新・江の島縁起〜なぜかイタリア出身の怪人として戦うことになった僕は、魔法少女に恋をした〜☆現代ラブコメ・ファンタジー☆  作者: 綿野草空希
24 DT命令発動!!

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24.3 最初の日射病9


 (さっきの保健室での話は、椎名君と一宮君には絶対知られないようにしないと……)

 五限目の授業を受けつつ、そう考える。


 もしも彼らが[童貞喪失からの怪人化解除]という情報を知ったら、僕と芹園さんが性行為するように、必死に画策《かくさく》するだろう。


 (あの二人なら、ホテルでも予約して、そこに誘導する罠を、仕掛けかねないからなぁ)

 まったく、良い友人だ。


 (それから、怪人専用の入り口かぁ。岩本楼の裏に、そんなモノがあるんだなぁ)


 あの後、神城岬先生と、夕方にアジトで行われる、精密検査の打ち合わせをした。


 検査自体は、先生と先生の部下数名で行われるモノで、別段、僕がすることはない。


 僕は、時間通りにアジト入りすれば、それで良いのだが、ただ、アジトの入り口について、変更があった。


 僕は今後、怪人専用の入り口からアジトに入り、怪人一人ひとりに与えられる[専用個室]で、着替えなどの準備をすることになったのだ。


 で、その怪人専用の入り口というのが、弁財天仲見世(なかみせ)通り沿いに建つ[岩本楼]の、その裏手を通る道にある[清掃用具置き場]なのだそうだ。


 そのドアには[鎌(・)倉(・)市(・)江ノ島観光清掃局・用具置き場]と、存在しない役所名が書かれているらしい。


 先生曰く、江の島は藤(・)沢(・)市(・)になるので、鎌(・)倉(・)市(・)の用具置き場などあるはずがなく、結果、誰も近づかない……との話だった。


 が、僕は逆に興味を引いて、まずいんじゃないかと心配になった。


 その用具置き場に入ると、人が入れるほどの大きさの、ロッカーが並んでいるそうだ。


 それで、右から二番目のロッカーの中に、暗証キーつきのドアがあり、そこが怪人専用の入り口の一つなのだそうだ。


 (岩本楼ねぇ。なんでそんな歴史ある旅館の近くに、アジト入口を作ったのだろう?)

 黒板を眺めつつ、首を捻《ひね》る。


 (岩本楼の詳しい歴史は、どんなんだっけ?)


 記憶を手繰《たぐ》る。


 ……そういえば、中学の時、担任の先生が郷土歴史部の顧問で、よく江の島とその周辺の話をしていた。


 無論、僕は郷土歴史部に所属していないが、普通の勉強より、この手の無駄知識の方が好きだったので、なんとなく覚えている。


 少し、岩本楼の歴史を思い出そう……(以下、中学の先生談である)


―――――

―――

―


 岩本楼は、明治以前まではただの旅館ではなく[総別当(そうべっとう)岩本院]という、京都仁和寺(にんなじ)を本山と仰ぐ直末寺で、島内の全ての神社を束ねる存在だった。


 そして[総別当(そうべっとう)岩本院]は江戸時代、島内の漁師町や対岸の片瀬村に、朱印地《しゅいんち》を持っていた。


 つまり、江の島は総別当(そうべっとう)岩本院の寺社領だったのである。


 一方で、総別当岩本院では、江の島講中(こうじゅう)の参詣客の宿泊も行っていた。


 分かりやすく言えば[お寺]兼[旅館]である。


 相模の国の巡礼地といえば、大山と江の島になる。


 大山が女人禁制なのに対し、江の島は女性も参拝出来た。


 そのため、江島詣(えのしまもうで)には、江戸城大奥の奥女中も、頻繁《ひんぱん》に参加したのだ。


 そうした高い身分の者が宿泊するのが総別当岩本院で、実際の宿泊例はないが、徳川家将軍が江の島を訪れた際の、御宿泊所に定められていた。


 その格式は非常に高く、総別当岩本院の当主は、新年に将軍に独礼……簡単にいえば、将軍に単独で新年の挨拶をすることが、許されていた。


 だが、江戸時代に繁栄を極めた江の島弁財天信仰と、総別当岩本院は、明治に入るとその地位を一気に奪われる。


 理由は明治新政府が行った、神仏分離政策だ。


 (注 神仏分離令は政令ではなく、いくつかの祭令の総称)

 

 弁財天は仏教の神様である。


 しかし江の島では[神社]で、弁財天を祭っていた。


 しかも神社を束ねる総別当岩本院は、京都仁和寺を本山とするお寺なのだ。


 何ともチグハグだが、これは江戸時代までは珍しくなく、神道と仏教が混在するのは、ごく一般的だった。


 しかし、明治新政府は、日本の[神社]で外国の[仏教神]が祭られるのを酷く嫌い、神仏分離政策を全国で強く推し進めた。


 その結果、江の島の神社では、弁財天は祭神の座から追い出される。


 そして、まったく無関係の、九州の宗像(むなかた)大社祭神の宗像(むなかた)三女神(さんにょしん)を、祭神と迎え入れた。


 多紀理比売命(たぎりひめのみこと)が奥津宮(旧本宮)へ。


 市寸嶋比売命(いちきしまのみこと)が中津宮(旧上之宮)へ。


 田寸津比売命(たぎつひめのみこと)が辺津宮(旧下之宮)へ。


 それぞれが、新しい祭神となったのだ。


 同時に、総別当岩本院の朱印地は、幕府の解体と共に、当然、没収された。


 岩本院の当主は、僧侶から神職への転向を、余儀なくされた。


 こうした経緯で、総別当岩本院は寺から、[旅館]岩本楼となる。


 さらに、弁財天を祭っていた元僧侶の多くが、江の島での旅館業へと、転向を果たしたのである。


 こうして生身の弁財天が住む、関東屈指の霊場として賑わった江の島は、祭神の入れ替わりと共に、霊場としての魅力を失い、ありふれた、静かな景勝地へと衰退していったのだ。


 その江の島が、再び賑わいを見せるのは、戦後、一度目の東京オリンピック以降のことである。


 これが江の島と岩本楼の歴史だ。


―――――

―――

―


 (でもさ、江の島って[生身]の弁財天が、ずっと住んでいた伝説が残ってるよね?)


 なら、明治になって祭神の座と共に、江の島の神社から追い出された[生身]の弁財天は、どこへ行ったのだろうか?


 弁財天と五頭龍との間に生まれた子孫たちは?


 弁財天の眷属、十五童子はどこへ姿を消したのだろう?


 (ま、まぁ、伝承や伝説を真面目に考えても、仕方がないか……)

 僕はただ、時間通りにその入口から、アジト入りすれば良いだけの話だ。


 (さて、授業でも聞こうか……もう、何を話しているのか、サッパリ分からないけどさ)


 五限目の授業は、歴史とはまったく関係ない、英語の授業だ。


 苦手な教科だったことも相まって、この後、激しい睡魔と戦う羽目になった……


 (あぁ、教師不在の際、臨時で行われる、杉山教頭の江戸弁英語の授業なら、面白いんだけどなぁ……)


第24章「DT命令発動!!」終了


次は第25章「あじさい咲く渡り廊下」(話数5話)になります


【予告】

 次章は、学校内でバトル勃発かっ!?


 


 

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