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第73話 密談 後編

『マリーア、私たちお友達になりましょう?』


 真紅のドレスを着た美少女はそう言ってヒーステン伯爵令嬢マリーアに微笑みかける。

 角度から表情のつくり方まで計算され尽くし磨き上げられた、見た者の心を打ち抜き、捉えて離さない魅力的な笑みだ。

 並の人間ならこの笑みに見惚れて、いま何を言われたかも忘却してしまうであろう。それくらいの破壊力がある。

 そもそも彼女は完成された美貌を持ち、10代半ばという年齢に不相応な抜群のプロポーションをも備えている。

 二の腕まで流れる黄金色の髪は山頂から見る朝日の光芒のような輝きを放ち、瞳はコバルトブルーのスピネルような深い色合い。

 豊かな胸元に、白く透き通るような肌は触れれば吸い付きそうな瑞々しさだ。

 鼻が高く整った高貴な顔立ちに、鋭い視線は心の内まで見透かされそうな“力”を感じさせ、その身からは目の前に立たれたら一も二もなく跪いてしまいそうな威厳が放たれている。

 まさに完璧。傷一つない真球の宝玉。生まれながらの女帝。

 男でも女でも、彼女に差し出されれば手でも足にでも口付けし、(こうべ)を垂れて服してしまうだろう。

 愛の言葉を一言でも囁いてもらえるのならば全財産をも手放してしまうかもしれない。

 そんな彼女に「友達になろう」と誘われたのだ。

 マリーアは心臓がドクンと跳ね上がり、歓喜の感情が心中より湧き上がるのを感じた。


「そ、それは……」


 繰り返すが並の人間ならドレスの少女の笑みに恍惚となり、何を言われたかよく理解しないまま「はい、喜んで!」と承諾していただろう。

 だが、マリーアは返事に窮する様子を見せた。

 ()()()伯爵令嬢ごときが畏れ多いという感情もあるが、なにより少女の発言には多分に政治的意図が含まれているのが分かりきっている。

 今後のシナリオを考えれば、彼女からの「友誼を結ぼう」という提案はあまりにも自分に、いや、ヒーステン伯爵家にとって都合が良すぎるのだ。

 最悪、友情の名の下にどんな要求をされ、全てが奪われてもおかしくない。

 彼女はそれくらい平気でしてくる政治の怪物だ。

 経験の浅いマリーアは素直に頷いていいのかわからず、その恐怖が歓喜の感情を上回り、返事を躊躇わせたのだ。

 グローブの下の手のひらは汗でびっしょりだが、表情は必死に平静を装おうとしている。

 まだ16歳とはいえ流石は大貴族の御令嬢。とても責任感が強い子である。

 だが、その心配を見透かしたドレスの少女は、柔らかい言葉遣いでマリーアの心を解きほぐそうとする。


『大丈夫、あなたが心配しているような事は決してしないと約束するわ。私は本当にマリーアと友達になりたいの。どうあれ政治的には利用することにはなるけど、それだけ。何も奪わないし、窮地には友人として必ずあなたを助けるわ』


 嘘ではない。

 何故かそう信じられた。

 それに彼女は非公式の発言だからといって約束を違えるような人物ではない。


「な、なぜ殿下は(わたくし)めを……?」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「それは……っ!」


 何故自分と友達になろうというのかというマリーアの問いに、ドレスの少女はキッパリとそう答えた。

 悲劇のヒロイン。

 そう、それがマリーアの身にほぼ確実に訪れるであろう未来だ。

 絶句するマリーアを前に、少女は更に言葉を続けた。


『多くの人々があなたの境遇に涙し、哀れに思うでしょうね。愚かな王子のせいで、受け継ぐはずだった領地も領民も、愛する家族も全て喪った悲運の伯爵令嬢だと。きっと、そんなあなたに救いの手を差し伸べた私との友情は、美談として世間に受け入れられるわ。――だからこそよ』

「だからこそ?」


 話している内容こそ酷いが、少女はマリーアを言葉でなぶるつもりもなければ、高みから憐れんでいる様子もない。

 ただ単純に事実を述べているだけだ。

 それに気がついたマリーアは首を傾げる。


『そう、だからこそ。だからこそ私はあなたと誰に憚ることのない友好を築けるの』


 ドレスの少女の顔に、少しだけ寂しそうな影が見えた気がする。


『いずれ至尊の王冠を戴く私には、えこひいきなど許されないわ。それは個人的な友誼もそう。「私の友達」というだけでその子は立場を利用して多くを得て、不公平を生むから。――でも、あなたなら誰も不公平だとは思わない。だってあなたはそれ以上のものを多くを喪っているし、私との良き関係は国の利益となるのだから』


 利益だの不公平だの、おおよそ友達となる前に述べるような理屈ではない。マリーアと友達になるのも、大前提は国の利益になるから。自身の都合ばかりで、勝手極まりない話だ。

 だが、マリーアは遥か古代の地球に「女王は孤独なものだ」と言った女王がいたと聞いたことがあるのを思い出した。

 もしかしたら彼女もそうなのかもしれないと思うと、不思議と先程まで怖くて仕方なかった彼女が、初めて自分と同年代の女の子に見えた。

 これも彼女の術中だろうか?

 だが、マリーアはそれならそれで騙されてもいいとまで思い始めていた。

 もうマリーアの声に震えはない。本当の意味で顔を上げ、真っ直ぐにドレスの少女の目を見つめた。


「殿下、(わたくし)は決めました。(わたくし)も殿下と友情を育みたいと存じます」


 二人の間には互いの立場もあれば、政治的な思惑もある。それぞれ人の上に立つ身として背負うものもあるだろう。

 だが、この時のマリーアの発言は純粋な本心から来たものだった。

 この「友達」からの言葉に、瞬きほどの一瞬だけドレスの少女の目が揺らぐ。


『――そう、嬉しいわ。よろしくね、マリーア』


 そう言って微笑む少女。

 その微笑みは、先程の完璧な笑みよりもほんの少しだけ暖かいように見える。

 マリーアも、この日初めて微笑みを浮かべた。


「はい、殿下!」

『……マリーア、私のことは名前で呼びなさい。その方が対外的にも良いアピールになるわ』

「承知いたしました――ウィルヘルミナ様」

『結構よ』


 満足げに頷くドレスの少女ことウィルヘルミナ。

 そこに、娘たちのやり取りを見守っていたヒーステン伯爵が一歩前に出て深々と頭を下げた。


「殿下、我が娘のこと、どうかよろしくお願い申し上げます。遠からず泉下の客となる私には、そのお袖に縋るより他に頼る(すべ)がありません。何卒、殿下のお力で娘をお守りください」


 ヒーステン伯爵としてではなく、一人の父親としての言葉だ。

 ウィルヘルミナもこれに居住まいを正して応える。


『マリーアのことは任せなさい、ヒーステン伯。この私、レルヒドール帝国皇太子ウィルヘルミナ・ローデウェイク・アレクシア・レルヒドール=バーベンベルクの名と、レルヒドール帝国とヒーステン伯爵家200年の宿縁に誓って、決して悪いようにはしないわ』

「感謝申し上げます。先祖たちが血と鉄で紡いだヒーステン伯爵家とレルヒドール帝国200年の逆縁は、たった今の皇女殿下のお言葉で順縁へと転じました。これよりは殿下と我が娘が新たに両家の良き関係を築くよう願うばかりであります」

『安心しなさい。きっとそうなるわ』


 ウィルヘルミナは自身の名と両家の将兵が命をかけて戦った200年の歴史に誓ってマリーアの身を保証する。

 その言葉を聞き届けた伯爵の目には一筋の涙があった。


 ◇◇◇


 ウィルヘルミナとの通信が終わり、部屋に満ちていた()が消え失せた。

 ヒーステン伯爵はフゥと大きく息を吐く。


「……やれやれ、相変わらず凄まじい風格というか威圧感だ。あれでお前と同じ16歳とは、いやはや末恐ろしいお方だな」

 

 そう言って伯爵は娘に笑いかける。彼は家族に向けてよく笑顔を見せる愛情深い男性だ。

 話し方も身内に向けた優しいものである。


「それにしても……ふふっ、あの《烈光皇女》と称えられるウィルヘルミナ殿下と臆さず話せるとはな。ましてや友と……子供の成長は早いというが……ああ、いかんな、また涙が出てきたよ」

「お父様……」


 目元を手で隠す伯爵にマリーアはそっと寄り添う。

 重要な密談を最上の結果で終えることができた伯爵の心中は未来への安堵感で一杯である。


「マリーア、お前になら安心してヒーステン伯爵家を託せる。祖国に弓を引いた罪咎は父が全て背負おう。お前の人生を狂わせたあの王子も、生きているのが嫌になるほどの地獄をこれから見るはずだ。お前は復讐など考えずに殿下の下で未来に生きなさい」

「はい……」

「さあ、いつまでも泣いていられないな。今日は家族水入らずだ。母さんがメイドから習ってマリーアの好きな料理を作ったそうだぞ。……ちょっと不安だが、いただこうじゃないか」


 叛乱を決意した日から結末は決まっている。

 ヒーステン伯爵が叛乱を起こしたのは現王とギュンター王子への恨みもあるが、最大の理由はそれが一番王国全体のためになるからだ。

 もし仮に伯爵が叛乱を起こさなければ、帝国はギュンター王子が起こした事件をネタに王国内でスパイを使って離間工作を進め、国を二分するほどの火種にしたであろう。それが可能なほどの不祥事である。

 それをされるくらいなら、ヒーステン伯爵領だけで爆発し、民間人の被害を極力減らせるように伯爵主導で叛乱をするのが結局は一番被害が少ないのだ。

 元から伯爵領内は吝嗇家のヨハン3世のせいで王家への不満が燻っていたので、軍からも反対意見はほぼ出ていない。

 帝国へは、“王国への侵略の口実となるネタ”の提供を約束に協力を取り付けた。

 その“ネタ”は今後王国と帝国の間で長年の火種となるであろうが、ヒーステン伯爵家としてはそれくらいしないと意趣返しにならない。

 ヨハン3世は激怒するであろうが、次期国王である皇太子とパラディアス王子は甘んじて受け入れるだろう。

 父と娘は部屋を出て、悪戦苦闘しながら鍋を振るう母の所へ向かう。

 ヒーステン伯爵領本星「メイヌース」の夜は、間も無く始まる一大決戦の熱を秘めたまま静かに更けるのであった。

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