第72話 密談 前編
『惑星ミュコーが陥落したと聞きました。しかも、その時に大きなトラブルもあったとか』
「……さすが、お耳が早いですな」
空間を贅沢に使用した広々としたオフィスルームにて、軍服を見に纏った痩身の壮年男性が硬い表情で通信をしている。その後ろには、控えるように一人の少女が立っていた。
そして空中に投影された画面に映るのは、細緻な刺繍が施された真紅のドレスを着た優艶な美少女だ。
時刻は夜。つい先ほどギルド連合による惑星ミュコー解放作戦が終了したばかりである。
この男性がその報告を受けたのも、ほんの30分前の話である。
オフィスルームと言っても、ここはどこかのオフィスビルの一室ではない。男性の住居の一部屋である。
この邸宅は、西暦21世紀にワシントンで建築された、かつて実在した豪邸を模して建てられたもの。
なので当時のセレブたちの流行がそのまま再現されており、クラシックな内装となっている。
まず目に入る床は白の立派な大理石。その上に黒の絨毯が敷かれていて、モノトーンな構成が美しい。
天井の高さは7.5メートルもあり天窓からは夜空が見える。
作り付けのキャビネットはラッカー仕上げとなっており、天井まで高さがあって、そこには勲章や古い写真、数々の宝物が収められていて、この一族の歴史の長さを伺わせた。
対面の壁は一面が全面ガラス張りとなっていて、眼下には広がる都市を眺めることができる。
机と椅子も当時の物を再現した逸品で、元となった品はイタリア高級ブランドだ。
部屋にいるのは40手前の男性と10代半ばの少女の二人だけ。どちらも椅子には座らず、部屋の中央で姿勢よく立ち、通信相手の女性へと応対している。
「……不測の事態が起き、我が軍の戦艦がミュコーへ落下いたしました。ですが、我が家臣たちと傭兵たちのお陰で大気圏内にて破壊に成功。人命に関わる被害にまでは至りませんでした」
『そう、それはなによりでしたわね』
口元を引き締めて話す男性とは対照的に、画面の向こうの赤いドレスの少女に気負いはない。細工の施された重厚なアンティークチェアにゆったりと腰掛け、手すりに肘をついて指を組み、男の話に鷹揚な態度で耳を傾けている。
赤いドレスの少女と軍服の男性との間には20以上の年齢の差があるが、立場は少女の方が上のようだ。
しかも、ピシリと立っている男の服は軍の正装で、帽子をしっかりと着用し、胸に金モールを下げ、腰には儀礼用の剣を佩いている。このまま式典にも出席できそうな格好だ。
一歩下がった場所に立つ少女も、落ち着いたデザインをした仕立ての良い薄ピンク色のドレスを着ており、白のグローブを着用したフォーマルな装いだ。やや緊張した様子が見え、両の手を腰のところで合わせて顔を強張らせている。
この様子を見ると、通信先の少女は彼らより高位の人物で、この通話は二人にとって非常に重要なもののようである。
赤いドレスの少女が計算されつくした完璧な微笑みで言う。
『領民に被害がでなくて良かったですわね、ヒーステン伯』
「はい、不幸中の幸いでした」
少女の言葉に男性――ヒーステン伯ことルキノ・ステッラ・ルルディーニ・フォン・ヒーステンは目を伏してこう答えた。
そう、彼こそがソリスティア王国に反旗を翻したヒーステン伯爵その人である。
王国史上類を見ない暴挙とも言えるこれほどの大事件を起こした首謀者にしては実直そうな男性だ。
口髭も丁寧に剃られており、身嗜みもしっかりと整えられ、モカブラウンの髪には白髪が一本もなく、見た目も若々しい。
叛逆者ではあるが、顔つきもどちらかと言えば柔和で、目元や口元に隠し切れない内面の誠実さが滲み出ていた。
『しかし、いよいよ領内まで攻め込まれましたわね』
「はっ、決着の刻は近いかと」
『王国軍の指揮官はかの《海賊殺し》の第四王子なのでしょう?』
「そうなるでしょう」
『手強いお相手ですわね……。どうかしらヒーステン伯、もしよろしければ我が国から少し部隊を派遣いたしましょうか?』
表情を変えずに喋るヒーステン伯爵に、赤いドレスの少女はさも親切心からだとばかりに提案を持ちかける。
だがヒーステン伯爵は少女を真っ直ぐに見据えてキッパリと断った。
「いえ、殿下のお気持ちだけ頂戴いたします」
『そう、残念だわ』
提案を無碍にされたというのに愉快そうに微笑む「殿下」と呼ばれた少女。
彼女の言う“少し”がどれほどなのか定かではない以上、ヒーステン伯爵は決して首を縦に振れない。
それこそ援軍と称して複数の艦隊を送り込み、伯爵領の占領を目論んでもおかしくない相手なのだ。
「我が軍は精兵揃いであります故、ご助力は不要に存じます」
『ええ、そうでしょうとも。我が国の軍人で、二百年来の仇敵たるヒーステン伯爵軍の勇猛さを知らぬ者は誰一人いないわ』
「恐れ入ります」
そう言って深々と頭を下げるヒーステン伯爵。赤いドレスの少女はそれを愉快そうに見下ろす。
彼の堂々とした物言いをこころよく思っているようだ。
ヒーステン伯爵は顔を上げると話を先に進めた。
「では、決戦が近づきましたので、前々からの取り決め通り、情報のリークをよろしくお願いいたします」
『ええ、任せてちょうだい。此度の発端となったギュンター王子の愚行は我が国のマスメディアを通じて広めさせてもらうわ。明日の朝には王国全国民にも知れ渡っているはずよ』
「ありがとうございます。……ですが一つお約束を。殿下に対し僭越極まりないですが、娘の名誉のためにも、くれぐれも正確な情報発信をご留意いただけますでしょうか?」
そう言ってヒーステン伯爵は自身の後ろに立つ少女に目を向ける。
どうやら彼女はヒーステン伯爵の息女らしい。
彼女は赤いドレスの少女に対し不躾に話しかけるような無作法はせず、口をつぐんで目を伏せたまま丁寧な所作で頭を下げた。
チラリと、彼女の後頭部を飾る銀細工のバレッタが見える。シンプルで控えめなデザインだ。この場に合わせ、慎み深く主張しないものを選んだのかもしれない。
『勿論よ。同じ女性として、その点に関しては誤解が生じないよう担当部局に厳命しておくわ』
「そのお言葉を頂戴しまして安心いたしました。リークの件、どうかよろしくお願いいたします」
心底ホッとした様子のヒーステン伯爵。後ろの伯爵令嬢も顔を伏せたままだが、安堵している気配がある。
この言質が取れたことは大きい。誇り高い彼女はつまらない嘘などつかないし、約束は必ず守ろうとする。
その姿勢がどれほど政治の場で自らの発言力を高め、信頼を集められるのかよく知っているのだ。
赤いドレスの少女が、今度はヒーステン伯爵の後ろに控えている伯爵令嬢へと声を掛けた。
『あなたがマリーアね』
少女の呼びかけに対し、マリーアと呼ばれた令嬢は顔を伏せたままカテーシーという作法で挨拶をして答える。
「はい、殿下。私がマリーア・アニェス・ルルディーニでございます。殿下の拝顔の栄に浴することができましたこと、幸甚の至りに存じます」
硬い声で名乗るマリーア。貴族の令嬢だが、まだ16の少女だ。他国の王族との会話は慣れていないし、密談の内容も内容だ。緊張して声が硬くなるのも当然だろう。
そんなマリーアを気遣ってか、赤いドレスの少女は優しい口調で話しかける。
『ねえ、マリーア。私、あなたにはとても同情しているの。愚かな王子のせいで災難だったわね』
「もったいないお言葉でございます」
『そう硬くならないで。顔を上げてちょうだい?」
「恐れ多く存じます」
顔を上げろと言われても素直に上げるわけにはいかない。それくらいの身分差が二人の間には存在する。
だが、赤いドレスの少女が再度「構わないから」と要求したので、マリーアは静々と面を上げた。
これで断ったら逆に失礼となってしまうのだ。
伸ばしたモカブラウンの、極上のシルクように柔らかい髪がさらりとなびく。
マリーアの可愛らしくも、父親そっくりの柔和で誠実な顔があらわになった。
唾を飲み、背中に汗を浮かべているマリーアに、ドレスの少女は花が咲くような笑顔で、
『マリーア、私たちお友達になりましょう?』
と、声を掛けるのだった。




