第6話 「胡蝶の夢」
その日、蛍は久々に夢を見た。
少ない時間でも体と脳を休ませるため、呼吸法と体をめぐる霊道の力をコントロールして、すばやく深く深く眠ることができる彼女は、あまり夢を見るということをしない。
もっとも、医学的には適度に浅い眠りをしないとかえって健康を害するということであり、あくまで「ある程度」深く眠れるようにしている、というだけである。
だから、夢をみたのは、珍しいことではあれど、おかしなことではなかったが、よりにもよって悪夢であったのは、何か因果でもあるのだろうか。
その夢は、不思議な夢であった。
自分の命をもって封じなければならない「あれ」が、なぜかすでに危機として発動しており、世界を侵そうと襲い掛かっている。
そして自分はといえば、何故責務を放棄してしまったのかのうのうと生きており、「あれ」と対峙していた。
もちろん、「あれ」がどういうものか、蛍はまだ見たことはない。
そもそも、映像記録など現代になって初めて使えるようになったのだから、今生きている人間で、「あれ」を直接見たことがある者など、一人も居ない。
あくまで、伝承、口伝、絵巻という形で残されているに過ぎない。
それでも、夢の中で襲い掛かってきているものが「あれ」であると、何故か彼女は確信していた。
バカな、と夢の中の自分を叱責する。
「あれ」を滅ぼそうなど、無理に決まっている。
だから、自分はさっさと命を絶ってあれを封じなければならないのだ。
戦っている自分の周りを見渡せば、そこには、自分とともに「あれ」に立ち向かう人たちが居る。
人数は五人。
そのうち四人は見たこともない者たちだ。
一人は、ボサボサの髪と牙のような八重歯が目立つ、どこか不良めいた大柄な少年。唸るように猛々しく吼えながら、【ホコロビ】へと強靭な爪を振り下ろしている。何が悲しいのか、涙をしとしとと流し続けており、それでも吼えたける姿はまるで慟哭に喘いでいるようにさえ見える。
一人は、自分と同年代と思われるサイドポニーテールの少女。見たこともない光の陣を地面に描き、降り注ぐ【マガツ】の怨弾を防ぎ、さらに【マガツ】そのものを封印でもしようとしているのか何かの小瓶にそれを納めようと必死になっている。
だが、思うように行かないのか、その表情は苦悶と悲痛に染まっていた。
一人は、迷彩服を着込んだ30前後の男。肩には大きな銃器を構えており、無謀にも「アレ」に向かって弾丸を何度も発射している。当然のように弾は「アレ」をすり抜け、己の無力さに絶望しつつもそれしかできることはないと、新たな弾を装てんしている。
一人は、怪しいまでに妖艶な着物姿の女性。まるで傾国の美女とでも言うべきその存在は、悲しいかな、疲労で限界であるのか美しい顔を崩して息を荒げている。さらに、そこに容赦なく襲い掛かる【マガツ】たちにに、哀れ、飲み込まれていってしまった。
そして、最後の一人は――
夢の中の自分が、悲鳴を上げる。
これが、どうか夢でありますようにと願うかのように。
ああ、そうだ。
これは、夢だ。
だから私、どうか安心して。
そう、夢の自分に伝えられれば良いのだろうか。
いいや、そんなことはない。
そんなことで安心などできるはずもない。
なぜなら、これは、「近く本当に起こること」なのだから。
それは、予感であり、そして確信だ。
魂守の一族において予知というのは、ただの異能ではなく、霊脈や地霊からの情報を、己の霊道を通して脳が処理する、極めて精度の高度な演算結果である。
だから、もしこの夢がその「演算」によってみているであれば、きっと近い未来に起こるはずの光景であろう。
なぜ、そうなったのかはわからない。
何がきっかけでこうなってしまうのかはわからない。
ただ、もしこれを防ぐとなれば――私は、成人を待たずに早急に命を絶たなければならないのかもしれない。
夢を見ていると自覚する蛍は、夢の中の自分が苦しむさまを、今はただ淡々と見続けるしかない。
周りにいる「仲間」――そう、仲間といえるかもしれない彼らは、きっと、自分のために戦ってくれている。
なのに、何もできずに立ち尽くす自分は、夢の中とはいえ情けなかった。
夢の中の蛍は、泣いていた。
嗚咽を繰り返し、過去を嘆き、そして自分を呪っている。
こんなはずではなかったと、世界を憎悪した。
だって――こうならないために、私は誰にも助けを求めず、誰とも心を通わせないで、ただ一人死んでいこうと決めたのではなかったのか。
「……た……」
「ま……く……」
なのに、ほら。
それを私は望んでしまったから。
「ほ……る……」
「正……くん」
だから、初めてできた大切な友達が――
「蛍……泣かないでくれ」
目の前で、彼は笑って「あれ」に飲み込まれていき――
「正史君!イヤァァァァァ!!」
夢の中の私と、夢を見ている私との二つの絶叫が、闇の中に重なりあって響いていった。
「ああああああああ!」
自らの声で目が覚めて、蛍が最初に見たのは、自室のドアだった。
それはすなわち、目を開いたときにはすでに上体を起こしていたということだが、そんなことは彼女にはどうでもいいことである。
すでに残暑は過ぎきって、涼しくなったはずのその秋の夜。にもかかわらず不自然に火照りきっている体に大量の汗がにじんでいる。
「はっ!はっ!……はっ……はっ……」
自分を突き動かすかのような胸の鼓動が、呼吸とともに徐々に静かになっていく。蛍の胸元の双丘を滑るように汗が伝い、まるで誰かに指を這わされたかのようで、彼女は嫌悪と快楽が混じったようにぴくっと体を震わせた。
さらに、寝巻きが吸い込んだ大量の汗が体を冷やすが、その刺すような冷たさがかえって頭を冴えさせてくれる。
「はっ……はっ………はあ……」
落ち着いてくるのと同時に、ああ、あれは夢であったと安堵して――
「……夢……どんな夢だっけ?」
内容を覚えていないことに気づいた。
何か、重要なことを見た気もするが、思い出せない。
唯一の覚えていることといえば、夢の最後に見たのは、昨日戦いを見られてしまったクラスメイトの顔であるということだ。
だけれども、それがどういう場面だったのか、さらにはどういう表情をしていたのかすら思い出すことができない。
そもそも、自分はなぜこんなにも取り乱しているのだろうかと夢の内容を回想しようとしても、霞がかったように記憶が取り出せない。
まるで、「術」によって記憶を封じられたかのようだった。
「あのとき……田渡君の記憶を封じちゃった、罰、なのかな」
呟く。
もちろん、そんなことはないとわかってはいるが、何故かその思いは消えない。
あのときは、ああすることが最善だった。それ以外に方法などないし、今までだって同じようなことはしてきても、それに罪悪感を感じることなどほとんどなかった。
ただ、今までと違うのは――彼は、自分を受け入れようとしてくれたこと。
恐怖からの拒絶でも、愚かな好奇心からの接触でもなく、ただありのままに、事実を事実として認め、その上で自分をクラスメイトとして良くしようと思ってくれたこと。
それがどれだけ貴重でありがたいことか、わかっているがゆえに、彼の記憶を消してしまったことが重く、重く、彼女を押しつぶす。
「田渡、くん……」
家族との部屋が離れていることが幸いしたのか、さきほどの蛍の悲鳴を聞いた者はおらず、誰かが部屋に押し寄せてくることはなく、その後は平穏な夜が訪れていたのだが――蛍は、正史の顔を脳裏から消すことができず、朝まで眠ることができないでいた。
一方の正史といえば――
「くそ! すっげぇいいエロ本だけど、どう考えてもこれって神奈森との出来事の印象が強くて記憶消された俺が無意識に買っちまってるんじゃねーか! あんな泣き顔みたいな謝罪されたシーン見たあとでコレが使えるか! 罪悪感ぱねぇんだよふざけんな! ムラムラしすぎて眠れねぇぇぇぇ! せっかく【あっち】のことが片付いて久々にゆっくり眠れる日だって言うのに!」
しっかりと何があったかを把握しちゃっており、なんか全然違う方向の蛍に対する罪悪感のせいで眠れないでいた。




