第7話 「貴方を知りたい」
蛍が彼と再びあったのは、翌日となる木曜日。
その、朝の教室の中だった
「よう、おはよう神流森」
「……おはよう、田渡君」
早朝、まだ閑散としているクラスに入ってきた正史が蛍の横を通りすがら、朝の挨拶を送る。
普段、彼から挨拶をされることなどめったになく、昨日のこともあり、わずかに戸惑って間を開けてしまったが、蛍は特に感情を込めないまま定例の言葉で挨拶を返した。
彼はいつもどおりの眼鏡をかけており、蛍も今度は彼を見誤ることはなかったが、どことなく能面のような、そんな無表情にも見える。
そういえばレンズは少し遮光していると言っていたが、なるほど、言われてみるとそのとおりで、彼の表情は読みづらい。
しかしそれ以外、彼の様子に際立っておかしなところはないのではあるが――
(どうしたらいいかなあ)
蛍は、一人思い悩む。
ちゃんと、彼の記憶は消えているのだろうか。
そんな不安が、少女にはあった。
普段なら気に病むまでもないことであるが、術をかけた対象の相手が、すぐ傍にいるのである。今朝の夢のこともあり、どうも気になって仕方がない。
夢の内容は覚えていないが、彼が出てきたのは間違いないからだ。自分の「予知」が、何かを示唆していたのではないだろうか、と。
そもそも、正史が蛍に挨拶をすること自体少ないことなのに、なぜ、今日に限ってなのだろうか。
しかし、窓側にある正史の席から見て、ちょうど右前に桂馬飛びした位置に蛍の席があることと、まだ登校している生徒が少ないことを考えれば、目に入ったであろう蛍に挨拶をすることは不自然ではない。ただ、今までを踏まえると、同じ状況だとしても珍しいことは確かだ。だからといって全くないということもなく、警戒すべきかどうか、判断には困る。
とはいえ、彼の記憶は、暗示によって消えていることをあのとき確認しているので、今の挨拶は本当にただたままただろうと、蛍は先ほどより行っていた予習を続ける。
結局、たまに振り返って後ろを見ても、正史は机に突っ伏して眠っているだけで、そのまま朝の時間は過ぎていった。
それは、その日の昼休みのこと。
昼食後のコーヒー……は苦手なので、パックのコーヒー牛乳をストローですすりつつ、午後に行われる古文の授業の現代語訳を蛍がノートに行っていると、「あの……」と声をかけてくる生徒が一人。
ちょこんと控えめにつけられた鈴をモチーフにした髪留めが、左右のおさげに揺られているのが愛らしい。ほんの少しだけあるそばかすを本人は気にしているようではあるが、蛍はそれも彼女のチャームポイントだと思っている。
彼女は、蛍の数少ない学校での友人の、府車文である
友人といっても、二人でどこかに遊びに行くということはない程度のものであるが、勉学のこともふくめ、好きな本などの少しだけプライベートなことも話す間柄ではあった。
「神流森さん。……ちょっとわからないところがあるんだけど、聞いていいかな」
多少おっかなびっくりに効いてくるのは、緊張しているからというよりも文の癖のようなものである。
文学部に所属している彼女は、いかにも「らしく」引っ込み思案然とした性格ではあり、あまり人とのコミュニケーションが得意と言うわけではない。とはいえ、自分の好きなこと、興味があることに触れるとスイッチが入ったように饒舌になったり行動的になったりすることを、蛍は知っている。
その裏表が面白く、また微笑ましく蛍は思っており、彼女は文のその両面が好きだった。
どうやら、今は「通常モード」であるようで、いつもどおりの勉強の質問なのだろう。蛍は口元も緩め、「ええ」と返した。
彼女がこうやって、昼休みなどに勉強を聞きに来ることは、ままあることだ。
そして、暫くの間、彼女がわからないという古語の慣用句について口頭で現代語を伝えていると、不意に、文が蛍を見つめて疑問の声をあげる。
「あの、神流森さん。……正史君が、気になるの?」
「えっ!」
自分でもビックリするぐらいの大声で、蛍は驚嘆する。
彼に聞かれなかっただろうかと後ろを振り向けば、正史はあいも変わらず、朝と同様に机に伏したままだ。さすがに授業中までそのままだったとは思わないが、休憩時間にそれとなく確認したときは、たまにトイレにでも行った以外はやはり同じように眠っていた気がする。
「ど……どうして?」
「だって、朝からたまに、彼を目で追ってるから。珍しいなあと思って」
その言葉に、蛍はかなり驚いていた。
確かに、今日なんどか「それとなく」彼を確認したのは自覚がある。
だが、それ以外でもほぼ無意識に正史のことを追っていたのかもしれないが――
驚くことは、それ自体よりも、失礼な言い方だが普段からどんくさいイメージのあった文が、そのことに気づいていたということである。
ということは、自分は相当に露骨に見えていたのだろうか。
「多分、気のせいじゃない? そんなことは、ないと、……うん、ないと思うけど」
「そう? へへぇ……そっかー」
目の前の文学少女は、なぜか口元をにまにまさせて蛍を見ている。
また、それまでのどこかおっかなびっくりした気の弱い様子がどこにいったのが、好奇心と期待とで一人盛り上がり始めたように口調も変わってきている。
これは、彼女に「何か」のスイッチが入り始めた傾向ではあるのだが、蛍はそのことに気づきながらも、その「何か」が何かまではわからないで居る。
もし一般的な女学生であれば、それが他人の恋愛ごとを面白がっていることに気づいただろうが、あいにくそのような世俗的なこととは縁が薄かった蛍は、そのまま自分の疑問を晴らすことだけを考えた。
「そういえば、府車さんって、田渡君のことを名前で呼んでいるけど、親しいの?」
結果、出てきた質問の内容は、どう考えても正史を意識しているといっているような内容だった。
墓穴を掘るというのはこういうことなのかもしれない。
その質問に、文はなぜか「うんうん」と頷くと、それでも正直に自分と正史について、説明する。
「えっと、ただのクラスメートってだけじゃなくて、それなりの友達ではあると思うよ。一緒に二人でどこかに遊びに行く、とかそういうのはないけど、機会があればみんなとカラオケにいくとか、ゲームセンターにいくとか、くらいには」
「……彼って、どういう人?」
「どういう人って聞かれても……難しいけど、まあ変な人だよね」
友人の思い人(だと思っている)相手を貶めるようで少し声をつまらせながら、文が言う。
「変?」
「とにかく、交友関係が広いんだ。ツイッターとかフェイスブックとかみたいなネットワークの交友じゃなくて、実際の交友関係ね」
「友達が多いってこと?でもそれって――」
普通じゃないのだろうか、と蛍は首を傾げる。
もちろん、自分のような存在からすれば、まったく異なる世界ではあるが、そういう人はそれなりにいるだろう。少なくとも「変」とは言われないはずだ。
「うーん、なんていったらいいかなあ。別に、学校で友達が多いとかとういうんじゃないの。ただ、いろんなところに節操なく知り合いがいる感じなの」
なんでも、部活や委員などは特にやっていないのに、まったく関係のないクラスにほいほい入って行っては、運動部の主将や文化部の部長、生徒会長などと親しげに話したり、さらには教頭や学年指導の担任などとプライベートであっていたり、用務員室にもしょっちゅう出入りしていたりする。
ともすれば、学校外では他校の不良グループの番長――文の認識では不良のリーダーはなんでも番長らしいが――に絡まれてる様子も目撃されている。が、別にそこで喧嘩があったというわけでもなく、何事もなく翌日現れていたりする。
そしてある時は、どこぞの大企業の社ビルに、スーツ姿の秘書のような人に案内されて入っていくのを見かけたという人もいれば、ホームレスと一緒に鍋パーティをやっていたというのを見たという人もいる。
「実際、それが正史君だとは確証があるわけじゃないし、本人に聞くと『知らない』って答えるから、見間違いなんじゃないかっていう人も多いけどね。実際、見た目よくいる感じだし」
それからしょっちゅう学校さぼってるけど、特に先生から注意されてる感じもないのが気になるかな、と彼女は答えた。
「あとは……そうだね、よく寝てる。授業中もたまに寝てるから、多分いつも徹夜でゲームでもやってるんじゃないのかな」
「そう」
話を聞く限り、どうにも人物像がつかめない。
気にする必要がそこまであるとも思わないのだが、どうにも、今朝見た夢の残影のことが、胸に引っかかるのである。
しかしながら、不必要に彼と接触して術が破れても困るわけで、この件については保留するしかないだろう。
「ありがとう、変なこと聞いてごめんなさい」
「いいよいいよ。……んー、そうだ! あとで私、正史君のこと、いろいろな人に聞いてみよっか? 私もそこまで顔が広いわけじゃないけど神奈森さん、そういうの苦手でしょ?」
「……ううん、そんな迷惑かけられないから……うん、自分でちょっと聞いてみる」
言われて、そう返してしまう蛍。
彼の異常なまでの物分りのよさ、あのとっさながらに的確な判断など、彼について知っていることが中途半端だから気になってしまうのであって、一度自分が納得いくまで彼の人となりを知ってしまえばこの不安が治まるだろう。だから、調査は続けようとは確かに思った。
このとき蛍が考えたのは、「府車さんに迷惑じゃないかな」ということだけであり、間違っても「自分が今、文にどのように思われているか」ではない。
そのため、文は「そっかー、自分で頑張りたいんだね」と、とても優しい目で見ていたことに、蛍は気づかなかった。
実際問題、恋愛ごとであれば文の行動は余計なお世話だったかもしれない。だが、後々から考えればそうしておけばよかったと蛍は思っただろう。
そもそも神奈森蛍と言う少女は、派手さと言う意味では目立たないが、言葉少ないいまどき珍しい大和撫子、いわゆる日本人形的な美人という点においては非常に目立つ。
そんな彼女が、「クラスメイトの男の子」について、急に興味を持ったように色々な人に人となりを聞いていくとすれば、話題にならないほうがおかしい。
はたして、その日から数日にわたり、「正史についての聞き込み」をしてしまった蛍は、学校で静かに噂になってしまうのだが――それについて彼女が慌てふためくのは、いろいろと「手遅れ」になってからのことであった。
さて、そんな蛍を特に気にすることもなく、いつもどおりの毎日を送る正史であるが――ことが動いたのは翌週の月曜日の放課後――彼がすでに家路へとついていたときだった。
それまでの数日の間、自分について蛍が聞き込みをしているのはわかってはており、そのあまりに目立つ行動に「あ、こいつさては非常時はともかく普段は大分残念なんだな」と思われていたということは、彼女は知らないほうが幸せだろう。まあ、腹芸などできそうな性格でもないし、普段はその場で「処置」なり、「一族」やらなんやらが動いたりしていたのだろうと、少年は考える。
夕刻にてすでに日が落ちきったため、そろそろ眼鏡をはずそうかと思い始めていた正史は、そのとき自分の携帯が、みゅよーん、みゅおーん、と、どこか眠たげなコール音をあげていることに気づいた。
もう終わったのか、と、相変わらずの相手の手際のよさに感嘆しながら、通話ボタンを押す。
「あ、正史です。……お、さすが白部のおっさん。んじゃ今から資料もらいにいっていいっすか? ……謝礼金? それはカナちゃんに直接ねだって頂戴な。借金まだあるんでしょ? ……あーわかりました、泣かないでください。あとで俺からもお願いしておきますから」
さて、と。
正史は通話を切ると、大きく伸びをする。
いよいよ、明日から本格的に動くことになりそうである。
しかも、今回は同じ学校のクラスメイトが相手らしい。
細かい騒動ということであれば、同じ学校の人間が関わったことはあるのだが、「メイン」となる人物が級友と言うのはさすがに正史も始めてであった。
とはいえ、することは変わらない。
彼は、眼鏡をはずして胸ポケットの皮のケースにそれをしまって――
「――それじゃ、いつもどおり、『遊ぶ』としようかね」
誰に聞かせるでもなく呟いた少年のその顔は――人を化かすという、妖狐の皮肉げな笑顔に似ていた。




