第5話 「失われた記憶、残されていた記録」
「さて――、それじゃ、始めるかねー」
はてさて、「良き縁」というのがいったいどういうものであるか、具体的に提示しなかった彼らが悪いのかはさておいて、「縁」となる人物は、そんな能天気なことを呟いていた。
もし、将来、蛍の両親があのときの願いを思い出すことがあったのなら、「おい、その願いやっぱ取り消して!」と突っ込んでいたであろう、蛍と深い「縁」を結ぶことになる少年、田渡正史、その人である。
割と良質の【18歳未満お断り】な本も手に入れたこともあり、多少テンションが高い。
未だ彼が制服姿のままであるあたり、店主は「見なかったこと」にしてくれたのだろう。感謝である。
自室に戻り、大きく伸びをしてから、少年は着替えることもなくそのままパソコンラックの前に座る。
これから行うことは、彼にはただの日課であり、いつもであれば機械的にこなすだけで変わり映えのないことであるのだが、今日に限ってはこの行動に意味と価値があることだと確信している。
それはもちろん、さきほどの、公園で意識を失っている間の出来事のことだ。
なにしろ、公園で自分が気づいてからずっと、「忘れたことはどうでもいいことだ」と、心がさんざんに言ってくるのである。
「いいわけがないだろう」
その衝動を意志によって押さえつけるために、正史は宣言するようにあえて口に出す。
自分の性格は自分がよく知っているのだ。
「記憶がない」という事象そのものはどうでもいい。
唐突に失神でもしたりすれば前後の記憶などないだろうし、ショックを受けて記憶が飛んだ、ということもあるのかもしれない。
だが、あんな状況に陥っていた上に忘れた「内容」をどうでもいいなどと、自分の性格が認めるわけがない。
忘れたことがなんなのか、なんとか思い出そうとして、なんとか調べようとして、そのうえで手段が見つからなければ「諦める」はずだ。
そう、「諦める」のならわかるのだ。
なのに、今の自分はそもそもとして調べよう、思い出そうということそのものを、したいとは思わないでいる。
だからこそ、「無意識」に訴えかけてくるその在り方が、どうしたって歪に浮き上がっているのだ。
考えてみてほしい。
極度の野菜嫌いの人間が、ある日気づいたら突然野菜が食べたくなったら、それがいかに無意識の衝動であっても自分の異変に気づくだろう。
そういうレベルで、正史は「今、自分は何かおかしい。何かがあったに違いない」と確信しているのである。
どういう理屈かは知らないが、何かによってそう思わされているに「決まっている」。
正史からしてみれば、綺麗さっぱり記憶がないということそのものは、まだ「ありえる」ことだと考え、この時点では何かを疑うようなことはなかっただろう。
「……まあ、その場合でも日課としてやることはやるんだから、疑いを持ってようとなかろうと同じことなんだけどな」
自室のパソコンを立ち上げ、そうつぶやきながら、ブレザーの襟元につけられていた少しおおぶりのネクタイピンを外す。それを、パソコンにつながった妙な機械――市販では絶対に流通していないような形状の端子をもったそれに、ぶすりと突き刺す。
「面倒くさいなあ。どうせまた、何かに巻き込まれたんだろうからなあ……」
そして、ほぼ日課となっている作業を開始して――。
「……今度はなんともはや。そういやお約束の割には、今までいなかったか。また面倒くさそうな設定なことで。それにしてもねぇ。……しかもまだ、何か問題を持ってるっぽいなコイツ」
そんな、果てしなくやるせなさそうな声でがっくりと頭を落とす、正史。
彼はそのままのろのろと、やけにシンプルな携帯を取り出して、どこぞへとかけた。コール音が流れる間、彼は手持ちぶさたに独り言をつぶやく。
「ええと……今度は誰に頼むかな。まあ、あの二人は確定として、真奈とバカあたりか? 他に関係しそうなやつはっと……」
コール音はまだ終わらない。
相手の存在を考えれば、電話で連絡なんてバカらしいことではあるが、「奴」曰く様式美というものは重要らしく変えようとしないので、これ以外に連絡が取りようがないのである。正史はだんだんとイライラし始めて、癖となっているのかつま先を床に何度か叩くように押し当てる。
そして、唐突にコール音が途切れた。
向こう側から、ずいぶんと甲高くテンションの高い声が聞こえてくる。
「…………やっとでたな。エーリのほうか。何やってんだよ早く出ろよ。……しらねーよレアドロップなんだからそうそうでねーよ、ってそうじゃなくて」
知人――友人というとなにか色々と負けた気がするその相手は、ちょうどオンラインゲームでもやっていたらしく開口一番にレア武器でねぇ!とぼやいていた。
マシンガンのように連なってくる言葉の弾丸を無視しながら、正史は用件のみを伝えることにした。
「また、始まったみたいなんで一応報告を……え、もう知ってる? ですよねー死ね!」
まあ、わかりきっていたことであるが、相手はもう「そのこと」を知っていた。
なので電話の相手に、これもまた形式美となりつつある突込みと罵倒を行い、今後の事についての話をする。
「んじゃま、いつもどおりってことでヨロ。カナちゃんと白部のおっさんには鉄板だからこの後連絡しておく。タイプ的には真奈も関係しそうかな。相手がうちの学校の女だから、仲良くなれそうだし。あと、バカは役に立つかしらんけどなんか最近元気がないから呼んでおくわ。ストレス発散くらいにはなるだろ。他はまあ必要に応じてってことで。……香住さん? まあ場合によっては頼るかもしれないけどなあ……今回の件、香住さんと相性が良すぎそうでなんか怖い。まだどんなのが出て来るかはしらんけど、下手にヒャッハーされて日本壊滅、世界崩壊とかシャレにならんわ」
話といっても、どうせ相手にとってはすでにわかりきってることである。
それに、方針についても正史に完全に投げているため、報告と言う意味はほとんどない。
だが、こういうことが大切らしく、「奴」はこういった様式美をこなさないと、正史達に支援を回してくれないのだから、仕方ない。
それに正史にとっても、状況整理という意味で無駄ではないので付き合ってはいるが、たまに「なにやってんだろうなあ」と自分にあきれたくなることもある。
「……んじゃそういうことで」
とまれ、今回のことについては一通り話し終え、正史は電話を切りそれを適当に放り投げる。
そして、今日公園であった「はず」の女性の、普段の学校での様子を思い出して、彼は苦笑いをする。
今では珍しいくらいに、姿も仕草もあり方も大和撫子然とした、彼女。
おそらくは、それなりの数程度には、彼女に恋慕する男子生徒もいると思われる、日本人形のような整った顔立ちと、妖艶な雰囲気。
そんな彼女が、このあとの毎日でどうなってしまうのかを思うと、いろいろと同情せざるを得ない。
まだ知らないことも多いが、「今日の話」を確認する限り、どうやらラノベの主人公よろしく苦労やら重責やらを背負っていたり、はたまた世界を救っちゃったりする使命感に燃えていたりしていらっしゃるのだろう。
さらにはいろいろと世を儚んでいたり、自分の存在について悩んでいたり、それでもいろいろと折り合いをつけて前に向かっていらっしゃったりするのだろう。
そして、多分ではあるが善人でいいやつなのだ。
自分という第三者を助け、心配し、そして最後に自分に対して「あの言葉」をつぶやいた彼女なのだから。
だったら――幸せになるべきなのである。
運命がどうとか、世界がどうとかは関係なく、正史という存在がそう決めたのだから、そうなるようにしようと思う。
彼は、聖人君子などという異常者ではない。
善人であろうとしてはいるが、そもそも正義や善など人によって違うという、いまどき小学生でも知っているようなことはちゃんと理解している。
だからこそ、正義や善とは「自分がそう決めたもの」である。
それは誰にも文句は言わせないし、言われたところで気にもしない。
「そう、俺のわがままだ。それがどうした」、である。
だから、彼女には自分の我侭によって、無理やりにでも救われてしまってもらおう。
「ま、これから起こる予想外の出来事や『連中』を相手に、せいぜい悩んで苦労して頭痛と胃痛に苦しんだりするといいねん。お前さんが抱えてるのが何かは知らんけど、そのくらいハッピーエンドの代償としては、軽いもんだろ」
笑いながら呟いて、ソフトを起動させたままのPCを見やる。
電話の最中にすでにリピートが掛かっていたのか、モニタには先ほど見た映像が再度映し出されている。
そこには、人間の目線よりほんの少しだけ下――ちょうどネクタイピンのある位置から見たような形で――
まるで、迷子になって泣いているような子供の顔で「ごめんなさい」と呟いているクラスメイトの少女――神流森蛍の姿が映し出されていた。
また明日18時ごろ更新すると思います。




