第十九話 確執
――翌朝。
最寄りの小学校から聞こえる鶏の声に起こされた硯は重たい瞼を開ける。
アルバイト終わりに魔法少女としての活動、そして明かされる衝撃の事実が続いたために心も体も疲労困憊だった昨日は結局そのまま眠ってしまった。携帯電話のカレンダーを見て今日が喫茶山猫の定休日、即ちアルバイトが休みであることを確認した硯は再び布団を被って微睡みの世界に逃れようとする。
「硯―、お仕事今日お休みでしょう? ちょっと頼まれてくれない?」
階段を上がりながら声を掛けてくる人物は一人しかいない。
片目を開けて一瞥すると、弁当箱を持った母親が微笑んでいた。
「お母さん、町内会に呼ばれてるの。代わりにお父さんにお弁当届けてくれないかしら」
「……わーったよ。着替えて届けるからそこ置いといてくれ
」
「ありがとう、頼むわね。お父さんによろしく」
少し前まで母との会話の仕方さえ忘れていたが、感情爆発したあと浄化されたことが切っ掛けなのか母親は昔のように積極的に話しかけ頼み事もするようになった。硯としてもまた母親がアウトサイダーになることは避けたかったため、なるべくコミュニケーションはとることを心掛けていた。
余程急ぎだったのだろう。彼女はそのまま踵を返すなり出かけて行ってしまう。
残された弁当を見る硯は陰鬱な表情で溜息をついた。
「親父と顔合わせるのは面倒だし、置き配に徹しよう」
時計を見て今から出かけてば父は仕事中で鉢合わせることはないと確信し、急いで着替えを済ませる。鍵をかけるなり駆け足気味で家を飛び出した。
黒川家の大黒柱にして硯の父、黒川墨仙は名の知れた書道家である。日本で最も優れた書道家が襲名する〝墨仙〟を名乗っていることからその腕を疑う者はいない。
あらゆる娯楽が溢れる昨今において書道がとりたてて人気になることはないはずなのに全国から父親の教えを請うために老若男女様々な生徒がその書道教室へ集まっている。
白髪交じりで初老な男性のため厳格な雰囲気が出ていて近寄りがたい頑固爺であるが生徒からは人気らしい。
学生時代、才能を見限られて書道の道を閉ざしてからは殆ど口を聞いていない。硯と墨仙の間には大きな確執があった。普段なら寄り付きもしないが、他に悩み事を抱えている今、父との関係など気にしてはいられない。少し弁当を届ける程度ならと道を急ぐ。
自宅から小中学校の学び舎をいくつか過ぎれば『黒川書道教室』の看板が見えてきた。
窓から一瞥すると、白髪の見慣れた背中が視界に入る。どうやら窓際に背を向けて生徒に指導している様子である。時間的に午前中の授業真っ最中といったところだろう。
硯は父親に見つからないように裏口から書斎へと忍び込む。室内にあった適当な和紙を見つけるなり、メモ帳代わりに弁当を届けに来たと書置きを残して部屋を出た。
「よし。何とか顔合わせずに済みそうだな」
「あれ? 先輩?」
出口に向かう廊下で昨日別れたばかりの光と鉢合わせた。最初から変身前の姿で会うのは初めてだ。硯はここ数年、女の子とまともに話していない。変身した時は普通に話せていたのに今はどう反応したらよいか分からず言葉が上手く出てこない。
「な、ななな、何でここに?」
「この書道教室に妹が通ってまして、迎えに来たんです。先輩こそどうして――」
言いかけた光は書道教室の先生と硯が同じ苗字であることから身内同士であると悟る。硯も想像通りだと肯定すべく自分がいる理由を簡潔に述べた。
「親父に弁当届けに来ただけ……」
「そういえばお父さんが書道家だって言ってましたね。確かに目元が先生に似てるかも」
「どうせなら才能の方が遺伝してほしかったけどな」
身内同士が知り合いというのは世間が狭い。互いの身内という共通の話題があったため正体を明かし合った後の気まずさも紛らわせることができた。硯の父親が如何に頑固爺だったか、光が妹を可愛がっていること等が主な話のネタになる。
ただ時間を忘れて世間話に花を咲かせてしまったのがよくなかった。いつの間にか時計の針は正午を過ぎる。
「この下手糞な字……やはりお前だったか硯」
聞き慣れた声に振り返ると、父・墨仙が弁当箱とメモ帳代わりに置いてきた和紙を持って立っていた。どうやら反対側の廊下から書斎に戻って硯の来訪に気づいたようだ。
「文字は書き手の心情を如実に表す。相変わらず迷いだらけで締まりのない字だ」
「ッ……! 適当な走り書きさえ上から目線で酷評する。そういうところが大嫌いだったんだ糞親父!! やっぱり来るんじゃなかった!」
硯は顔合わせを避けるためにメモ書きを残したことを後悔した。昔から宿題やメモで残した文字すらあげつらって批判する父親が好きになれなかったことを今更思い出した。
「迷いがある」、「自信のなさが表れている」、「後ろめたさが出ている」など文字を見つけられる度にそうやって批評され続けたのだ。辟易した硯は父の前で文字を書くことをやめていた。悔しさがこみあげてきた硯は後輩の存在さえ忘れ、踵を返し走って行ってしまう。
「あ、先輩!」
急いで後を追おうにも成人男性の速度には追い付けない。ちょうど廊下から帰宅準備を整えた妹と鉢合わせた光は本来の目的を思い出して足を止める。元々彼女の迎えの為に書道教室へ来たのだ。幼い妹は心配そうに姉の顔色を窺った。
「どうしたの? お姉ちゃん、悲しいことでもあった?」
「ううん、なんでもないの。……いったん帰ろうか」
背後にいる墨仙に一礼して、妹の手を引いて帰路につく。
思い出すのは硯と墨仙のやりとりだ。硯が尊敬できる人物であることは魔法少女として一緒に活動する上でよく理解している。人を助けるために身体を張り後輩を優しく指導してくれた恩人である。それなのに父親の墨仙は届けてくれた弁当のメモ書きを見ただけで批判した。硯が怒るのも当然だろう。「お宅の息子さんは魔法少女として頑張ってるんですよ」と口が裂けても言えないのがもどかしい。尤も言ってしまえば別の意味で家族関係が破綻しそうではある。ただ無関係の人間が親子の確執に割って入るべきではないだろうと頭では理解できても感情的に納得できなかった。
「墨仙さんも……もっと気安く話せばいいのに……」
「せんせーは優しい人だよ?」
思わず口から洩れてしまった墨仙への文句に妹が返答してくる。光と全く異なる人物評をしているらしい。俄然気になった光は言葉の続きを促してみる。
「優しいって?」
「あたしが悩んでいるときは文字からすぐ分かってくれるの。文字は心を写すから綺麗な文字を書けないときは何か問題があるからだって。先に解決した方がいいって」
妹曰く、墨仙は厳格な風貌と口下手さから誤解されがちだが子供には優しく文字を媒介に様々なことを教え、相談にも乗ってくれているらしい。
文字が不出来なのはその者が駄目なのではなく、解決すべき問題があるため。悩みが改善すれば綺麗な文字を書けるようになる。
また口で伝えられないことは文字にすれば心が整理できるとも話していたらしい。
昨今はメールやらSNSで機械的に文字を打つことが多いが手紙や書道という形で自分の想いを文字にすれば自ずと迷いも吹っ切れると教えてくれたこともあったようだ。
「書道する前に解決できる問題は解決しなさい。うまく話せない悩みは一度文字に起こしなさいってよくせんせーが言ってるよ」
「……そうなんだ」
妹から聞く書道の先生はイメージが異なっていた。年少者には優しく、子供もまた多感性が強いので厳格な先生の感情の機微についても敏感に察知できているようだ。
妹の話を聞いた上で墨仙と硯のやりとりを思い出すと印象が反転する。
息子の文字を貶したのは「迷いがあるなら解決しろ、できないなら自分か他の誰かに相談しなさい」と言っているように見える。
だが言われた本人としてはここまで読みとって受け止めることはできないだろう。
「お節介だけど……先輩に伝えてあげないと」
無事に妹を家まで送り届けた光は少し親子の橋渡しをしようと奮起した。
まずは面識のある硯と落ち合うところからだ。いきなり父親と和解してくださいなんて言えないため真意を隠して呼び出すことに決めた。
帰路の途中に後輩からのメッセージを受け取った硯は目を丸くする。
そこには『デートしましょう』と書かれていたからだ。女性からの初めてのお誘いに胸の鼓動が高鳴る。性別が女だと分かっても今まで通り後輩として見て接しようと心を決めていた硯は大きく揺さぶられることとなった。
「デートってどういう意味? JKとデートなんて犯罪じゃねーの?」
「これだから女馴れしてない童貞は嫌だぴょん。DT野郎は妄想癖とワンチャン狙いが酷いぴょん。筆おろしなんて考えちゃダメぴょん」
「うるせーなぁ! キャロット! 消えたと思ったらいきなり現れてお説教かよ!」
「もう正体は互いに露見したぴょん。今更なかったことにはできないぴょん。腹割って話し合うぴょん」
言いたいことだけ言ってキャロットは石垣の向こうへと行ってしまった。
彼の主張には一理ある。正体が本物の女子高生だといって一々意識していては魔法少女の連携に穴が開いてしまう。元通りとは言えないまでも魔法少女活動に支障がないレベルの関係にはしておきたいところではあった。
「光ちゃんの方は元々俺が男とは知っていたから……俺が意識してるだけなんだよな」
彼女が文面で言ったデートというのも親しい間柄同士の冗談であって深い意味はないのだろう。父親の教育のせいか文字に深い意味を求めがちなのは悪い癖である。父親と言えば親子喧嘩の流れで挨拶もなく彼女を書道教室に残してきてしまった後ろめたさもある。
硯は急ぎ待ち合わせ場所へ向かうべく方向転換した。




