第十話 アンビバレンス
オーガスパイダーは外骨格となった足でホワイト☆ドリームを蹴り飛ばしてしまった。
先程より速度も膂力も上がっている。重い一撃に耐えきれず吐血してしまう。硬いアスファルトの壁に激突したホワイト☆ドリームには態勢を立て直す時間すら残されていなかった。オーガスパイダーは黄色い糸を吹きかけてきたのである。それがただの糸ではないことはすぐに分かった。
少しでも接触した壁が強酸でもかけられたかのように溶けたからである。
「くっ、〈バルーンマジック〉!!」
魔法の杖から白い光を放ち強酸性の糸を黄色い風船へと変えていく。
しかしオーガスパイダーの可動力と糸の精製力は格段に強化されており、ホワイト☆ドリームの魔法は間に合わなかった。
物量で押し切られ、取り漏らした強酸糸が掠ってしまった。
辛うじて服が溶けただけだったが、素肌に直撃していたら命も危なかっただろう。
風船を使って上空に逃れたかに見えたホワイト☆ドリームは突如腹部に激痛を感じた。跳躍したオーガスパイダーが鋭い外骨格の足で切り裂いてきたのだ。
追撃を受け撃墜された彼女は地面へと叩き落とされてしまう。
受け身もまともに取れなかったホワイト☆ドリームはあまりの痛みに悶絶する。骨が軋む程の衝撃。過去に一度も味わったことのない痛みである。
これまでは弱い敵を奇襲したり、ブラック☆ライターの補助に回るばかりでこんなに深刻な損傷を受けたことはなかった。魔法少女はアニメのようにはいかない。痛みを実感した身体からは涙も血も流れる。心が折れそうだ。
「ミンナ不幸ニナレェェエ!!」
「莉奈ちゃん! 正気に戻って!」
変わり果てた友人はそれでも止まってくれはしない。感情爆発した人間に対して情による説得は通じないというのはキャロットやブラック☆ライターから散々聞かされていたはずである。説得が通じるなら魔法少女はそもそも不要になる。
最早旧知の友人ではなく正気を失っている敵なのだ。文字通り鬼の形相で迫りくるオーガスパイダーはホワイト☆ドリームの恐怖心を煽るに十分だった。
今すぐに逃げだしたい。帰りたい。運動も勉強も並で平凡な自分は魔法少女なんて向いていなかったんだ。――そんな後ろ向きな考えが心を埋め尽くしていく。
「風船に変える魔法なんて……戦いようもないし……私じゃ無理だったんだ……」
傷口を押さえて何とか攻撃を躱している最中、ホワイト☆ドリームの視界の端に人が映った。この異空間に囚われホワイト☆ドリームが糸の捕縛から解放した人達である。
彼らは物陰で息を潜めて震えている。或いは懇願するように祈っていた。
ホワイト☆ドリームが憧れていた魔法少女はこんなときどうするだろうか。率先して身を粉にして人々の為に闘うだろう。魔法少女になっていなかった頃、自分を助けてくれたブラック☆ライターの背中を思い出す。心の中に消えかけてきた闘志が再び力を増した。
今自分が逃げれば親友を放置するだけでなく、彼らを見捨てることになる。友人が罪もない人々を傷つけ殺してしまうかもしれない。そんな事態はなんとしても避けなければならなかった。
民間人が隠れる場所からそう遠くない場所に自分がこの結界に侵入した際につくった穴がある。そこに彼らを誘導できれば逃がすことができるかもしれない。
ホワイト☆ドリームは魔法の杖を強く握る。
「皆さん、私が誘導する方へ走ってください!」
民間人の近くの道には風船で作られた矢印が示されていた。魔法で即席の道路標識を形作ったのだ。今までいざとなれば人質要因になると放置していたフォックスは途端に慌てだした。
「くっ、逃がすか!」
「〈バルーンマジック〉!!」
ホワイト☆ドリームは自分の目の前にあるビルを丸ごと一つ、無数の風船へと変化させる。
色とりどりの夥しい風船によって進路を妨害されたフォックスとオーガスパイダーは追撃が遅れた。
それでも最後の一人は逃すまいと飛びかかって来る。
ホワイト☆ドリームは互いの間の小石を風船状に変化させ、緩衝材とすることで何とかオーガスパイダーの物理攻撃を防いでみせた。
「民間人に手出しはさせない!」
「雑魚魔法少女風情が! もういい! オーガスパイダー! こいつだけでも始末しろ!」
「ガァアアア!!」
強酸性の糸で壁を溶かされてしまったホワイト☆ドリームは身を守る術を喪失した。
辛うじて民間人の脱出には成功したようだが、もう一人で二人の敵に対抗する手段がない。魔法の杖を振るう力すら残っておらず万事休すである。
ホワイト☆ドリームは友人一人助けられない自身のか弱さを呪った。
「これがアニメの魔法少女ならカッコよくみんな助けられるのになぁ……」
「誰カノ物ニナルナラ私ノ手デコロシテヤル!」
こんなにも他者に嫉妬し、独占欲を剥き出しにするのはネガタイドに寄生され感情爆発したからだろう。普段の莉奈はもっと理知的で優しい人間のはずだ。
しかし心のどこかでそういった感情が僅かにでもあったのかもしれない。普段から彼女のことを気にかけていればアウトサイダーにはならなかった可能性がある。
魔法少女になったことに浮かれて、先輩魔法少女のことばかり考えて友人の感情の機微に鈍感になってしまっていた。後悔ばかりが胸を刺し、ただ懺悔することしかできない。
「ごめんね、莉奈ちゃん……気づかなくてごめん……助けられなくてごめん……」
アウトサイダーの鋭い爪が振り上げられる。貫かれればひとたまりもない。
最期の瞬間を覚悟したホワイト☆ドリームは目を瞑った。
――がその一撃は少女の身体を傷つけることはなかった。代わりに鋭い衝撃音がきこえたのみである。
「戦闘中に目を瞑るなって教えたはずだぜ?」
「……先輩?」
視界いっぱいに広がっていたのは師であり同僚でもあるブラック☆ライターの逞しい背中だった。刹那の間に筆型の魔法の杖で漢字を描き〈ライトマジック〉を発動、見事に魔法障壁を形成してアウトサイダーの攻撃を防いだらしい。
そのまま追撃を加えてオーガスパイダーを弾き飛ばしてしまった。
改めて魔法挙動の速さとヘイト級にも動じない戦闘経験の豊富さに舌を巻く。
「どうして……ここが……?」
「ああ、俺も近くで働いてたからアウトサイダーの気配を察知したんだ。けど仕事が繁忙期だったしお前の魔力を感じたからつい任せっきりにしちまった」
「ごめんなさい。先輩は信じてくれたのに……一人ではどうにもできなくて……!」
仲間の登場に安堵したホワイト☆ドリームは緊張の糸が解けて涙を堪えきれなかった。己の弱さを恥じて謝罪ばかりする彼女にブラック☆ライターは優しく手を差し伸べる。
「なぁに言ってるんだ。お前は頑張ったじゃないか。お前が結界をこじ開けてくれたから場所を特定できたんだ。それにお前が逃がした人間達は無事結界の外に出てたぜ?」
後輩の功績を称え労われたことで再び闘志を燃やしたホワイト☆ドリームはブラック☆ライターの手を掴んで起き上がった。たった一人の助っ人の登場でもう無理だと思われた諦めの気持ちが吹き飛び力が溢れてくる。
活気が漲るホワイト☆ドリームと反比例するように業を煮やすのはフォックスである。
「ブラック☆ライター! やはり邪魔者だなぁ! 二人揃って消してくれるわ!」
「ん? 誰だアレ? 一般人じゃねーよな?」
「《アンビバレンス》のフォックスと名乗ってました。あの人に薬剤を打たれたストレス級アウトサイダーがヘイト級に進化したんです」
「《アンビバレンス》ぴょん!?」
話を聞いていたキャロットがブラック☆ライターの懐から顔を出した。いつもはあまり見せない驚きと焦りが彼の表情から垣間見える。
「何か知っているのか、キャロット」
「昔存在した悪の組織ぴょん。先代の魔法少女達がぶっ潰したはずぴょん」
「オイラ達は潰されてなどいない。魔法少女が衰退するまで力を蓄えていたのだよ。絶滅したと思って顔を出してみれば新人の魔法少女が増えている。下手に成長されれば厄介だ。難敵になる前に消えてもらう!」
無数の炎を掌から生成したフォックスは火球弾として射出してくる。
被弾した建造物が派手に炎上していることからそれなりの威力があることは察しがついた。ブラック☆ライターは『水』と虚空に描いて水泡を形成して火の玉と相殺させる。
「《アンビバレンス》の残党には聞きたいことがあるぴょん! 半殺しにして拉致するぴょん! 拷問して吐かせるぴょん!」
「せめて捕縛した上での尋問と言ってくれ」
フォックスを追撃しようとするブラック☆ライターに横槍が入る。
まだヘイト級アウトサイダーが健在なのだ。魔法で描いた壁が溶かされたのを見た彼女は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「中々殺意満点だな、このヘイト級は……」
「彼女はわたしの友達なんです。あの男にヘイト級アウトサイダーに変えられてしまった。なんとしても元の姿に戻してあげたいです」
強く主張するホワイト☆ドリームにはかつての弱々しさは感じられなかった。一人前の魔法少女の顔つきになっている。
硯もアウトサイダーになった母を救うため魔法少女になった。彼女もまた憧れだけでなくともを救いたいという明確な動機を手にして士気を上げているのだ。
「……気持ちは分かるが俺はフォックスの相手で手一杯だ。碌なサポートができんぞ?」
「大丈夫です。ヘイト級はわたし一人でやります」
元々彼女の魔法は戦闘向きではない。そしてヘイト級を単騎で撃破したことはなかった。現に先程までやられていた。後輩の意思を尊重したいがかなり不安なのが正直なところだ。
「――できるのか?」
「はい。ヘイト級に進化する前は一人でも戦えていましたし、先輩が来てくれたので心に余裕がでてきました。問題ないです。今度はわたし一人でやれます」
ここまで強く自己主張する後輩は初めてだ。どの道フォックスと戦うためにはヘイト級アウトサイダーの足止め役は必須である。考えている時間はなかった。
「分かった。だが無茶はするなよ」
「はい!」




