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#03 カップルパーティー ꕤ︎︎後編ꕤ︎︎



あれから平穏な日常が続き、パーティー当日の朝を迎えた。

理子はメイクをして髪を整えると、数日前に購入したワンピースに着替える。


鏡の前に立ってくるりと一回転。

サテンの生地のスカートがひらりと柔らかく揺れ、理子は満足気な表情を浮かべた。


そして、チェストの上に置いてある指輪の箱を手に取り蓋を開け、指輪を摘んで薬指にはめる。


───すっと、指に収まった。


鏡の前で指輪を眺め、理子はふっと笑う。

ダイヤは付いていないがまぁ良しとする。


そこへ───


「姉ちゃーん、入っていいー?」


ドアの向こうからハルトの声がする。

理子は肩越しに振り返り、「うん!」と答えた。


黒のスーツ姿のハルトは理子を見るなり一瞬言葉を失った。


シックなネイビーのワンピースに包まれた理子。

引き締まった色味のせいかスタイルの良さが際立って見えた。華奢な肩にスラリと伸びた手足。

よく似合っている。


「‥綺麗じゃん。似合ってる」


ハルトは精一杯、平静を装って言った。

そんなハルトに理子は嬉しそうに笑う。


「惚れるなよ~」


からかうように言われてハルトはふっとイタズラめいた顔で笑った────。


そして理子に歩み寄る。


「姉ちゃん……」


理子の前まで来ると───


「もう惚れてるって」


────熱烈に抱きしめた。


「ハルト…?」


動揺する理子の声。


「俺、姉ちゃんの本物の夫になりたい……」


ハルトは理子を抱きしめながらそう言ったのだった…


────というのはもちろんハルトの妄想だ。


「……はぁ」


ハルトは現実に戻って小さく息をついた。


「ハルトも似合ってるね、ネクタイ。」


ハルトの首元には理子がプレゼントしたネクタイが締められていた。

キッチリ結ばれたその一本が、ハルトをいつもより大人びて見せている。


「でもちょっと‥‥」


理子は近づいてハルトのネクタイに手を添えた。


「曲がってる‥」


指先でそっと整える。

上を向いたハルトの喉仏が小さく動いた。


「よし、完璧」


理子はハルトを真っ直ぐ見て言ったあと、指輪をはめた手を顔の横にあげてみせた。


「指輪、サイズ変更してくれてありがとね」


ハルトは「おう」とだけ短く返事をして、自分も指輪を付けた。


鏡に映る、ふたりの姿。

互いの左手薬指には、同じ指輪……


「ねぇ…、もしかしてわたしたちって姉弟で気持ち悪いことしてる?」


理子が鏡の中の自分たちを見つめたまま、少し不安そうに聞く。


「ちょっとな。」


ハルトもそのまま、苦く笑った。






高槻美幸の住むマンションは都内にそびえるタワーマンションだった。

下から見上げても最上階が見えない。

まるで、空の果てまで続いているようだった。


「わーっ、高ーーい!」


マンションの前にふたり立ち、理子は、テーマパークのアトラクションでも楽しむかのように弾んだ声で言った。

手には手土産が入った紙袋を持っている。


「何階?」


横でハルトが落ち着いた声で聞く。


「50階。なんかすごいね!」


理子はまるでこれから眺めのいい高級レストランに食事に行くかのような気分になった。



大きなガラスの自動ドアをくぐってマンションに入る。

さらにもう1枚、オートロックの大きなガラス扉がハルトと理子を迎えた。

向こうにはホテルのような空間のロビーが広がっていた。


理子がインターホンのパネルで部屋番号を押す。

すぐに聞き馴慣れた上品な声がスピーカーから流れた。


「あら、理子さん、いらっしゃい。どうぞお入りになって。」


カチリ、と音がして鍵が解除され、ガラス扉がゆっくりと開いた。


エントランスを抜けると、そこは広く高い空間が広がっていた。

床は大理石、頭上には大きなシャンデリア。

上質そうなソファと背の高い観葉植物も高級感を漂わせながら並んでいた。

奥にはコンシェルジュカウンターも見えた。


「すごっ……」


目の前に広がる煌びやかな光景に圧倒され、理子は思わず、そんな言葉の切れ端をこぼした。


「ほら、エレベーター乗ろうぜ」


しかしハルトは落ち着きを払った様子で、さっさとエレベーターのほうへ歩いていく。

理子が慌てて後を追う。


「ちょ、ちょっと。ハルト!」


理子の声とヒールの音が静かなロビーに少しだけ響く。


「なんでそんなに冷静なの?こんな綺麗な光景を目の前にして」


「……べつにただのマンションだろ」


ハルトは少し考えてから答えてみたが、どこまでも冷静だった。


「ただのマンションじゃないわよ。60階のタワーマンション!見た?あのロビー。キラキラしてた」


そう言う理子の顔も、負けないくらいキラキラとしていた。

その無邪気さにハルトはふっと笑い、横目で理子を見た。


「理子のほうがキラキラしてて綺麗だよ」


ハルトは淡々とした口調で偽の夫らしくそう言ったが、その横顔はどこかすこし照れている。

一瞬、目を丸くした理子だったが嬉しそうにニヤニヤと笑った。


「生意気~」


そう言ってハルトの腕を突っついた。



エレベーターにふたり並んで入る。

エレベーターの内装までどこか洒落ていて豪華だった。


扉が閉まり、上昇する。


「50階かぁ……」


理子はエレベーターの表示を見上げた。

次の瞬間──新年のカウントダウンよりも早いスピードで数字がするすると上がっていく。

あっという間に30階を超える。


「速っ」


理子は思わず声をあげた。


「タワマンのエレベーターは早いんだよ」


ハルトが壁にもたれながら言う。


「なんか…ドキドキしてきたな…」


理子がぽつり呟く。


「こんなに豪華なタワマンと偽装夫婦とパーティ‥うまくいくといいな」


さっきまでの明るい調子が消え、理子の顔に不安の色が浮かぶ。

そのとき───

ハルトがそっと、理子の手を握った。


「大丈夫。俺が夫なんだから」


理子をまっすぐ見つめる、優しげな瞳。

暖かい手の温もりとその心強い言葉が、理子のほのかに張った緊張感を溶かしていく。


エレベーターの数字が50を表示した。

チン、と静かな音が鳴る。

扉がゆっくり開いた────。




洒落た黒い扉が開くと、そこには真っ白で毛足の長い猫を抱えた高槻美幸が、穏やかな笑顔を浮かべて立っていた。


「いらっしゃい、白石ご夫婦さま。お待ちしていましたわよ。」


白石と呼ばれ、理子の後ろに立つハルトは内心複雑な気持ちになるが顔には出さない。


「こんにちは、高槻さん。あの‥こちら、夫のハルトです」


言い慣れない言葉にどこかどぎまぎする理子。

そんな様子をよそに、ハルトは自然にぺこりと頭を下げた。


「初めまして。ハルトです。いつも妻がお世話になっております」


凛々しくも柔らかい表情で、ハルトは淡々と夫役をこなす。

そのハルトの横で、理子はすこし胸の奥がくすぐったい。


「まぁ、理子さんったら。こんな素敵なご主人を隠していたの?理子さんと、とってもお似合いだわ」


理子は恥ずかしそうに笑い、視線を落とす。

その時、自分が持っている手土産に気づいた。


「あ、それからこれ‥お口に合うかわかりませんけど…どうぞ」


理子はなんとなく恐縮してしまった。

美幸が上品ということは知っていたが、こんなにもハイスペックな暮らしをしているとは思わなかった。

まるで別の世界の人に見えてしまう。


「あらあら、お心遣いありがとう。さぁあがってちょうだい」


そう促され玄関に入ると、美幸の背後に広がる部屋の様子に、理子はまたも驚きを隠せなかった。


廊下の先にあるリビングの壁の一部がガラス張りになっている。

さらに木目調の大きなドアも開かれているため、リビングの中の様子がよく見えた。


陽の光で明るい開放的な室内。

正装した数人の男女たちがグラスを持って談笑している。


「わぁ、素敵……」


思わず理子の口から声が漏れた。


「スリッパ、お履きになられてね。それではまたのちほど。」


美幸はそれだけ言うとリビングに消えていってしまった。

足元には上品そうなスリッパが丁寧に2足並べられている。

理子は靴を脱ぎ、そっと足を通した。


「すげー上品な人だな」


靴を脱ぎながらハルトがいつもの調子で口を開いた。


「いつもあんな感じなの。」


「へぇ。姉ちゃんとは大違いだな」


ハルトが無邪気に言って少年のように笑う。


「“姉ちゃん”って禁句!!」


理子は上品とはかけ離れた鬼の形相になって言ったのだった……。




リビングへ足を踏み入れた瞬間、非現実的な光景が飛び込んできた。

とにかく広く、洗練された空間だった。

立食パーティ形式でおいしそうなビュッフェが並び、氷で冷やされたワインやシャンパンが綺麗な花と一緒にテーブルに置かれている。大きな窓から見える都内の景色も圧巻だ。


そんな光景に見とれていたそのとき───

ハルトが理子の腰に自然と手を回した。


不意に引き寄せられる。

近づく距離。


「え…?ハルト、距離近い…」


「夫婦なんだから当たり前だろ」


ハルトはまた無邪気に笑った。

この状況を楽しんでいるように見えた。


「あっ、理子さ~ん!」


声の方に振り向くと、城山ミチルが笑顔で手を振りながらこちらに駆け寄ってきていた。


露出はない、レイヤード風デザインのロングワンピース。

透け感のあるブラウスの下にレースのキャミワンピースが重ねられた、ふんわりしたデザインだ。

ミチルの柔らかい雰囲気によく似合っていた。


「きゃー!仲良しですね!」


ぴったりくっついたふたりを見て、ミチルは興奮げに言った。


「もう10年一緒なんで。」


ハルトの言葉に、理子は何も口にしていないのにむせそうになった。

笑顔を浮かべ夫役をこなすハルトは完璧だった。


「旦那さんかっこいい!背も高くてイケメン!」


ストレートな言葉を投げられて、ハルトはどこか嬉しそうだ。


「ほら見て、女性陣の視線、釘付けです!」


そう言われて理子は周りを見渡すと、彼女たちの隣には伴侶がいるというのに、心なしか、いくつかの熱い視線がハルトに向けられていた。


細身のスーツに身を包み、真っ直ぐな背筋で立つハルトはひときわ目立っていた。


「あの、お名前とご年齢とご職業は?」


ミチルがハルトに楽しそうに聞く。


「ハルトです。32歳。コンサル系の会社で働いてます。」


設定を決めたことが生かされていた。


「わぁ、理子さんの旦那さんもエリートじゃないですかー!」


ミチルが、目を輝かせて言った。


「そういえばミチルちゃんのエリート彼氏は?」


理子がミチルの周りをキョロキョロ見渡す。


「それが私がビュッフェに夢中になってる間にどこかに行っちゃって。探してきます」


そう言ってミチルは談笑する人々の中に忙しそうに消えていった。


ハルトと理子の間に流れる一瞬の沈黙。


「…ハルトのこと、かっこいいだって。」


自分を褒められたわけではないのに理子が照れている。

偽の夫──もとい、自分の可愛い弟を褒められて、嬉しいのである。

周りからの視線も誇らしかった。


「お世辞だろ」


本人はまったくの無自覚だ。

でも、そこがまたいいのかもしれない。


「あれ?ハルト!?」


それはハルトにとって聞き覚えのある声だった。

振り向くと、同期の相澤拓真がワインの入ったグラスを持って立っていた。


「拓真…!」


ハルトは理子の腰からパッと手を離した。


「おまえなんでここに…」


「彼女に誘われてな!つーかおまえこそ。どちらさまだよ、その美人」


相澤拓真はハルトの隣に立つ理子を不思議そうに見た。

美人と言われた理子は思わず笑みを浮かべた。

拓真の視線に気づいたハルトは慌てて口を開く。


「悪い、理子。シャンパンと何か軽食、取ってきて」


「ん、わかった‥」


理子はすこし不思議そうな顔をする。

それでも小さな笑みを浮かべ、拓真に軽く会釈するとその場を離れていった。


「……理子って誰だよ!?」


拓真は興味津々そうに尋ねてきた。

ハルトは小さくため息をつき左手で額を押さえた。

そのとき──

薬指に付けられた指輪がキラリと光る。


それを見た拓真は衝撃を受け目を見開き、


「は!?え?!ハルトおまえ結婚してんの?!」


と、ハルトの手首を掴んで薬指をまじまじと凝視した。


「あ、いや、これには事情があって。」


ハルトは落ち着きを払った様子で拓真の手を払った。

だが次の瞬間───拓真の両肩を強く掴む。


「絶対、誰にも言うなよ」


ハルトの指先にキチキチと力が入る。

目で人を殺せそうなほどの圧に、拓真は一瞬でただ事ではないと悟り大人しくなった。


「わ、わかったよ…い、痛い…」


ハルトは手を離した。


「さっき隣にいたのは、こないだ話した姉だ」


「えー!まじかよ!めちゃくちゃ綺麗じゃん!あれが10個上?信じらんねー!」


相澤拓真はまたすぐに調子が戻り、遠くにいる理子へ目を向ける。

ふと、ハルトに睨まれていることに気がつくと、「あ、わりぃ」と肩をすくめた。


「…職場の同僚にこのパーティーに誘われて断れなくて、旦那には頼れず、俺に頼んできたから偽物の夫のフリして来てんだよ」


ハルトは淡々と説明した。


「偽の指輪までしてか?」


「おう。歳も5歳違いで俺が32の設定」


「はー、綿密だこと」


拓真はワインをひと口飲んだ。


「それにしてもおまえ、気の毒だな、あんな綺麗な人妻とひとつ屋根の下……」


そこでニヤリと笑った。


「俺なら耐えられない。襲う」


ハルトは拓真の異常さにほとほとうんざりした。


「姉ちゃんだっつってんだろ」


「血の繋がりねーんだろ?それは他人だ。襲ってもOK案件」


当たり前のようにサラッと言う。


「そういう見方するのやめろよ」


ハルトは不愉快そうに制した。


「おーおーシスコンシスコン」


拓真はニンマリ笑ってはやし立てるとワインを飲み干した。

ハルトは小さく息をつく。


そのとき───


「あー拓真くん、こんなところにいた~」


そう言ったのは、片手にワイングラスを持ち安堵したように笑う城山ミチル。

隣には、シャンパンのグラスとオードブルのチーズが乗った小皿を手に乗せた理子もいた。


「理子さん、私のエリートイケメン彼氏、相澤拓真君です!」


城山ミチルは嬉しそうに拓真の腕に手を回し体を密着させる。


ハルトは口に含んだシャンパンを吹き出しそうになって慌てて口元を手で押さえた。


「エリート?イケメン?こいつが?」


そう言われ、拓真はムッとしている。


「え、拓真君、ハルトさんと知り合いなの?」


「ああ、職場の同───うっ!」


“同期”と拓真が言いかけた瞬間、ハルトが拓真の足を踏みつけて、拓真は低いうなり声を上げた。

ミチルが横ですこし驚いている。


「あ。悪い足が滑った。」


ハルトは涼しい顔で言った。


「拓真は俺の後輩。な、拓真」


「…はい」


拓真は苦悶の表情を浮かべて、どうにか答えた。


「えー!そうだったんだー!私は理子さんと同じ職場だし、世間て狭いですね」


「理子さん、ほんと綺麗っすよね──うっ!」


拓真が軽口を叩いた瞬間、ハルトがまた足を踏みつけた。


「あ、悪い、また滑った」


「滑りすぎでしょ、先輩!」


拓真は涙声ですかさず返した。


「ねぇ、拓真君、今、理子さんのこと褒めた?もぉー、気が多いんだからー」


ミチルはむくれている。

もっとも自分も同じようなことをしているのだが。


「ねぇねぇ理子さん、ハルトさん。おふたりの馴れ初めやプロポーズのこと、教えてください!どんな感じだったんですか?」


ミチルが声を弾ませて聞くと、その横で拓真が、


「俺も知りたーい」


とハルトに向けてなにやら挑発的に笑った。


理子が静かに口を開く。


「出会いは合コンで……」


「そこで、俺が一目惚れ。」


ハルトがサラリと口を挟んだ。

理子はハルトにパッと顔を向けた。


「えっ、ハルトさんからの一目惚れだったんですか?わぁ、いいなぁ!」


ミチルが声をあげると、拓真がおもしろくなさそうに小さく舌打ちした。


「ねぇねぇミチルちゃん、俺らも、俺からのひとめぼれだったよ」


必死にミチルに訴えたが────


「うん、ちょっと黙っててね。」


ミチルに柔らかな笑顔で制され、呆気なく撃沈した拓真だった。


「見た目もだけど、中身も可愛くて。おっちょこちょいで危なっかしくて、天真爛漫で……歳上なのに放っておけないっていうか…全力で守ってあげたいって思って、猛アタックした。」


ミチルは両手を胸において、ハルトにすっかりうっとりしている。


理子は演技とはいえ恥ずかしくなり、少し俯いた。

しかし、修司と恋に落ちた自分との落差も感じていた。


「プロポーズも俺から…」


理子はその言葉に反応してハルトの横顔を見た。

プロポーズの話までは決めていない。

だが興味本位で気になった。

ハルトが自分にどうプロポーズしてくれるのか。


「ありきたりだけど、夜景の綺麗なレストランで。理子は夜景が好きだから。」


ハルトは理子を一瞬見やると、少し照れたように続けた。


「それで…『この夜景のほんの一部分をこの中に入れてきたので、僕と結婚してください』って言って…小さなダイヤが乗った指輪を渡したんだ」


演技とはいえ、その話は理子の胸に響いた。

こんなにも想われた幸せな世界がある。

理子から修司に一目惚れをし、世話を焼き、適当にプロポーズしてきた修司とは大違いだった。

そんなプロポーズ、断れるわけがない。


ミチルは感動のあまり片手で口元を押さえ、もう片手は拓真の腕をバシバシ叩いていた。


「いてててててて!」


拓真は悲痛な声をあげる。


「あれから10年も経ったけど…今でも気持ちはあの頃のままで…」


ハルトと理子の視線がふっと重なる。


「俺は今でも…理子を……」


理子は小さく息を飲み、ハルトの言葉の続きを待っていた。

一瞬、時が止まったようだった。



するとその時────

リーンとベルが鳴った。


「お集まりの皆さま、こちらにご注目お願い致します。」


高槻美幸が、壁際に置かれた花柄の大きなパネルの前に立って手を挙げていた。


「今からカップルの仲をより深めて頂くための写真撮影会ゲームを致します。」


すると美幸は、白い箱を両手で持って掲げる。


「このボックスから紙を引いて頂き、そこに書かれたポーズでこちらのパネルの前で撮影するという、単純なゲームです。純粋なポーズもあれば、刺激的なポーズもあります。ぜひご参加ください。」


そして腕をのばすと、少し離れた場所でカメラを構えている男を紹介した。


「なお、お写真はカメラマンを務めるわたくしの夫にお任せ致しますので、実物よりさらにお美しく、精悍に仕上がることを保証いたしますわ。」


どっと笑いが起こる。


「撮影されたお写真は現像致しますのでお持ち帰りください」


賛同の拍手が起こった。


「おもしろそう!拓真君、行こ!」


ハルトの話はもう忘れ、ミチルが拓真の腕を引く。


「理子さんたちも来てくださいね!」


そう言い残すと、ミチルは拓真を引き連れて美幸のもとへ行ってしまった。


わずかな沈黙のあと、理子がすこし鋭い視線でハルトを見た。


「演技派。危うくハルトのこと好きになりかけた」


「はぁ?」


突拍子もない言葉にハルトの口元が緩む。


「プロポーズの話…すごく良かった。アドリブよね?」


「ああ…あれは……」


ハルトはそう言って、真剣な眼差しで理子を真っ直ぐに見つめ────


「姉ちゃんに用意してる言葉だよ」


片手で理子の頬を包み込む。


「え……ハルト」


喧騒が遠のいて、動揺する理子の胸の高鳴りだけが響く。

まるで2人だけの世界…


──────というハルトの妄想である。


あぁ…そう言えたらなー…とハルトは息をついた。


「あれは、そう、アドリブ。なかなかだったろ」


ハルトは自信たっぷりに言った。


「じゃあ、最後の言葉は…?『俺は今でも理子のこと……』って、そのあとはなんて言おうとしたの…?」


理子の胸がどくんと高鳴る。

演技とはいえハルトの、10年経った思いが気になった。


「…愛してる。俺は今でも、理子を愛してる。」


迷いもためらいもなく出てきたその言葉が、理子の胸に静かに落ちた。


「そう言おうとした。俺、一途で重い男だから」


ハルトはふっと笑ってどこか誇らしげに言う。

理子は小さな笑みを浮かべた。


「写真撮影会だって。どーする?」


理子が聞くと、ハルトは理子の手を握った。


「もちろん、行こーぜ」


ハルトのその顔は、この場を楽しむ“夫”の顔になっていた。





相澤拓真は大勢の観客が見守る中、ボックスの中に深く手を入れて、2つ折りにされた1枚の紙を握った。


「これだーーーっ!」


ボックスから手を抜いて掲げてみせる。

相変わらずリアクションが大きい男である。


「拓真くん、どんなポーズ!?ハグとかキスのポーズだったらいいな~!」


隣でミチルが弾ける笑顔で聞くと、拓真がドキドキしながら紙を開き、読み上げる。


「…て…手繋ぎ‥‥」


「え?‥なーんだ、普通だね」


純粋ポーズを引き当て、不埒な2人はそろってガッカリした。



その後、続々と、カップルたちがくじを引き、ポーズをとって写真を撮られる。

頬を寄せたり、額と額をくっつけ合ったり、

壁ドンや、抱擁、お姫様抱っこ、おんぶをするポーズまで飛び出した。

室内にはシャッターを切る音と笑い声が絶えない。


――そしていよいよ、白石夫妻の順番が来た。


ハルトがくじを引く。

理子は後ろでそわそわ見守っている。

引いた紙を広げると──


「……バックハグで‥耳元にキス……」


ハルトの低い声が近くにいたカップル達の耳に届き、室内から驚きの声が上がった。

理子も驚いて固まっている。


「えーっ、理子さんとハルトさん、刺激的~!いいなぁ!」


ミチルは羨ましそうに声を上げた。

その隣で拓真はニヤニヤしている。


「ちょっと…ハルト!」


固まっていた理子だったが、小声で思わずハルトの手を引っ張った。

カップルたちに背を向けると、小さくまくし立てた。


「あんたなんていう紙引き当ててんのよ!」


「しょーがねーだろ、引いちまったんだから!」


ハルトも声を最小限に抑えて言い返す。


「耳にキスなんて嫌すぎる!姉弟なのに!」


「俺は唇にされたけどなー」


ハルトは小声ながら、嫌味たっぷりに言った。


「あれは寝ぼけてたの!」


ヒソヒソした言い合いは止まらない。


「じゃあまた寝とけよ!すぐ終わらせるから!」


その背後で、カップルたちがざわざわと騒ぎ始める。


「おふたりともー?準備はいいかなー?」


カメラマンの高槻真の言葉に、ふたりは同時に笑顔で振り向いた。


「はーい、じゃあ旦那さん、後ろから奥さんをハグしてー!情熱的にね!」


指示が出され、覚悟を決めたハルトは、やれやれ…と小さく息をつく。

そして理子の背後に回り、

────理子を優しく抱き寄せた。


途端、カップルたちからどよめきがあがる。


理子の胸は妙に高鳴った。

後ろから抱きしめられるなんて、久しぶりのことだった。

この高鳴りは、人前でしている羞恥心からなのか

────それとも、相手がハルトだからなのか。


「理子…耳、出して…」


ハルトの低い声が、髪で隠れた耳元で聞こえた。


「あ、うん……」


理子はそう言っておずおずと髪を耳にかける。

ハルトの唇が、理子の耳元にそっと近づいた。

理子の肩が一瞬、小さく震える。


その瞬間───シャッターの音が鳴った。








「プッ!アハハハハハハハ!何度見てもこのハルトの顔!おもしろすぎるー!」


理子の明るすぎる笑い声。

隣に座るハルトはムスッとした表情を浮かべ、おもしろくなさそうだった。


帰りのタクシーの車内。

流れる外の景色は、もう日が暮れている。


高槻美幸が主催するホームパーティーは、大勢の前で姉をハグして耳にキスをするという大きな爆弾が仕掛けられたが、どうにか処理。その後も難なく夫役を務めあげ、完璧に過ごせたのだが──


最後の最後で理子に笑われている。

それも腹を抱ての大笑い。


「姉ちゃん、笑い過ぎだろ!この写真の俺のどこがそんなにおもしろいんだよ!」


ハルトは怒り気味に言いながら、理子が手に持っていた写真を奪った。


そこには、目を閉じてハルトの腕に抱き寄せられた理子と、ハルトだけがどこか挑発的に真っ直ぐカメラを見ているという姿が写っていた。


「だってすっごいキメ顔でカメラ目線なんだもん!あんたはアイドルかって!アハハハハ!」


ハルトは思いきり顔をしかめながら髪を掻きむしった。


「あーもうっ!姉ちゃんのために必死だったんだよ!」


強い口調で言って、ハルトは真っ直ぐ理子を見つめた。


視線が重なる。

理子の笑い声がふっと止まった。


理子は目を伏せ、シートの上に無造作に置かれたハルトの大きな手に、そっと手を重ねた。


「ありがとう…ハルト。」


こんなに笑えるのはハルトのおかげだ。

自分のことを守ってくれて、一生懸命にもなってくれる。大切な弟。


「ハルトのおかげで今日1日、本当に楽しかった」


そう言われるとハルトは調子が狂ったように視線を泳がせ、頭をかいた。


「あーあ……」


理子は大きくため息をついて、ハルトの肩に頭をもたれかけた。


人前で姉を後ろから抱きしめ耳にキスをするという無理難題を成し遂げたあとでも、ハルトはドキッとしてしまう。


「…ハルトが夫だったら、幸せなんだろうなぁ」


ぼんやりとこぼしたその言葉に、ハルトの胸が熱くなった。


理子はすぐに頭を上げて笑った。


「あっ、なーんてね、今言ったこと忘れて」


「無理。俺、記憶力いいから」


どこか自慢げに笑うハルトの横顔が、理子には少し憎たらしく映った。






────今日は、不思議な気持ちが芽生えた気がした。


シャワー後、洗面台の鏡の前でスキンケアをしながら、理子は思った。


偽装夫婦。

すべて演技だったはずなのに、自分を想うハルトの真っ直ぐな気持ちは、思いのほか心地よかった。


たったひとりの人から、あんなふうに想われたら、どんなに幸せだろう……


ミチルたちに馴れ初めやプロポーズを話していた場面が、ふと脳裏に蘇る。

後ろから抱きしめられた、温かくて優しい感覚も、まだ残っていた。


そして──


理子は鏡を見つめながら片耳を指先でなぞる。


───ハルトの唇が近づいた耳の感覚も。


「…なに思い出してるの…」


理子は自分に向かって苦笑した。


この、境界線の狭間に立つような気持ちはなんなのか、理子にはまだわからなかった。




リビングへ行くと、電気をつけっぱなしのまま、ソファでハルトが眠っているようだった。


静かに近づいて、寝顔を覗く。


すっかり大人の顔つきになったが、寝顔には子供の頃の面影があって、理子は小さく笑った。


きっとスマホを見ていてそのまま眠ってしまったのだろう。

ハルトの手元には画面が明るいままのスマホが握られている。


ふと画面に目をやると、そこには数枚の写真が並んでいた。

何気なく顔を近づけ、目を凝らしてよく見る。


カフェの窓際の席に座る女性の後ろ姿。

横断歩道で信号待ちをしている女性の後ろ姿。

レジでの女性の後ろ姿。


「………え?」


理子の呼吸が一瞬止まった。


髪型、服装、雰囲気から───

どれも自分に見える。


ハルトの様子を伺いながら、適当に1枚の写真を震えそうになる指先で押してみた。


画面が、ぱっと切り替わる。


見覚えのある白いニットとインディゴのスリムなデニム、緩やかに巻かれた髪は黒くてすこし長い。

大きなショッピングバッグを持って、駅の改札を出ようとしている写真────


「これ……わたし?」


すぅっと血の気が引く。

他にも見ようとした、そのとき────


「ん………」


ハルトが小さく身じろいだ。


理子はビクッと肩を揺らし体を起こす。

同時に、ハルトの目がゆっくりと開いた。


険しい表情を浮かべこちらを見ながら立ち尽くす理子に、怪訝そうな顔した。


「……なに。姉ちゃん、どしたの」


理子は一瞬、言葉に詰まり、どうにか言った。


「あ…シャ、シャワー終わったから…ハルトも…してきたら?」


「ん……ああ…そうする…」


そう言いながら欠伸をひとつ。

頭をかきながら立ち上がると、ハルトはスマホをポケットにしまった。


理子は浴室に向かうハルトの背中を見送る。


そして──


「もしかしてハルト……私を盗撮してるの!?」


バチンと両手で頬を押さえ、小声で絶叫したのだった……。



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