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#09 伝えたい言葉



「乾杯」


瀬戸文哉はそう言って、理子の持つグラスに自分のグラスを触れ合わせた。

チン…と音が鳴る。


都内の喧騒から離れ、カウンターに座るふたりを薄暗い照明が照らしている。

大人の隠れ家のような特別感を感じさせるワインバーだった。


「今日は来てよかった。素敵な理子さんに出会えたから」


瀬戸は、甘いマスクを武器にさらりと殺し文句を添えて微笑んだ。


理子は口元だけで笑い、ワインをひと口飲んだ。

小さく息をつき、ぼんやりしてしまう。


「……弟さんのことが気になりますか?」


「へっ?」


理子は、胸の内が読まれた気がして変な声を出し、過剰に反応してしまった。


「正直な人だな~」


瀬戸は笑いながらワインを口に運んだ。


「今まで、知らなかったんですか?弟さんの気持ち」


「……最近、知りました」


グラスの細い足を両方の指先で包み込んでいる理子は、目を伏せた。


「あぁ、最近。へぇ。血の繋がりがないっていうのは…?」


「親の再婚の連れ子同士だったんです…」


「ああ、なるほど」


瀬戸は小皿に盛られたチーズに手を伸ばす。


「…理子さんは好きなんですか?」


瀬戸が問いかけた、その時だった────。


静かな空間にスマホの振動音が鳴り響いた。

瀬戸はスーツのポケットからスマホを取りだしたが肩をすくめてみせた。


理子は慌てて、バッグからスマホを取りだした。

ハルトからの着信でスマホが震えていた。


しばらく画面を眺めていると、瀬戸が静かに口を開いた。


「出ないんですか?」


理子は微笑みで返事を濁して、まだ振動しているスマホをバッグにしまった。


「……弟に特別な感情はありません。姉弟ですから。弟は、弟です」


理子は、自分の心に言い聞かせる。

ふっと瀬戸を見つめた。


「わたしは、違う相手を求めます。」


瀬戸は少し面食らった様子で、理子を見つめた。






────出ろよ!


電話をかけながら、ハルトは宛もなく夜の街を走っていた。

スマホを握る指先に込められた力にも、唇を噛んでいることにも気づかない。


雰囲気の良さそうなバーを見つけると、躊躇いなく扉を開けて店内を覗いたりもした。


人の気配はあるのに、理子の姿だけが見つからない。


焦れったい想いが心で渦を巻く。

姉弟だから応えられないという気持ちの裏に隠されていた、理子の本当の気持ち。


ハルトは、自分の気持ちばかり押し付け、気づいてやれなかった自分に腹を立てた。


「情けねぇな……」


ポツリ呟いた言葉は夜の喧騒に紛れた。






公園の夜風が、理子の頬をそっと撫でる。

すこし飲みすぎた体にまとわりつく冷たい空気は心地良さを感じさせた。

大きな噴水はもう止まっていたが、オレンジ色の街灯と、木々の間から見えるビル街の夜景がどこか心を落ち着かせた。


「今日は楽しかったな~。理子さん、また会ってくれますか?」


理子の隣を歩く瀬戸文哉は、少し酔っている様子で理子に尋ねた。


「もちろんです」


理子は微笑を浮かべた。


ふと、瀬戸が理子の手を握り、

体を引き寄せた────

理子の体は大きく傾き、瀬戸の胸にすっぽりと収まった。


「理子さん…好きです。まだ会って間もないですけど…強く惹かれています」


理子は抵抗をせず、瀬戸に体を委ねた。


「僕と、付き合ってくれませんか?」


頭上から落ちてきたその言葉に、理子の心は揺らいだ。


脳裏に蘇ったのは、ハルトの顔────

ハルトとの楽しかった日々。

ハルトの温もり。


忘れた方がいいもの。

忘れなきゃいけないもの。

────さようなら、ハルト。


理子は一瞬、目を閉じて小さく息をついた。


「はい…よろしくお願いします」


夜に消え入るような小さな声。

それでも、表情は穏やかだった。


瀬戸は理子の肩に手を置いて優しく体を離した。


ふたりは見つめ合い、理子はそっと目を閉じた。

瀬戸の顔が、ゆっくりと理子に近づいていく。


次の瞬間────。


理子の強ばった表情に気づいた瀬戸は、ぴたりと動きを止めた。

ふっと笑って理子の肩から手を離した。


理子は何が起きたのかわからず、おずおずと目を開けて瀬戸を見つめた。


「僕にキスして欲しくない顔をしてました」


「え……」


理子はハッとしたような表情を浮かべた。


「僕は、僕のキスを心待ちにしてくれている人とキスしたい」


理子は静かに目を伏せた。


「理子さんがキスして欲しい人は、僕じゃないでしょ」


瀬戸の見透かすような瞳。

理子の心にハルトの顔が浮かんだ。


「ごめんなさい……私……」


「いいですよ。気にしないで。あの弟の想いに比べたら、僕の想いなんてちっぽけなものですから。」


瀬戸は肩をすくめた。


「彼、合コン中ずっと、理子さんのことを盗み見ていましたし、僕に対しては敵意にも似た視線も感じました。」


やれやれ…という様子で瀬戸は小さく笑った。


「理子さん。僕は潔く身を引きます。選択を間違わないで。」


瀬戸の言葉が理子の胸の奥に溶ける。


「帰りましょうか。近くまで送ります」


歩き出そうとする瀬戸の背中に、理子は微笑んだ。


「わたし、まだここに居ます。先に帰られてください」


「え……でも」


「大丈夫です。本当に。酔いを覚ましたいので」


理子は、何かを吹っ切ったかのような、心に曇りのない明るい表情を浮かべた。


「わかりました。…さようなら、理子さん」


理子は、小さくなっていく瀬戸の背中を無言で見送った。


ひとりになると、静かに噴水の縁に腰を下ろした。

噴水の、動きそうで動かない水面が、まるで自分の心のように見えた。


その時────

また、バッグの中でスマホが震えはじめた。

見てみると、ハルトからの着信だった。


一瞬ためらってから、理子は通話ボタンを押した。


「も────」


「やっと出た!姉ちゃん今どこにいんだよ!」


“もしもし”と言い終わる前に、ハルトの言葉が勢いよく耳に飛んできた。


「どこって……それ言ったらハルト来るでしょ」


理子は足をぶらぶらさせながら、少しだけからかうように言った。


「瀬戸さんといっしょ?それとも姉ちゃんひとり?」


走っていたせいで、ハルトの息は少し上がっていた。


「ひとりよ。瀬戸さんとは別れた。色んな意味でね」


「は?どこにいんだよ」


低く、どこか焦りを含んだハルトの声。

わずかな沈黙が流れた。


「……日比谷公園の噴水の前」


理子は目を伏せて、呟くように言った。


「すぐ行く」


言い終えると同時に、通話は途切れた。


理子は、大きく息を吸い込みながら空を見上げると、思い切り息を吐き出した。

胸に溜めこんでいた秘めた想いを、吐き出すように。





薄暗い中から、走ってくる足音が聞こえ、理子はその方へ目をやった。

月明かりに照らされ、その姿が浮かび上がる。

────ハルトだった。


息を切らしながら、ハルトは理子へ近づく。


「遅いじゃない。30分も待ったわよ」


理子はハルトを軽く睨んだ。


「しょーがねーだろ、離れてるとこにいたんだから。これでも全速力で来たんだぞ」


ハルトは途切れ途切れに言い、理子のすぐ隣に腰を下ろした。

大きく息をつき、乱れた呼吸を整える。


風が、沈黙と共に流れる。

噴水の水面がわずかに揺れた時───


「姉ちゃん」


ハルトの低い声が、静かな夜に落ちた。


「拓真から聞いたと思うけど、俺、姉ちゃんのこと諦められない。どうしても好きなんだ」


理子に向けられたその瞳には、迷いも恐れもなかった。

理子は黙ってハルトを見つめた。


「それで、明子さんから聞いた。姉ちゃんが俺とのことで臆病になって不安を抱えてるって……」


理子は返事をしない代わりに、目を伏せた。


「あのお喋り…」


ハルトに聞こえないよう、理子は小さく毒づいた。


「だから姉ちゃんを安心させたくて、伝えに来たんだ。」


ハルトはひと呼吸置いて、小さく息をついた。


「姉ちゃんと俺が付き合ったらさ、絶対うまくいくよ」


揺らぎのない瞳とまっすぐな言葉。

唐突にそう言われ、理子は思わずクスッと笑ってしまった。


「は?あんた何言ってるの」


「うまくいかないわけねーだろ。俺が必ずうまくいかせてみせる。姉ちゃんに気まずい思いなんて、させねーよ」


石の縁に置かれていた理子の手に、ハルトは自分の手を重ねた。


「どんな姉ちゃんでも受け止める自信あるし。たとえ、姉ちゃんが先に歳とったって、俺は変わらず好きだよ」


その言葉には、揺るぎない自信があった。

ずっと、そう思ってきたかのように。


理子は少し俯き、小さく微笑んだ。

胸をがんじがらめに縛っていた不安という紐が、解けていくようだった。


「それにさ、姉弟からちょっと変わるだけだろ。恐がることじゃねーよ」


「でも……」


不安そうに言って、少し顔を上げた理子の唇に、ハルトはキスをした────。


理子は目を見開いたまま動けなかった。

でも不思議と、心地良さがあった。


風に揺れて擦り合う木々の葉の音が、理子の耳にやけに大きく響いていた。


ハルトはゆっくりと顔を離し、イタズラめいた笑みを浮かべた。


「…な?べつに恐くねーだろ?」


理子は笑顔を隠すようにハルトを軽く睨んで、ゆっくり小さく頷いた。


「あ。聞き忘れた。姉ちゃんは俺のことどう思ってんの…姉ちゃんの口から聞きたい」


ハルトは頭をかきながら恥ずかしがった様子で聞いた。

理子は一瞬、ハルトに笑いかけると、口元に片手を添えてハルトの耳に囁いた。


「大好き」


近い距離で、吐息が触れる。

ハルトは不覚にもドキッとした。

囁き終えると、理子はいたずらっぽく微笑んだ。


ハルトは理子を抱きしめずにはいられなかった。


「姉ちゃん、俺と大恋愛しよーぜ」


その言葉に、理子は思わず笑った。


「はぁ?なにそれ」


「姉ちゃん言ってただろ。大恋愛したいって。それだよ」


「ハルトにそんなことできるの?」


理子はまだクスクスと笑っていた。


「できる。何年もかけて証明するよ」


その言葉に、理子の胸がじんわりと熱くなる。


すぐには終わらない。

そんな約束をされた気がした。


「あとさ、」


ハルトは理子の腕を掴み、少し体を離した。


「またいっしょに暮らそうぜ」


ハルトの顔に無邪気な笑顔が浮かぶ。

理子は静かににっこり笑った。


「うん」


柔らかい夜風が、ふたりの間をすり抜けた。






「えー!ハルトくんとそんな関係になったの!」


ソファに座った明子は、悲鳴に近い声を上げて、缶ビールを開けるとゴクッと音を立てて飲んだ。


「おめでとう!よかったじゃん!」


その隣で、理子はビール片手に照れたように笑い、小さく頷いた。


理子は明子の部屋に戻っていた。夜はすっかり更けていた。

テーブルには買ってきた缶ビールとおつまみが、コンビニの袋に入ったまま置かれている。


「私のおかげね。ハルトくんに助言してあげたんだから」


明子は袋の中をガサゴソ漁っておつまみのプリッツを出して開けた。


「余計なことしてくれてありがとう」


理子は嫌味たっぷりに言って、小さく頭を下げた。


「あーなにそれ」


明子は呆れたように、ふっと笑い、プリッツを口に運んだ。


「それにしても驚いた。ハルトくんがあんなにかっこよくなってたなんて。もうすっかり大人の男ね」


理子は穏やかな笑みを浮かべ、どこか遠くを見つめた。


「中身もすっかり大人。優しくて思いやりがあって、頼もしくて……」


そこまで言ってハッと口をつぐんだ。


「あ、でも子供っぽいところもあるけどね」


理子は誤魔化すように、慌ててビールを傾けた。


「なんだなんだ~?早速ノロケか~?」


明子は目を細めて、からかうように理子を覗き込んだ。

理子はそっぽを向いた。


「照れるなって~。」


明子は理子の肩を軽く押した。


「ねぇ、お友達も、“顔は”なかなかかっこよかったわね。」


“顔は”の部分を強めて言う明子に理子は首を傾げた。


「拓真くん?どういう意味?」


「だってあれから大変だったんだから!」


明子はうんざりげな口調で言って、ソファの背もたれに身を沈めた。


「あんたは男と消えるし、他のみんなも帰ったでしょ?ハルトくんもいなくなって。私と酔っ払った眠り男の2人きりよ?彼、起きたはいいけど、ミチルちゃんごめんよ~って私に泣きついてきたの。だからタクシー乗せて帰らせた。ミチルって誰?」


理子はクスクスと笑った。


「拓真くんのかわいい彼女」


「彼女いるの!?それでなんで合コン来てるのよー」


明子は額に手当て宙を仰いだ。


「軟派な男なのよ。でも明るくていい人よ」


「明るきゃいいってもんじゃないでしょ」


吐き捨てたように言って、明子はビールを煽ぐとふと思い出す。


「あ、そうだ。瀬戸さんとはどうなったの?」


理子は少し言いにくそうに口を開いた。


「……告白されて抱きしめられてキスされそうになった」


「はぁ!?なにその3点セット」


明子は背もたれから思わず起き上がる。


「でも私の顔が強ばってらしくてね、キスされなかったの。それで…私の思いを察して、身を引いてくれたの」


「なにそのメロドラマ的展開…あんたモテモテね」


明子は呆れたようにため息をつきながらも、どこか楽しげに笑った。


「それで?ハルトくんのところに帰らなくていいの?」


コトッと音を立てて、明子はテーブルにビールを置いた。


「ハルトにまたいっしょに暮らそうって言われた…」


理子は恥ずかしそうに目を伏せ、明子を真っ直ぐ見た。


「だから明日、出ていくね。ありがとう、明子」


「そっか…。寂しくなる」


明子は、寂しさを滲ませた様子で言うと、テーブルに置かれた缶ビールを手に取った。


「よし!今夜は朝まで飲もう!」


そして理子の肩に手を回した。


「え、明子、あんた明日仕事は?」


理子は少し体勢を崩しながら、呆れて笑った。


「欠勤欠勤~!」


明子が楽しそうに笑うのを見て、理子もつられて笑ってしまう。


女同士の楽しい夜は、賑やかに更けていった。







オフィスも、パソコンの画面も、頭も揺らいでいた。

耳に入ってくるちょっとした音も、けたたましく響いている。

相澤拓真は眉間を押さえて、背もたれに体を預けた。

そのとき──頭に何かがぶつかって前のめりに倒れかけた。


「ああ、わりぃ」


悪びれもせず低くそう呟いたのは、隣のデスクの三浦ハルトだった。

どうやらハルトのカバンが当たったらしい。

いや───カバンをわざと拓真に当てた。


ハルトはカバンをデスクに置くと、頭を押さえる拓真を冷ややかに見つめた。


「なんだよハルト…いってぇな。俺、今日二日酔いなんだよ」


「だろーな」


ハルトは椅子に座り、低く吐き捨てた。


「ゆうべはずいぶん飲んで暴れてくれたもんな」


ハルトはパソコンを開きながら言った。


「え…マジ?それがあんまり覚えてなくてさ。理子さんが来て、目の前のお姉様と楽しく食事してたとこまでは覚えてるんだけどよ…」


腕を組んで記憶を辿る拓真を、ハルトは冷ややかな目で一瞥する。


「あ、あと、帰りに美人なお姉様がタクシーに乗せてくれたのも覚えてる。それだけ覚えてりゃ上等か」


満足そうにヘラッと笑う拓真を見て、ハルトの中で静かに何かが切れた。


「なぁ、拓真。ゆうべな……」


ハルトは椅子に座ったまま、視線だけ拓真に向けた。


「あ?」


拓真は気怠そうに返事をした。


「姉ちゃんのことが好きで諦められないこと、あの場でお前が全員にバラしてくれたんだよ」


ハルトはキーボードを叩きながら、淡々と言った。


「え……マジ?」


拓真の顔つきが焦りに変わる。


「あー、ゴメン、悪かったよ。理子さんはなんて?引いてたか?」


「……いや。俺のこと、“大好き”だって」


ハルトは拓真の方を向いて、ふっと意味ありげに笑った。


「は……?」


拓真は眉を寄せ、ハルトの言葉を理解するのに3秒ほどかかった。


「はぁぁぁぁぁ!?」


オフィス中に響く大きな声を上げ、拓真は立ち上がった。


「なんだ、相澤。朝から大きな声を出して」


少し離れたところから、すかさず上司の言葉が飛んでくる。


「あ、いや、なんでもないっす。すんません……」


拓真は周りに軽く頭を下げて、おとなしく座った。

ハルトは拓真の様子を鼻で笑い、キーボードを叩き続けた。


その横顔を覗くように、拓真はすこし体を寄せた。


「おい。じゃあ晴れて両思いかよ?やったなぁ」


「……おう」


ハルトは照れ笑いを隠しきれないような顔をした。


「じゃあ襲っても合意の上で、だな」


下品そうにニンマリ笑う拓真に、ハルトは眉を寄せた。


「はぁ?襲わねーよ」


多分……とハルトは心の中で呟いた。





「ありがとうございましたー!」


花に囲まれた店先に、理子の軽やかな明るい声が響いた。

花束を抱えて小さくお辞儀をする客の背中を見送ると、くるりと店内に入っていく。

すると花の手入れをしている城山ミチルと目が合った。


「今日の理子さん、いつもと雰囲気違いますね。何かいいことありました?」


「まぁね~」


理子は意味ありげに笑って返した。

すると、そばで花の水やりをしていた鈴原真澄がジョウロ片手に理子に近づいた。


「やっだ。アンタまたキスしたでしょ?おまけに抱きしめられてる」


あまりに近すぎて、思わずたじろぐ理子の隣で、ミチルが口を挟んだ。


「そりゃそうですよ~。ハルトさんと理子さん、ラブラブですもん。キスやハグぐらいしますって」


ミチルの言葉に、理子は昨夜のできごとを思い出し、密かに照れ笑う。


「例のイケメン旦那ね?顔が見たいわ~」


真澄が大きく溜息をついて、理子を見る。


「ねぇ、あんた、ほんっとに写真ないの?旦那よ?1枚くらいあるでしょ?見せなさいよ。取ったりしないから」


しつこい真澄の言葉に、理子は無視を決め込んだ。


「あ、写真ありますよ?こないだダブルデートした時にみんなで撮った写真」


ミチルはエプロンのポケットからスマホを取りだし、写真を見せた。

緑の木立の風景をバックに、4人で楽しそうに映っている写真だった。


「左に写ってるのがハルトさんです」


「あらやだ素敵」


真澄は口元に手を当てたかと思うと、そのまま胸に手を移した。


「恋しちゃう」


短い言葉の中に、抑えきれないトキメキが詰まっていた。


「あんた、ずいぶんなイケメン隠し持ってるじゃない。こんないい男が旦那だなんて、ゲイに狙われるわよ」


理子は視線を逸らし、曖昧に笑った。


「ねぇ、もう一回見せて…やだ眩しい」


真澄はもう一度画面を覗いたが、見てられないとでも言うように手で目元を覆った。


「右がわたしの彼氏です」


ふふっとミチルが笑う。


「あらやだ……普通ね。すごく普通だわ。直視できるもの。」


ハルトの時とは違う反応に、ミチルは少し唇を尖らせた。


「えー?イケメンじゃないですかー?」


「イケメンよ。普通のね。でもこっちは極上のイケメンなのよ」


「えー。イケメンにも階級があるんですかー?」


「当たり前じゃない。肉のランクと同じよ。理子の旦那は黒毛和牛のA5、あんたの彼はオージービーフかしらね」


「なんですかそれ~」


「オーストラリア産のやつよ」


ムッとするミチルと、真澄のやり取りを見ながら、理子は可愛い弟──いや、恋人を褒められていい気分だった。


理子は、店先に並んだ花を整える。


今日からまたハルトと暮らせる────


そう考えると嬉しくて、口元はニッコリし、働く指先まで軽やかになる。

無意識に鼻歌までこぼれてしまう。


「あの子絶対、なにかあったわよね…」


真澄の言葉に、ミチルは深く頷いたのだった。





玄関のドアをゆっくりと開ける。

あたたかい光の気配を感じ、ハルトはほっとした。そのまま大きく開く。

廊下には煌々と明かりが灯っていた。

玄関には、履き揃えられた理子の靴がある。


「ただいま」


ハルトは少し大きな声で言う。


少しして、リビングのドアから理子が顔を覗かせた。


「おかえり、ハルト」


以前とは違う、どこかくすぐったい緊張感が流れた。それはハルトにとって愛しいものだった。


理子は靴を脱ぐハルトに駆け寄った。


「合鍵、ポストに入れておいてくれてありがとね」


ハルトは何も言わず、理子に軽くキスをして抱きしめた。


「ハルト……」


ハルトは大きく息をつく。

理子の声や温もりや香り、柔らかな感触も。

ハルトはそれらを確かめるように理子を抱きしめた。

一瞬遅れて、理子もハルトの背にそっと腕を回した。


「あー。疲れ吹っ飛ぶわ…」


理子はハルトの腕の中で照れたように微笑んだ。


そのとき────。


「理子……」


自分の名前を呼ぶ、ハルトの低い声に、理子はハッと目を見開いた。


次の瞬間、理子は体を離してハルトの頬をつねった。


「イテテテテテテ!なにすんだよ!」


ハルトは頬を押さえて声を上げた。


「あんた今、名前で呼んだでしょ!生意気よ」


理子が睨むようにハルトを見つめると、ハルトは呆れ笑った。


「はぁ?付き合ったんだからいいだろべつに!」


「付き合ったからってなんでも許されるわけじゃないのよ!甘く見ないで」


やっぱり、主導権は理子にあるらしい。


「じゃあ、姉ちゃんのままかよ」


ハルトの心がしぼむ。


「当然よ」


そう言うと理子は、くるりと背を向けてリビングへ戻って行った。


ハルトは小さく息をつき頭をかくと、理子のあとを追いかけた。





「今度の週末、ふたりで実家帰ろーぜ」


ハルトの唐突な言葉に理子は、箸先でつまんでいた夕飯のおかずの小さなミートボールを、ぽとりとテーブルに落とした。慌ててそれを箸で刺し、口に運ぶ。


「え……どうして?」


「どうしてって…。姉ちゃん、離婚したこと父さんと母さんにまだ話してないだろ?」


ご飯茶碗を持ったまま、ハルトは、理子の返事にすこし眉を寄せた。


「ああ…。そういえば……」


───そういえば、話していなかった。


「それに、俺たちのことも、ちゃんと話しておきたいし」


ハルトは湯気のたつみそ汁をすすった。


「え?わたしたちのこと話すの?」


理子は目を丸くした。


「当たり前だろ。結婚も考えてるって父さんにちゃんと言わないと。もともとは姉ちゃんの父さんなんだし」


冷静なハルトとは対照的に、理子は思わずテーブルに身を乗り出した。


「け、結婚?こ、これって結婚前提のお付き合いなの?」


「当然、結婚前提だろ。生半可な気持ちじゃねーよ。なに焦ってんだよ」


焼き魚の身を丁寧にほぐしながら、ハルトはさらりと言い、理子を見た。


「べつに焦ってないわよ」


理子はそっぽを向いた。


「あんだけ悩んどいて、姉ちゃん、俺と遊びなわけ?」


ハルトの声が、わずかに低くなる。


「違うわよ。急に両親が出てきたり、交際一日目で結婚の話を振られたりしたから、少し驚いただけよ」


理子はご飯を口に運び、小さく息をついた。


「ていうか私たち、戸籍上で姉弟なのよね?結婚できるの?」


「養子縁組はしてないだろ?だから問題ねーよ」


「そう……」


理子は目を伏せて呟いた。


ハルトと結婚────


それは長年の夢ではなく、突然胸に芽生えたものだった。

それがこんなにも早く、現実になるかもしれないなんて。


「あんまり嬉しそうじゃねーな」


ハルトが拗ねたように言った。


「そんなことない。嬉しいわよ。ただ……」


理子は箸をそっと置いた。


「ハルトと結婚なんて、不思議な感じで。」


理子は食卓をぼんやり眺め、ふっと笑ってハルトを見た。


「だってあんたがランドセル背負ってる姿知ってるのよ?おまけに長靴履いて泥だらけで遊んでたあんたと結婚なんて。」


理子はクスクス笑いだした。


「俺はその頃から夢だったけどな、姉ちゃんとの結婚」


低く静かな声に、理子の笑い声が止まった。


「え?」


理子は思わず、ハルトを見つめ返した。


「あの頃からの夢、絶対叶えたいんだ」


手を伸ばしても届かなかった夢が、今。

手を伸ばせば掴めそうなくらい、近づいた。



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