塁は友を呼ぶ
(1)
テレビから、ブラスバンド部が奏でる応援歌や、高校球児たちの金属バットの音が聞こえてくる頃。
太陽はまっ青な空から地面を照りつけ、蝉たちはけたたましい鳴き声をあげている。
なんでわざわざ、こんな暑い時期を選んで野球なんてやるのだろうか。という、非常にもっともなことを考える人も多いだろう。
ただ、当然の前提として健康第一はあたりまえとしても、それでもスポーツは、合理主義だけで語ってしまっては、おもしろさが激減してしまう。
青い空とギラギラした太陽に呼応して、無性に外を駆けまわりたくなったり、なんなら、自転車の荷台に女子を乗せて思いっきりペダルをこぎ回したいと考える。
道路交通法的にどうなのとか、野暮なことはいいじゃない。
合理的な理論では図れない。
それが青春というものなのだから。
まー、自転車の荷台に乗ってくれるような相手がいるかは知らないけれど。
「うりゃ~」
とここにも、この暑い中、わざわざバッティングセンターなんぞにやって来ている女の子がいた。
バッティングセンターデートというのも、さわやかだとは思うのだが、彼女のデートの相手は男性ではなく、バッティングマシーンから飛び出てくる白いボールだった。
白球は、デートの相手にファッションセンスを求めない。
むしろ、スポーツキャップ、紺のジャージにハーフパンツ、スポーツシューズ、バッティンググローブ(私物)というコーディネートは、白球とデートをする際の正装であり、パーティドレスのようなものだ。
紺色のドレスに身を包み、右打者用のレーンでぶおんと豪快にバットを振り回し、王子様に想いを伝えている姫の名は、岡本薫。
高校時代はソフトボール部に所属し、大学生になった現在も、ソフトボールを続けていた。
「おらぁ!」
声を発しながら、薫ちゃんが豪快にバットを振り回す。
「らぁ」を発音する際の巻き舌が、とても自然だった。
ハーフパンツから露出している、ふくらはぎはしっかりと鍛えられていて、彼女がバットを振るたびに、筋肉が引き締まる。
そんな薫の瞳は、ぱっちりとしていてやや吊り目。勝ち気そうな印象どおりに、言動も荒っぽい。
仮に薫姫が、男性から自転車の荷台に乗らないかと誘われたなら、「あたしがこいだほうが早い、代われ」とか言ってしまうだろう。
「これどうだ!?」
青空に吸い込まれるように、ボールがぽーんと飛んで行く。
やがて落下して来れば、HRと表記されている満月のような円形のボードに命中した。
このボードは、だいたいのバッティングセンターにあるはずだ。
HRとはホームランのことで、このボードに打球が当たると、次のゲームを無料にしてもらえたり、もしくは、一定の期間の合計ホームラン数で上位に食い込むと、景品をもらえたりする。
「当たった! 当たったぞ紀子!」
薫は大喜びで、バッティングレーンの外でひと休みをしていた友人に声をかけた。
しかし……。
通常、ホームランボードに打球が当たれば、ライトが点滅したり、派手な音楽が流れたりするのだが、ゲージ内は静かなままで、他の客の打球音が聞こえてくるのみだった。
姫の従者よろしく、薫の打撃を見守っていた紀子は、バッティングレーンに入るためのドアを開けると、
「打球が弱い」
まるで独り言のようにぽつりとつぶやき、すぐにドアを閉めた。
そんな彼女、伊東紀子は、のほほんとしたマイペース娘だった。
顔つきも薫とは対照的で、ややたれ目。まぶたが三分の一ほど閉じていて、常に眠たそうな顔つきをしている。薫と同じくソフトボール女子で、薫と同じ高校、同じ部で三年を過ごし、いまも大学の学友であると同時にチームメイトだった。
「あーあ。当たったのに……」
ゲームを終えた薫は、紀子からスポーツドリンクを受け取ると、残念そうに言った。
「だから、打球が弱い」
そんな薫に、淡々と紀子が理由を説明した。
店にもよるが、ホームランと認定されるには、ある程度、打球が強くなければならない。
薫は、ホームランを狙うために、ボールをすくい上げるようにバットを振っていたのだが、ボールが上に飛ぶ代わりに勢いが弱かった。だから薫の打球はホームランとは認定されなかったのだ。
「でもよー。当たったもんは当たったんだからよぉ」
「ちょっと、あんたたち!」
まだ不満そうな薫の声をさえぎるように、誰かが薫と紀子に声をかけてきた。なぜだか敵対心を含んだような声色だ。
両腰に手をあて、ベンチに座っていた薫と紀子の前で仁王立をしてきたその女性とは……。
「えっ、誰?」
薫は眉をひそめた。
服装は、薫たちと同じくジャージにハーフパンツという正装であることから、スポーツ女子であるということは推察できた。しかし、知り合いにこんな奴はいない。
「私たちの、最初の犠牲者」
くぴくぴとスポーツドリンクを飲んでいた紀子が、あいかわらず独り言のように言った。
すると、眉をひそめていた薫の表情が明るくなった。
「そうか! モブ美かおまえ! いやぁ、懐かしいなぁ」
「ちょっと。ほぼほぼ初対面なのに、慣れ慣れしいわよ! あと、誰がモブよ! 門武未来よ! 門武未来!」
同窓会で昔懐かしい友人に出会ったかのように、握手を求め、肩をばしばしと叩いてくる薫から、未来は離れた。未来が言うように、多少の因縁はあるものの、彼女たちは、ほとんど初対面なのだ。
その因縁は、高校時代にさかのぼる。
沙耶が率いたソフトボール部に、最初に入部してきたのが薫と紀子だった。
練習をするかたわら、部員集めに奔走した彼女たちだったが、最初の一年は人数がそろわず、試合をすることが叶わなかった。
しかし、次世代の新入生たちが入部し、ようやくに公式戦に出場することができた彼女たちは、飢えた猛獣が草食動物を食らうかのごとく、最初の公式戦で対戦したチームをボッコボコに打ちのめし、コールド勝利を収めた。
そのときに運悪くピッチャーを務めていたのが、未来だったのだ。
「あたしたちも、あのときは若かったていうか……。相手の気持ちを考える余裕が無くてさぁ。悪かったな」
「余計にみじめになるからやめてよ!」
未来は、肩を叩いてくる薫の手を払いのけながら、
「てか、モブ美ってなによ?」
さきほどからずっと気になっていたことをたずねた。すると、薫と紀子は腕を組み、
「あ~……」
と、なんとも煮え切らない様子だった。
「話すと、長くなる」
「そうだな。おまえ金持ってる?」
「ちょ、ちょっとは持ってるけど……」
彼女には悪いが、薫に金持ってるかと聞かれると、ヤンキーにからまれているような気分になってしまう。
未来の財布の中には、普通に遊ぶくらいなら、余裕をもって支払いができる金銭がひそんでいたのだが、思わず過少に申告をしてしまった。
「そっか。じゃあ、足らなかったら出してやるからさ。ちょっと付き合えよ」
「えっ……」
彼女には悪いが、薫にちょっと付き合えと言われると、ツラを貸せと言われたような気分になってしまう。
お金を出してやると言ってくれている相手に、とてつもなく失礼なのだが、情に篤いところもまた、そっち系の人間っぽいと未来は思ってしまった。
「用事でもあるのか?」
「な、無いけど……」
「じゃあ決まりだ。行こう行こう」
未来が、用事が無いと応えるや否や、薫は未来の肩に手を回して逃げられないようにした。
逃げられないようにした。というのは、完全に未来の被害妄想なのだが、薫に肩を掴まれると、あの日あのとき、どう猛な獣のように瞳をギラつかせた女子高生たち(少なくとも未来はそう感じた)にボッコボコに打ち込まれたトラウマが蘇ってしまった。
薫たちに声をかけたときの勢いはどこへやら。
あわれ草食動物である未来は、肉食獣に捕縛されてしまった。
(2)
モブ美とはなにか?
それは、一時期、沙耶たちのチームで流行したマスコットキャラクターだ。
その元ネタこそが、門武未来その人なのである。
未来たちのチームに勝利したあと、未来の名前が珍しかったことが話題になり、その名前から沙菊がイメージを膨らませて絵を描き、モブ美が産声をあげた。
沙菊が描いた絵のクオリティが高かったこともあり、モブ美は部内で人気者となり、全盛期には、手芸部に依頼して人形を作ってもらい、部員全員がカバンから人形をぶら下げていたくらいだったのだ。
仲間意識の表れなのか、特定の人間で集団を形成すると、よくわからないものが流行することがある。モブ美は、その好例だった。
「なんであんなもんが流行ったんだろうな?」
「深夜テンションのノリだった」
「てか、人をネタにして勝手にキャラクター作っておいて、あんなもん呼ばわりしないでよ」
薫と紀子が言ったように、モブ美を説明するには、それなりの時間を要した。
サウナで汗を流すには、ちょうど良いくらいに。
バッティングセンターを後にした三人は、スーパー銭湯にやって来た。
運動をして汗をかき、お風呂に入ってさっぱりする。実に健康的である。
無駄なお肉の無い肩に、じんわりと汗が浮かんできた三人の目は、サウナに設置されたテレビに釘付けになっていた。
そこでは、夏の高校野球大会が放送されていた。ジャンルは微妙に違っても、野球は似たような競技だし、なにより、大舞台での勝負ともなれば、スポーツにかかわる人間としては、ついそこに想いを馳せ、心が躍ってしまうものだ。
薫がよっこいせと立ち上がると、未来も紀子もそれに続いた。
「ねぇ。本当に高校から始めたの?」
三人は、他の湯に比べ、ぬるめの温度に設定されている湯船に浸かって、火照った体をじっくりと冷ましていった。
「あー、それな。よく聞かれるけど、本当だから。盛ってねぇから」
未来の質問に、薫は何回おんなじことを答えりゃいいんだといった様子で、ぶっきらぼうに応じ、
「薫は中学のとき、陸上部だった」
薫の答えの裏付けとして、幼馴染みの紀子が証言をした。
「はー。やっぱ才能ってやつなのね」
「いや。薫は素直なだけ」
未来は、天才って本当にいるもんなのねーと感心していたが、紀子は幼馴染みらしく、遠慮の無い言葉で訂正した。
紀子の言うとおり、薫は素直でもの覚えが早かった。ソフトボールを始めたのは高校生になってからだが、周りの教えや他人のプレーを観察してどんどん技術を吸収し、あっという間に上達した。そしていまや、日本代表の合宿に召集されるまでの選手になった。
ただし、素直である代償として、沙耶の毒をモロにもらい、ある意味、沙耶の最初の被害者であるともいえた。
「あっ。そういえば、岡本薫は右中間を知らなかったっていう噂が流れてるわよ」
「それは盛ってる」
薫は憮然として否定したが、未来が聞いた噂というのも、あながち間違ってはいない。
監督やチームメイトたちは、初心者の薫に対して気を遣い、できるだけ専門用語を使わずに技術指導をしていた。だから薫は、ほとんどソフトボール用語を覚えないままに卒業してしまったのだ。
そんな状態で、ハイレベルな用語が飛び交う全日本の合宿に参加したらどうなるか……。
薫は、彼女の意に反して、バカキャラとして愛されるようになってしまった。
ちなみに右中間とは、外野手のセンターとライトの中間地点の呼称であり、少しソフトボールや野球をかじった者ならば、あたりまえに知っている用語だ。しかし、これを知らなかった元プロ野球選手がいるとかいないとか……。いや、これはさすがにガセネタだろう。
薫は、湯船に備え付けてある手桶を右手で持つと、ゆっくり動かして、お湯をすくった。それは、左打者のスイングの軌道だった。
「沙耶が……、沙耶ってのは、うちのキャプテンだった奴なんだけど」
「覚えてるわよ。一番ギラギラしてた奴でしょ」
「その沙耶が、あたしは、ボールの真ん中から上側とコンタクトするようにラインを引いて、ゴロやライナーを打ったほうがいいって教えてくれんだ」
手桶ですくったお湯を戻した薫は、再びスイングのラインを引いて、お湯をすくった。
「じゃあ、上から叩きつけりゃいいじゃんって言ったら、絶対ダメだって、意識付け以外でそのスイングはするなって言われてさ。最初は、なに言ってるかわかんなかった」
「あれ? そういえば、あんたさっき、右で打ってなかった?」
何度も何度も手桶でスイングの軌道を確認している薫を見て、未来は疑問に思った。
薫は普段は左バッターなのに、バッティングセンターでは右打者用のレーンでバット振っていた。しかも、いま確認しているスイングの軌道とは、似ても似つかないものだった。
「あん? いやだって、気分転換の遊びだし。たまには豪快に振りてぇじゃん」
でも、左で打って、ヘンなクセが付いても困るから、遊びのときは右で打つようにしていると薫は説明した。
薫は、試合になると、一番バッターを任されることが多い。
中学時代に陸上部だった薫は足が速く、そのお仕事は、まず塁に出ること。
ソフトボールでは、野球に比べて塁と塁の距離が短いため、薫のような、いかにも足が速そうな左バッターが打席に入ると、内野安打を防ぐために、三塁手がずずいと前進してくる。
そのぶんヒットコースが広くなる。
だから薫は、バントの構えを見せて、三塁手をさらに前進させたところでヒッティングに切り替え、その横を抜いてみたり、逆に、打つぞ打つぞと見せかけてバントをしたりなど、細かな駆け引きを繰り出して出塁を試みる。
根がやさしくて、まっすぐな性格の薫は、他人を騙すような真似は嫌いなのだが、そこは我慢をして、自分の長所を生かしてチームに貢献をする。
陸上競技にも、おおざっぱに、短距離、中距離、長距離と、それぞれの選手に合った適正距離というものがあるように、沙耶は、薫は豪快にホームランを狙うよりも、コツコツとヒットを積み重ねるほうが彼女に適していると見抜いていたのだ。
「家で風呂に入ってるときに、あー、この感覚かって、ピンときてさ」
薫は飽きもせずに手桶でスイングの軌道を確認していた。
このように、自分の頭で考え、ある境地にたどり着くと飽きがこない。
だから薫に手桶を持たせると、いつまでも風呂場から出て来ないため、岡本家では、風呂に手桶を置くことをやめた。
それでも薫は、手のひらや洗面器で水面をなぞったり、シャワーの蛇口をバットに見立ててスイングの確認をしたりなどして、ずっと風呂場に閉じこもるため、薫の入浴時間は30分と定められ、入浴の際は、タイマーをセットすることが義務づけられた。
薫の様子を見ていた未来は、そこからなにかを連想できそうな気がした。
やがて「あっ!」と声をあげた未来が、
「だからあのとき……」
と薫と紀子に答え合わせを求めれば、紀子は表情を変えずにうなずき、薫はバツが悪そうに笑った。
「そうそう。そうなんだよ。あれは、あたしのスイングとおまえのボールが、噛み合った結果なんだわ」
「つまり、完全に事故」
「そっかぁ……。そういうことかー……。あれのせいで、あたしはメンタルがぐちゃぐちゃになったわよ……」
未来は湯船の縁に頭を乗せると、手のひらで水面をぱしゃぱしゃと叩いた。
その胸の内には、納得がいったようないかないような、胸のつかえがとれたようなとれないような、よくわからない感情が湧いてきた。
学校のテストで、自信を持って書き込んだ解答がなぜか間違っていて、なぜだろうと原因を探ってみると、問題文の意味を勘違いしていたのが判明したときの感覚に近いかもしれない。
「いや~。悪かったなぁ」
「みじめになるから、やめてってば!」
肩をぺちぺち叩いてきた薫の手を、未来は払いのけた。
スポーツを始めとした勝負事には、流れという不思議なものが存在する。
その流れを引き寄せるために、プレイヤーたちは、日々、地道な努力をしている。
たぶん薫は、ソフトボール部に入部してからずっと、教えられたことを一生懸命に考え、そして自分で導き出したことを、バカ真面目なほどに、コツコツと続けてきたのだろう。だからスポーツの神様が味方をしてくれる。
それこそバカな考えかたかもしれないが、スポーツや勝負事は、ときに、神様がいたずらをしたとしか思えない、人智を超えた出来事が起きることがある。
だからおもしろい。
(3)
大浴場を出て、フロントで渡された館内着に着替えた三人は、そのまま館内でランチを摂ることにした。
ホテルも兼ねている、ここのスパの料理はなかなかいける。と、すでにリサーチ済みの薫と紀子は、得意顔で未来に知識をひけらかした。
「いやぁ~。この楽しみを覚えてから、すっかり病みつきでさぁ。どうした? 呑めないのか?」
畳の上であぐらをかき、すっかりくつろぎモードの薫は、ビールが注がれたグラスをテーブルに置き、未来にたずねた。
「飲めるけど……」
「なんだ。じゃあ遠慮するなよ」
「遠慮っていうか……」
薫がビール瓶を差し出してくると、未来はグラスでそれを受け取った。
薫の隣に座った紀子は、お酒を注文するとサービスとして付いてくる、小鉢の枝豆を口の中に放り込み、両手で丁寧にグラスを持って、まったりとビールを飲んでいる。
まるで縁側で日向ぼっこをしながら、漬物とお茶を嗜んでいるおばあちゃんのようだと未来は思った。
(なんでこの人たちは、こんなに馴染んでるの……?)
すでに何度が利用をしているということで、注文を薫と紀子に任せた未来は、テーブルに並んだ料理を凝視した。
瓶ビール(サービスで枝豆)、冷ややっこ、鶏のから揚げ、イカゲソの生姜炒め。
それらを、薫と紀子は、ごく自然なことであるように、さもあたりまえのことであるように注文した。
いやたしかに、風呂からあがってすぐ飲むビールは身体に染みる。
彼女たちが得意顔をしていただけあって、料理も美味しい。
しかし……、しかしだ。なにかが間違っているのではないか?
これをランチと呼んで良いのだろうか?
周囲を見れば、オッサンが寝転がっていたり酒を飲んでいたり……。女性もいないことはないが、中年や年配の方ばかりだ。
そんな環境で、まるで自分の家の自分の部屋のようにくつろげるとは……。やはりこいつらはただ者ではないのだと、未来は警戒感を強めたのだが……。
「いやもぉ、あのときはさぁ! なに投げても打たれる気しかしなくてさぁ!」
「わははは! そーかそーか」
「やっぱり、メンタルは大事」
「そうよね。特に学生スポーツはね」
風呂場でお互いの裸を見せ合い、同じ釜の飯ならぬ、同じ瓶のビールを空けた仲間となった未来は、二杯三杯と杯を重ねていくうち、すっかり出来上がった。
そんな彼女の手元には、カクテルが置かれている。未来は無意識のうちに、自分の好きなものを見せても平気なくらい、薫と紀子に気を許していた。
モニター型の大きな液晶テレビでは、高校野球が放送されていた。
真夏の炎天下の中、ひたむきに頑張っている男子高校生を酒の肴にして、現役プレイヤーらしく技術談義に華を咲かせている悪いおねえさんたちは、共犯者として打ち解けていたのだった。
ちなみに、紀子はバイスやしそなどの、酸味が強いサワーを注文し始め、薫はウィスキーの水割りを注文し始めた。
なんでも薫は、父からウィスキーを勧められたらしく、それから愛飲するようになったそうだ。
膝を立て、そこに腕を乗せてぐいっとショットグラスを口に運ぶ薫の姿は、残念なくらいに絵になっていた。
「そんなんじゃ、お母さんが心配するでしょ?」
カクテルを口に含んだ未来は、思ったことを口にした。自分も男勝りのスポーツ女子だから、女らしくなんて古くさいことを語るつもりは無いが、しかし、それにしても薫の言動は行きすぎていやしないだろうか。
仮に、もしも未来が薫の母親だったなら、やっぱり心配するだろうなと思った。
「いや。うち、片親だから」
「え?」
予想していなかった薫の応えに、未来の思考は停止した。
「母さん、いないから。あたしが中学生のときに死んだ」
薫の口調が、天気の話でもするようなものだったのもまた、未来の頭を混乱させるのに、ひと役を買っていた。
「……?」
未来は黙り込んで、イカゲソを口の中に入れた。それをしっかりと咀嚼しつつ、よくよく薫が言ったことを吟味し、
「あっ、ああっ!?」
ようやく事の重大さに気づいた。
ほろ酔い気分だったこともあり、つい思ったことをそのまま口にしてしまったが、相手にとっては、とてもデリケートな問題だった。
これはいけない。こういうときはどうするんだっけと、慌てて記憶の引き出しをかたっぱしから開けていった未来は、
「ええと……、あの……。ごめんなさい!」
テーブルに両手をついて、頭を下げた。
知識としては、親がいない人もいるとわかっていても、まさか、目の前の相手がそれに該当するとは予想していなかった。
「いいっていいって」
だいたいの人には両親がいて、子どもがある程度の年齢になるまでは、父親も母親も健在なのが一般的。だから、紀子のような幼馴染みでもなければ、自分に母親がいないなんて、予想できるわけがない。
それを承知している薫は、明るく笑った。
(そっか。男親に育てられたから、男っぽく育ったのね)
落ち着きを取り戻した未来は、薫の性格を分析した。
「薫は、どっちかっていうと、お母さん似」
その未来の思考を見透かしたように紀子が言い、
「おもしろい人だった」
と付け加えた。
「あたしも迷ったんだよなぁ。高校生になったら、もっと家のことを手伝おうと思ってたからさ」
「待って待って。それ、私なんかが聞いちゃってもいいの?」
自分たちは、さっきまでほとんど初対面だったのに、込み入った事情を聞いても良いのだろうか。薫も未来のように、酔ったせいで口が軽くなっているのではないか。
そう考えた未来は、薫に手のひらを向けた。
「だから気にすんなって。そんなに複雑な話でもねぇし」
けらけらと笑っている薫は、未来に気を遣っているふうではなかったので、未来は安心して薫の話に耳を傾けることができた。ただ、やはりどこかでは恐縮していたらしく、未来は崩していた脚を身体の下にすべり込ませ、紀子のように正座をした。
「母さんが亡くなったのは、中学に入学してから、わりとすぐだったなぁ。事故でさ」
小さいころから、かけっこが大好きだった薫は、陸上部に入部していたが、母が死んだことで父親の負担が大きくなると考え、部活動をやめようとした。
しかし父に、いったん始めたことを途中でやめるのはよくないと諭され、中学の三年間、薫は陸上部に在籍し続けた。
それでも、心のどこかで父への引け目があったのか、薫は運動センスに恵まれていたのに、自分でブレーキをかけてしまい、その才能は開花することがなかった。
「父さんは、あたしが不完全燃焼だったことを見抜いてたのかもな」
薫はショットグラスの氷を指でいじった。
高校に入学した薫は、紀子の付き添いでグラウンド行き、そこで沙耶と出会い、ソフトボール部に勧誘された。
数人しかいない状態から全国大会を目指すというのは、アイドルのサクセスストーリーのようでワクワクした。
しかし同時に、親への負担はどうなんだろうと薫は考えた。
「道具の種類も値段も、陸上とは比べもんになんねぇし、洗濯もんだって増えるだろ」
幸い……、といってはなんだが、薫の父は自営業で、自宅は事務所を兼ねている。だから、母が存命のころから、家事や洗濯を手伝っていて、それをすることへの抵抗は無い。
ただ、それだけに父に甘えたくなる環境が出来上がっている。ここはやっぱり、家のことは自分がするべきではないかと薫は考えた。
大きな舞台を目指すとなれば、誰かに負担を背負ってもらわなければならない。学生スポーツの場合、その対象はほとんど親になる。
だから薫は、迷いに迷ったそうだ。
「それで……。どうなったの?」
すっかり薫の話に聞き入っていた未来が、おそるおそるたずねると、薫は、「だから、そんなに複雑な話じゃねーって言っただろ」と笑った。
「いいからやれって言われた」
「え……」
「んで、やるからにはてっぺん目指せって」
「それだけ?」
「そう、それだけ。それだけのことができてねーから、いまだにソフトを続けてるってわけ」
「代表合宿に呼ばれてるのに?」
「いやー。まだまだ」
「国際大会で優勝したら?」
「ぜんぜんだなぁ」
「あんたのてっぺんはどこなのよ?」
こいつはいったい謙虚なのか強欲なのか。よくわからなくなって、未来は思わず苦笑いをしてしまった。
「沙耶を見ちまったから」
薫は紀子のように、誰に言うでもなくぽつりと漏らした。その隣で、紀子もうなずいている。
「あいつか……」
ぞく……、と、未来は身震いをした。沙耶と勝負をしたときのことを思い出せば、酔いが冷めてしまいそうだ。
非科学的かもしれないが、彼女の全身からは、オーラのような熱のようななにかが放出されているような気がして、まぶしくて、見ているだけでせいいっぱいだった。
だけど、彼女のことを思い出すと、なぜだかワクワクしてしまう。
「いまだったら、もうちょっといい勝負が……。あっ……」
「どうした?」
「打たれた……」
「あはははは!」
あれからさらに鍛錬を重ねた未来は、脳内で沙耶と対戦をしてみたが、打たれるイメージしか湧いてこなかった。
薫と紀子は、そうだろうそうだろうと、声をあげて笑った。
「ちょ、ちょっといまのは不用意だったわ。ちゃんといいイメージを持って……。あれっ?」
未来は、沙耶との脳内対戦を繰り返したが結果は同じ。記憶の中に居る沙耶と勝負をすると、絶対に負けてしまう。それなのに、もう一回、もう一回と勝負を挑みたくなってしまう。
薫と紀子は、そうだろうそうだろうと、未来に共感をした。
沙耶はギラギラとしていて、まるで真夏の太陽だった。なぜだか挑戦心や冒険心が刺激され、そこにいるだけで周囲の人間を動かしてしまうなにかを持っていた。それがチームメイトたちが恐れた「沙耶の毒」である。
その真の正体はいまだにわからないが、薫にしても紀子にしても、向上心を失わず、スポーツに取り組むことができている。それは、どう考えても沙耶のおかげだ。
でも、近しい仲になると、素直に感謝を伝えるのはちょっと恥ずかしい。だから、毒なんていう遠回しな言葉を当てはめているのかもしれない。
「沙耶に、飯テロをしよう」
「おー、そうだな。あいつ、最初に入部してやったあたしたちを差し置いて、沙菊なんかと呑みに行きやがったからな」
テーブルの上の料理を寄せて、スマホのカメラで写真を撮った薫と紀子は、撮ったはしからメッセージに添付して、沙耶に送信しまくっていた。
(飯テロっていうか、ただのいたずらじゃない……)
と未来は思ったが、口には出さない。
たぶんこれは、彼女たちなりに感謝の気持ちを伝えているのだろうから。
やがて沙耶から、
<どうした愛しのバカたち。言いたいことがあるならはっきり言いなさい>
というメッセージが返ってきた。
薫と紀子は、せいいっぱいの愛情を込めて、
<愛してるぞ。バカ野郎>
と送信してやった。
類は友を呼ぶという非科学的な格言も、あながち間違いではないらしい。
三人のやりとりを傍観していた未来は、そう感じた。
◎補足
・塁は友を呼ぶ、という格言が生まれた回
・薫は最初、もうちょっとマイルドな子だった気がします。しかし、「これじゃ、沙耶の親友としてバランスがとれん。もっとキャラを濃くしよう」と調整していった結果、こうなりました。作者は好きです。みなさまがなんと言おうと。
・モブ美は後付けで登場。未来が変な方向にキャラ立って笑ったのを覚えています。コールド負けはネタバレっぽいし伏せようと思ったのですが、本編で未来が出てきたとき、「あー、この人、この後ぼこぼこに打ち込まれるんだなー」って思われながら見てもらったほうが、本人的においしいのではないかと思って修正せず。
・一年間、対外試合ができなかったもネタバレっぽいですが、そこまで本編に影響でないだろうと判断して、こちらも修正せず。草食動物とか肉食動物といった文言との、整合性もありますし




