めぐって、くりかえして
このシリーズにしてはめずらしく続きもの
前回、帰路からつながっているお話
電車がゆるりとスピードを落とし、駅のホームに滑り込んでいく。
ブレーキ音がして、電車が少しだけ揺れる。
それで、優美は気づいた。いつのまにか、うたた寝をしていたことに。
目的地が終点だから、油断していた。
今日は人と会う約束をしていたので、日中の受験勉強のノルマを、昨夜の夜に回していた。そのせいで寝不足気味。電車内の暖房が、いつもより格段に心地良かった。
左手で口を隠して、あくびをかみ殺し、目尻にたまった涙を、人さし指でぬぐう。
コートのポケットに手を差し入れ、悠然と歩く姿は大人っぽい。他人よりも苦労を重ねたせいで、若干、老け込んですらいる。
東口出口の長い階段を降りながら、スマホを手にとる。
送られてきたメッセージは、飾り気が無くて簡潔だ。
〈受験勉強で大変な中、申し訳ありません。どこかでお会いできませんか?〉
彼女らしい文面だと優美は思った。
他のソフトボール部員は、事務連絡以外なら、絵文字や顔文字を使って文章を飾るのに。
(まぁ、陽菜はそのぶん……)
タクシーやバスが停車しているロータリーを横目に、歩行者用の道路を歩く。
狭めの歩道に通行人がひしめいていたけれど、ソフトボールで鍛えた動体視力で、他の歩行者を難なく避けて歩く。
駅から歩くこと10分たらず、目当ての人物は、すぐに見つかった。
「ひさしぶり。元気だった?」
「はい。今日は、御足労いただいてすみません」
礼儀正しく、へりくだって挨拶をする後輩。
迷わず、ためらい無くこの女子高生を見つけることができたのは、優美の視力が優れているから、というだけでは無い。
ギリギリ女子高生に見られるかどうか、という小柄で童顔なこの女の子は、人混みの中にあっても目立つのである。
「中で待ってれば良かったのに」
「いえ。私からお願いしたんですから」
この子は、海星陽菜。ソフトボール部の後輩で、先ほどのメッセージの送信主だった。
優美たちのチームは、けじめをつける程度には上下関係は存在していたが、厳格ではなかった。
それに、自分はもう引退したのだから、そんなにかしこまらくてもいいのにと思ったが、かわいい後輩からの気遣いは、うれしく感じるものだ。
「入ろうか?」
優美は、陽菜の肩に手を回してうながし、二人並んでファミレスに入って行った。
※
「陽菜。服のコーデをするときは、色のバランスを考えたほうがいいよ」
言ってしまった。
席に着くなり、優美は開口一番、陽菜のコーデのダメ出しをしてしまった。
言うつもりは無かった。言いたくても、我慢するつもりだった。
(でも、だって……)
陽菜の後ろ。壁のハンガーには、ワインレッドのダッフルコートがかけられている。
陽菜の隣には、赤色のニット帽に、赤色のミントの手袋が置かれている。
赤々しい防寒具を着こんで、街中でたたずんでいる様は、まるで季節外れのサンタクロースのようで、非常に目立っていて見つけやすかった。
店に入り、やっと赤い服を脱いだかと思ったら、今度は赤色のワイシャツが目に飛び込んできた。
スニーカーも赤、靴下も赤、チェック柄のフレアコートも赤が基調というありさまでは、目がちかちかする。それは、ダメ出しもしたくなるってものだ。
「赤好きなんで」
でも陽菜は、優美のファッションチェックなんて気にしない。
にこにこと、おひさまみたいな明るい顔で笑っている。
「うん。いや、知ってるけどさ」
陽菜は、身長が小さいために、ジャンルを問わず、小柄ながら活躍しているスポーツ選手が好きだった。
とりわけ、陽菜はとある元プロ野球選手に憧れていた。
その選手のイメージカラーが赤であったことから、陽菜は、赤色に人一倍のこだわりを持っているのである。
本当は、赤色のソフトボール用具を身に着けてプレーしたいのだが、部活動では、派手な色の道具を使うことは禁止されている。
その反動が私生活にきて、陽菜は、バランスなんて知ったことかと、とにかく赤い服を選ぶ癖があった。
「先輩は、変わらずに大人っぽいですね」
うらやましそうに陽菜が言う。
グレーのチェスターコート、ベージュのニットキャップ、黒のセーターにジーンズ。優美の服装は、陽菜とはまったくの対照だった。
「落ち着いた色が好きなだけだよ。陽菜と同じだよ」
先に選びなと、陽菜にメニュー表を渡す。
「あの~……」
「大丈夫。好きなものを頼んでいいよ、おごるから」
メニュー表の上部から顔をのぞかせ、遠慮がちに甘えるような目線を送ってきた陽菜の意図を察した優美は、余裕の笑みを浮かべて言った。
引退してからは、後輩たちが自立できるようにと、グラウンドに姿を見せないようにしていた。だから、ひさしぶりに先輩面をしてみたくなったのだ。
しかし。
「私はですねぇ、お月見ハンバーグと、若鶏のグリルと、オムライスと、カルボナーラと、マルゲリータと、アボカドのシーザーサラダと、ドリンクバーでお願いします」
「か、かしこまりました。そちらのお客様は」
「ドリンクバーで……」
「いいんですか?」
「うん。朝ご飯、遅かったから」
どうやらこのサンタは、プレゼントをくれるどころか、優美の貴重な資金を奪い去っていくようだ。
自分から、好きなものを頼みなさいと言ったのだし、陽菜の大食らいぶりを忘れていたので、自業自得ではあるのだけど……。
得意のポーカーフェイスで表情を変えないように努めていた優美だが、内心は青ざめていた。
店員さんがいなくなり、陽菜がドリンクバーを取りに行った隙を見計らい、素早く財布の中身を確認し、深い深いため息をついた。
ここ数か月は受験勉強に集中していたため、趣味にお金をつぎ込む暇が無かった。そのおかげで財政は潤っていて、ここの支払いは問題が無い。
でも、この後の予定を、適当にぶらぶらして気になった服があったら買う、から、適当にぶらぶらするだけ、に変更しなければならない。
寒風が吹きすさぶこの季節。財布の中まで寒くなるとは、予想していなかった優美である。
高校生の胃袋を、甘くみてはいけない。運動部に所属している人間ならば、なおさら。
優美自身、部活をやっていたころは、食べても食べても足りなかったし、それで体系を維持できていたのだから、我がことながら信じられない。
そんな中でも、陽菜の食欲は群を抜いていて、その小さい体のどこに収まるのかというくらいに食べまくる。
現役時代、部活の仲間たちとシェアして、食堂のチャレンジメニューに挑戦したことがあった。リタイア者が続出する中で、陽菜だけが食事を続け、完食してしまったときの戦慄を、優美は思い出した。
「なんて言うか……、もの足りないんですよね……」
陽菜は、ふーふーと緑茶に息を吹きかけてから喉に通し、本題を切り出した。
「先輩。聞いてますか?」
「あっ、うん。聞いてる聞いてる」
親御さんの教育が行き届いているようで、陽菜は丁寧に食事を摂る。
いまも、ティーカップの底に左手を添えて、上品にお茶を嗜んでいる。
ところが、ゆっくり丁寧に食事をしているはずなのに、みるみる食べものが消えていくのだ。
ひさびさに、そんな奇怪な陽菜の食事風景を目の当たりにした優美は、情報の処理ができずに呆けていたが、陽菜に声をかけられて我に返った。
「もうちょっと、具体的に話してくれる?」
「はい」
陽菜は、優美からソフトボール部のキャプテンをひき継いだ。
重圧はかなりのものだったが、部のみんなは陽菜をサポートしながら、しっかりと練習に励んでくれている。
とても良いチームだと、陽菜は自負している。
「そう。それなら良かった」
受験勉強を口実に、後輩たちの様子を見に行くのを自制していた優美は、いまのチーム状況を聞かされて安心した。
しかし、陽菜の表情は冴えない。
「そうなんですけど、なんかこう、一人になると、心が冷めるときがあって……。沙耶先輩や優美先輩の世代に比べて、いまのチームって地味じゃないかなって」
いったんそんなことを考えてしまうと、もう止まらない。
チームは、いまのまま進んで大丈夫なのだろうか?
練習量は不足していないだろうか?
なにか、劇的な変化を求めたほうが良いのではないだろうか?
エトセトラ、エトセトラ……。
「いいチームなのはわかるんです。でも、先輩たちを越えるのに、いいチームなだけで大丈夫なのかなって、不安になるんです。そうすると、先輩たちと比べて、足りないところにばっかり目が行っちゃって、いらいらしちゃうときがあって……」
それを聞いた優美は、ちゃっかりグロスを塗っている唇を震わせ、
「ふっ、ふふふっ……!」
噴き出し笑いをしてしまった。
「先輩! 笑いごとじゃないんですよ!」
テーブルに両手を叩きつけた陽菜に、他の客からの注目が集まってしまった。
陽菜が恥ずかしそうに背中を丸めると、優美は、
「ごめんごめん」
と、謝罪をしてから、
「あたしと同じことで悩んでるから、おかしくなっちゃって」
笑ってしまった理由を陽菜にうち明けた。
「ええっ。優美先輩が?」
陽菜は、これ以上に意外なことはないと目を丸くした。
表情を変えることなく、冷静にチーム全体を見回し、試合の流れを読んで的確にプレーをしていた、しっかり者の優美が、自分と同じことで悩んでいたなんて。
「うん。だって、沙耶先輩の代のメンバーって、特に個性が強かったでしょ?」
「たしかにそうですね」
これには陽菜も同意した。
沙耶の世代は……。いや、そもそも沙耶が入学したときには、二年生がたった二人で、ボール遊びをしているだけだった。
公式戦には約十年間も出場しておらず、グラウンドは風化の一途を辿った。
部室も汚いままで、道具は使い物にならない。せめてもの救いは、グラウンドの手入れだけはされていたので、運動をするのには困らないというくらいだった。
沙耶が入部した当時は、部はそんな状態だったのだ。
「いまでも想像できないです。私が入部したときは、強豪チームって雰囲気でしたし」
そんな状態から、一気に階段を駆け上がったのだから、陽菜が信じられないのも無理はない。
「変な人たちばっかりだとは思いましたけど」
陽菜は第一期メンバーともいえる、沙耶たちのことを思い出し、苦々しい表情を浮かべた。
「ふふっ。そうだね」
目を細めながら優美は笑った。
あんな濃い連中と、毎日のように顔を合わせていた日常は、優美にとってかけがえのない思い出だ。
それぞれの道を歩き出したいまは、あまり会えなくなってきたが、だからこそ、そんな思い出たちが、より愛おしい。
「優美先輩も、そのうちの一人ですからね?」
「あはは。あい変わらずはっきり言うね」
沙耶たちの、ひとつ上の世代が引退し、沙耶がキャプテンに就任すると、野生動物のように奔放だった沙耶の抑え役として、二年の優美が副キャプテンに任命された。
そのときに、一年生からも副キャプテンを選抜したいと提案し、優美が目を付けたのが陽菜だった。
陽菜も客観力に優れていたが、一歩引いてものごとを見つめる優美とは逆に、ズバッと鋭くものごとに切り込んでいく性格をしていた。たとえ、先輩が相手でも容赦はしない。
そんな陽菜を、一年生の代表的な立場に置けば、後輩たちが、先輩に遠慮して実力を発揮できないということにはならないだろうと、優美はにらんだのである。
「後輩に、変な人呼ばわりされても笑ってられるのって、どうなんですか?」
「いいんだよ。陽菜がそういうふうに言ってくれるから、すごく助けられたんだし」
優美の手が、陽菜の頭の上に置かれて、ショートヘアの黒髪の上を這った。
「ん~」
途端に陽菜は、飼い猫みたいに従順になって、優美の手に弄ばれる。
ひさしぶりの、先輩と後輩のスキンシップだった。
「あ~あ。ずっと後輩でいたかったです」
そう言いながら、陽菜はテーブルにほっぺたをくっつけた。
「そうだね。先輩にひっ張ってもらったほうが楽だからね」
指示を出す立場か指示を受ける立場かとなれば、断然、指示を受ける立場のほうが楽だ。
陽菜も、副キャプテンとして優美たちに意見はしたけれど、最終的な判断をして、その判断に責任を持つのはキャプテンだ。
その上には監督がいるが、彼女たちのチームの監督は、選手個人の判断と自主性を重んじ、こと細かに指示を出すことを控えていた。
「優美先輩のアレも、自主性を重んじるチーム方針の賜物ですよね」
「いやっ……。あれはその……。実力以上のものが出たっていうか……」
「すごかったですねぇ。すごい形相で、陽菜っ! 走れぇっ! って……、あんな優美先輩を見たのは初めてですよ。あの大事な場面であんなギャンブル、私にはできないですよ」
「その話はもういいよ。それに、そうやって、あたしたちをすごい存在だって感じちゃうから、陽菜は悩んでるんでしょ?」
「あ……」
それまでは、瞳を輝かせて思い出語りをしていた陽菜の表情が曇ってしまった。
「まぁね。あたしたちは、先輩を参考にするしかないからね。でも、先輩ができたことを、自分ができるとは限らないんだよ?」
「そうなんですよね……」
「だから逆に、自分にしかできないこともある」
「それがわからないから悩んでるんじゃないですかぁ~」
さて、どうしたものかなと優美は思案した。
ここで簡単に答えを与えて大丈夫だろうか。もうちょっと悩んだほうが、陽菜のためになるんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら、テーブルに突っ伏した陽菜の頬をつっついてみたり頭を撫でたりしているうちに、教えてあげてもいいかなという気持ちになってきた。
と同時に、自分はギリギリのところまで悩み、自力で答えに辿り着いたのに、この子はズルいと、ほんのちょっとだけ陽菜に嫉妬をした。
「彼氏とも、こういうことするの?」
そこで優美は、意地悪な質問を投げかけてやったのだが、
「ありえませんね」
いよいよ優美のされるがままになっていた陽菜は、一瞬のうちに真顔になり、心の底から優美の言葉を否定した。
「私の彼氏っていう立場でいられるだけでいいって言ってますから」
「いまはそうかもしれないけど、将来はわからないでしょ」
「あははっ! 優美先輩。最初につき合った人と、将来どうこうなんて、レアケースですよ」
照れ隠しでもなんでもなく、陽菜は本気で、
「予行練習ですよ。予行練習」
と笑い飛ばす。
(それ、誰かに吹き込まれたでしょ)
優美は、いまの言葉は陽菜が自分で考えたものでは無く、誰かの受け売りだと直感した。
陽菜は、ペットみたいな愛嬌があるおかげで、自然と周りの人間が世話を焼いてくれたり、助言をしてくれたりする。
「陽菜はかわいい」
誘導されたように、優美は、陽菜に答えを与えてあげていた。
陽菜を撫でているうちに、彼女に対する、わずかな嫉妬心なんか、どこかへ行ってしまうのだ。
「つい甘やかしたくなっちゃう。それは、陽菜の武器だと思うよ」
「あっ……!」
「そうだよ。キャプテンになったからって、なにかを変える必要なんてないんだよ」
答え合わせをすれば、簡単なことだ。
自分という人間が必要だと思われたから、自分がその立場になっただけのこと。
不安になってしまって、先代の記憶というはっきりしたものに頼ってしまって、比べてしまって、先代のようにできない自分を責めてしまう。
優美もそうやって、出口の無い迷路に自分から入り込んでしまったことがある。
思い出せば、胸が苦しくなるけれど、こうやって可愛い後輩に手を差し伸べることができたのだから、良しとしよう。
「すっきりしたら、甘いものが食べたくなりました」
「そうだね。注文しようか」
自分が悩んだ思い出は、ちょっと苦味が強すぎる、
だから甘いもので中和しよう。
そうして、心のバランスを取る方法を覚えたということは、大人になってしまったということなのだろうか。
すごく苦しかった思い出なのに、それでも、あれだけ濃厚な時間を過ごすことは、この先、絶対に無いと断言できる。
だから、もう一度、あの時間を味わいたいと思ってしまう自分を否定できない。
(陽菜はいいな)
自分は、引退してしまった。
あんなにもしびれる瞬間を味わうことができない。
ソフトボールを辞めて、大学への進学を選んだのは、たしかに優美自身。
なにも無い、ふわっとした学生生活を送りたいと思ったのも、優美自身。
陽菜はどうだろう。
この子には、この先、とてつも無く濃い時間が待っている。
そこで、かけがえの無い宝ものを手に入れるだろう。
そんな陽菜に、また嫉妬心が湧いてきた。
(ああ。ダメだダメだ)
自分は、もう充分に宝ものを得たのだから、他人に嫉妬するなんてみっともない。
これじゃ、あのときと一緒で、まったく成長していない。
そんな自分に嫌気がさしたけれど、でも、なぜか安心もする。
「うん。ハニーパンケーキにしよう」
「わっ。優美先輩っぽくないですね」
「そんなことないよ。まだまだ子どもだよ」
そう言いながら、うれしそうに笑った優美の真意を、陽菜は測りかねた。




