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岐路

短編集につき、時系列が飛び飛びになりがちで申し訳ありません

高校3年生、受験期の優美の様子です


―――清水。この成績をキープできるなら、もっといい大学に行けるぞ―――

 優美は、勉強の手を止める。

 先日、進路指導の教師に言われたことが、脳裏をかすめる。

 右手で、左の手首をつかんで、ぐーっと体を伸ばした。

 勉強机から離れ、部活をやっていたころのウォーミングアップのメニューを、ひととおりこなした。

 部活は引退したけれど、まだ体は、練習メニューを覚えている。

「……」

 優美は、わき腹、お尻、太ももを触ってみた。

「これは、もしかして……」

 おっかなびっくり、二の腕をつまんでみる。

(やっぱり、肉、付いちゃってる……)

 現役時代よりも、いくぶん、腕が柔らかい。

 クラスメイトたちは、優美は細くていいなーと羨むけれど、かかわりが薄い他人には、ちょっとした変化なんてわからないのだ。

「しかた無いんだけどさ」

 優美は、エアコンの暖房の電源をオフにして、窓を開けた。

 ずっと部屋に籠もって受験勉強をしていたから、部屋の空気が温まりすぎて、頭がぼーっとしてしまう。

 ちょうど集中も切れそうだったので、空気を入れ替えて、気分をすっきりさせようとした。

 もう冬だ。空気はすっかり冷えきっていて、屋内にいるときでも、暖房をつけないと寒い。

 風が部屋に流れ込んでくる。

 冷たい外気は、熱された部屋の空気を冷ましてくれる。

 と同じくして、あの夏の熱い戦いの熱をも冷ましているようだった。

 今年の夏まで、優美はソフトボール部のキャプテンとして、チームをけん引していた。

 チームに入るまでは、ただの他人同士に過ぎなかったチームメイトたちを、ひとつにまとめることは、簡単な仕事では無かった。

 てんで個性の違う人間たちを、どうやってまとめたらいいのかと思い悩んだこともある。

 でも、真剣に悩んだからこそ、みんながひとつにまとまったときのよろこびは、なにものにも代えがたかった。

 だから、あの日、あのときの昂りは、いまだに忘れることができない。そしてこれからもずっと、忘れることは無いだろう。

 優美は、窓を閉めて、エアコンの電源を入れた。

 勉強机に腰かけて、参考書の問題を解き始める。

 ソフトボールを引退してからは、問題集とにらめっこをする日々が続いていた。

 夏の大会が終わるまでは、受験勉強に本腰を入れていなかったので、そのぶんをとり返さないといけなかった。

 他の受験生たちが、夏期講習や補習授業をしている間、優美は夏の大会を戦っていたのだから。

(でも、他の道を選んでいたら、勉強に労力を割く必要も無かったんだよね)

 他の道というのは、ソフトボールを続けること。

 スカウトに来てくれた、大学をはじめとした、もうひとつ上のレベルのソフトボールチームに所属していれば、受験勉強の苦労を味わうことなく、推薦で入部や入社することができた。

 優美は、その道を選ぶことをせず、受験生となった。

 もともとの成績は悪く無かったし、それに優美には、部活で鍛えた集中力と、修羅場をくぐり抜けて身につけた根性があるのだ。ちょっとやそっとのことではへこたれないし、動じない。

 そうして、いままでソフトボールに割いてきた脳のリソースと、ソフトボールを通して培ったものを、そっくりそのまま勉強に移行させた優美の成績は、一気に伸びた。

 で。さっきの、進路指導担当教諭の言葉となるわけである。

 このくらい勉強ができるなら、もっとランクの高い大学を目指してはどうだ、と。

(いい大学……、ね)

 違和感を覚える。

 それは、誰にとっての良い大学なのだろう。

 教え子から、ランクの高い大学に入学する生徒が出たら、学校としても鼻が高いし、体裁が良いから、受験を勧めるのではないか。

 という、邪推をしてしまう。

 一般論として、ランクの高い大学を卒業しておけば、就職するときなど、大きなステータスとなる。だから先生は、将来のことを考えて、行けるのならば、偏差値の高い大学に行っておきなさいと勧めてくれるのだ。

 だから、教師の思惑がどうこうっていうのは、優美の邪推にすぎないのだ。

 じゃあ、なんでそういう邪推をしてしまうかって話になると、それは、優美に、いろんなソフトボールチームのスカウトが来たときは、せっかくのスカウトなんだから受けたらどうだと勧めてきて、今度、優美の成績が伸びたら、もっといい大学を目指したらどうだと勧めてくる。

 そういうの、大人の勝手な都合じゃないのって、勝手に優美がイラついてしまうからだ。

 優美は冷静だと、よくチームメイトが褒めてくれた。

 でも優美だって、年頃の女の子なんだから、内面が揺れることもある。

 進路のことだって、すごく迷った。

 でも、こっちに行くって決めたからには、ちゃんとしないといけないと思って受験勉強に打ち込んでいる。

 そんな優美からしたら、大人たちは手のひらを返しているように見えて、心が拗ねてしまうのだ。

 みんな、純粋に優美の将来を心配してくれているだけなのに。

(でもなぁ、将来って言ってもなぁ)

 もやっとしていて、はっきりとつかめない。

 大学というのは、将来にやりたいこと、自分が興味のあることに合わせて選ぶもの、ということは承知している。

 でも、現在、優美がやりたいのは、大学生になることだった。沙耶と一緒の大学に行って、沙耶と一緒に、普通に大学生活を送りたいだけなのだ。学費を払ってくれる親には悪いけれど。

―――良い大学って、なんですか?―――

 そんなものだから、進路指導を担当している先生に、聞き返してしまった。

 先生は、一瞬だけ戸惑って、笑った。そして言った。

 沙耶の奴と、おんなじことを聞くんだな、と。

 そしてそれ以降、進路のことに口を出してこなくなった。

 思い返すと。

 この三年間、優美は、人間関係に恵まれた。

 先輩にも、同級生にも、後輩にも、指導者にも、ライバルにも。

 幸せがたくさんあるのは、怖いことでもある。

 この先に、これ以上の出会いが待っているのだろうかと不安になるから。

 人生の岐路に立っているときって、こんなものなんだろうか。

(いっそ、結婚とか?)

 などと考えてみるけれど、優美はリアルな恋愛経験が皆無。

 だって、ずっと、ソフトボールに恋してきたんだから。

(あたしには、どんな人が似合うんだろう?)

 パッと思い浮かぶのは沙耶。

 チーム内でも、能動的な沙耶と、冷静にものごとを観察する優美というのは、良いコンビとしてやってこれた。

 次に浮かぶのは、同じマンションに住んでいる彩花。

 年下だけど、包容力があるし、理解力もある。これは意外と悪く無い相手か。

(っていうか、なんで女の人しか思い浮かばないんだろ)

 こういうときに、女子の顔しか浮かんでこないのは、女子校出身ならではなのだろうか。

(男の人が、嫌いっていうわけじゃ無いんだけど)

 いまのところ、最もかかわりが深い男性は、父親。

 意図的にそうしているのでは無く、男性とかかわる機会が無かっただけだ。

 恋愛ありきというわけじゃ無いけれど、男女共学の大学に通うのだから、そういうことも頭に入れておいたほうが良いのだろうか。

(でもなぁ……)

 結婚もそうだけど、恋愛するために恋愛するって、なんか、ちょっと嫌だ。

 優美が異性と交遊したことが無いから、自信を持って言えないけれど。

 とにかく、自分の中に、データが無さすぎるのが困りものだった。

 なんてことを考えていると、スマホの着信音が鳴った。

「おっ。タイムリー」

 それは、ソフトボール部内で、唯一、恋愛に関するデータを与えてくれそうな相手からのメッセージだった。

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