縁の下で働く者たち
時系列もどって、優美が高校三年生のころの話
人知れないところで働く子たちのエピソード
西条日毬は、ピアノの演奏をするように、両手の指先でなめらかにパソコンのキーボードを叩いていった。
カタカタカタっ……。
無機質な音が、ソフトボール部の部室に響いた。
「やっぱり、智花の配球はインコースに偏ってるわねぇ」
うーんとうなって、ペットボトルのお茶をぐびり。
いま入力したデータが、実際の試合の映像とズレが無いことを確認すると、
「監督さんに言っておかないとなぁ。でもなぁ、言ってすぐやめるんなら苦労は無いんだよなぁ」
事務用の椅子に背をもたれて、ぎしぎしと音を鳴らしながら、天井を仰ぐ。
昔、野球部の女子マネージャーが、経営学の実用書を読んだらどうなるか。という小説が流行り、マネージャーという仕事が注目されたことがあった。
そもそもマネージャーという用語は、会社でいうところの、係長とか、課長とか、部長とか……。ある特定の集団に対して、一定の権限と責任を持つ人のこと呼ぶ。
だから、彼女の仕事をマネージャーと呼んで良いのかは、疑問符が付くところだ。
日毬のような、運動部のマネージャーは、監督や選手が、プレー以外のことを考えなくて良いように、サポートをする仕事が基本となる。
だから、内容だけ見れば、タレントのマネージャーに近いかもしれない。
いましがたまとめていたデータから、選手の傾向や癖を割り出すことはできるけど、それを基にして指導方針を決めるのは、監督である友恵の権限。
それに、最終的に課題を乗り越えるのは、選手本人の問題だ。
友恵から意見を求められることがあるだけ、まだこの部は有情。
やはり、日毬たちの基本的な仕事は、監督と選手のサポートなのだ。
「日毬先輩。壱号機と弐号機、交換してきました」
「おーし。おつかれおつかれ」
二年生マネージャーの愛莉は、新一年生のマネージャーをひき連れて、空になったジャグを回収してきた。
「さすが日毬先輩です。時間ぴったりでした」
「ははーん。そうでしょうとも」
ジャグでスポーツドリンクを作るときは、親の仇のように氷を投入する。
常に動き回っている選手たちは、キンキンに冷えた飲みものを求めるからだ。
しかし、氷が溶けなければ液体にならないし、溶けきってしまうとキンキンに冷えない。
どの選手が、どのくらい、どのタイミングで水分補給をするか。
毎日、それをつぶさに観察して、ちょうど良いタイミングで氷を投入する。
人知れない職人芸である。
でも、どんなに良い仕事をしても、バイトのように報酬をもらえるわけでは無い。
「一年生は、ちゃんと飲んでた?」
「はい。監督さんも三年生の先輩方も、声をかけてくださっていました」
「ホワイトだよぉ。この部は」
日毬は、新しく入ってきたマネージャーたちの耳に残るように、わざとらしくリアクションをした。
いまでこそ、スポーツ中の水分補給は大事だと認知されているが、昔は、水分を補給するとバテるという通説が流布していた。
また、部によっては変ちくりんなルールが伝統になってしまうこともある。
それこそ、一年生のうちは、練習中に水分を摂ってはいけないとか。
全寮制のとある運動部では、二年生になるまでは、食パンを焼いて食ってはいけない。なんていうローカルルールもあったらしい。
部活動内という、ある意味、閉鎖空間の中で行われていることなので、ルールを課すほうも課されるほうも、あたりまえのことだと疑問を感じなくなってしまう。
この辺、他人事だと笑っていると、自分たちの部も、同じようなことになってしまうかもしれないので、注意が必要だ。
「あのー……。質問、いいですか?」
一年生たちが、おずおずと聞いてきた。
「言ってみたまへー」
日毬は、下級生たちに気を遣って、くだけた口調で返した。
「な、なんでジャグのことを、なんとか号機って呼ぶんですか……?」
「!」
ごろごろ、ぴしゃーん!
日毬と愛莉の脳天に、雷が落ちた。
あまりにも純粋すぎる質問。
ソフトボール部の備品であるジャグは、ぜんぶで五個。
それらは、壱号機、弐号機、参号機……。と、それぞれ呼ばれ、ローテーションで使うので、油性マジックで数字を記してある。
だけど、なんでそんな呼び方をしているのか、なんでわざわざ旧数字で記しているのか、疑問を覚えたことは無かった。
「愛莉。近う寄れ」
「ははっ」
愛莉は、日毬のお召しに応じて、顔を近づけた。
「だっ、誰が言い始めたんだっけ?」
「いやぁー。誰でしたかねぇ……。私が入部したときは、もう、その呼びかたで通ってましたし……。あっ、紀子先輩っていう線はありませんか?」
ひそひそと密談をしながら、ルーツを探ろうとする上級生二人。
愛莉が候補の一人を挙げてみたが、日毬は難しい顔をしている。
「たしかに、紀子先輩はアニメオタクだけど……」
ほんわかした日常系のアニメを好むという紀子から、かの有名な、哲学的なアニメを視たという話は聞いたことが無い。
「ということは、アイドルオタクのもっちゃん先輩も……」
「無いわね」
ふーむ。
推理は行き詰まってしまった。
こういうときは……。
「二人は、天川沙耶先輩って、知ってるかしら?」
日毬は椅子から降りて、お尻のまえで両手を組んだ。
「もちろんですっ!」
「伝説のキャプテン!」
一年生たちは、瞳をキラキラと輝かせている。
実像を知らぬ者にとっては、沙耶はさながら、七つの海を股にかけて活躍した海賊かなにかのような、ロマンあふれる存在として、憧れの的となっている。
(幸せなことよのぅ)
現実を知っている大人な日毬と愛莉は、あえて、その夢を壊そうとしなかった。
さわやか路線で売っている男性タレントが、裏では煙草を吸っているとか、清楚系の女性アイドルが、実は男癖が悪いとか、そんな情報は、知らずに済めば、それに越したことは無いのだ。
「その沙耶先輩が言い出しっぺだったと思うわ」
まったくの当てずっぽうである。
でも、
「そうなんですかぁー」
一年生たちは、それで納得した。
憧れの存在が、カラスは白いと言い出したなら、それに従順であるのが信者の務め。
沙耶の名前が出てくれば、それだけで彼女たちが疑問を挟む余地は無くなるのである。
この部で、よくわからないことがあったら、沙耶のしわざにしときゃ間違いが無い。
まるで天狗かものの怪か。
こうして、本人の知らないところで、またひとつ、沙耶の逸話が誕生していくのである。
きっとどこかで、彼女は豪快なくしゃみをしていることだろう。
「日毬先輩。壱号機と弐号機、再起動させますか?」
愛莉が、これでこの話は終わりだと話題を変えた。
訳すと、いま使用しているジャグが空になったときに備えて、もう一回スポーツドリンクを作っておきますか? ということである。
「うーん……」
部室の時計を見る。
(さっき水分補給をしたってことは……)
残りの練習時間、今日の気候、諸々の条件を組み合わせて思考をして。
「今日はもういいわ」
日毬は結論を導き出した。
諸般の事情により、部費の貯えが潤沢なこの部だが、無駄遣いは禁物。
財布の紐は、固いに越したことはないわよぉ。
とは、杉本先生の論である。
お金の収支管理が完璧なハイスペック女子なのに、なぜか独身。
「それじゃあ、お二人さんは、これを杉本先生に届けて来てくれるかしら?」
日毬は、現在の備品の在庫、必要なものの優先順位をまとめた用紙を渡した。
効率だけで言えば、二人で行かせる必要は無い。
だけど、学校にも部にも入りたての一年生は、なにかと不安定な状態に陥りやすいので、簡単なものでいいから仕事を与えて、自信をつけさせてあげるのが大事なのだ。
日毬も、前任者の宗谷沙菊にそういう配慮をしてもらった。
「ふぃー……」
一年生たちを見送って、日毬は椅子に腰かけた。
「おつかれさまです」
「おー。ありがとう」
愛莉は、後ろから日毬の肩を揉んであげた。
「いやはや、前任者が偉大すぎると、残されたモンは大変ですよ。愛莉さん」
一冊の大学ノートを手に取って開く。
通称、宗谷ノート。
整った字で、こと細かにびっしりと、選手たちが、この場面ではこういう行動を選択するという傾向が記されている。
友恵の依頼で沙菊がこのノートをまとめるまでは、これらの精密なデータが、彼女の頭の中ひとつに記憶されていたというのだから、またおそろしい。
日毬は椅子を回転させると、愛莉の首に両手を回して体をひき寄せた。
「やんっ。困りますぅ」
「うへへー。良いではないかー」
時代劇かよ。
というやりとりの後、沈黙。
「私らの世代は、大変なんだよ。愛莉くん」
なんといっても、沙耶たちのインパクトが強すぎる。
その後をひき継いだ日毬たちの世代は、比べても無駄だと自分に言い聞かせても、つい前任者たちの幻影を追ってしまう。
「キャプテンは?」
「あー。優美?」
「はい」
「優美が一番しんどいよ。いつも涼しい顔してるけどね」
日毬は、愛莉から手を離した。
「さて。そろそろノックの準備だ」
てしてしと愛莉の頭を叩く。
「私たちは、私たちの仕事をしよう」
「はい」
選手の癖や傾向を把握していたとしても、彼女たちには口を出す権限が無い。
また、どれだけ良い仕事をしたとしても、バイトのように、報酬をもらえるわけでもない。
「やー、しんどいしんどい」
だけど日毬は、地道に仕事をこなし、今日も選手たちをサポートするのだった。




