やさしい雨に包まれて
優美、高校三年生、卒業が近づいてきたころのお話
(やっぱり、もう春なんだなぁ)
空を見上げた優美が、そう感じたのは、春らしい、暖かな日差しのおかげ。
では無い。
今朝は上空に、1ミリも青色を見てとることはできない。
うすい灰色の雲が、青空を隠してしまっているからだ。
しかし、寒いとは思わなかった。
冬まっさかりであれば、乾いた寒風が吹き抜けて、背中を縮こませながら登校したであろう天気なのに。
空気の中に、湿りけを感じる。
しっとりとした空気に、草花の香りが混じっている。
春の香りだった。
(さて、今日はどうするかな)
昇降口で上履きに履き替えた優美は、カバンを肩にかけたまま、学校をうろつき始めた。
三学期になると、優美たち三年生は自由登校となり、指定された登校日以外は、学校にやって来なくても、欠席扱いにはならない。
だから、大学合格を勝ち取った生徒は、卒業式まで、好きに過ごしていい。
厳しい受験生活から解放された生徒の中には、こないだ会った日毬みたいに、怠惰に陥ってしまう人もいた。
優美は、そうならないように、極力、学校にやって来るようにしていた。徒歩で。
(受験生活で、太っちゃったし、太っちゃったし……!)
気づかれないだろうと思っていたのに、こないだ、日毬に、ひと目で見抜かれてしまった。やっぱり、見る人が見れば、すぐにわかってしまうのだ。
あの日からというもの、優美の登校頻度は、さらに多くなった。
とはいえ、すでに大学合格が決まった優美は、学校に来てもやることが無い。
大学よりもさらに先の目標がある人は、手の空いている先生にお願いして、個人的に補習をしたり、自習をしている。
そんな人たちに比べて、優美は、将来、やることが決まっていない。
大学生活を楽しみたいという、ゆるい立場の優美が、校内を徘徊していることには、多少の罪悪感がある。一年生二年生は、もちろん通常授業があるわけだし。
なので、どこか目立たない場所で、適当に時間をつぶして、ひっそりと帰宅する。
それが、近ごろの優美の行動パターンなのだった。
(今日も、旧校舎で、本読もうかな)
階段を上って、二階の端っこにある、図書室に入った。
途中、何人かの生徒が、優美に会釈してきた。
ピンクや黄色の紐リボンを巻いている生徒たちだった。
この学園では、一年生がピンク色のリボンを巻いて、二年生は黄色、三年生は緑のリボンを、スクールシャツに巻きつけて、蝶結びで首元に垂らしている。
顔見知りでなくとも、首元のリボンの色を見れば、その人が上級生なのか下級生なのか、すぐにわかる便利なシステムだ。
上下関係は、さほど厳しくない校風だけど、先輩へのあいさつは欠かさないようにという指導はされている。
「あれ、清水先輩だよね? ソフトボール部の」
「そうそう。引退してから、髪伸ばしたんだよねー」
「ショートも似合うけど、いまの髪も素敵よね」
優美は、ソフトボール部のキャプテンとしてだけでは無く、すぐれた選手だということで、リボンの色に関係なく、顔が知られていた。
(あー、もう。しかたないなぁ)
ひそひそと、優美の噂話をする女生徒たちに。
「ありがとう。そういうの、直接、言ってもらえると、もっとうれしいかな」
階段の途中で立ち止まって、さわやかに笑んでみせる。
そして、ミディアムボブの髪を、さらりと揺らしながら、進行方向に向き直る。
背後から、きゃーっ! と、黄色い声があがった。
清水優美。にくいほどの人たらしっぷりであった。
高校のような、狭いコミュニティの性というかなんというか、優秀な生徒というのは、有名人化してしまうものである。
そこにきて、優美は外見も整っているので、アイドルみたいなあつかいを受けることもあった。
男女共学の学校であれば、男子のほうにも視線が分散するのだけど、あいにく、ここは女子校である。
優美みたいな有名人は、女子からの視線を、一身に集めてしまうのだ。
これがまぁ、ただの運動部女子にすぎない優美からすれば、うっとうしくもあるのだけど。
―――他人の視線を集めるのはいいことでしょ。ソフトボールのことを、なんにも知らない人に、かっこいいって思ってもらえるプレーが良いプレーなのよ―――
先代のソフトボール部キャプテンは、そう言ってはばからなかった。
たしかに彼女は、いつも他人の視線を奪っていた。良い意味でも悪い意味でも。
そして、他人との間に壁を作らず、自分を慕ってくれる女生徒たちへのサービスを欠かさなかったため、いつしか、ソフトボール部は校内で人気集団になり、誰を推すかというファンクラブのようなものが自然形成された。
優美たち後輩も、その先輩の教えを守り、できるかぎり、自分に好意を向けてくれる生徒へは、サービスを惜しまないようにしていた。
そうして大勢の人に注目されれば、練習でも試合でも、手抜きができなくなるからだ。
浮ついたお祭り騒ぎのようだけれど、実は合理的な理由が潜んでいる。それは前キャプテンを如実に表している。
ただし、天然でファンサービスができる先代キャプテンと違って、優美は、「意識して」それを行っているので、精神がすり減るのである。
朝の図書室は静かだった。
ホームルームが始まるまでの時間を利用して、借りていた本を返却する生徒や、本棚の本を物色する生徒の姿が見られた。
優美に気づいた後輩たちもいたけれど、図書室内のため、静かに会釈をしてくる程度だったので、優美も小さく手を振って応えるのにとどめた。
「最近、よく利用されますね」
カウンターに座っている図書委員の子に、話しかけられた。
私語厳禁の空間にあって、声を発する権限を有している生徒だった。
リボンの色は黄色だったので、彼女は二年生だ。来年度からは、最上級生。学校生活が身体の一部になっているほどの貫禄がある。
「これまで、ソフトボール一筋だった反動で、卒業間際になって、読書に目覚められとか?」
そうなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
優美は、文庫本サイズの本を数冊、彼女に手渡した。
読書に目覚めた、と断定して良いのか判断に迷う、女性向けのライトノベルである。
本の裏表紙に張られているバーコードが読み込まれていくのを、眺める。
優美が、自由登校にもかかわらず、足しげく学校に来てしまう理由は、いくつか挙げられる。
自由登校だからといって、自堕落な生活に陥らないようにするため。
受験期間中に体重が増えてしまったため、運動の代わりに。
学校との別れを惜しむため。なんていう、感傷的な理由も、あってもいいのかもしれない。
でも、それらすべてが、表向きの理由な気がする。
他人に納得してもらうための、方便にすぎない気がするのだ。
「返却のし忘れに気をつけてくださいね。うっかりしていると、卒業式が終わった後に、学校に本を返しに来ることになってしまいますよ。清水先輩『は』、心配ないでしょうけど」
「?」
ひっかかりを覚えて、聞いてみた。
「もしかして、そういう前例、あるの?」
「知らないんですか?」
「うん」
「そうですか。清水先輩も、知らないんだ……」
彼女は、不自然にもったいつけてから。
「天川沙耶先輩」
「え?」
「天川、沙耶先輩。ですよ。去年、本を借りっぱなしで卒業してしまって、学校から連絡がいったんですって。郵送で返却してもらったそうです。だから、卒業間際の先輩たちには、必ず注意するようにって、司書の先生から厳しく言われてるんです」
「そっ、そうなんだ……」
なんだろう。この、知らないところで、自分の子どもが、他人様に迷惑をかけていたような気持ちは。
どうしてあの人は、どこへいっても先陣をきり、前例を作ってしまうのだろう。
恥ずかしくなって、優美は、すぐに図書室を退散しようとした。
「たまには、ここで読んでいったらどうですか?」
そう言われて、応えた。
「独りになりたいんだよ」
それなら、学校なんていう、顔見知りの巣窟にやって来なければいいのに。
自分の言行が、矛盾していて。でも、その応えが、一番、自分の行動の本質を表現していると思った。
※
文章を目で追う。
意味を理解して、次の文章へ。
そしてページをめくる。
旧校舎、あるいは第二校舎と呼ばれる施設は、本校舎から離れた、森の中に建っている。
ところどころ老朽化が進んでいるけれど、依然として現役。
優美も、よくお世話になっている施設だった。
主な使用目的は、補習授業。
それと、外で活動している運動部が、雨のために練習できないときには、第二校舎で階段の上り下りをしたりして、体を動かすことが可能だ。
それと、受験期間に入って、三年生が自由登校になると、自習室としても活用される。
図書室でも、人の出入りや声が気になって集中できないという人は、ここの教室を利用する。
もうこの時期になると、受験生の姿は見えなくなるけれど。
教室の隅には、レトロなスチーム暖房が設置されている。これも、まだ現役。
寒い冬は、これで暖をとりながら、ひたすら問題を解きまくった。
そんなスチーム暖房も、いまはもう稼働していない。来冬まで、長いお休み期間に入っていた。
一冊の本を読み終えて、優美は、椅子に座ったまま背伸びをした。
少女漫画ちっくな、恋愛小説だった。という感想を抱いた。
これを読んだことにより、優美の中で、なにかが劇的に変わった、ということも無い。
でも、だらだらと、動画やテレビを見ているときと違って、物語の内容はきちんと理解することができた。おもしろいとも思った。
しかし、それ以外には、なにも無いのだ。
登場人物に感情移入することも無い
こんな恋愛をしてみたいと、憧れを抱くことも無い。
強いて言うのであれば、今日、この第二校舎にいること、そのものが目的であるような……。
「あっ!?」
身を乗り出して、窓にへばりついた。
小降りながら、雨が降り始めたのである。
「まずい……」
優美は、曇っているにもかかわらず、傘を持って出かけて来なかった。
春の足音が聞こえてきた今日このごろ、雪は降らないだろうと思ったからだ。
じゃあ、気温が上がったら、雪の代わりになにが降るのか、ということが、完っ全に頭から抜けていた。
(なにが、ここにいること、そのものが目的、だよ……)
曇っていれば、雨が降ることもある。
そんな、あたりまえすぎる、現実的な思考ができないなんて恥ずかしい。やっぱり、小説の世界に感化されているじゃないか。
雨足が強まる。
雨粒の量も大きさも、時間の経過とともに増えていく。
(バスが来るまで時間をつぶして、ダッシュで乗車するしか無いか。いや、待てよ……)
優美はスマホに、メッセージを入力して送信した。
ソフトボール部の同学年だけがアカウントを作っているグループチャットに、<いま、誰か学校にいない?>と送信すると、すぐに既読マークがつく。
数分を待たず、<どしたー?>とか、<いま起きたとこ>などの反応があった。
仲間って、ありがたいものだ。
部活動は引退し、それぞれの進路に向かって歩き出したけれど、仲間たちとは、ちゃんとつながっているの。
大事な存在を改めて認識すると、じんと胸が響いた。
ただし、学校にいる。という反応は返ってこない。
あたりまえだ。自由登校になったいま、学校に通ってくる三年生のほうがめずらしいのだから。
(やっぱり、バスが来る時間ぎりぎりに、ダッシュでバス停に行くしか無いか……)
優美は、ため息まじりに、二冊めのライトノベルを開いた。
窓の外では、音を立てずに、しっとりとした雨が降り注いでいる。
昼間なのに、薄暗い。
(時間の感覚が、おかしくなりそう)
雪が降っているときとは、異なる情緒。冬の間は、そんなことは感じなかったのに。
唐突に不安になって、教室の時計を確認した。現在は、午前の10時をまわったところ。
一年生と二年生は、授業のまっ最中。
旧校舎も、優美しか利用していないのではと思えるほど、静まりかえっていた。
読書をするには、もってこいのロケーションではあるのだが。
(なんで、傘持って来なかったかなぁ)
という反省ばかりが浮かんできて、集中することができなかった。
完全に、時間をつぶすだけに本を読み、読みながら、ときどき時間を確認したものだから、なおさら読書に集中できなかった。
(帰りながら、読み直そう)
そろそろ、バスがやって来る時間だった。
雨は強まっていないけれど、止む気配も無い。
濡れるのは嫌だけど、自業自得である。
本をカバンにしまって、教室を出た。
「優美ちゃん」
「美空」
廊下に出た瞬間、隣の教室から出てきた女生徒と、出くわした。
あまりにもタイミングがぴったりだったので、相手が、優美のことを見張っていたのかと思うほどだった。
「グループチャット、見てくれたの?」
「チャット、ですか? いいえ」
美空の、その反応を見るまでも無く、見ていないんだなと優美は推理することができた。
さっき送ったメッセージには、美空からの反応は無かったし、今日、ここに優美がいることを、美空は知らないはずだった。
だから、ここでばったり会ったのは、本当にただの偶然だ。
「優美ちゃんは、なにか用事があって、学校に来たんですか?」
「あー……。いや、うーん……」
優美は、今日の空模様みたいに、すっきりしない返事をした。
「用事……、あるような、無いような」
それは事実なので、そう応えるしか無い。
「ああ、そういうとき、ありますよね」
美空は、右手を握ってグーを作り、口にあてて上品に笑んだ。
優美と同級生の東風美空の実家は、お金持ちで、美空は正真正銘のお嬢様育ちだった。
それでいて、ソフトボールの実力は確かで、夏の大会でも注目を集めた選手の一人だったけれど、親と、ソフトボールをするのは高校までと約束していたので、優美と同じように、夏の大会の後に、すっぱりと引退した。
「私も、なんとなく学校に来ちゃったんです」
「美空も?」
「はい。学校にお別れしたいとか、理由はいろいろあるのかもしれませんけど、学校に来るのが目的、っていうのが、一番近いと思います」
「そうなんだ」
「あら。優美ちゃんからメッセージが送られてきてたんですね。ごめんなさい、気がつかなくて」
「うん。いいよ」
優美からのメッセージに関係無く、美空はここに来ていた。優美と同じような想いを抱いて。
同級生とか、部活の仲間とか、肩書あってのつながりも素敵だけど、こういう、目に見えないつながりも素敵だと思った。
「優美ちゃんは、なんで、学校にいる人を探していたんですか?」
「えっ。えーっと、ね」
優美は逡巡してから。
「傘、持ってくるの忘れちゃってさ。それで、誰か学校に来てないかなって」
正直にミスを告白することにした。たぶん、相手が美空じゃなかったら、そうしていなかった。
「傘、忘れたんですか?」
「うん」
「お天気、良くないのに?」
「うん」
美空は、めずらしいものを見るような顔になって。
「ふふふ。そうですか」
ふにゅっと目じりを下げて、笑う。
包容力がにじみ出ている。なんだか、年上のお姉さんと接している気分になる。
「それじゃあ、私の傘、使いますか? 一本しかありませんから、一緒に入ってもらうことになりますけど」
「いい? バス停まで走ろうと思ってたんだけど」
「もちろん、優美ちゃんなら大歓迎ですよ。でも、その代わりに……」
「代わりに?」
さて、なにを見返りに求められるのか。
美空のことだから、変なことは要求してこないはずだけど、彼女は、たまに、予想外の行動に出ることがあるから、油断ならない。
「寄り道に、つき合ってください」
「うん。ぜんぜんかまわないよ」
自由登校の身、時間はごまんとある。
それに、優美は傘に入れてもらう立場なのだから、拒否権は無い。
「それじゃ、行きましょうか」
美空が弾むような声色で言いながら、腕を絡めてくる。
柔らかい胸が、優美の二の腕に当たる。
「ちょ、ちょっと美空」
「いいところ、行きましょうねー」
美空が艶っぽい視線を向けてくると、優美は頬を赤らめる。
(あれ? まえにも、こんなことがあったような……)
優美がそれを思い出さないうちに、美空は歩き出してしまった。
※
「ねぇ、美空」
「どうしました? 疲れちゃいましたか?」
「うん。少し疲れたかも」
「それじゃあ、あそこで休憩しましょう」
美空は、優実の手を引いて、屋根の中に入った。
そこは、登山する人が休憩するための東屋だった。
雨が、木製の屋根に当たる音、木々の葉を揺らす音が、山に響いている。
美空が寄り道したいと行った先は、町はずれの山だった。
山といっても、斜面はなだらかなので、子どもからお年寄りまで、安心して歩くことできる、ご近所では有名な散歩コースである。
もっとも、二人みたいに、雨中の山登りを決行する人は稀だけれど。
「そうか。梅雨のときだ」
「そうですね。なんだか、すごく昔のことみたいですね」
夏の予選大会を控えた梅雨のこと。
優美は、今日みたいに、美空に言われるままに、二人でこの山にやって来た。
あのときも、雨が降っていた。
「あの時期は、優美ちゃんもナーバスになっていましたよね」
「そうだね」
誰もが認める、スター気質の天川沙耶の後を継いでキャプテンになった優美には、自分でも気づかないほどのプレッシャーがあった。
先頭に立って、部を0から作り直し、もはや伝説となった沙耶を、越えなくてはならない。
だから、時間を惜しんででも練習したいのに、梅雨の雨のせいで、全体練習ができない日々が続いていた、あのころ。
言い知れない不安を抱えて、毎日をすごしていた。
それでもキャプテンとして、いつもどおり、冷静に部を見渡さないといけない。そうやって、余計に自分を追い詰める。
「美空には、バレバレだったね」
そんな優美の気を紛らわせるために、美空は、ここに優美を連れてきた。
雨があがり、展望所から眺めた景色は、格別だった。
「私も、優美ちゃんと同じでしたから」
「あ、そういえば……」
美空のクラスメイトでもある香奈が、予選が近くなってから、美空がナーバスになっていたと証言していた。
優美から見ると、美空は、いつも穏やかに笑っていて、感情が変化することが無いように思えるけれど。
「そろそろ、行きましょうか」
スカートを、ぱたぱたとはたいて、美空は立ち上がった。
展望所へと続く林道には、靄が立ち込めている。
乾燥していた冬には、見られなかった光景だ。
「私たちの世代は、大変でしたよね」
「うん」
後輩たちのまえでは、絶対にできない会話だった。
沙耶は、なんでもできた。
廃部同然の状態から部を復活させることも、人を集めることも、チームを勝ちに導くことも、ぜんぶ一人でやってしまった。
優美は、沙耶が作ったものを受け取っただけ。
心のどこかに、そんなコンプレックスを抱えていた。
どうにか解消しようとしても、優美には、なにも無い。
人より速く走ることもできないし、試合を決める一打を放つ能力も無い。
それでも、沙耶からキャプテンをひき継いだ優美は、弱みや悩みを表に出さないようにしていた。
「私たち、持っていない世代、だったんですよね」
「美空が、持っていない?」
沙耶が引退した後の四番バッターを任されていた美空は、チャンスの場面に、めっぽう強かった。決勝打を放って、チームを何度も勝利に導いた。
「でも、沙耶さんみたいにホームランを打って、自分一人で試合を決めることはできません。誰かが、ホームに帰って来てくれないと、点は入りませんから」
誰かが、とほほえみながら、美空は優美を見つめる。
「あのプレーは、私と優美ちゃんの、最高傑作でしたね」
今度は、雨を降らせている空を見上げる。
美空はそこに、あの瞬間を思い描いていた。
「そうだね。本当に」
「気持ち良かったですね」
「あんなに感情を表に出したの、生まれて初めてだったよ」
そして、これから先の人生で、あんなに感情を表に出すことは、もう無い。
だから最高傑作なのだ。あのプレーも、あのチームも。
林道を抜けると、木造の足場が組まれた、展望所がある。
そこからは、街の景色を一望することができた。
暖かな春の雨が、優しく街を包んでいる。
アスファルトが蒸された香りが、鼻をくすぐった。
「もう、春ですね」
「うん。もうすぐ卒業式だ」
卒業。
それを口にしたときに、じんわりと体が熱くなって、体を感傷が駆け巡っていく。
(あれ。なんで……?)
ほろり、と涙の粒が、頬を伝う。
「優美ちゃん、がんばりましたね」
そう言った美空の瞳からも、水滴が垂れた。
「美空も、がんばったよ」
優美が言うと、美空は笑った。
笑いながら、泣いた。
優美も、泣いた。
(あー、そっか。あたしたちは、お互いを待ってたんだ)
高校を卒業する通過儀式として、この場所にやって来るために。
雨が降る。
泣いている二人を、人目から隠すように、やさしく。




