縁は味なものにて
「涼子! 速攻っ!」
仲間の声が聞こえたときには、彼女はもう走り出していた。
毛先にウェーブがかかった髪を、ひとつにまとめたポニーテールを揺らしながら、コート上の誰よりも早く両脚を動かして、相手チームのゴールに向かって駆けていく。
風を斬るようなスピードで敵味方をぶっちぎり、パスを受け取る。
だんっ、だんっ……、体育館の床にバスケットボールを叩きつけて、数回、ドリブルをしてからボールを右手に持ちかえて跳躍。
(もらいっ!)
独走状態でレイアップシュートを放とうとした涼子だが、ふっと、大きな影が彼女の前に立ちはだかった。
「みちるっ!?」
涼子よりもはるかに背が高いみちるは、ボールをはたいてシュートをブロックした。
「ナーイス、みっちー」
みちるの仲間がボールを拾うと、今度はみちるのチームが逆に速攻を仕掛ける。
駆け出すみちる。
並走する涼子。
「かっけこなら負けないわよ!」
涼子はすぐに、パスを受け取ったみちるの前に回り込んだ。
だが、
「スリーポイント!?」
みちるはドリブルで斬り込んで来ると思っていた涼子の裏をかき、スリーポイントライン手前でシュートを放った。
だがしかし。
放たれたシュートはゴールに届かず、無情にも引力に惹かれて床に落ちた。
ボールが弾む音だけが、虚しく体育館に響いたのだった。
※
「さっきも言われたじゃない。素人は、地道にレイアップから覚えなさいって」
みちるにスポーツドリンクを手渡しながら、涼子。
「いやほら。あだ名的に、スリーポイントをねらわないといけないっていう使命感が……」
ごくごくとスポーツドリンクを喉に流す相田みちる。ほぼ例外無く、友達にはみっちーというあだ名で呼ばれる。
「なに言ってんの?」
怪訝な表情を浮かべた彼女、風間涼子だけが例外で、みちるのことを呼び捨てにする。
「みちるってさぁ。最初に会ったときと、印象変わったわよね」
「そうかな?」
みちるは首をかしげた。
スラっと高い長身は、中学から高校にかけて大きく成長したけれど、そこから伸びることは無くなった。
髪型も、ソフトボールを始めた中学のころから、高校、大学と、変わり映えしないショートヘア。
ソフトボールは高校で辞めたのだから、涼子のように髪を伸ばしたりパーマを当てたりするのも自由のはずなのに、なんとなくめんどうくさくて、そのままにしている。
「そんなんじゃ、沙耶みたいになっちゃうわよ?」
「あそこまでいける自信は無いよ」
みちるは、あははと笑い飛ばした。
「聞いた? 沙耶の奴、ジャージとサンダルで大学に通ってるらしいわよ」
「聞いた聞いた。大学だけじゃなくて、休みの日もその恰好で街中を歩いてるらしいよ」
あまりの恐ろしさに、きゃーと悲鳴をあげて抱き合うみちると涼子。
高校時代のチームメイトたちとは、いまでも連絡をとり合っている。
しかし、沙耶の噂話というのは、連絡をしてきた相手も、誰々から聞いたとか、噂で聞いたんだけど……、とか、ソースの出所をはっきりとは知らない。
まるで都市伝説のようだ。
と誰もが思ったが、だいたいのことが、沙耶ならやりかねない。で納得してしまうことばかりなので、沙耶本人の知らないところで、彼女の武勇伝は増えていくばかりだった。
「お二人さーん。あと10分休憩したら、もう一試合やって終わりでいーい?」
サークル仲間に、おっけーと応じた二人は、ベンチから立ち上がって、ぐーっと背伸びをした。
二人が所属しているスポーツサークルは、バスケット、バレー、フットサルなどの球技はもちろん、レクリエーション的な運動も含めて、とにかくスポーツを楽しみましょう。という趣旨で結成された。
高校時代、全国を目標にしてガチンコでソフトボールにうち込んでいたみちると涼子にしては、ゆるーい集まりだった。
背伸びをし、シャツと短パンの隙間からちらっと見えた二人のお腹は、現役のころほどでは無いけれど、ちゃんと腹筋が締まっていた。
「よーし。今度はスリーポイントを決めてみせるよ」
「だからさぁ。素人は、地道に基本から覚えなさいって」
ぐっと拳を握って決意を新たにするみちる。
その肩に、ぽんと手を置く涼子。
「えー。涼子ちゃんがそれ言うの?」
「なによ?」
「ほら。涼子ちゃんがソフトボールを始めたてのころの話」
「あー。あれのこと? だって、あれは沙耶が……」
「そうだね。私たちも、なに言ってるんだろうって思ったんだけど……」
「不思議な奴よねー」
言っていることは意味不明なのだが、まるで未来予知のように、ものごとが沙耶の言うとおりに収束していった。一時期、天川沙耶、未来人説が浮上したくらいだ。
「でも違ったね」
「そうね」
沙耶はただ、自分が描いた理想に向かって、一生懸命に進んでいただけだった。
道はとても険しかったし、紆余曲折もして、いろんなことがあった。
沙耶は、あきらめなかっただけだ。理想を捨てなかっただけだ。
あきらめさえしなければ、人生、どうなるかわらかない。
「みちるって、やっぱり変わったわね」
涼子は、じーっとみちるの顔を見つめた。
「そうかなぁ?」
「そうよ。最初に会ったときは、もっとおとなしいっていうか、ひっ込み思案っていうか……」
少なくとも、成功する確率が低い、スリーポイントシュートをねらうような性格ではなかったはずだ。
「あー……。そうかも。たぶんっていうか、絶対に沙耶ちゃんのせいだ」
「そうそう。沙耶が、もっとブンブン振り回せって暗示をかけまくってたわよね」
涼子は目を細めて笑った。
そのとき涼子は素人だったけれど、ぜんぜんバットにボールが当たらないみちるを見て、本気で心配したそうだ。
「それが心配で終われば良かったんだけどねー……」
沙耶の暗示に従い、確実性を捨てて豪快にバットを振り回し続けたみちるは、通算の打率が身長よりも低くなってしまい、チーム内でネタにされていた。
まったく、恥をかかせてくれるものだ。
「でも、さ……」
「そうね」
二人は昔を懐かしんで笑った。
もし、沙耶に出会っていなければ、自分たちは、それなりの人生しか歩めなかったはずだ。
もし、沙耶の言うとおりにしていなければ、自分たちは、それなりの選手にしかなれなかったはずだ。
それが、インパクトのある選手として、高校生の間だけでも名前を残すことができたのは、沙耶のおかげだった。
「お二人さーん。そろそろ、試合始めるよー」
サークル仲間の声に、はーいと応じて、二人はコートに向かった。
「それにしても……。本当にわからないわね」
「なにが?」
「こうやって、いまだにみちると仲良くしてるの」
「あー……」
出会うまでは初対面。
お互いの存在すら知らなかった。
それが、いまこうして友達としてつき合っている。
不思議な縁だ。
もし、あの日。
まったくの同時刻に生理現象をもよおさなかったら、自分たちの人生が交わることは無かっただろう。
思い出すだけで、バカバカしくて笑いがこみ上げてくる。
トイレに行きたい。
ただそれだけの理由で始めたソフトボール。
そんな二人が、全国大会をねらうチームの一員になり、しかも戦力としてチームに貢献することができるなんて、予想もできなかった。
「いやいや。人生はどうなるかわかりませんね。みちるさん」
「まったくですね。涼子さん」
みちると涼子は、思い出語りをする老夫婦のように、穏やかに笑った。




