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残響

 狂乱のごとき戦闘の熱は、潮が引くように嘘白く消え去っていた。


 設備区画の通路を支配しているのは、鼻を突くような焦げた金属の死臭と、排熱システムの虚しい駆動音だけだ。


 粉々に砕け散った装甲の破片、高熱で焼き切れた極細の配線、そして持ち主を失い光の粒子へと還りきれなかった装備の残骸。


 無数に転がるそれらは、つい先ほどまでここが地獄の一丁目であったことを、無言のまま冷徹に物語っている。断線し、無様にのたうち回るケーブルの断面から、チリ、と小さく乾いた火花が爆ぜた。


 その微かな音さえも、静寂に塗りつぶされた空間の中では、鼓膜を直接叩くような暴力的な響きを持って届く。


 テラはその場に立ち尽くしたまま、彫像のようにしばらく動かなかった。


 刀はすでに鞘の内に収まっている。


 しかし、指先の神経は未だに「戦闘」という異常事態の延長線上にあり、わずかな空気の揺らぎ、あるいは鉄錆の匂いの変化にさえ、反射的に柄を握り込もうとするほどに研ぎ澄まされたままだ。


 一度限界まで引き絞られた精神の弓は、そう簡単には緩んでくれない。


 あの銀髪の剣士――スカー・レイヴンの圧倒的な気配は、もうこの通路のどこにも存在しない。それでも、彼が去った空間が完全に「安全」であると断じるには、凍りついた思考を溶かすためのわずかな時間が必要だった。


「……行った、よな? マジで、もう、あいついないよな?」


 背後から、期待と恐怖が入り混じった、擦り切れたような声がかけられた。


 テラが緩慢な動作で振り返ると、そこには半壊した重装甲をまとった機械オタLv100がいた。


 彼は跪いた姿勢のまま、震える手で自身の機体のステータスパネルを操作しようとしては、指が滑って空を切っている。


 《最高傑作一号》の外装は無残に歪み、各部の排気ダクトからは今もなお、断末魔のような細い白煙がたなびいていた。


「いきなり背後にテレポートしてきて『冗談だ』なんて言って斬りかかってくる……なんてホラー展開、ないよな?」


「ない。あいつはそんな趣味の悪い真似はしない」


 テラは短く、言い切るように答えた。


 その断定的な響きに、機械オタの全身から糸が切れたように力が抜けた。


 ガシャン、と重厚な金属音が通路に響き、彼はその場に仰向けにひっくり返る。


「……はぁぁ……助かった。マジで生きてる。ログアウト確認するまで信じられないけど、今はこれでいいや……」


 彼は天井の無機質な照明を見上げたまま、しばらく死んだように動かなかった。やがて、喉の奥から絞り出すような乾いた笑いを漏らす。


「いや、無理だろあれ。設定ミスだろ。何なんだよ、帝国七座って。あんなの、プレイヤーが束になっても勝てる道理がないじゃんか」


 自嘲気味なその言葉には、ゲーマーとしての底知れぬ敗北感と、それでも生き残ったことへの奇妙な昂揚が混じっていた。


 テラは床に散らばるドローンの残骸――先ほどまで精密な連携を見せていたはずの鉄屑――へ一瞬だけ視線を落とし、すぐに前を向いた。


「帝国七座……国の武を象徴する、生きた天災か。あんなのが、まだ他にもいるのか」


「やめろよ、その基準でこのゲームを語るな。ゲームバランスが根底から崩壊するわ」


 機械オタは機装種特有のメカニカルな音を立てて身を起こし、ヘルメットのバイザー越しにテラを睨むような仕草を見せたが、すぐに肩を落とした。


「ま、あの『絶空』とかいう技を喰らって、即死せずに立ってるお前も、十分あっち側の住人っぽかったけどな」


 短い沈黙が二人の間に落ちる。通路の奥から吹き抜ける冷たい風が、戦いの余熱をさらっていく。


 機械オタは重い腰を上げ、駆動モーターの悲鳴を響かせながらゆっくりと立ち上がった。


「……改めて、名乗っておくよ。ボクは機械オタLv100。見ての通りの機装種で、ロマンと歯車を愛するしがないエンジニアだ」


 彼は煤けた胸部装甲を軽く叩いて見せた。


「さっきは、その……なんだ。助かった。お前がいなきゃ、ボクは今頃リスポーン地点で全財産失って泣いてたところだ」


 テラは彼の自己紹介を静かに受け止め、短く返す。


「テラだ」


「知ってるよ。スカーとかいう化け物が最後、お前の名前を呼んでたからな。あの瞬間、ちょっと嫉妬したよ。ボクなんて一瞥もされなかったし」


 機械オタは肩をすくめ、小さく笑った。そこには先ほどまでの絶望感は消え、どこか清々しい空気が漂っている。


 会話はそこで一度途切れた。


 互いに、この一戦でどれほどの技術と意志を注ぎ込んだかは、言葉を重ねずとも理解している。だが、このまま別れるには、あまりに濃密すぎる死線を潜り抜けすぎた。


 機械オタが、スカーが消えていった通路の闇へと視線を向ける。


「……テラ。正直に答えてくれ。お前、あれを倒せると思うか?」


 何の意味もない問いかもしれない。だが、同じ戦場に立ち、最後まで剣を構え続けた者として、聞かずにはいられなかったのだろう。


「今は無理だ」


 テラは迷いなく、残酷なほど即座に答えた。


「だよねぇ。ボクの計算機も、勝利確率0.0001%以下って弾き出してたし」


「だが、終わってない」


 テラの視線は、スカーの消えた暗がりのさらに先を射抜いていた。


「名を聞かれた。それだけで、次がある理由には十分だ」



 機械オタは数秒間、呆気にとられたように絶句した。


 やがて、肺に残った空気をすべて吐き出すようにして、腹の底から笑い声を上げる。


「……ははっ! そういうタイプか。やっぱり、お前も十分狂ってるよ。あんなのと再戦したいなんてさ」


 納得したように何度も頷き、彼は自分の愛機を見下ろした。


「まあいいや。ボクはボクのやり方で、次はあの長剣をへし折るくらいの超兵器を造ることにするよ。今日はもう、物理的にも精神的にも限界だけどな」


 《最高傑作一号》の右腕はだらりと垂れ下がり、内部のシリンダーが虚しく空転している。


 このまま街まで帰り着けるかさえ怪しい惨状だ。テラもまた、己の肉体が限界を超えて軋んでいるのを自覚していた。


「だな。無理をする局面じゃない」


 短く同意する。それで、この場における二人の契約は完了した。


 機械オタは一歩後ろに下がり、重厚な金属の掌を軽く振って見せた。


「じゃあな、テラ。お前が次にあのスカーとやり合う時は、ボクが最高のバックアップを用意してやるよ。それまで、勝手に死ぬなよ」


「そうだな。お前も、その重いガラクタを直すのに時間がかかりそうだがな」


 テラが少しだけ口角を上げると、機械オタは「ガラクタじゃない、最高傑作だ!」と叫びながら、苦笑い混じりに背を向けた。


 テラもまた、彼とは逆の方向へと歩き出す。


 一定のリズムで響く足音が、金属の通路に反響しては遠ざかっていく。


 機械オタは曲がり角の手前で一度だけ足を止め、テラの背中を振り返った。


「……本当、変なやつ。でも、悪くないな」


 独り言のように呟き、彼は自分の冒険へと戻っていく。


 通路には再び、深淵のような静寂が戻った。だが、それは戦闘が始まる前の虚無とは、決定的に異なっていた。


 すべてが終わったわけではない。むしろ、ここから新しい何かが始まっていく。


 次なる戦い、次なる強敵へ。そのための、束の間でしかない、熱を孕んだ静けさだった。

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