銀閃②
肩口に走った衝撃は、ほんの一瞬遅れて痛みへと変わった。
鋭い熱が肉を裂いた感覚となって広がり、テラは反射的に後退する。靴底が金属の床を擦り、短い摩擦音が通路の奥へと響いていった。
肩を斬られた。
だが、その斬撃そのものは見えていない。
視界に映ったのは、ただ目の前に立っていた男の姿がふっと消えた瞬間だけだった。そして次の瞬間には、すでに背後へ回り込まれていた。
速い。
それも、これまでに遭遇してきたどの敵とも比べものにならない速度だった。
テラは剣を握り直し、構えを整える。肩の痛みを押し込めるように呼吸を整えながら、ゆっくりと視線を前へ戻した。
銀髪の男は数歩先に立っている。
長剣をだらりと下げたまま、特に構えを取る様子もない。ただ静かにこちらを見ているだけだった。
その姿には余裕があった。
戦闘特有の緊張や気配がほとんど感じられない。まるで散歩の途中で立ち止まり、ついでに剣を振っただけのような、そんな軽ささえ漂っている。
ただ歩いてきて、ついでに斬った。
そんな風に見えるほど、自然な動きだった。
男がわずかに口を開く。
「……遅い」
短い言葉だった。
声には怒りも嘲りもほとんど含まれていない。ただ事実を淡々と告げただけのような、静かな声だった。
その言葉が空気に落ちた次の瞬間。
男の姿が消えた。
視界から完全に消失する。
テラの身体は反射的に動いていた。考えるより先に剣が動き、身体が回転する。
鋼が衝突した。
甲高い金属音が弾け、火花が散る。
強い衝撃が腕へ走った。
視界の端に銀の光が走った瞬間、テラの刃はすでにそれを受け止めていた。だが受け止めたはずの剣は、その一撃で終わらない。
男の刃は止まらなかった。
弾かれるように軌道を変え、そのまま横から二撃目が迫る。
斬撃が空気を裂く音が耳元で唸る。
テラは身体を滑らせるように横へ逃がした。刃が胸元をかすめ、装備の表面を削り取って火花を散らす。
そのまま距離を取る。
だが男は追ってこない。
数歩離れた場所で、まるで何事もなかったかのように剣を下ろしている。
ほんの数秒の交錯。
それだけでテラの呼吸はわずかに乱れていた。
胸が上下し、肺に入る空気が少しだけ荒い。
対して男は変わらない。
息一つ乱れていなかった。
静かに立っているだけだ。
テラは視線を細める。
今の一撃。
あれは単純な速さだけではない。
踏み込みの音も、身体が動く気配もほとんど感じ取れなかった。動いたという認識よりも先に、斬撃だけが届いている。
それほどまでに動作が洗練されていた。
テラは重心を低く落とし、足に力を込める。次の動きに備え、神経を研ぎ澄ませるように全身の感覚を鋭くしていった。
周囲の空気が少しだけゆっくり流れているように感じられる。
それでも――追いつける保証はない。
男が剣を持ち上げた。
今度は消えない。
だがそのまま踏み込む。
床を蹴る音が通路に響き、身体が一直線に加速する。
その動きは直線的だった。
しかし速い。
瞬きをするほどの時間で距離が消える。
刃が閃いた。
テラは剣を合わせる。
鋼がぶつかる。
衝撃が腕へ走る。
だが、そこで終わらない。
男の剣が流れる。
手首の動きだけで軌道を変え、斬撃が次の角度から襲いかかる。
二撃目。
三撃目。
斬撃が止まらない。
刃が連続して振るわれ、空間を縫うように軌道が繋がっていく。
連閃。
高速の連撃が間断なく繰り出される。
刃の軌道が視界に残像を残し、銀の線となって空間を切り裂いていく。斬撃が連なり、まるで銀色の網が目の前に張られていくようだった。
テラは後退する。
受ける。
流す。
弾く。
だが完全には追いつかない。
刃の動きが速すぎる。
気付いたときには、すでに次の斬撃が迫っている。
装備の表面が削れる。
肩口に浅い傷が走る。
太腿の装甲が弾かれる。
細かい衝撃が次々と身体へ伝わり、金属が擦れる音が短く響く。
テラは強引に距離を取った。
床を蹴り、横へ跳ぶ。
銀の刃が空を裂く。
男の剣はわずかに空を切った。
だがそのまま身体を回転させる。
長剣が大きな円を描いた。
回転する斬撃が周囲の空間を薙ぎ払う。広い範囲を一度に制圧するような一撃だった。
テラの姿がわずかに揺れる。
刃はその像を切り裂く。
だがそこに実体はない。
男の剣が空を切った。
ほんのわずかな隙。
テラは踏み込んだ。
身体が一瞬で加速する。
刃が男の背へ向かう。
だが――
金属音が弾けた。
テラの刃が途中で止まる。
男の長剣がそこにあった。
振り向いてもいない。
背中を向けたまま、剣だけで受け止めている。
次の瞬間。
男の身体がわずかに動いた。
肘がわずかに押し出される。
それだけで、テラの刃が弾かれた。
間合いが崩れる。
そこへ斬撃が走った。
テラは反射的に剣を動かす。
鋼がぶつかる。
火花が散る。
衝撃が腕を震わせた。
その時、男が静かに言った。
「……悪くない」
短い言葉だった。
だがその声には、ほんのわずかな興味が混じっていた。
長剣がゆっくりと持ち上がる。
その構えは、先ほどまでよりも少し低い。
踏み込みの姿勢だった。
次の瞬間。
男の姿が再び消える。
視界から消失する。
刹那。
銀の閃光が横から走った。
テラは咄嗟に刃を動かす。
鋼がぶつかる。
だが衝撃が強い。
身体が弾かれた。
数歩後ろへ滑る。
靴底が床を擦り、長い摩擦音が通路に伸びていく。
通路の奥では、破壊された端末の残光がまだわずかに揺れていた。機械の駆動音が遠くで低く響き、戦闘の合間に不気味な静けさを作っている。
男はその場から動かない。
長剣を下げたまま、静かに立っている。
まるで――まだ戦闘が始まっていないかのようだった。
テラは剣を握り直す。
手の感覚が少し痺れている。
だが視線は逸らさない。
速い。
圧倒的に速い。
身体能力を引き上げてもなお、追いつかない速度だった。
それでも――
まだ終わってはいない。
テラは足を踏み出す。
その瞬間、男の剣がわずかに持ち上がった。
銀の刃が照明を反射し、細い光を放つ。
次の攻撃が来る。
直感が、そう告げていた。




