銀閃①
黒甲の剣士が倒れたあと、通路にはほんの一瞬だけ静寂が落ちた。
重い装甲が床へ崩れ落ちた余韻が、金属の床材を通して鈍く低い振動となり、まだ通路の奥へと広がっている。耳を澄ませば、その微かな共鳴が壁面や天井の配管へ反射し、遅れて戻ってくるのが分かる。
だが、それは完全な静けさではなかった。
通路の奥では、黒い解析装置が依然として脈動を続けている。装置の内部から周期的に響く低い駆動音が、わずかな振動となって空気を揺らし、その存在を確かに主張していた。
都市管理端末へ接続されたケーブルには、淡い青白い光が脈のように流れ続けている。光は管の内部を滑るように進み、まるで血流のように一定の間隔で脈打ちながら、都市側の端末へと送り込まれていた。
大型端末の表示も止まってはいない。
数秒おきに更新される数値が、機械的な正確さで変化していく。淡い光を放つディスプレイの文字がわずかに揺らぎ、その度に処理が着実に進んでいることを示していた。
表示された文字列が再び書き換わる。
解析進行率 56%
数字が更新される。
そのわずかな変化を、テラは一瞬で読み取っていた。
息を整える間もなく、テラは動く。
この装置を止めなければ、都市の制御系へ再び侵入される可能性がある。黒甲の剣士という護衛戦力は失われたが、装置そのものが稼働している以上、任務は終わっていない。
敵の戦力を排除しただけでは足りない。
作戦の核心は、この解析装置を止めることにある。
通路の奥へ向けて、テラが一歩を踏み出した。
その瞬間だった。
「……隊長がやられた!」
装置の側面に控えていた帝国兵が、ようやく状況を理解したように叫ぶ。
黒甲の剣士が床に倒れている光景が、遅れて彼らの認識へ届いたらしい。
装置を操作していた技術兵が、慌てて端末へ手を伸ばす。指先が端末の操作盤を叩き、いくつもの操作画面が慌ただしく切り替わる。
「解析を止めるな! 進行を維持しろ!」
怒鳴り声が通路に響く。
その声と同時に、テラの足が床を蹴った。
迅尾により、十数歩はあった距離が一瞬で消える。
空気を裂くような踏み込みとともに、テラの姿が前方へと跳ぶ。
帝国兵の視界にテラの像が映ったときには、すでに刃が届く間合いに入っていた。
最前列の兵士が慌てて剣を抜く。
鞘走りの音が遅れて響く。だが、その動きは明らかに遅い。戦闘の流れを読み切ったテラの動きに対し、反応が半拍遅れている。
テラの刃が横へ走った。
鋭く振り抜かれた刃が装甲の隙間へ滑り込み、短い衝撃とともに兵士の身体が揺れる。
金属と肉を裂く感触が一瞬だけ手元へ返り、その直後、兵士の膝が崩れた。
倒れる音が床を叩く。
残った兵士が弩を持ち上げる。
慌てた動作で弦を引き、矢を番えるが、焦りのせいで狙いが定まらない。視線が揺れ、照準が微妙にずれている。
帝国兵の視界の中で、テラの姿が幻尾により半歩ほど横へずれて見える。
ほんのわずかな誤差だが、狙撃には致命的なずれだった。
弩兵の視線が揺れる。
照準が合わない。
弦を引いたまま、狙いを修正しようとしているその瞬間、テラが踏み込んだ。
床を蹴る音が短く響く。
刃が閃いた。
二人目の兵士が、声を上げる暇もなく崩れ落ちる。
通路に残ったのは、端末の前にいた技術兵だけだった。
彼は武器を持っていない。
ただ必死に端末へ指を走らせ、解析処理を維持しようとしている。
ディスプレイに表示されるコードが高速で流れ、操作画面が次々と切り替わっていく。
技術兵が顔を上げた。
その瞬間、刃が喉元へ触れていた。
冷たい鋼の感触を理解するよりも早く、刃がわずかに動く。
短い衝撃。
技術兵の身体がゆっくりと崩れ落ちる。
端末の光が、倒れていく身体を無機質に照らしていた。
通路の奥に、再び静寂が戻る。
残っているのは機械の駆動音だけだった。
テラはゆっくりと端末の前へ歩み寄る。
黒い解析装置はまだ脈動している。装置本体から伸びる太いケーブルが床を這い、いくつもの固定具を通りながら都市の管理端末へと繋がっていた。
端末画面の数値が再び更新される。
解析進行率 58%
数字が静かに書き換わる。
テラは刃を持ち上げた。
迷う理由はない。
次の瞬間、刃が振り下ろされる。
太いケーブルが断ち切られた。
鋭い破断音が通路に響き、切断面から激しく火花が散る。
青白い電光が一瞬だけ周囲を照らし、装置の光が強く明滅した。
内部の駆動音が不規則に乱れ、回転していた機構が軋むような音を立てる。
端末画面の文字が高速で切り替わる。
接続エラー
通信遮断
システム停止
警告表示がいくつも重なり、赤い文字列が画面を埋め尽くす。
数秒後、すべての表示が消えた。
装置の脈動が止まる。
通路に残るのは、ただの機械の残骸だった。
テラはゆっくりと息を吐く。
都市の制御系への侵入は阻止された。
少なくとも、この装置による作戦はここで終わりだ。
任務は達成された。
そのはずだった。
テラが振り返ろうとした、その時だった。
「……作戦は失敗か」
背後から声が落ちた。
低く、静かな声だった。
テラの身体が止まる。
その声には怒りも焦りもない。ただ事実を確認するような、冷たい落ち着きだけがあった。
ゆっくりと振り向く。
通路の入口に、一人の男が立っていた。
銀髪。
灰色の瞳。
黒銀の軍服を纏った細身の男が、通路の暗がりの中で静かにこちらを見ている。
その視線はテラではなく、床に倒れている黒甲の剣士へ向けられていた。
「部下が世話になったな」
男は淡々とそう言うと、腰の長剣へ手をかける。
ゆっくりと剣を抜いた。
鋼が鞘から滑り出る音が、静かな通路に長く響く。
剣先がわずかに傾く。
その瞬間だった。
テラの視界から男の姿が消える。
次の瞬間、鋭い衝撃が肩口を裂いた。
遅れて、金属が擦れる音が聞こえる。
テラが反応する頃には、男はすでに数歩先に立っていた。
振り向くこともなく、静かに剣を下ろしている。
剣から血が一滴、床へ落ちた。
「……遅いな」
銀髪の男が、ゆっくりと振り返る。
灰色の瞳が、まっすぐにテラを捉えた。




