拡大する侵入
諜報員の短剣が、まるで蛇が鎌首をもたげるような軌跡を描いて横薙ぎに振り抜かれる。
金属同士が激しく咆哮し、通路の壁面を震わせるほどの鋭い衝突音が響き渡った。大剣を構えた男が、その突き刺すような斬撃を肉厚の刃で受け止める。二つの金属が火花を散らしながら摩擦し、火花が暗い通路を刹那的に照らした。男は歯を食いしばり、全身の筋力を込めて重い大剣を押し返そうとする。
だが、諜報員の動きには淀みがなかった。
衝撃が消えるより早く、男は体をわずかに沈めたかと思うと、次の瞬間には重心を殺した滑らかな足運びで側面に回り込む。逆手に持ち替えられた短剣は、まるで獣の牙のように獲物の隙を狙って再び切り込んでくる。その身のこなしは極めて軽く、無駄を徹底的に排除した、殺戮機械さながらの精密な動きだった。
「ちっ、動きが速すぎるだろ!」
大剣使いが低く、苛立ち混じりの舌打ちをする。重い武器の特性上、こうした小回りの利く敵はもっとも相性が悪い。
そのすぐ傍らで、ローブ姿の魔導士が詠唱を完了させていた。魔力による圧力が周囲の空気を歪め、足元に展開された魔法陣が不気味な淡光を放つ。重力から解放されたかのように、空中にいくつもの純粋な魔力の矢が実体化していった。
「――そこを退け!」
鋭い号令とともに、光の矢が一斉に解き放たれる。
通路という限定された空間を埋め尽くすほどの弾幕。諜報員は人間離れした瞬発力で後方へ跳躍し、空中で身を捻って回避を図る。だが、その機動をも読み切っていたかのように光矢は追尾し、完全に避けることはかなわない。数本が背中の装甲をかすめ、火花を散らして弾けた。衝撃で男の身体がわずかに中空で揺らぎ、着地の姿勢が乱れる。
そこへ、テラが飛び込んだ。
硬質な床を滑るようにして間合いを詰め、腰を低く落とした体勢から、渾身の力を込めた斜め斬り上げを見舞う。諜報員は反射的に短剣をクロスさせてこれを受け止めたが、テラが叩き込んだ衝撃を殺しきれるはずもなく、男の靴底が床を削りながら数メートルも後退した。
逃すはずもない。その隙を、大剣使いが血肉の迸るような咆哮とともに突いた。
「らぁぁっ! そこまでだ!」
重厚な鋼の塊が、空気を裂いて振り下ろされる。
絶体絶命の危機。諜報員は横へ跳んで回避しようと試みたが、背後はすでに通路の壁に追い込まれていた。逃げ場などどこにもない。次の瞬間、魔導士が追撃として放った光矢が、諜報員の足元で派手に炸裂する。
轟音とともに衝撃波が走り、男の体勢が大きく崩れた。
運命は決した。逃げ場を失い、体勢を崩した諜報員の胴へ、大剣が容赦なく振り抜かれる。
硬質な装甲が砕け散る感覚が手に伝わり、男の身体は床へ叩きつけられた。手から離れた短剣が通路に転がり、甲高い金属音を立てて静止する。
数秒の沈黙が、血の匂いとともに通路を支配した。やがて、倒れ伏した男の身体は、まるでデジタルな蜃気楼のように淡い粒子へと分解され、霧散していった。
「……やっとかよ。しぶとい奴だ」
大剣使いが肩で激しく息をしながら、ようやく得物を引き上げる。
だが、安堵の息を漏らす余裕など、この戦場には存在していなかった。通路の遥か奥から、さらに激しい戦闘音が絶え間なく聞こえてきているからだ。刃と刃がぶつかり合う高音、魔法が炸裂する衝撃音、そして誰かの断末魔に近い叫び声。中枢区画のあちこちで、戦火が拡大しているのは明らかだった。
魔導士が震える手で端末を操作し、最新の任務ログを確認する。その表情は硬く、青ざめていた。
「おい、これを見ろ。状況が……最悪だ」
その切迫した声に、テラも即座に視線を向ける。
端末のホログラム画面には、都市任務の更新情報と、広域マップが投影されていた。
中枢区画の各所に、まるで悪性の病変のように、無数の赤いマーカーが点灯している。
侵入者の確認地点。
その数は、さきほど確認した時よりも明らかに増大していた。
「……冗談だろ。これ、たった数人の襲撃じゃないぞ」
大剣使いが、思わずといった様子で低く呟く。
「ああ。これだけの人数を同時に送り込むなんて、ただの潜入や攪乱じゃない」
テラも同じ結論に至り、奥歯を噛み締めた。
諜報員たちは、無作為に配置されているわけではない。複数のグループに分かれ、それぞれが緻密な作戦行動をとっている。しかも、その多くが都市の重要設備――インフラを守る区画のすぐ側に現れているのだ。
偶然などであるはずがない。
テラは通路の壁に埋め込まれた管理用端末へと歩み寄り、都市地図を拡大表示させた。全侵入者の確認地点を重ね合わせ、線を引いていく。
赤い点が、網の目のように中枢区画を覆っていた。
それを見た瞬間、テラの鋭い眼光が、冷徹な理性を宿して細められた。
点の並びには、明確な「意図」と「規則性」がある。
無作為な混乱ではなく、都市機能を構成する重要設備をなぞるように配置されている。
通信設備。エネルギー供給ユニット。そして、都市の血脈である制御装置。
その線が指し示す先は、一つしかない。
さらに内側――。中枢区画の心臓部。厚い多重セキュリティと物理障壁で守られた、最終制御施設。
そこを見た瞬間、テラは肺の空気をすべて吐き出すようにして、長く深い息をついた。
彼らは設備を破壊しに来たわけではない。ハッキングを仕掛け、都市を内側から制御権を奪い取ろうとしているのだ。
「……なるほど。そういうことか」
テラが小さく呟くと、大剣使いが不思議そうに首を傾げた。
「どうした? 何か分かったのか?」
魔導士も画面を食い入るように覗き込み、戦慄の色を浮かべる。
「……嘘だろ。これってまさか……」
「侵入者の配置が偏っている。ただの戦闘じゃない」
テラは淡々と、しかし抑揚のない声で地図を指し示した。
「やつらは都市の設備に沿って動いている。いや、設備を『踏み台』にしているんだ」
「踏み台? じゃあ、狙いは何なんだよ!」
数秒の間が空いた。その間に、通路の奥で激しい火柱が上がり、爆風が三人へと押し寄せた。
テラは地図の最深部、すべての赤い線が集約される一点を指した。
「都市の、制御系統そのものだ」
その宣告を聞いた瞬間、大剣使いと魔導士は、絶望と覚悟が混じり合った表情で顔を見合わせた。
「……マジかよ。都市を乗っ取る気か」
通路の奥では、別のプレイヤーたちが絶望的な交戦を続けている。中枢区画の空気は、もはや日常とはかけ離れた、殺伐とした戦場のそれへと変貌していた。
敵の目的は明らか。帝国の作戦はすでに初期の攪乱段階を終え、この瞬間にも次の致命的なフェーズへと移行しようとしていた。




