諜報員との戦闘
整備用の小型照明が、開かれた制御装置の内部を淡く照らしている。金属の壁面に埋め込まれたパネルは外され、内部の回路や接続端子がむき出しになっていた。工具の先端がそこへ差し込まれ、微かな金属音が断続的に響いている。
この区域は本来、人の出入りがほとんどない場所だ。搬送設備の整備通路であり、通常は管理側の整備班か巡回機兵が定期的に確認するだけで、プレイヤーが訪れる理由はまずない。
だからこそ、そこにいる人影は明らかに異質だった。
通路の奥で端末の光が揺れる。
「取れた」
低い声が響いた。
「これが制御核だ」
制御装置の内部から、手のひらほどの金属ユニットが引き抜かれるのが見えた。淡い光を帯びた回路が内部で脈打ち、細い光の線が表面の溝をゆっくりと流れている。
都市設備の重要部品であることは、素人目にも分かった。
ギアヘイヴンの設備は高度な技術で構成されている。その核心部分を担う制御核は、通常なら管理区画の中で厳重に保護されているはずだった。
それを、今この通路で取り外している。
その瞬間、テラは動いた。
足音を殺したまま、暗い通路へ一歩踏み込む。床の金属板は整備用のためか薄く、踏み方を誤れば音が反響する構造になっていたが、体重のかけ方を調整すればほとんど響かない。
外縁での戦闘や潜入任務を繰り返すうちに、そうした動きは自然と身についていた。
影の中で、二人の人影がこちらに背を向けている。
一人は制御装置の前で装置を取り外し、もう一人は通路側に立って周囲を警戒していた。腰には銃器らしき武器が下げられ、肩には通信機のような装置が取り付けられている。
都市の整備班ではない。
装備の種類も、動きも、明らかに違っていた。
警戒役が先に気付いた。
わずかな空気の揺れか、足の動きの違和感だったのかもしれない。
男の肩が動き、こちらを振り向く。
「――誰だ?」
声が上がる。
だがその瞬間には、テラの姿はすでに通路の中央にあった。
踏み込みと同時に、身体が一瞬ぶれる。
【幻狐歩】
足運びに妖力を乗せることで、視覚認識を僅かに狂わせる妖狐特有の歩法。距離そのものが縮むわけではないが、動きの起点と終点が曖昧になり、見る者の認識にわずかなズレが生じる。
ほんの数センチの誤差。
だが戦闘の中では、それだけで結果が変わる。
警戒役の男が反射的に武器を構えたが、その照準はわずかに外れていた。
「チッ!」
銃口が火を吹く。
狭い通路の中で、発砲音が鋭く反響した。
だが弾丸はテラの肩の横を掠めるように通過し、背後の壁へ当たって火花を散らすだけだった。
次の瞬間、テラの身体がさらに加速する。
迅尾を使い距離が一気に縮まる。
「速――」
男の言葉が最後まで続く前に、テラの刀の柄が腹部へ突き込まれた。
鈍い衝撃音が響く。
男の身体が前に折れ曲がり、呼吸が止まる。肺から空気が押し出され、短い呻き声だけが漏れた。
だがもう一人がすぐに反応した。
制御核を掴んだまま、腰の武器を引き抜く。
「侵入者だ!」
刃のような金属武器が振り抜かれる。
狭い通路でも扱える短い刃。動きは速く、無駄がない。振り下ろしの軌道も正確で、明らかに戦闘経験のある動きだった。
テラは一歩だけ身体を引く。
刃が空気を裂いた。
金属の風切り音が耳をかすめる。
だがその瞬間、男の視界に“もう一人のテラ”が映った。
「……?」
わずかな違和感。
攻撃の軌道が、ほんの数センチだけずれる。
幻尾は完全な幻ではないが、相手の認識を揺らすには十分だった。
通路の中で、テラの姿がわずかに重なって見える。
その一瞬の隙を、テラは見逃さない。
再び踏み込み距離は一瞬で詰まる。
男は反射的に武器を横へ振った。だが斬撃は空を切る。
残像だった。
次の瞬間、本体のテラが横から回り込んでいる。
「なっ――」
男の肩を掴み、体勢を崩す。
重心をずらし、そのまま床へ叩きつける。
衝撃音が通路に響いた。
制御核が手から滑り、床へ転がる。金属のユニットが床を滑り、淡い光を揺らした。
しかし警戒役だった男が、よろめきながら立ち上がった。
腹部を押さえながら銃を構える。
「クソ……!」
距離は五メートルほど。
この距離なら発砲が先に間に合う。
だがテラは動かなかった。
視線だけを男へ向ける。
その瞬間、足元に小さな炎が走った。
青白い狐火が床を滑る。
細い線のように伸び、男の足元へ到達する。
「……?」
気付いたときには遅かった。
狐火が弾ける。
【狐火縫い】
炎は爆発ではなく、細い糸のように分裂した。妖力の火が床を走り、男の足元から身体へ絡みつく。
「ぐっ……!」
炎は燃え広がらない。
代わりに、動きを縛る。
まるで地面に縫い付けられたように、足が動かなくなった。
銃口がわずかに揺れる。
その間にテラは距離を詰める。
迅尾の加速。
幻狐歩の揺らぎ。
銃弾が一発放たれたが、弾道は虚空を抜けた。
次の瞬間、テラの掌が男の手首を打つ。
銃が床へ落ちる。
金属音が通路に響いた。
そのまま体勢を崩し、男を壁へ押し付ける。
短い沈黙が通路に落ちた。
警戒役の男はすでに床に倒れている。もう一人も狐火に足を縫われたまま動けない。
テラはゆっくりと息を吐いた。
周囲を確認する。
通路は再び静まり返っていた。遠くで搬送設備の駆動音がわずかに響くだけで、他に人の気配はない。
どうやら二人だけらしい。
床に転がった制御核を拾い上げる。
小さな機械ユニットの内部で、光が規則的に点滅していた。
都市設備の重要部品。
これを持ち出すつもりだったのは間違いない。
テラは数秒ほどそれを眺め、やがて視線を通路の奥へ向けた。
この設備が狙われた理由は、まだ分からない。
だが一つだけ確かなことがある。
ギアヘイヴンの中枢に、外から入り込んだ者がいる。
そしてそいつらは、都市の技術を持ち帰ろうとしている。
足元で狐火がゆっくり消えた。
拘束されていた男が、ようやく荒い呼吸を吐く。
「……お前……何者だ」
テラは答えない。
ただ静かに視線を向けた。
都市の通路は、再び静けさを取り戻していた。




