閾値の外側
依頼は、外縁第九区画全域を対象とした同時異常対応だった。
転送された瞬間、空中に展開された区画図へ三つの赤色警告が浮かび上がる。南ブロック住宅帯の構造崩落予兆、中央ブロック・エネルギー中継塔の出力暴走、そして北端地下通路の崩落事故。発生時刻はほぼ同時で、優先度は横並び、制限時間にも有意な差はない。
端末上では三つは等価に並べられているが、都市という構造体は決して均質ではなかった。
中央ブロックの中継塔は第九区画の電力配分を担う基幹設備であり、ここが停止すれば医療補助装置は予備電源へ切り替わって出力を落とし、浄水処理は処理量を制限され、保安ドローンは巡回密度を下げる。三時間の停止であっても、都市機能の損耗は確実に積み重なる。
南ブロックは人口密集地帯で、老朽化した集合住宅が並び耐久指数は低い。ただし崩落は段階的に進行するため、適切な誘導が行えれば致命的被害を抑制できる可能性が高い。
北端地下通路は利用者数こそ少ないものの閉鎖空間であり、時間経過はそのまま生存率へ直結する。
テラは数秒間、地図を見つめたまま思考を巡らせる。移動距離、処理予測時間、二次被害発生率、都市損耗指数の推定変動。合理的な順序は明確で、中央を最初に処理すれば都市全体の効率は最大化されるはずだった。
それでも視線は南へ向き、転送光が収束した先は住宅帯だった。
到着した時点で外壁は既に歪み、鉄骨が軋みを上げている。上階から落下した外装材が路面に散乱し、避難導線を塞ぎかけていた。避難指示は出ているものの住民の動きは鈍く、混乱は拡大しつつある。
迅尾を高出力で展開すれば短時間で切断できるが、その振動は崩落を加速させかねない。テラは幻尾を薄く広げ、荷重の偏りをわずかに逸らしながら支点をずらしていく。崩壊方向を制御し、通路だけを確保する作業は、派手さのない消耗戦だった。
その間にも、端末の片隅で中央ブロックの警告色は黄色から橙へと変化していく。警告音は鳴らないが、色の深まりが時間の消費を示している。
泣き声や怒号、足音が交錯する中、外縁特有の湿った空気が肺にまとわりつく。上空では企業ロゴのホログラム広告が崩れかけた建物の上で虚ろに明滅していたが、テラは視線を上げることなく導線の確保に専念する。
避難完了を確認した時点で負傷者はゼロだったが、中央ブロックの表示は既に赤域へ移行していた。
次に向かった北端地下通路では、入口が半ば埋没し内部から断続的な声が届いている。梁は歪み、わずかな振動で再崩落の危険があるため、迅尾を最小出力に抑え切断と補強を繰り返す。粉塵が舞い上がり、酸素濃度の推移が端末に数値として表示され、猶予がほとんど残っていないことを示していた。
焦れば崩落し、慎重すぎれば間に合わないという状況の中で、テラは中間を選び続ける。最後の一人を引き上げた瞬間、酸素指数は危険域へ踏み込む寸前だった。
人的被害は発生していない。しかし中央ブロックの中継塔は臨界直前に達していた。
到着したとき、塔内部の空気は振動し、出力波形は乱れ、冷却系統は既に停止している。制御盤は過熱で赤く発光し、完全停止が間に合わないことは明白だった。
爆発だけは防ぐという一点に判断を絞り、制御回路を強制分断して出力を急落させる。閃光とともに主導回路が焼損し、塔は沈黙した。同時に第九区画中央から東側一帯の照明が一斉に落ち、街は暗闇に包まれる。
三時間に及ぶ停電は、単なる暗さ以上の影響を残す。医療補助装置は予備電源へ移行するが処理能力は低下し、浄水施設は供給量を制限される。保安ドローンの巡回間隔が延び、小規模な衝突や窃盗が増加するなど、都市は目立たぬ形で摩耗していった。
任務完了通知には貢献度加算が明示され、推薦圏内の維持も確認できる。しかし追記欄にはこれまで見なかった文言が並んでいた。
――評価処理:再計算対象
――継続観測
減少も警告も表示されない。ただ確定していないという事実だけが残る。
翌日送信された追跡ログには、医療補助遅延による容体悪化一件、浄水停止に伴う感染拡大の兆候、経済損耗指数の上昇といった数値が淡々と記録されていた。中央を先に処理していれば停電は回避できた可能性が高いが、その場合南ブロックで重傷者が発生し、北端では救出不能者が出ていた確率もまた高い。
テラは目の前にいる全員を救う順序を選び、都市機能の損耗を受け入れた。その判断自体に後悔はないものの、都市が評価する基準は感情ではなく効率と安定である以上、内部でどのような再計算が行われているのかは分からない。
端末を閉じると表示は消え、貢献度だけが確実に増えているという事実が残る。それでも何かが静かにずれた感覚は拭えなかった。
外縁の夜は変わらず、輸送便の低い振動が路面を伝い、ネオンは霞み、住民はいつも通りに歩いている。しかし選別の基準は目に見えない場所で更新され続けているのだと、テラは理解していた。




