↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
51/63

51話 傷跡

祠の前。


ケンイチたちは、できあがった清酒を一つの小さな陶製の盃に注いでいた。


液体は透き通るような淡い金色。微かに揺れる灯火を映し出し、甘い香りとともに仄かに空気を震わせていた。


「……完成した、神に捧げる酒」


ケンイチは、手を震わせながら盃を捧げ持ち、祠の前にひざまずいた。


三姉妹、セラフィーナ、そしてミコも、静かにその後ろに並び、頭を垂れる。


「……神よ。この酒は、あなたが願い、我らが捧げる心の結晶です。どうか、お受け取りください」


盃をそっと、祠の前に置いた――その瞬間だった。


ゴォォォ……!


地の奥から唸るような音が響いたかと思うと、祠の扉がゆっくりと、確かに開いた。


中から、白い光が溢れ出す。


その光の中心に、神が現れた。


先ほどまでは人の姿に近い佇まいだったが、今や神々しさをまとった真の姿へと変わっていた。


金色の髪、優しくも厳かな瞳。身にまとう衣は風にたなびき、光そのもののようだった。


「……ああ、この味、この香り……間違いない。これは、かつて天上でのみ口にできた神の酒。そなたたち……本当によくぞここまで」


神が盃を取り、ひと口含んだ。


その瞬間、空が鳴った。


洞窟の外で、風がざわめき、霧がゆっくりと後退し始める。


「この霧は……?」


セラフィーナが目を見張る。


「村の外……! 霧が消えていく!」


フェリシアの叫びに、皆が一斉に外へと駆け出した。


そして見た――


村の周囲を覆っていた濃霧が、音もなく、風に流されるように消え、晴れやかな空が現れていた。


「空……青い、空……!」


村の子供が空を指差して叫ぶ。


さらに、空に浮かぶ雲の合間から柔らかな雨が降り注いだ。

それは冷たくもなく、むしろ温かささえ感じさせる優しい恵みの雨だった。


「雨だ……! 恵みの雨が……!」


荒れていた畑に、雨粒が静かに吸い込まれたかと思うと、次々と芽が吹き出し、しおれていた葉が色を取り戻していく。


「……土が、蘇ってる……!」


ミコは両手を口にあて、信じられないというように涙を浮かべていた。


村人たちも次々と外へ出てきて、空を仰ぎ、顔を濡らし、そして――笑った。


「ありがてぇ……」「生きてる……!」


喜びと安堵、そして涙が交錯する中で、神の声が再び響く。


「人よ、この地に再び命が芽吹いた。だが、霧は他にも残っている……私の力が戻った今、導く者が必要だ。そなた、ケンイチ。再び、力を貸してくれるか?」


ケンイチは黙ってうなずいた。


「……ああ。やるよ。俺でよければ、何度だって」


神は優しく微笑み、その姿を霧のように消した。


だが、その温かさだけは、確かにこの土地に残っていた――



⸻



霧が晴れて数日――

神の奇跡によって村に命が戻っても、失われたものすべてが一夜で元に戻るわけではなかった。


壊れた家屋、雑草に覆われた畑、痩せ細った家畜。

そして――


「……あの子、もう何もしゃべらないの」


ミコが優しく抱きしめる小さな女の子。目に光はなく、怯えたまま黙り込んでいた。


「魔力を……吸い取られすぎたのかもな」


ケンイチは村人から話を聞き、何人もの大人や子供が“何か”を失っていることに気づいていた。

体力、感情、言葉、記憶……まるで少しずつ何かを食べられたかのように、抜け落ちた人々。


「これが……悪魔の残した傷か」


祠の封印が解け、神が戻ってもなお、悪しき影は確かに残っていた。



数日間、ケンイチたちは村の復興を手伝った。


壊れた屋根を直し、井戸を掘りなおし、水路の整備を行い、畑に種をまいた。

ミコは簡易診療所を作り、疲れた身体と心を癒す薬草茶を振る舞った。


「こんな風に……人の温もりがあるだけで、少しずつでも、戻っていくんですね」


ミコがそう呟いたとき――


「ねえ、提案があるの」


セラフィーナが、真剣な眼差しで皆を見た。


「この村に、小さな修道院を作らない? 今は小さくてもいい。大きなものはいらない。ただ、心を寄せる場所が……“帰れる場所”が必要なの」


静かに頷いたのは、長女エスメラルダだった。


「……はい、そうですね。今、この村に必要なのは、明かりだと思います。“安心できる場所”を、私たちの手で作りましょう」


次女のベアトリーチェも腕を組み、唸るようにうなずいた。


「村に残る悪意を、私たちで洗い流してやる。修道院があれば、子供たちも、大人も、逃げ込める」


そして三女フェリシアはにっこりと微笑んで、手を挙げた。


「お菓子係は任せて! みんなで、おいしいおやつ作るの! ね、ケンイチ!」


「おう。じゃあ、建設担当は俺ってことでいいな?」


笑いながらケンイチが答えると、仲間たちの顔が自然とほころんだ。



その日から、村の片隅にある空き地で、修道院の建設が始まった。


レンガを積み、木材を運び、ミコが設計図を描き、三姉妹が村人たちに指示を出す。


子供たちはまだ怯えた目をしていたが、日を追うごとに、少しずつ手伝いに来るようになった。


「釘、ここだよー!」


「板、持ってきたよ!」


笑い声が、霧の谷に響く。


そして数日後、小さな鐘が付いた木造の家――


『小さな修道院』が完成した。



「この鐘が、いつかこの村を守る音になりますように」


セラフィーナが鐘を鳴らすと、コーン、と柔らかな音が村中に広がった。


ケンイチはその音を聞きながら、ふと、遠い昔の日本の田舎を思い出していた。


「……ああ、また一つ、帰る場所が増えたな」


そう呟いた彼の背中を、温かな風が撫でていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。